賞金首サンダウン・キッドは、街のメイン・ストリートにいた。
  これは、人目を憚って生きるこの男にしてみれば、非常に珍しい事である。普段は荒野の乾いた
 砂地で暮らし、街に向かうのは生きるのに必要最低限の物を補充する為だけ。仮にその為に街に訪
 れたとしても、向かう先は一番格下の安宿か酒場くらいなものだった。
  それ故、まるで保護色のように、荒野の茶色とほぼ同色の薄汚れたポンチョに身を包んだ男が、
 少なからずともそれなりに整備され舗装された人通りの多いメイン・ストリート、しかもよりにも
 よって菓子屋の前で佇んでいる姿は、奇妙や胡散臭いを通り越して、むしろ滑稽ですらあった。






  Jelly
 









  その様相と風体には、天地が引っ繰り返っても似合わないパステル・カラー調の看板のぶら下が
 った菓子屋の前で、サンダウンは真剣な顔を作っていた。メルヘンな空気を醸し出す店先に、明ら
 かに異質な存在として迷い込んだおっさんに、道行く人々が好奇の眼をじろじろ向けても、もとも
 と他人の眼など気にしない性質もあってか、微動だにしない。
  店先に並ぶ菓子を見るサンダウンの表情には、まるで銃を眺めるかのような危機迫る勢いがあっ
 た。それ故に、店の売り子である娘も、営業用スマイルを貼り付けたまま――この点はプロである
 ――話しかける事すらできない。西部一の賞金首が真剣に菓子を眺める様子は、菓子屋の半径5m
 以内に、人間を近付けぬ気迫があった。

  完全に営業妨害をしている男が、此処まで真剣に菓子を眺めているのには理由がある。
  サンダウンは、別に営業妨害の為に菓子屋にいるのではない。当然、菓子を買う為に来ているの
 である。そして、真剣に、どれにしようかと悩んでいるだけである。
  しかし、それはそれで何故菓子なんぞを真剣に選んでいるのかという疑問が残る。サンダウンは
 どう見ても菓子を好んで食べるような風体をしていない。サンダウン自身は別に菓子が嫌いなわけ
 ではないが、生憎とその風体では説得力はない。
  尤も、サンダウン自身、今回菓子屋で営業妨害になるほど真剣に菓子を選んでいるのは、自分で
 食べるからではない。

  サンダウンは、マッドの為に菓子を選んでいるのだ。

  此処最近、サンダウンはずっと賞金稼ぎマッド・ドッグを怒らせてきた。
  脱いだ服が脱ぎっぱなしだとか、マッドが管理をしている酒を勝手に飲んだだとか、皿洗いも風
 呂掃除もしないだとか。それって賞金稼ぎが賞金首に対して怒る事ですか?と傍から見れば思うよ
 うな理由で、マッドは怒っている。
  挙句の果てには、遂にこの前、あわや別居状態にまでなり掛けた。それは、何とか阻止したのだ
 が。
  しかし、いつかまた同じような事が起こるとも限らない。家に――別にサンダウンの家と言うわ
 けではないのだが――帰ったら、マッドの荷物が丸ごとなくなっていたと言うのは、正直言って心
 臓に悪い。そんな事が何度も続いたら、いつか心臓麻痺を起してしまう。
  マッドが聞けば、そんな繊細な心臓してねぇ癖に、と言うだろうが。
  とにかく、サンダウンとしてはマッドに出ていかれるような事があっては困るのだ。何せ、マッ
 ドがいなければ何も出来ない男である。料理も洗濯も掃除も全部マッドに任せっきりだった。最近
 では、放浪するための荷物の準備もマッドにしてもらっている。マッドがいなくなったら、多分、
 胡椒が何処にあるのかさえ分からないだろう。
  そんな状況を回避する為に、サンダウンは日頃の感謝を込めて、マッドに菓子を贈る事にした。
 マッドが甘い物を好むかなどこの際はどうだって良い。大切なのは誠意だ。

  そう、普段から誠意の欠片も持っていない男は呟いて、菓子屋の店先に並ぶカラフルな菓子類を
 眺める。
  要するに、菓子でマッドの機嫌を取ろうと、せこい事を考えているわけである。

  だが、問題はマッドに何を渡すか、である。
  それだったら菓子とかじゃなくてもっと別なものがあるだろうとも思うのだが、しかし基本無一
 文の男である。そんなに高い物は買えないという悲しい現実がある。この時点で既に物で釣るとい
 う作戦に向いていないと思われるのだが。
  しかし、そこまで頭の回らない、ことマッドに関してはマッドに甘え過ぎるきらいのあるおっさ
 んは、菓子で釣るという安易な方法に頼る事に決めてしまっている。そして、自分で選択肢を狭め
 た男は、菓子屋の店先で営業妨害しているわけである。

  店先のショー・ウィンドウの中に並ぶケーキの類を見て、サンダウンはマッドはどれが好きなん
 だろうか、と首を捻る。
  大きな苺の乗ったクリームケーキも、フルーツを盛り合わせたタルトも、艶々としたビターチョ
 コレートでコーティングしたザッハトルテも、マッドならばどれを食べても様にはなるだろう。唇
 についたクリームを、赤い舌でちろりと舐め取る様でさえ、下品ではなく、ともすれば艶めいて見
 えるかもしれない。
  それを妄想して、サンダウンは、いかんいかんと慌てて首を振る。今は、そんな事をしている時
 ではない。大体、それを見たいのならば、まずは何か一つは買わなくては。買ってから、今夜、じ
 っくりと堪能すれば良いだけの話だ――それは既に、マッドへの感謝を込めたプレゼントからかけ
 離れた考えなのだが。
 
  しかし、それにしても数が多すぎる。
  並ぶケーキにしろクッキーにしろ、サンダウンが想像していた数を上回る種類がある。基本的に
 苺のホイップケーキとチーズケーキとアップルパイくらいの種類しか知らない男は、数の多いケー
 キの前に困惑を隠せない。そして、もしも此処にマッドがいたら、店員と話をつけて適当に選んで
 くれるのに、といつものマッド頼りの考えがむくむくと膨らんでくる。
  だったらお前も適当に選んだら良いじゃないか、とも思うのだが、流石にこれまでの経緯――マ
 ッドが家を出ていった時の事――があるのか、適当はまずい、とサンダウンは思う。それに、どう
 せ贈るのなら、やはりマッドが喜ぶのを見たいものである。喜んでくれたなら、あわよくば、その
 まま夜の営みにもつれ込む事が出来るかもしれない、という淡い期待もある。あくまで、淡い、で
 ある。別に多大に期待しているわけではないと、声を大にして言っておく。

  しかし、どうしようか。
  やたら凝った造りのケーキを睨みつけ、そんな細いチョコレートを支えにしただけの飾りなんか
 馬で移動したら崩れるじゃないか、と思う。いくらなんでも、崩れたケーキなんかは渡せない。だ
 が、ケーキである以上、果物や砂糖細工で飾り立ててあるのは当然の事で。
  むう、と悩んだサンダウンは、ショー・ウィンドウ全体を眺めまわす。そして、ふと、隅にある
 器に気付いた。

  赤やら青やら緑やらに着色された、ぷるぷるとしたそれら。
  ゼラチンで固められ、中に果物を内包して、やっぱりぷるぷるしているそれら。
  しっかりと器に嵌り込んでいるから、馬で運んでも崩れなさそうなそれら。
  所謂、ゼリーと呼ばれる物体が、ケーキの隣で慎ましく並んでいるのをみて、これだ、とサンダ
 ウンは思った。
  色とりどりのぷるぷるは、見た目もケーキに引けを取らないし、ケーキに比べて味もさっぱりし
 ているから、例えマッドが甘い物が嫌いでも食べられるかもしれない。それに何より、ケーキに比
 べれば型崩れはしないだろう。
  一目見てそれを気に入ったサンダウンは、すぐさまそれにしようと思った。果物の他にも、赤ワ
 インやブランデーなどのアルコールを混ぜたものもあった事も、サンダウンにそれを選ばせる理由
 となった。
  何よりも、ケーキと違ってそれは詰め合わせという形で売りに出されていたのだ。つまり、選り
 取り見取り10個入りで、普通に買うよりも5%引きのような形で。
  しかし、それでもやっぱり様々な種類のあるゼリーを10個選び出すのは、なかなか骨が折れた。
 アルコールの入っているものを重点的に選んでいったが、それでも中に葡萄の実が入っていたり入
 っていなかったりと、なかなか難しい。
  眼にも鮮やかなルビーレッドから、今にも香り立ちそうなワインレッド。酸味の強そうなレモン
 イエローの隣には、炭酸の泡が纏わりつきそうなシャンパン。そしてどんな味がするのかも分から
 ないスカイブルーに、きついアルコールが全身に回りそうなアンバー。
  どれが、と言われても、サンダウンには分からない。

  これが、マッドだったなら。

  箱の中に沢山詰まっているマッドを想像して、サンダウンは一瞬幸せになった。
  恥ずかしそうに顔を俯けるキュートなマッドと、ベッドにしどけなく横たわって誘いをかけるマ
 ッドと、銃を掲げて真剣な眼差しをするセクシーなマッドと、ふるふると震えて涙を浮かべるマッ  ドと、ぷっくりと頬を膨らませて拗ねているマッドと。
  どれか選べと言われたなら、サンダウンは全部言い値で買い漁るだろう。
  マッドならば、どんなものであってもおいしく頂ける自信がサンダウンにはある。どんな時であ
 ってもその肌が甘い事をサンダウンは知っているのだ。むろん、その前の表情や仕草によって、苦
 味が増したり、酸味が強くなったりするのだが。けれども最終的には甘く蕩けるから同じだ。だか
 ら、それまでの間、甘く蕩ける前の変化を楽しむために、マッドの詰め合わせがあったら良いのに。
  ショー・ウインドウの中で、マッドがぷるぷると震えて、箱に詰められるのを待っているのを眼
 にしたら、きっと、全部詰め込む。

    しかし、幸いにして、サンダウンだけが得をするような、そんなものは売りに出されていなかっ
 たし、そもそもサンダウンはマッドの機嫌を取るために菓子を買いに来たのであって、仮にマッド
 の詰め合わせなんてものがあったとしても、それは本来の目的から遥かかけ離れたところに位置し
 ている。
  しばしの間、箱の中で色んなマッドが犇き合っているのを想像して、束の間の幸せを味わったサ
 ンダウンは、ややしてからそんな事を考えている暇はないと首を振り、とりあえずゼリーを10個選
 び抜き、そそくさとその場所から立ち去ったのだった。







  その夜。
  マッドは、少し悩むような素振りを見せた後、赤ワインのゼリーに手を伸ばした。それを見た後
 で、サンダウンはミルクゼリーを選びとった。