主に褐色が支配する寂れた街は、人影よりも乾いた風のほうが縦横無尽に走り回っていた。この
 荒野に突然放り出されてから、決して多くはないが幾つかの町を見てきたが、この町は今まで見て
 きたどの町よりも小さく、人気がなかった。
  大きな通りはあってもそこに並ぶ店はほとんどが扉を閉ざしており、そこを行き交うのもタンプ
 ルウィードくらいしかない。轍の跡はほとんど見当たらず、かつてあったのだろうそこには今は土
 埃が溜まって、本当に長い間馬車が通っていないのだと告げている。

  人の往来がなく、もはやこのまま町として生き続ける事が難しい町に、サンダウンは静かに迎え
 入れられた。




  
 8.Home





  マッドは、彼には似つかわしくない酷く寂しげな町に降り立った。強い色を持ったマッドは、く
 すんだ色合いの中では強烈に目立つ。その様子を眺めてからサンダウンも馬から降りる。
  大通りを歩くマッドの周囲に誰もいない事が奇妙で、その町が何か作り物のように思える。

  行く先々でマッドのその身体が視線を集める事に気付いたのは、多分、あの夜を境にしてからだ
 ろう。下卑た男達の言葉に、マッドに気にはしないと言ったものの、実はあの日以降マッドの周囲
 により気を配るようになった。そうしてみれば、マッドが如何に視線を集めているかに気付く。
  サンダウン自身、マッドを西部には似つかわしくない男だと思う。一番最初の対面で南部の出身
 かと訊いて、その疑問が正しい事を告げるかのようにマッドの仕草は西部の中では抜きんでて秀麗
 だった。
  白い指先や余分な部分が一切ない頬の曲線や、端正でしかし微かに残る訛りの所為で柔らかく聞
 こえる声が、まるで切り取ったかのようにそこだけ浮き出している。そんな身体に視線が集まらな
 いほうがおかしいのだ。だから、荒野のど真ん中でもないのに、町中で誰の視線も絡みつかせない
 マッドの姿は、不可思議以外の何物でもない。
  しかしマッドは絡みつく視線がない事を寧ろ清々しているかのように、馬を引いて何の抵抗もな
 く人気のない大通りを歩いていく。そして不意に、その後ろ姿を見て黙ってついていくサンダウン
 の視線に気付いたのかくるりと振り返る。

 「ちょっと、此処で待っててくれねぇか?」

  小さく笑みを浮かべてそう告げる彼に、微かな疑惑が――自分を陥れるのではないかという疑惑
 が湧き起こらなかったわけではないが、その疑惑さえ見抜いたように笑みの質を微妙に変えたマッ
 ドは、それ以上は特に何も言わずに、彼が立ち止った店の中に入っていく。
  マッドの影を、彼が扉の中に消えるまで追い掛けた後、サンダウンは首を捻ってその店の属性を
 示す看板を見上げた。茶色の看板に、所々剥げかけた、かつては金か銀だったのであろう色は、ク
 リスタル・バーという字を染めつけていた。

  マッドが酒場の中に消えてから、どれだけ時間が経ったのかは分からない。しかし焦れは感じな
 かったから、再び扉が開かれるまでにそんなに時間は掛からなかったのだろう。
  唐突に開かれた酒場の扉から現れたのは、予想とは違いマッドではなく、黄色味の強い金髪を高
 く結い上げた若い女だった。
  サンダウンがその姿に目を瞬かせていると、その女は結った髪を鞭のように撓らせ、そして大き
 くその細い腕を振り被り――その手には銀に輝くフライパンが握られている――フライパンでサン
 ダウンを殴りつけた。

  かこーん。

  あまりにも咄嗟の事にサンダウンは避ける事も出来ず、軽快な金属音が何処からともなく聞こえ
 てきたのを最後に、意識が遠のいていく。
  もしかしてこれは賞金稼ぎであるマッドが張った罠だろうかと、霞む意識の中で思っていると、
 マッドの叫び声が遠くで聞こえた。

 「何やってんだ、お前はーーーっ!」




  次に眼を覚ました時、眼を開くとそこにはマッドが焦燥に駆られたような表情で、サンダウンを
 覗き込んでいた。形の良い唇が何かを堪えるように震えているのを見て、サンダウンも何か言わな
 くてはと思う。未だはっきりしない頭を抱えて

 「マッド、」

  と呼ぶと、その表情に微かな安堵が見えたものの、まだ晴れない。その様子があまりにも苦しげ
 で、サンダウンはどうにかして身を起こし、そして自分がベッドに寝かされている事に気付いた。

 「此処は………?」
 「サクセズ・タウンだ。分かるか?」

  色んなものを含み過ぎて真意が分からなくなったマッドの声に、それでもサンダウンは頷く。

 「……お前が安全だと言っていた町だな。」

  そのわりにはいきなりフライパンで殴られると言う、通り魔的な犯行に出くわしたわけだが。

  しかしそれを皮肉に感じるよりも先に、マッドの表情がはっきりと曇った事を見つけてしまった。
 そしてその理由とマッドの様子に対して何かフォローするべく言葉を探しているうちに、マッドの
 表情が曇った理由がマッドの背後から投げられた言葉で与えられてしまう。

 「仕方ないじゃない。記憶喪失っていったら、頭を叩けば治るもんだって思わない?」

  自分にフライパンを叩き付けた女は、金の髪をさらりと揺らしてそう告げた。その言葉に、マッ
 ドは女を振り返り苦く言い返す。

 「だからっていきなり殴るか、普通!」
 「悪かったよ、それは。謝るよ。けど、あんただって一回くらい殴って試してみたんじゃないの?」
 「するか!」

  吠え合う二人に、サンダウンはフライパンで殴られた額の痛みがぶり返してきた。しかし言い合
 いは止まる気配はなく、ようやくマッドがサンダウンを思い出した時には、ゆうに半刻ほど過ぎて
 いた。

 「まあ、いい。」

  一通り言い合って気が済んだのか、マッドは女にとサンダウンを見比べる。

 「とにかく、こいつはお前らに任せるぜ。」
 「別にいいけど、あんたは?」

  まさか任せっきりかい?
  そう尋ねる女に、マッドは一瞬困ったような表情を見せたが、ふいとそっぽを向いて、

 「時々様子は見に来るさ。こいつの宿代だって、どうせ俺が払わねぇとならねぇんだろうし。」
 「金の事は良いんだけどさ。記憶を戻すんなら、あんたと一緒にいたほうが戻りやすいんじゃない
  の?あたい達よりも付き合いは長いんだから。」
 「そうでもねぇよ。」

  首を竦めてみせるマッドに、サンダウンはマッドが何を言わんとしているのかに気付く。マッド
 はサンダウンに宣告したとおり、サンダウンから離れて行くつもりのようだ。その事に思う事がな
 いわけではなかったが、しかし何を言えば良いのかも分からず、マッドはサンダウンに背を向ける。

 「じゃあ、頼んだぜ。」

  もはや言葉になんの感情の片鱗も見せずに、一瞥すらなく立ち去る男の影を、サンダウンは呆然
 として見やる。あれほどしつこく付きまとっていたのが嘘のような立ち去り方。それは、二度と顔
 を合わせる事はないのではないかという予想さえ企てる。
  男のいなくなった町は、作り物じみた気配が消え去ってようやく普通の寂れた町だと思えるよう
 になっていたが、それが妙にもの寂しかった。それが何故かとても耐えがたく、サンダウンは馬蹄
 が遠ざかる音を聞きながら、何か物言いたげな女に躊躇いがちに尋ねる。

 「………また、来ると思うか?」

  突然のサンダウンの問いに、女のほうも驚いたようだった。しかしサンダウンの言葉の意味を聞
 き取った彼女は、頷く。

 「ああ言った以上、偶には来ると思うよ。なんだかんだで面倒見の良い奴だし。」
 「………そうか。」

  女の言葉に不思議と安堵した自分がいる事に、サンダウンは首を傾げる。マッドがいなくなった
 事で妙に寒々しい気分になっている自分は、己を捕える賞金稼ぎだと豪語する彼に、知らず知らず
 のうちに依存し始めていたのだろうか。
  確かに一番最初に、自分に手を差し伸べたのは彼だが………。
  マッドのいない傍らに、もの寂しさに捕らわれている自分に、サンダウンはうろたえる。 
  そんなサンダウンに、今度は女のほうが恐る恐るといったふうに言った。

 「とりあえず、みんなを紹介しようか。あんたの事も一通り説明しないといけないし。」
 「………ああ、頼む。」

  少しくすんだ世界で、サンダウンは頷いた。