サンダウンがマッドに駄々を捏ねるのは今に始まった事ではないが、最近のそれは度を越してい
 ると思う。いや、度を越しているとかそんなのではなく、まるで少しでもマッドから離れてしまっ
 たら、その瞬間にマッドが消えてしまうとでも怯えているようだ。
  子供がよく母親から離れるのを嫌がるのがあるが、今のサンダウンの状況はそれに近い。そう思
 って、まさかまた記憶が退行したのでは、と思うがそうではなさそうだ。
  何より、子供は不安で抱きついた挙句の果てに、情事に雪崩れ込むなんてわけのわからない事は
 しないだろう。しかし、マッドを腕に抱き締めてマッドが赤面してしまうような言葉を囁く男に、
 駄目だと思いつつも、結局はその腕の中の心地良さに負けてしまうマッド自身にも、きっと問題は
 あるのだ。




 15.May





  若いサンダウンは、マッドが呆れ返るくらいに子供っぽく、そして性質が悪い事に情熱的だった。
  マッドを組み敷くとしばらくの間は、何処に行っていたんだとか自分も連れていけだとか、ぶち
 ぶちと言い垂れる。マッドがそれをあやしていると、子供扱いが気に食わなかったのか、その手を
 不埒に動かす。その行為にマッドが諦めたような表情を浮かべると、まるで自分が傷ついたとで
 も言わんばかりの表情で、自分にしておけだとかあんな男忘れてしまだとか言い始める。
  それお前自分の事、とか思っても、今のサンダウンにはそんな事は分からない。
  マッドが何処にも行かないようにと、自分だけの物になるように、と若いが故の激しさでマッド
 の細い腰を掴んで貫いていく。マッドの抵抗は、与えられる快楽の所為で、ほとんど抵抗の態を成
 していない。
  それどころか、しがみついて強請ってしまう身体に、マッド自身頭を抱えていた。そもそも嫌で
 はないのだ。サンダウンにこうされる事が、心地良くさえある。
  そんな自分達の状況に、記憶が戻った後どうすれば良いのだろうと、マッドは埒が明かぬ事を考
 える。サンダウンはマッドを責めはしないだろうが、普通に考えれば責任があるのはマッドだ。
  どれだけサンダウンがマッドには責任はないと言い張っても、所詮は十九歳のガキの言う事だ。
 当てにはならない。

  せめて、忘れてしまってくれたなら。
  記憶が戻るのと同時に、挿げ変わるようにこの記憶が、サンダウンの中からなくなってしまって
 くれたなら。
  そうすればマッドには何の呵責もなく、また以前のようにサンダウンを追いかける事が出来るの
 だ。
  そんな限りなく都合の良い事を考えていると、サンダウンが不機嫌な顔でしがみついてきた。

 「マッド…………。」

  べったりと張り付く自分よりもでかい男に、マッドは自然と抑え込まれてしまう。

 「んだよ。」
 「何を、考えていた?」

  此処は小さな廃屋。一度サクセズ・タウンで無理やりマッドを押し倒し、マッドが近づかなかっ
 た事がよほど堪えたのか、サンダウンはそれ以降、サクセズ・タウンではこういう事はしなくなっ
 た。代わりに、こうしてこんな廃屋までマッドを連れ出すようになったわけだが。

  思えば、その時からサンダウンのべったりが輪をかけて酷くなった気がする。
  何かに怯えるように縋りつくサンダウンに、マッドはお前でも怖いものがあるのかと思う。今ま
 で思う存分好き勝手にマッドを弄んできたくせに。耳元で好きだと囁きながら、無理やり抱き竦め
 たお前に、今更怖いものなどあるのか。マッドに嫌われる事など恐れもせずに――いや考えもしな
 かったのか。

 「マッド。」

  声があからさまに不機嫌だ。どうせ、マッドがサンダウンの記憶の事について考えていると思い
 込んで、いらぬ嫉妬をしているのだろう。自分自身に。

 「お前は俺の事だけ考えていたら良いんだ。」
 「てめぇ、そんな性格だったんだな。」
 「比べるのも止せ。」

  マッドの腰を引き寄せて肩口に顔を埋め、サンダウンはぴたりと身体を合わせてくる。離れたく
 ないのだ、と言わんばかりの様子に、マッドはやはり記憶が戻った時、どうしようと思う。今更だ
 とサンダウンは言うが、マッドとしては傷が浅いうちに抜け出したい。

  認めたくはないが、マッドが恐れているのは、記憶の戻ったサンダウンが自分の仕出かした事に
 蒼褪める事ではない。記憶の戻ったサンダウンが、マッドを見て凍りついたその瞬間の痛みを恐れ
 ているのだ。
  サンダウンが言うように、サンダウンの事を心配しているわけではない。
  今、この身体を抱き締めている腕が、苦々しい色を灯して離れていってしまったなら。その時、
 マッドはそれを仕方ないと思って笑えるだろうか。
  その自信は、ない。

 「マッド!」

  一向にこちらに気を向けないマッドに焦れたのか、サンダウンが低く唸って、マッドの顔を自分
 の方へと向ける。

 「俺なら、此処にいるだろう。」

  じりじりと焦がれるようにマッドを見るサンダウンの青い眼に、マッドは居た堪れなくなる。い
 つかはその眼はこちらを見る事もなくなるのだ。は荒野の空を思わせるその眼はマッドのお気に入
 りで、いつかは照準を合わせて欲しいと思っていたのだが、記憶が戻れば、それもなくなってしま
 う。そう思えば、マッドの気分は最底辺まで落ち込んでしまう。
  そんなマッドの様子に気が付いたのか、サンダウンはマッドの頬に掠める程度の口付けを落とし
 始めた。その様子は、まるで親の機嫌を窺う子供のようだ。何度も何度も、囁くような口付けだけ
 を落とすサンダウンは、何かに怯えたようにマッドを抱く腕を震わせている。

 「どうした?」 

  その震えに気付きマッドが声をかけると、サンダウンは僅かな逡巡を見せた。

 「一つ、聞きたい事があるんだが………。」
 「なんだよ。」
 「………………。」

  次の躊躇いは長かった。サンダウンは眉間に皺を寄せ、言おうか言わまいか、悩んでいるようだ
 った。その様子にマッドも顔を顰めてしまう。今まで色んな事を好き勝手に言ってやってきた男が、
 こんな様子を見せるという事は、相当おかしな状況だ。

 「どうしたってんだよ。言い掛けて止めんな。気になるだろうが。」

  躊躇するサンダウンを促せば、次の瞬間、マッドは酷く後悔した。

 「お前は、俺の記憶が戻るのを望んでいるのか?」

  おかしなところで変に勘の良い男は、マッドの腕を掴み、頬に手を掛けて撫で始めた。 
  サンダウンの問いに、マッドは絶句し、そのまま視線を彷徨わせる。当り前だろうと言い放てな
 いのは、今やこんな状況に陥ってしまい、記憶が戻った事で失われるものを恐れているからだ。

 「お前が望むのなら………。」

  サンダウンは戸惑いがちにマッドの頬を撫でながら、言っても良いのかというふうに、ゆっくり
 と言葉を探して紡いでいく。

 「俺はこのまま、記憶を戻さずにいようと考えている………いや、俺は記憶が戻って欲しくない。」

  だから、と囁く。

 「お前が、もしも、それを望むのなら。」

  震える腕。
  その理由がやっと分かった。
  サンダウン自身も、自分の記憶が戻る事を恐れている。
  何故記憶が戻る事にそれほどの恐れを抱くのかは分からないが、その瞬間は未知の場所だ。恐れ
  があってもおかしくない。

  しかし、とマッドは思う。
  サンダウンが望むように、記憶よ戻るな、と祈る事はマッドには出来ない。サンダウンに抱き締
 められている今この瞬間を、心地良いと思う自分がいて、それを失うのを恐れる一方で、早く戻れ
 と望む自分もいる。
  確かに此処にいるサンダウンも、紛れもなくサンダウン本人であるのだが、しかしマッドが求め
 て追い縋ったのは此処にいるサンダウンではないのだ。
  だから、サンダウンの願いに、マッドはうつむいて答えない。
  マッドが願うならば、先程と同じ。

  記憶よ戻れ。
  されど全て忘れろ。