何人かの医者を当たってみて、記憶を取り戻す方法を訊いてみたが、結果は芳しくなかった。西
 部で名医だと呼ばれる彼らは記憶喪失の名を口にすると、一様に首を傾げ、最後には首を横に振る
 ばかりだった。
  こんな場所の患者は、病を除けば銃に撃たれただとかそんな物騒な怪我人達ばかりで、きっと記
 憶に関する患者はいないのだろう。ぼんやりと、南部でも有名な名医なら、と思ってみて、マッド
 はそれは出来ないと考え直した。
  話を聞くだけで行くにはその場所は遠すぎるし、かといって今のサンダウンがマッドに全てを任
 せて大人しくついてきてくれるとは思えない。
  それに何より、まだあの場所に行くだけの決心が、マッドの中にはない。




 9.Calling






  サンダウンをサクセズ・タウンに預けた後、数回、様子を見に行った。気配を全て殺して遠くか
 らその姿を眺めやって、大人しくビリーの後をついて回っているのを見て、やはりまだ記憶が戻っ
 ていないのだと溜め息を吐いた。
  もしも記憶が戻ったのなら、サンダウンはすぐにサクセズ・タウンを出て行くだろう。マッドの
 知るサンダウンは、一つの場所に自分が留まる事の危険性を良く知っているからだ。

  サンダウンに気付かれないようにその様子を見るマッドは、サクセズ・タウンの住民から見れば
 奇妙以外の何者でもないだろう。現に、アニーは何故こそこそしているのかと訊いてきた。
  その問いに苦笑いしながら、賞金首と賞金稼ぎである事を告げた事を言い、それがサンダウンが
 マッドを警戒している理由だと話すと、アニーは馬鹿じゃないの、と言った。それはそうだ。傍か
 ら見れば馬鹿だろう。警戒されるような事をわざわざ言うなんて。
  けれどもマッドにはそれは避けては通れない道だったし、誰かに言われるくらいならば自分から
 話しておくべき事だと思っていた。それによって警戒される事も、半ば覚悟しての事だった。
  ただ、あの視線には――まるで見知らぬものでも見るかのような視線には、耐えられそうになか
 ったので、こそこそと様子を見るだけだった。
  今日までは。

  運悪くクリスタル・バーに入ろうとしたところを、好奇心の塊であるビリーに捕まった。勇敢で
 はあるが些か他人の情を考えない、正に子供である少年は、マッドの姿を見つけると嬉しそうに駆
 け寄ってきた。それだけならまだしも、おじちゃーん!と叫んでサンダウンを呼んだのだ。
  この町では何もする事がなく、ただの穀潰しで役立たずのサンダウンは、ビリーの相手をする以
 外に仕事はないらしく、少年の呼び掛けにのそのそと現れ、マッドを見つけて眼を見開いた。
  その驚きの表情にマッドが居心地の悪さと、そこに嫌悪や不信がない事に安堵しているうちに、
 サンダウンは無表情に戻ってしまったわけだが。

 「必要なもんを買ったら、直ぐに出て行くさ。」

  サンダウンから眼を逸らし、ディオに飼葉を与える振りをしている厩で、マッドはそこまでまる
 で見張りのようについてきたサンダウンに、言い訳がましくそう言った。事実、直ぐに出て行くつ
 もりだったし、この町で揃える物などほとんどない。せいぜいディオを休ませる程度の間しかいる
 必要はないのだ。無意味に留まって、サンダウンの視線を浴び続ける必要だってない。マッドの存
 在がサンダウンの神経を逆撫でするというのなら、尚更。
  しかし次の瞬間、マッドの耳に飛び込んできたのは、マッドの予想にはない言葉だった。

 「…………もう、来ないのかと思った。」

  何処か不服そうな男の声に、マッドはきょとんとする。不服の理由が自分にあるのは分かるのだ
 が、続け様に吐かれた台詞に、何をどう繋げれば良いのか分からない。

 「来ると言ったくせに、今日まで来なかったな。」

  まるで、それはマッドがサンダウンの前に現れなかった事を責めるかのような言葉だ。マッドが
 呆然としているうちに、サンダウンはくるりと背を向けてしまう。

  なんだよ、それは。

  マッドの見知らぬサンダウンは、マッドの予想を遥かに超えた事をする。それに動揺しかけたの
 を覆い隠し、マッドは薄い笑みを刷いた言葉を吐いた。

 「ああ、なんだ?坊ちゃんは俺がいなくて寂しかったか?俺に狙われてねぇと、嫌だってか?俺以
  外の人間じゃ、役不足だって?」
 「…………ああ。」

  しかし、あまりにもあっさりと肯定の意を返した男に、マッドは今度こそ絶句した。このサクセ
 ズ・タウンで、一体サンダウンの身に何があった。それともこれは誰かが共謀しで自分を嵌めよう
 としているのではないだろうか。だとしたら、その効果も目的も分からなくて、目眩がするという
 ものだ。
  だが、次のサンダウンの台詞はとりあえず自分がマッドに狙われている人間である事を忘れたも
 のではなかった事にほっとする。

 「……お前はまさか、この町の人間を使って俺を捕えようとしていたのか?そんな事ができると思
  っていたのか?」 

  マッドに比べればサクセズ・タウンの住人は、サンダウンを捕えるという点では確実に役不足だ
 ろう。というか出来たらそれは奇跡だ。

 「確かにお前の仲間かとも考えたが、一週間もすればそんな考えは消えた。もしも本当に彼らが賞
  金稼ぎだと言うなら、相当の演技者か、本当に何の役にも立たない賞金稼ぎかのどちらかだ。」

  サンダウンの言葉に、マッドはまあそうだろうなと頷く。サクセズ・タウンの住人はサクセズ・
 タウンの住人でしかなく、一人一人は無力な一般人だ。

 「彼らで俺を捕まえる気だと言うのなら、お前の正気を疑う。あれらは、役不足なんてもんじゃな
  い。」

  マッドの台詞を肯定したのは、それでか。確かに、彼らは役不足だ。いや、それ以上だ。
  サンダウンの肯定の意味に気付いて安堵したマッドは、苦笑いを浮かべていたが、それを止める
 ような視線に撃ち抜かれた。今しも出て行こうと背を向けていたサンダウンが振り返っていたのだ。
  はっとするマッドに、サンダウンは一瞬何かを口にしようとして黙りこむと、無言でマッドに近
 づいてきた。そして次に口を開いた時には、先程言い掛けた言葉とは別の色をした言葉を吐く。
 「だから、もう一度訊く。」

  その気配の深さに、しかしマッドが見た事のない影を背負う男に、マッドは思わず後退った。そ
 の腕を取り、サンダウンは低く問い掛けた。

 「何故、俺を助ける?」

  顎を掴まれ、視線を逸らさぬように固定され、マッドは見知った青い双眸と本当に久しぶりに目
 を合わせた。けれど悲しい事に、瞳に宿るのはマッドの知らない光ばかりだった。マッドの知る荒
 野の静寂と同じ光は見当たらない。その事に何度目ともつかない落胆を感じながら、それでもマッ
 ドはサンダウンに告げる為の言葉を口にする。

 「てめぇを捕まえるのが、この俺だからだ。」

  いつだって全てを捧げる想いで声にしている言葉は、しかしいつもサンダウンを何一つとして揺
 さぶらなかった。そして果たして、今回もそうだった。サンダウンはひくりと片眉を動かしただけ
 で、マッドの顎から手を放す。記憶が戻るなど甘い期待はしていないが、それでもマッドの喉の奥
 に堰き止めるような痛みが走る。

 「答えになっていないな………。」

  落胆するマッドを見ていないように、サンダウンは呟いた。どこか何か、苛立ったような声。

 「捕えるのなら、今捕えても良いだろう。お前よりも俺が強いのなら、仲間を集めて攻め込んだら
  良い。」
 「今のあんたを捕まえても、意味がねぇよ。」

  マッドは、泣き笑いのような顔をしていないだろうかと思いながら答えた。
  マッドにとっては記憶のあるサンダウンを撃ち落としてこそ意味がある。あの、荒野を体現した
 ような男だけが、自分の中を占めている。それが自分の胸に照準を合わせる瞬間を、ずっと夢見て
 いる。緊張感を孕んだ二人の間に培われてきたものが爆ぜる瞬間が、ずっと欲しかった。
  今の、何も知らぬサンダウンを撃ち取っても、マッドの中には何も残らないだろう。何故なら、
 自分達の間に横たわるものが何もないからだ。

 「なあ、キッド。」

  何を言うともつかずその名を呼んで、何を求めようとしたのか自分でも分からずに、マッドは苦
 笑を零した。そして辛うじて、思い浮かぶ望みを吐き捨てる。
 
 「記憶を失くしている間に、腕を鈍らせてんじゃねぇぞ。」