「それで、お前は、誰なんだ。」

  その台詞に、脱力していた性根が、完全に砕けた。
  マッドの事など何一つとして知らず、知っている素振りさえ見せない、更にマッドが知らない反
 応と表情ばかりする男に、嗤いたくなってくる。先程から何度も何度も自分に言い聞かせているよ
 うに、今のサンダウンに何を言ったところで通じないのだ。
  マッドを初めて見るような視線と声音に、思い出せよ、と思い掛けてその馬鹿らしさに更に笑い
 が込み上げる。
  だが、嗤ってばかりもいられない。この男には、早い段階で、自分達の現実を受け入れさせるべ
 きだ。そうしなくては、この乾いた無慈悲な大地では生きていけないだろうから。だから、告げた
 のだ。

 「この俺が、西部の頂点にいる賞金稼ぎマッド・ドッグ様で。」

  自分と、彼の、属性を。

 「あんたが、五千ドルの賞金を懸けられた賞金首サンダウン・キッドだ。」




 3.Zero





  その台詞を聞いた瞬間、サンダウンの青い眼は何を言っているのか分からないとマッドに告げて
 いた。
  本来ならばそう簡単には分からないはずの男の心の内が、こうも無防備に見える事に、マッドは
 やはりこれは自分が知る『サンダウン・キッド』ではないのだと思い知る。自分の知るサンダウン
 に比べれば、遥かに打てば響くような反応を返してくる事が、酷く奇怪に思えた。
  眼の前にいる男は外見は自分が追いかけている男のくせに、中身が違うのだ。

 「俺が賞金首………?何故?」

  戸惑いと言うよりも意味が分からないという思いのほうが強いのか、サンダウンの声には揺らぎ
 はなかった。しかし不審さが広がっている。それに対してマッドは首を竦めるしかない。

 「てめぇが何をしでかしたのかまで俺は知らねぇよ。俺が興味があるのは、てめぇの首に懸けられ
  た五千ドルの賞金だけだ。」
 「五千ドル………。」

  その法外な金額に、双眸が見開かれた。思いもよらなかったのだろう。そして信じられないな、
 と呟いた。

 「そんな賞金を懸けられるような者が、本当にいるのか?」
 「現にあんたに懸けられてんだよ。なんなら手配書見せてやろうか?」

  懐から取り出した手配書を放り投げると、サンダウンはそれを素直に受け止めた。そして四角く
 折り畳まれたそれを広げていく。そこに映るのは、今現在のサンダウンよりもほんの少しばかり若
 い顔と、そしてその下には五千の数字がきっちりと印字されている。
 「言っとくが、その手配書は偽物じゃねぇぜ?そんなもん作るほど俺は暇じゃねぇし。」

 「何故………。」
 「だから俺は知らねぇって。」
 「そうじゃない。」

  己の顔が刻まれた手配書から顔を上げたサンダウンの眼は、マッドを見据えている。はっきりと
 疑いの眼を浮かべたその眼は、初めて向けられたものかもしれない。
  初めて見るサンダウンのその眼差しに、マッドが絶句していると、男は低い声で呟いた。

 「賞金稼ぎだというお前が、賞金首だという俺に、何故、こうも構う?」

  瞬間、サンダウンの手が閃いたと見るや、その手の中には銀色の光るピースメーカーが魔法のよ
 うに現れている。
  その仕草は、間違いなく、マッドが知るサンダウン・キッドのものだ。けれどもマッドはサンダ
 ウンに、こんなふうに疑いも露わに銃を突きつけられた事はない。
  サンダウンはいつも無表情無感動に自分をあしらう。銃を突きつけるその瞬間にも、一切の熱は
 ない。しかし、いつもは憎らしいほど落ち着いている姿が、今は外に出している感情が多く、マッ
 ドに対して感情を露わにしている。そもそもサンダウンならこんなふうに自分に絡む事はない。そ
 れを喜ぶべきなのか、マッドには分からない。ただ、あまりのギャップの激しさに、やはり笑いそ
 うになった。
  だがそれ以上に、その状態がいっそう、マッドの神経をざわつかせる。

 「答えろ…………。」

  夕暮れ時の陰のような暗く低い声を吐き捨てられ、かちりと撃鉄を上げられ、それでもマッドは
 それをまるで他人事のように見ていた。
  けれども頭の片隅にいる冷静な自分が、真実を告げるには早すぎたのではないかと言っている。
 マッドはそれに対して首を横に振った。
  どうせ、いつかは分かる事だ。サンダウンがサンダウンである以上、己が賞金首である事にはい
 つかは気付くだろうし、それが先延ばしにされたらされた分だけ、賞金稼ぎであるマッドへの不信
 は強くなる。現に今でさえこうして銃を突きつけられているのに、これが後々のことだったなら、
 きっと言い訳の暇も与えられずに脳天を撃ち抜かれているだろう。
  今のサンダウンには、マッドに対する信は、微塵もないのだから。
  同時に思ったのは、腹の底は冷たくなるような事だった。

  もしも、記憶が戻らなかったら。
  自分の事を忘れたままだったら。

  馬鹿馬鹿しい、と笑い飛ばす事は出来そうになかった心臓を鷲掴みにされたような気がして、マ
 ッドは身を固くした。戻るに決まっているという思いと、戻るかどうかわからないという思いが頭
 の中でせめぎ合っている。
  そんなマッドに判断を迫るかのように、サンダウンが銃口を突き付けている。一体何の判断なの
 か、マッドには分からないし、その判断により何が確定するのかも分からなかった。けれどもサン
 ダウンの問いに答えぬわけにもいかないし、そしてそれに嘘を吐く事は、マッド自身が許さない。
  だから、マッドはゆっくりと眼前に迫った黒い銃口からサンダウンに視線を移す。そして自分で
 も驚くほど穏やかに微笑んで見せた。

 「てめぇを他の賞金稼ぎに渡したくねぇからさ。」

  思い切り顰められた眉根に、マッドは銃口を避けるようにして手を伸ばす。

 「お前を撃ち取るのは、この、賞金稼ぎマッド・ドッグ様だからな。他の誰にも奪われないように、
  こうして連れてきたのさ。」

  その瞬間、ピースメーカーの銀色が泳ぐ魚の鱗のように煌めいた。咄嗟に躱したマッドの鼻先を
 通り過ぎていったその銀色を眺めている内に、マッドの身体はベッドに受け止められる。そのマッ
 ドの視界に、擦り切れたポンチョの端が翻るのが見えた。

 「………此処まで連れて来てくれた事には礼を言う。」

  吐き捨てるような声と忙しなく乱暴な足音に、マッドは腹筋だけで跳ね起きると、直後にはベッ
 ドから飛び降りて今にも部屋から出ていこうとしているサンダウンに追い縋った。

 「おい、てめぇ一人で何処に行く気だ!」
 「何処に行こうと俺の勝手だ。」
 「んなわけねぇだろ!てめぇ俺の話聞いてたか?自分が賞金首だって事理解出来てんのか?」
 「ああ、お陰様でな。だから賞金稼ぎのお前から逃げようとしているわけだが、何か?」

  文句があるなら言ってみろと言わんばかりのサンダウン(中身十九歳)にマッドは精神年齢の年
 長者として、何かじゃねぇと突っ込む。

 「てめぇ西部での暮らし方分かってんのか!ってか賞金稼ぎの撒き方は!賞金首どうしのいざこざ
  だってあんだぞ!いやそれ以前に一般人からの通報だってあるんだぜ?それの対処法なんか知ら
  ねぇだろ!」
 「少なくともお前から逃げねばならない事は分かっている。」
 「アホ!いいか、俺といりゃあ少なくとも大概の賞金首と賞金稼ぎは逃げてくんだよ!てめぇ一人
  なんかよりもよっぽどか安心だ!」
 「お前も賞金稼ぎだろう。そんな奴と何故一緒に。」

  ぶんぶんとマッドの手を振り払おうとするサンダウンに、マッドはいい加減に腹が立った。もと
 もと気の長いほうではない――サンダウンに対しては特に――マッドは、サンダウンの頬を両手で
 挟みこむと、無理やり視線を合わせる。

 「いいか!良く聞けよ、おっさん!てめぇは忘れてるみてぇだから、この際はっきり言っておいて
  やる!俺様はああそうさ西部一の賞金稼ぎだよ!けどな、その俺からあんたは毎度毎度逃げおお
  せてんだよ!俺の銃だけ弾き飛ばしてな!分かったか!てめぇは俺よりも強ぇんだよ!」

  だから俺と一緒にいる事に危機感なんか持ってんじゃねぇよ。

  そう怒鳴って、マッドはサンダウンを解放する。怒鳴った内容はあまりにもアホだったが、サン
 ダウンは眼を丸くして黙りこんだところを見ると、一定の効果はあったようだ。
  その様子と自分の怒鳴った内容を苦々しく思いながら、マッドは回れ右をして床に放り出してい
 た荷物に手を伸ばし、そして再び回れ右をしてサンダウンのもとに戻る。そしてサンダウンの腕を
 引いて部屋から出る。

 「おい………?」

  突然の行動に眼を瞬かせているサンダウンに、マッドは早口に説明する。

 「この宿からさっさと移動するぞ。真昼間にあんたを連れ込んだから、誰かに見られてる可能性が
  ある。」

  宿のカウンターに代金を投げ渡し、厩へと行く途中、マッドは一度だけサンダウンを振り返り告
 げた。

 「いいか、覚えとけよ。此処ではあんたはお尋ね者だ。一つの場所に長居は出来ねぇ。荒野全体が、
  あんたの敵だと思えば良い。」

  ある一箇所を除いては。