「どうしてお前の子供じゃないんだ………。」
 「てめぇ、いっぺん、医者に行ってこい。」

  ソファに沈み込んで、膝の上に赤ん坊を乗せてあやしながら恨めしげに呟く賞金首に、賞金稼ぎ
 は間髪入れずにそう言った。黒髪の赤ん坊を、何を思ってかマッドの子供だと――もう片方の親が
 誰だと思ったのかなど、考えたくもない――思い込んだ男は、諦めきれないのか、ぶつぶつとまだ
 文句を言っている。 

 「この前は妊娠してたじゃないか。」
 「してねぇ。」

  というか、できねぇ。
  いやその前に、まるで風邪を引いていたみたいなノリで、妊娠していたなんて軽々しく言うな。

 「お前は私を騙したのか。」
 「俺は妊娠したなんて一言も言ってねぇ。」

  確かに、まるで妊娠した時のような症状を並べ立てた事は記憶に新しいが、そうではなくて、騙
 す騙さない以前の問題である事が、この男には分からんのか。 
  しかし、まるで分かってない男は、更に言い募る。

 「どうして妊娠しないんだ。」
 「てめぇ、一歩間違えたら人権侵害だぞ、その台詞!」

  セクハラにもなりかねない台詞に、流石に強い口調で言い返すと、途端にしょんぼりするおっさ
 ん。しかし、まだ、お前との子供が欲しいだけなのに、とか言っている。本当に、いっぺん医者に
 行って欲しい。
  赤ん坊を腕に抱えていじけている鬱陶しい男に溜め息を吐いて、マッドは俎板の上の人参に向き
 直る。そして考えるように首を傾げた。赤ん坊に何を食べさせたらよいのか、判断を付けかねてい
 るのだ。

  赤ん坊をマッドの子供だと勘違いしたサンダウンが、喜び勇んで赤ん坊を隅々まで調べたところ、
 御座なりではあるが前歯が生えている事が判明した。それを見てサンダウンが、そろそろ離乳食か
 とか言っていたのだが、正直なところ、流石のマッド・ドッグも、離乳食は作った事がない。
  しかし、牛乳でいいじゃねぇかと言ったところ、サンダウンが牛乳はあまり良くないと反論した
 のだ。できれば母乳が一番良いと言い募るおっさんに、そんなもんあるわけねぇだろと返すと――
 あたまの湧いた男が、お前が出せば良いだろうと言ったのはお約束だ――渋々、牛乳を代わりにす
 る事を認めたのだ。ただし、離乳食を作る事は譲らなかった。
  作るのは、マッドなわけだが。

  赤ん坊はと言えば、どうやらサンダウンの髭が気に入ったらしく、おぼつかない手つきでサンダ
 ウンの髭を掴んで、きゃっきゃっとご機嫌だ。
  そんな赤ん坊を見下ろすサンダウンは、そうかお前はコウノトリが連れてきたんだな、と気がふ
 れる一歩手前の事を、幸せそうに呟いている。
  どう考えてもそこだけ妙に異質な世界に、マッドは見て見ぬ振りをする事を決め込み、再び俎板
 の上の人参に向き直って、そこに包丁を翳した。そして、時折聞こえてくるサンダウンの、マッド
 に似ているから美人になるな、という聞いただけで気が狂いそうな台詞を遮断するべく、声高に包
 丁を鳴らして人参を刻み始めた。

  トントントンと人参を細かく、ペースト状になるまで切り刻み、その間に鍋に火を掛けて、中に
 米を入れて水を張る。そして米がお粥よりも少しとろっとするくらいまで煮込み、そこへ刻んだ人
 参を入れる。後はとろ火で煮込みながら、少し塩を振って味付けする。最後にとき卵を入れ、固ま
 るのを待って完成である。
  出来上がったおじやを皿に盛っていると、匂いに反応したのか、サンダウンの髭にかまけていた
 赤ん坊が、くるりと大きな眼を動かしてマッドの方を見る。そして、だぁだぁと声を上げて、両手
 足をマッドの方へ向けてばたつかせる。
  それを見たサンダウンが、そうか母親が恋しいのかとか言っていたが、マッドはそれをさっくり
 無視する事に決めた。

 「ほら、飯だ。」

  赤ん坊の前におじやを置くと、赤ん坊は嬉しそうに口を開いて食べさせて欲しそうにする。その
 様子に、マッドは少し顔を顰めたが、仕方なくサンダウンの膝の上に乗っていた赤ん坊を自分の膝
 の上に移動させると、スプーンでおじやを掬い赤ん坊の口の中に運ぶ。
  それを、サンダウンは物欲しげに――ともすれば魂を狙う悪魔のような眼差しで――見る。

 「…………私の分は。」
 「ああ、鍋の底に焦げたのが、ちょっと残ってる。」
 「……………。」

  うっそりと台所へと消えていく長身の背中には、哀愁が漂っている。むろん、マッドには黙殺さ
 れるわけだが。
  やがて、皿に盛ったおじやはみるみるうちに減っていき、最後の一匙も赤ん坊の口の中に消える。
 どうやら、マッドが人生初めて作った離乳食は、完璧な成功の下、幕を閉じたようだ。程なくして、
 鍋の残り物を漁ってきたサンダウンも戻ってくる。
  戻ってきたサンダウンは、赤ん坊を膝に乗せているマッドを眺めて、何かを言いたそうにしてい
 る。

 「なんだよ。」
 「いや…………。」
 「あ、やっぱ、言わなくて良い。」
 「………聖母子像のようだと。」
 「だから、言わなくて良いっつってんだろうが!」

  余計な一言を引き出してしまったマッドは、己の迂闊さを呪う。と同時に、大声を上げた自分を
 呪った。膝の上で満足そうにしていた赤ん坊が、急に顔を歪めて泣き出したのだ。

 「てめぇの所為だ!」

  咄嗟に、大声を出す原因となった男に責任をなすりつけると、男は非常に微妙な表情をした。無
 理もない。が、マッドにそんな事を考えている余裕はない。
  大音量で泣き叫ぶ赤ん坊に気を取られて、おっさんに構っている余裕はない。

 「だぁああ!俺が悪かった!だから泣くな!」
 「………それは、あやしているのか?」
 「うるせぇ!」

  横やりを入れるサンダウンを、マッドは一喝するが、事態は一向に収まらない。びょおびょおと
 泣き続ける赤ん坊に、いつも銃声を聞いているはずのマッドの鼓膜は、限界寸前だった。
  事態を収束する事が出来ない賞金稼ぎに、サンダウンはのそのそと近寄り、赤ん坊を見下ろす。

 「………眠いんだろう。」
 「だったら、なんでさっさと寝ねぇんだ!」
 「自分でも良く分かってないからだろうな。」

  そう言って、サンダウンはマッドの膝から赤ん坊を抱き上げると、ゆっくりと揺らし始める。す
 ると怪獣のように、びえっびえっとしゃくり上げていた赤ん坊の声が、徐々に小さくなり、やがて
 むずがる程度のものに落ち着いていく。そして、ものの数分と経たぬうちに、すやすやと寝息が聞
 こえてきだした。

 「……………。」
 「……………。」

  なんだか自慢げにサンダウンに見下ろされ、マッドは軽い敗北感を覚える。が、すぐに別にこん
 な事で勝手も嬉しくねぇだろう、と自分に突っ込む。
  それにしても、とマッドはサンダウンを見上げた。
  料理洗濯掃除と、ありとあらゆる家事が駄目な癖に、よりによって育児なんて、マッドにはあま
 り旨みのない家事スキルを持っているとは。
  確かに、子供がいてもおかくなさそうではある。だから、そんなスキルを身に付けているのかも
 しれない。
  だったら、と思う。だったら、このおっさんに、全部投げちまえばいいんじゃね?と。
  しかし、確かに育児スキルは持っていても、その他重要スキル――対人関係や生活力に関係する
 スキルが、悉く全滅している男である。そんな男に、子供を任せたところで、ちゃんと育てられる
 だろうか、いや無理だ。仮に、曲がりなりにも子供が成長したとしても、その末路はサンダウンと
 同じであり、要するにサンダウンと同じ変態が世に輩出される事になってしまう。
  流石に、それは、良心が咎める。

  やっぱり、早いところ、保安官に保護して貰おう。

  そう決意するマッドだが、それには、如何にしてサンダウンから赤ん坊を引き剥がすかという難
 題が待ちうけている。