ディオを駆けさせながら、マッドは時折背後を振り返る。後ろに妙に硬い表情をしたサンダウン
 がいる事に安堵し、そしてまたしばらくすれば振り返るという事を、街を出てからずっと続けてい
 た。
  だだっ広い、何一つ姿を隠すもののない荒野ではマッドの姿を見失う事はないだろう。それでも
 マッドは、自分の事を何一つとして覚えていない男を何度も振り返ってはそこにいる事を確認せず
 にはいられなかった。

  何故ならば、サンダウン自身が自発的にマッドから離れる可能性があるからだ。





 5.Move






  先程は本当に失敗だった。あの人ごみの中、まさかあんなに早くサンダウンが離れていくとは思
 わなかった。
  賞金首と賞金稼ぎである関係を話して、それでなんの警戒も持たぬ方がおかしいとは思っていた。
 しかし、それにしてもサンダウンがマッドを見る目は、未だかつてないくらい深い疑いに満ちてい
 る。
  だが、サンダウンが戦争云々の事を口にしていた事を思い出し、マッドはサンダウンの疑り深さ
 も仕方ない事かと思う。

  サンダウンが口にした戦争とは、紛れもなく南北戦争の事だろう。開始から終結に至るまで五年
 の歳月を費やした、あの泥沼の戦い。当時まだ幼かったマッドでさえ、その時の燻る炎の臭いは覚
 えている。そしてこのサンダウンの記憶は、その言葉の端々から考えるに、戦争の真っ只中にいた
 時までしかない。
  あの、いつ終わるとも知れない炎と鉄と血と肉の臭いの只中にいた彼にとって、軽率は間違いな
 く落命を意味している。それ故に、マッドの庇護を、かくも不審の眼差しで見るのだろう。

  まあ、そうでなくても俺は敵だって名乗ってるようなもんだからな。 

  いつもよりも数段走る速度を遅くしたディオの背で、傾きゆく日差しを眺めつつマッドは思う。
 その背には、サンダウンの硬い視線が突き刺さっている事が、嫌でも分かる。
  恐らく、今のサンダウンには何を言っても無駄だろうと思う。どれだけマッドが今のサンダウン
 を撃ち取るつもりはないと言ったところで信じはしないだろうし、隙あらばマッドを置き去りにし
 ようと考えているだろう。
  それが、どれだけ危険な事であったとしても。今のサンダウンなら、どれだけ銃の腕が変わらな
 くとも、三流の賞金稼ぎでも撃ち取れる。
  サンダウンを他の賞金稼ぎに渡したくないというのはマッドの本心だ。同時にマッドは今のサン
 ダウンを撃ち取っても意味がないと思っている。だが、サンダウンはそれを聞いたところで今の態
 度を軟化させはしないだろう。だからといって、今にも逃げ出しそうなサンダウンを一人荒野に放
 り出すわけにもいかない。

  では、どうするか。

  マッドは太陽が完全に地平に隠れ、地平の縁が茶色に近い橙を残しているのを眺めた。その橙は
 徐々に色を薄れさせて白に近くなったかと思うと青味を増して、天頂に近づくにつれて濃くなって
 いく夜の色に、ディオの脚を止めさせて、もう一度背後を振り返る。そこには、今にも夜の色を帯
 びた荒野の色に紛れそうなサンダウンが、栗色の馬に跨っていた。

 「今日は此処で野宿だな。」

  遠くに細い立ち木が見える以外は、何一つとして隠れる場所のない枯れた草原のど真ん中。街か
 らは遠く離れ、そして誰かが近づけばすぐにでも分かる。
  マッドはディオの背から降りると、括りつけてあった荷物を下ろし、着々と野営の準備を始める。
 それを黙って見ていたサンダウンも、日が暮れた荒野を一人で彷徨うのは得策ではないと感じたの
 
 
  小さな焚き火を灯したところで、マッドはそこに立ちつくしているサンダウンを見上げた。

 「そんなとこに突っ立ってねぇで座れよ。」
 「………………。」
 「火があるところでそんなふうに立ってると、銃の的になるだけだぞ。」 

  そう言うと、ようやくしぶしぶといったようにサンダウンはその場に腰を下ろした。マッドとの
 間の距離が妙に広いが、仕方ないとする。それがサンダウンがマッドに許した距離だと言うのなら、
 それをマッドに拒む術などないのだ。
  眼で火の具合を見ながら手は保存食の在り処を弄り、マッドは探し当てたそれと瓶に入った酒を
 引き摺り出した。保存食の一端をサンダウンに放り投げ、マッドは瓶の蓋を開けてそのまま口を付
 ける。
  保存食を受け取ったサンダウンはと言えば、それを手にしたままぴくりとも動かない。その様子
 を見て、マッドは溜め息を吐いた。

 「毒なんか入ってねぇよ。ってか入れてる暇なんかなかっただろうが。」

  そもそもサンダウンが記憶を失くしてからばたばたしていて、こうして移動する準備もろくに出
 来ていないのに。しかしそう言ってもサンダウンは動かない。その様子にマッドはもう一度溜め息
 を吐いて、飲んでいて酒の瓶の蓋を閉めるとそれをサンダウンに渡す。

 「さっきまで俺が飲んでたんだから、毒が入ってねぇ事は分かるだろ。それと、食わねぇんなら返
  せ。」

  保存食を奪い返し、マッドはもそもそとそれを食べながら言った。

 「安心しろよ、あと三日もすりゃあんたを匿ってくれそうな町に着く。そうすりゃ、俺もあんたの
  お守りから解放されるってわけだ。」

  記憶の有無はともかくとして。
  そう心の中だけで呟いて、相変わらず一向に疑いの晴れないサンダウンの眼差しに苦く笑う。そ
 の視線は、この先サンダウンの記憶が戻らなければ延々と続くのかと思えば、もはやそれは笑うし
 かない。それとも、いつか以前のように戻れるのだろうか。

 「こっちの世界のあんたが助けた町だ。あんたには恩があるから簡単に賞金稼ぎや保安官に突き出
  したりはしねぇよ。」

  マッドの庇護を拒むサンダウンに対して、マッドが考えた案がそれだった。
  いや、サンダウンがマッドの警戒を抱く抱かないに拘わらず、マッドはあの町にサンダウンを連
 れて行くつもりだった。サンダウンがマッドの庇護を受け入れたとしても、マッドとてずっとサン
 ダウンの傍にいるわけにもいかない。賞金稼ぎとしてその名を馳せている以上、仕事はしなくては
 ならないし、その間はサンダウンを預けていられる場所が必要だった。

 「だから、あと三日の辛抱さ。」

  きっと、サンダウンを町に送り届けた後も、何度か様子を見にいくだろう。けれどもそれは、本
 当に掠め去る程度のものになるだろう。

 「俺は寝るぜ。」

  考え過ぎて疲れた、と呟いてマッドは毛布に包まる。ちらりとサンダウンを見れば、やはり硬い
 視線をしている。眠らないつもりなのかもしれない。もしかしたら、マッドが眠ったのを見計らっ
 て逃げ出す事を考えているのかもしれない。或いは―――。

  考えれば思いつく事が多すぎた。マッドは毛布の中で薄く笑う。やはりサンダウンが眠る準備を
 始める気配はない。

  その夜、二人は一睡もしなかった。