西部の中でも古くに作られた町で、少女が親指を傷つけて、ぽたぽたと血を流した。

  
   

  Moon Blood




  ふらりふらりと気ままに街を渡り歩く賞金稼ぎマッド・ドッグは、何処かに良い獲物は落ちてい
 ないかな、と思っていた。
  常々狙っている賞金首サンダウン・キッドは、何故だか最近姿を見せないので、マッドは少々お
 もしろくない。別段、会ったところで、どうせマッドが決闘に負けて、サンダウンはそのまま逃げ
 てしまうので面白い事などないのだが、しかし決闘も挑めないとなるとそれ以前の問題になる。
  とはいえ、特に心配していないのは、サンダウンが行き倒れただとか、国外逃亡したとかいう話
 を聞かないからである。誰かに撃ち取られたというのは、あの男の場合、銃の腕を鑑みれば考えに
 くい。
  特に切迫した状況でもないので、マッドも、あのおっさんいねぇのか面白くねぇな、程度に考え
 ており、別の仕事を摘み食いしようとか考えて、酒場で仕事を漁っているのだ。
  といっても、マッドは賞金稼ぎなので、仕事は賞金首を捕まえる事である。そして、名実共に西
 部一の賞金稼ぎであるマッド・ドッグが、己の仕事を酒場に求める事など、普通はあり得ないのだ。
  西部一の賞金稼ぎに伸し上がるには、はっきりいって銃の腕だけでは不可能だ。銃の腕だけで一
 番になれるのは、むしろ件のサンダウン・キッドのように、ならず者側だろう。
  勿論、賞金稼ぎもならず者と紙一重である。だが、その紙一重の部分で過たずに賞金稼ぎとして
 名を馳せるには、力技だけではなく、法の目をかいくぐる強かさと、誰にも後れを取らない情報の
 網が必要だった。
  賞金稼ぎマッド・ドッグの情報網は、他に類を見ない。
  マッドがその気になれば、何処にどんな賞金首がいて、その賞金首の過去や家族構成、性癖まで
 一気に調べ上げられる。その情報をかいくぐるのは、サンダウンくらいであった。サンダウンは基
 本的に街にやって来る事が少ないので、情報も限られてくるのだ。それでも見つけ出す事が出来る
 のは、単にマッドの賞金稼ぎとしての能力が突出しているからに過ぎない。
  故に、マッドが酒場に仕事を求めてくる事など、まず、ないのだ。
  あるとすれば情報の仕入れを命じるか、或いは狩りをする為に、猟犬を集めるか、それくらいで
 ある。
  そんなマッドが、仕事を求めてふらふらと酒場にやってくる。
  つまり、マッドが求めているのは賞金稼ぎとしての仕事ではない。マッドが暇を潰せるような、
 何か面白いネタがないかを探しているのだ。
  しかし、そんなくだらない理由で酒場にやってこられるのは、マスターとしては迷惑この上ない。
 迷惑千万という顔を隠しもせずに、酒場のマスターは険しい顔で西部一の賞金稼ぎの小奇麗な顔を
 睨むが、当の賞金稼ぎは何処吹く風で、面白い話はないかとせっついてくる。
  非常に面倒臭い客である。
  だが、西部一の賞金稼ぎである事を考えれば、そう無下にあしらえないという現実がある為、マ
 スターも仕方なく相手をするしかないのだ。
  が、それでもやはり、時間を割くのは面倒くさいのも事実。
  なので、マスターも適当に話をして切り上げる事を選んだ。そもそも賞金稼ぎが求めているのも
 ネタであって、仕事ではない。だから、どんな話をしたって良いというものだった。だからマスター
 は先程聞いたばかりの、少しばかり不気味な話を口にする事にした。

 「そういえば、今朝聞いた話なんだけどな。ちょっと不気味な話で酒の席にはどうかと思うんだが、
  あんたは暇そうだから話すとするか。」

  勿体ぶった前置きを付けてから、マスターは口を開く。

 「コロラド州にある、西部開拓時作られた中じゃあ古い部類に入る町で起きた事件だ。事件、と言
  っても、何が起きたかは定かじゃあない。何せ、その町には誰もいなかったんだからな。」
 「ゴースト・タウンか?それなら、事件が起きたかどうかも分からねぇじゃねぇか。」 

  鼻先で嗤うマッドに、マスターはゆっくりと首を振る。

 「いいや、その町には人間が住んでいる。正確には住んでいた、だな。確かに、その町は町として
  それなりの機能を果たしていたんだ。だが、ある日、定期的にその町を訪れる行商人がやって来
  たところ、町の中には誰一人としていなかった。」

  決して小さな町ではなかった。
  鉄道は止まらないものの、駅馬車の往来はあった。ところが、行商人が見た町には賑わう市場も
 大通りも閑散としており、ネコの子一匹姿が見えなかった。
  異様なその風景に、行商人は、さてはならず者達の集団に襲われたのか、と思ったのだそうだ。
  事実、町には以前からその兆候があったのだ。数年前までは非常に秩序ある町であったが、ある
 時を境に、徐々に治安が悪くなり始め、今では路上には柄の悪い連中が屯し、商人の中にも極めて
 危険な薬を扱う輩が紛れ込んでいる事もあった。
  だから、もしかしたら紛争か何かが起きたのではないか、と。
  しかし奇妙なのは、荒らされた様子がない事であった。ならず者が大挙してやってきたのか、縄
 張り争いがあったのか、いずれにせよ何らかの形でその形跡は残っているはずであったが、行商人
 が見る限り、多少の乱れはあったものの、町の中は綺麗であった。
  とはいえ、行商人も命ある身である。何が起きたのか分からない町に、長居は無用であった。積
 み荷を背負った馬を急かして、彼は辿り着いた別の町で保安官事務所に駆け込んだ。それだけでも、
 十分な良心であった。
  そしてその良心は無下にはされなかった。保安官達も、その町からやって来る駅馬車がない事を
 奇妙に感じていたのだ。彼らは行商人の言葉に、何かのっぴきならぬ事が起きたのだを感じ、急い
 で徒党を募り、無人と化した町にやって来た。
  何処にならず者が隠れているかも分からない。
  銃を持ち、慎重に進む彼らは、けれどもやはり一人の人間も見つけられなかった。
  町は行商人の言った通り、多少の乱れはあったものの、しかしならず者に蹂躙されたような跡は
 なく、小奇麗なままであった。何処にも叫びの残滓がない事に、保安官達は訝しがった。此処では
 如何なる犯罪も行われた様子がなかった。  
  けれども、それならば此処に住んでいた人々は一体何処に行ったというのか。
  この町を捨てた。
  そんな事は考えられない。そんな事をする理由もない。確かに治安は悪くなっていたが、それに
 よって一般市民が逃げ出す事はあっても、毒された人間は残るはず。しかし善も悪もそこにはない。
  そもそも、家の中を見ても通りを見ても、つい先程までその場で人が生活していたような形跡が
 ある。
  汲み置かれたままの井戸の水。テーブルに並べられた状態で放置された食器。露店で日を浴びて
 いる売り物。
  その合間合間に、人々が立っていれば、全く違和感のない風景であった。
  ただ、人だけがいない。
  奇妙な状況となった町の中で、ようやく何らかの恐慌を見つけた時、保安官達はぎくりとしたと
 いう。
  一つの民家を家探ししている時に、それは見つけられた。 
  ベッドに転がっていたそれは。
  少女の生首だった。

    「保安官達はその生首を持ち帰って、調べるつもりなんだと。」
 「へぇ。けど、生首だけで何か分かるもんなのか?胴体は見つかってねぇんだろ?」
 「まあ、死因とかは分からないだろうなあ。なんでも非常に綺麗な状態だったらしいぞ、その生首
  は。まるで眠っているようだったんだと。」
 「寝てる間に、首をぶった切られたんじゃねぇのか。」
 「いやいや、それが。」

  マスターは手と首を一緒に振る。

 「なんでも、食い千切られたようだったらしいぜ。その、傷跡の具合から見て。」

  そして奇妙な事に、胴体はおろか、流れた血もない。
  町の人間と、少女の胴体と血と。それだけが、何処にもないのだ。
  いつの間にか葉巻を取り出して燻らせていたマッドは、一度煙を吸い込むと、ゆったりと時間を
 かけて吐き出して呟いた。  

 「確かに、奇妙な話だなぁ………。」 
 「ま、多少の誇張はあるかもしれないけどな。」 
 「なんて、町の名前だって?」 

  さらりと問うたマッドの声に、マスターは眼を剥いた。
  それは明らかに、何かを確かめようという響きを孕んでいた。

 「おいおい、まさか行くつもりなのか?」
 「見に行くだけだ。」
 「何もないぜ。あったとしても、ならず者の根城になってるだろうよ。」
 「だったら、食い散らかすだけだ。」

  賞金稼ぎマッド・ドッグが、たかがならず者風情にやられるはずがない。きっと、襲い掛かって
 きても暇を持て余していたマッドの牙は、嬉々として噛み砕くだろう。
  暇つぶしが出来たと牙をむいて喜ぶ狂犬に、マスターは溜め息を吐いて、コロラドの古き町の名
 前を告げた。