マッドは今なら死ねると思った。

  銃で撃ち殺されるだとか、ナイフで刺し殺されるとかではない。かといって、階段から転げ落ち
 るだとか、病気でどうとかでもない。

  今、マッドがいるのは壁の木目が安っぽい宿屋の一つだ。
  せめて安くてもホテルとかだったら、とも思うがホテルだったら現状が変わるかといえばそうで
 もない。
  何よりも一番の問題は、この状況を考え出して実行したのは他でもない自分だという事だ。

  眼の前で珍しく呆気にとられているらしく硬直した髭面を見ても、溜飲が下がるどころかなんだ
 か死にそうになるばかりだ。





  Take Off





  とにかく、自分の鼓動の大きさでどうにかなりそうだ。もしかしてサンダウンにも聞こえてるん
 じゃないのかと思って、いやいやそんなわけあるかと一人で突っ込む。
  けれど、心臓の音が聞こえていないからといって、サンダウンが今の自分の状況を勘付かない理
 由にはならない。
  というか、この心臓の爆音からして、顔どころか首の裏まで赤くなってるんじゃなかろうか。

  ちらりと顔を上げてサンダウンの様子を窺うと、サンダウンはまだ固まったままの状態でマッド
 を見ている。
  せめてその視線を外してくれたら、と思って、いやそれじゃあ意味がねぇと思いなおす。
  わざわざ宿屋に連れ込んでベッドの上に膝立ちになって、挙句の果てにはじっくりと見せつける
 ように服を脱ぐという、マッドにしてみれば羞恥の極みである事をやっているのだ。それは他でも
 ない、眼の前のおっさんの為以外の何物でもない。そのおっさんが眼を逸らしていては意味がない
 のだ。

  意を決してベルトに手をかけて、もたもたと震える指で金具を外していく。
  ああもう、なんで男の前でズボンを擦り下げなきゃならないんだ。
  っていうか、見せつけるように服を脱ぐって、どうやるんだ。

  マッドの心の叫びに、今此処に愛馬のディオがいて――且つ彼が人語を発せたのなら――あんた
 いつも十分に見せつけるように服脱いでるから、と言っただろうが、マッドにとっては幸か不幸か
 ディオは今此処にいない。
  尤もディオが此処にいたなら、御主人にストリップ紛いの事など死んでもさせないだろうが。

  そもそもどうしてこんな事になったのか。

  マッドはこの時ばかりは、いらない考えを思いついた自分の頭を罵りたくなった。
  けれども思いついた時は確かに必要だと思ったのだ。




  サンダウンとマッドの関係は結構長い。
  知り合った時の事も含めれば、多分、西部一付き合いの長い賞金首と賞金稼ぎだと思う。
  そこに色んな関係が混ざり合って、なんだか口に出す事も出来ないような関係になって、それか
 らもずっと続いている。
  どうしてそんな関係になったのかだとか、どうして続けているのかだとか、そんな理由はマッド
 にとってはどうでもよい。
  女の少ない西部で、しかも放浪し続ける自分達がこういう関係になったのはごくごく当たり前の
 事のように思える。
  ディオが聞いたら物凄い勢いで『賞金首と賞金稼ぎがそんな関係になるかよ、なるとしてもそれ
 は屈服か服従か何かだ、あんた騙されてるんだ!』と叫んだだろうが、マッドはディオにこんな話
 はしていないし、そもそもマッドもその事については既に考え済みだ。
  サンダウンがマッドよりも強いのは周知の事実で、だからマッドは受け身の立場に甘んじている
 し、そもそもマッドには髭面のおっさんを抱く勇気はない。サンダウンだって、マッドが自分と同
 じようなおっさんだったら抱く気は起きないはずだ。起きたら変態だ。 
  だから、この関係は屈服でも服従でもない。

  話が逸れた。

  とにかく、マッドにとってはこの関係の名前などどうでも良いし、理由もどうでも良い。

  問題は、如何にして長続きさせるか、だ。

  自分で言うのもなんだが、マッドは自分の身体は悪いものではないと思っている。でなければ、
 西部にいる男どもが好色な目で見てくる事もないだろうし、何よりサンダウンが毎回毎回抱きつい
 てくる事もないだろう。
  放浪している女っ気のないおっさんにとっては、極上のはずだ。

  だが、いくら美味い料理でも、毎日食べていれば飽きてくるもの。
  いくらマッドが良くても、ずっと同じだと飽きてくる。
  だから、ちょっと変わった趣向も取り入れてみるべきか、と思った。

  その時は、結構、本気で。

  もちろん、いきなりわけの分からない、変な趣味に走るわけにもいかない。そんな事をして引か
 れても困るし、何よりもマッド自身が受け付けない。はっきり言っておくが、マッドは基本的には
 ノーマル思考だ。
  抱いたり抱かれたりの関係になったのは、相手がサンダウンだったからで、他の男などごめんだ。
 『いやサンダウンを選んでもおかしいから!』とやっぱりディオなら突っ込んでくれただろうが、
 彼は馬であり、且つこの場にいないので突っ込む事は出来ない。

  そんなこんなで――もはや半ば混乱気味の頭でどういう事なのかもわからず――マッドは、ひと
 まず最初は自分から誘ってみようと思った。
  いや、マッドから誘う事はこれまでだって結構あった。自分から擦り寄る事も、サンダウンの上
 に圧し掛かる事も、口付けて強請る事もあったし、そういう時はタイを解いて挑発的に喉元を曝し
 たりした。
  けれど、此処まで本格的に――上だけならまだしも、下まで脱いだのは、初めてだ。

  死ぬ死ぬ、と内心で呟きながら、それでもなんとか下着まで取り去り、サンダウンの様子を上目
 遣いで窺う。
  すると、そこにあったのは想像した以上に険しい表情をしたサンダウンだった。
  虚を突かれてマッドは一瞬息を詰め、そして駄目だったのか、と項垂れる。
  ああもう駄目かこれで終わりかと諦め、脱ぎ捨てたばかりの服を引き寄せ粛々と身に着けていく。
  しょんぼりとして身を起こし、これからどうしようかなと考えながら、とにかくサンダウンから
 離れようと思い、二度と逢えないかもとか後ろ向きまっしぐらな考えに取りつかれながらも、ふら
 ふらと部屋から出ようとした時、ぐいっと強い力で腕を引かれた。

  何、と思う暇もなく身体が宙に浮き、先程までいたベッドに逆戻りしていた。
  眼を瞬かせていると、そこにサンダウンが映り込み、かと思うと焦点が合わせられないくらい顔
 を近付けられた。そして唇に口付けられる。最初から、深いもので、突然の事にマッドはついてい
 けない。
  身を捩ってみてもサンダウンの腕からは逃れられず、しかもその間にさっき着込んだばかりの服
 は乱され、身体から引き剥がされていく。
  さっきの俺の行動の意味は一体!と思ったが、あっと言う間にそんな事どうでも良くなるくらい
 の波に呑み込まれる。

  結果、いつもの通りに全身に所有印を刻まれて、マッドが自分から服を脱いだ事を思い出したの
 は、事が終わった後だった。




 「で…………。」

  マッドはせめてもの意趣返しとばかりにサンダウンに背を向け――後ろから抱え込まれているの
 であまり意味がないが――不機嫌そうに訊いた。

 「俺が折角、服を脱いでやったってのに、なんであんたは………。」

  ぶつぶつと呟いて文句を垂れるが、結局サンダウンが誘われなかった理由として思い浮かぶのは、
  自分の脱ぎ方に色気がなかったからだという事しかなく、最後のほうは語尾を掠れさせてしまい
 詰問の態をしていない。
  別に色っぽく服を脱げたからって賞金稼ぎとしては困らないし、と自分を内心で慰めていると、
 サンダウンが呆れたように言った。

 「………何を考えているのかと思えば。」
 「うるせぇ。服脱いだらむっちゃ不機嫌な顔してるし。」
 「お前が何を考えているのか分からなかったからだ。」
 「しねぇのかと思ったら、服着た途端、圧し掛かってくるし。」
 「お前はするつもりだったんだろう?」
 「だったら、服脱いだ時に圧し掛かってこいよ!」
 「………………。」

  きゃんきゃんと吠えるマッドの首筋に、サンダウンは軽く口付ける。ひゃっと叫んで伸びた綺麗
 な首筋に、今度は舌を這わせ、そのまま耳朶を捕える。そして熱く吐息を吹きかけながら、きっぱ
 りと言い放った。

 「私は脱いで貰うよりも脱がせる方が好きだ。」

 「………………。」

  それは、確かに、サンダウンの趣味の一端が分かった瞬間だった。