奴はとんでもないものを盗んでいきました



 「ディオ、水汲んでこい。」

  ちょっとあんた、馬に水汲んでこいってどういう了見なのさ。
  俺は胃袋の底から盛大に突っ込んだ。
  しかしそんな俺の心情など意に介さない俺の御主人は、ぐいぐいとバケツの持ち手を俺の口先に
 突き付けている。最近、御主人が俺に求めるハードルがどんどん上がっているような気がする。そ
 のうち、機関銃をぶっとばせ、くらいの命令をするようになるかもしれない。いや、別に全然いい
 んだけどさ、御主人の命令なら。
  すごすごとバケツを咥えて近くの水辺に行って、バケツを垂らす。
  濁った水を避けて綺麗な水を汲む事が出来る俺は、もしかしたらサーカスに転職できるかもしれ
 ない。御主人が許してくれたらの話だけど。いや、俺がサーカスにいる時は、きっと御主人に売り
 払われた時だ。
  がっくりとして水のたっぷりと入ったバケツを咥えて、来た道を来た時と同じようにすごすごと
 辿っていく。
  そんな俺を迎えたのは御主人のこの一言。

 「遅えよ。」

  あんた、それ、ちょっと酷すぎねぇか。
  このままバケツをひっくり返したって誰も文句言わねぇ気がするよ、俺?
  そんなぶっそうな事を考えている俺を御主人は手招きし――それに従う俺もどうかと思うが――
 俺が咥えたバケツを座ったまま受け取る。
  というか、御主人はさっきから一歩も動いていない。
  いや、別にそれはいいんだ。
  御主人が動きたくないってんなら、俺は何も文句は言わねぇよ。具合が悪いっていうんなら尚更
 だ。
  けど、御主人は動きたくないんじゃなくて、動けない――しかも、具合が悪いとかそんな理由じ
 ゃねぇ。
  ……いや、具合が悪いから動けないってのはあながち間違いじゃない。
  ただし、この場合を正しく説明するには主語を間違えずに使う必要がある。
  正しく主語を使って説明するならば、サンダウンの具合が悪いから、御主人が動けない。

 「生きてるか……?」

  恐る恐るといったふうにサンダウンの額に手を伸ばす御主人の膝の上には、サンダウンの頭が図
 々しくも鎮座している。
  なんだ、この、扱いの違い!




 Life of Horse 4





  挨拶が遅れました、O.ディオです。
  ただいま、荒野のど真ん中でサンダウンが遂に行き倒れてます。
  場所は、なんだか妙にごつごつした岩の多い所。
  そこで、俺と御主人は、馬からずり落ちて倒れたおっさんを見つけた。そばでは奴の馬が、奴の
 髪を食んでいる。はたから見りゃ、食われているみたいだった。
  そんな呑気な俺とは対照的だったのは御主人だ。
  普段からサンダウンを追いかける事には突出した才能を持つ御主人は、遠目でも倒れているのが
 サンダウンである事に気付いたらしい。<
  ほっときゃいいのにと内心で思った俺の腹を蹴り飛ばし――今も痛いんですけど――サンダウン
 の傍に俺を走らせた。そして俺の手綱を緩めもせず、地面に飛び降りる。
  スピードを落として貰えなかった俺は、危うく岩に激突するところだった。
  すんでのところで立ち止った俺が、怨みがましい眼で振り返った時には、御主人はサンダウンの
 身体を揺さぶっていた。
  ああ、もう。
  あんた、月が落ちてきたってそんなに取り乱したりしねぇだろうよ。
  それくらいにうろたえ、取り乱した御主人を見たのは初めてだ。何が起きたって皮肉な笑みを浮
 かべていたのに。なんだか、俺の中で色んなものが崩壊した瞬間だった。

  崩れたサンダウンの身体を見つけた後の御主人は、額に手を当てたり、窮屈そうだったシャツの
 前を開けてやったりとなんだかんだと忙しそうだ。風の当たらない岩場に連れていったりと、別に
 そこまでしなくてもいいんじゃね、と俺は思う。
  いや、だって、どうせ風邪かなんかだよ。
  それか歳か。
  御主人がそこまでやる事ないって。
  というか。
  そのおっさん、あんたに色々してもらって、喜んでるから、絶対。
  だって俺、見ちゃったんだよ!
  熱に浮かされてるサンダウンの指やら掌が、さりげに御主人の腰やら尻やら触ってるの!
  どう考えたって、セクハラだろ、それ!
  幸いにして御主人は気付いてないけど、ってか気付け!
  くそ、他の男にやられたら速攻で気付いて即座に殴り倒すのに、なんでそのおっさんに関しては
 そんなに鈍いんだ!

  その鈍い御主人は、無防備丸出しでサンダウンの頭を自分の形の良い太腿の上に乗っけてたりす
 る。
  ああ、あんた、なんで賞金首相手にそんな無防備になれるのさ。普段のあんたなら、賞金首に尻
 触られたらその場で縛り首にする勢いなのに。
  今、俺の眼には縛り首にされた賞金首達の亡霊が見えるよ。
  でも、御主人にもサンダウンにもそれらは見えていない。
  サンダウンにはもしかしたら見えてるのかもしれないが、あのおっさんは無視を決め込むつもり
 だ。
  その、熱に浮かされて力ないサンダウンは、時折身じろぎして頭を動かしている。
  御主人はそれを居心地が悪い所為だろうと見当をつけているようだけど、俺の眼から見れば全然
 違う。
  サンダウンは、身を捩る事で御主人の太腿の感触を味わっているんだ、絶対。
  けれどそんな事には全く気付いていない御主人は、ジャケットを邪魔そうに脱いだだけでは飽き
 足らず、サンダウンの邪魔になるだろうという考えのもと、ホルスターの付いているベルトを外し
 始める。

  あんた、それは危険すぎる!
  それはあんたにとっては貞操帯みてぇなもんだろうが!

  俺の心の叫びも虚しく、御主人はあっさりとベルトを外し、片手で器用に沸騰した水が冷めたか
 どうかを確認している。
  そして、そっとサンダウンの顔を覗き込むと、聞いた事もないくらい優しい声音で具合を伺って
 いる。

「水、飲めるか?」

  腕に力を込めてサンダウンの上半身を支えている御主人の太腿に、サンダウンの掌が置かれた。
  どう考えたってわざとだ。
  そっと近付けられたコップの端から、水を零したのも、どう考えたって絶対にわざとだ。
  このおっさんが次に御主人に何を所望するつもりなのか、考えなくたってわかる。
  熱で苦しげな吐息零して、肩に縋りついたりしたら、御主人が見離せない事なんか承知の上だろ
 うか!
  承知の上で、苦しそうに御主人を見てるんだろうが!

  無意味に熱っぽい視線を向けられた御主人は、そこに込められた意味を正しく受け止めたが、そ
 の裏にある意図には全く気付かなかった。
  御主人は、サンダウンを壊れ物のように地面に横たえ――そんな図太いおっさん宇宙が滅んだっ
 て壊れたりしねぇよ――コップに口を付ける。そして、それはもう、見ていて清々しくなるくらい
 躊躇なく、サンダウンの髭面に自分の顔を近づけた。

  景気良く自分の口を相手の口にぶつけて、口に含んだ水を相手の口腔へと導く。
  その男らしさに、俺は涙が出そうだ。
  半分以上現実逃避を決め込んだ俺の頭とは裏腹に、俺の視界は見たくない現実をばっちりと受け
 入れる。
  離れようとした御主人を、サンダウンの腕がもどかしげに動いて引き止めたのだ。
  御主人は、もっと水が欲しいのだろうと思い、ちょっと待てとか言っているが。

  ―――あの変態親父、味を占めやがった。

  何度も御主人に口移しで水を貰った揚句、その唇の感触を楽しんでいる姿は、変態そのものだ。
  もしかしたら、あのおっさんの脳内では、御主人に『あーん』とかいって物を食べさせて貰って
 いたりするのかもしれない。
  そんな事も要求するつもりなのかもしれない。
  このまま、熱が下がらなければ、御主人の人の良さに付け込んで。
  そしてそれをあっさりと受け入れる御主人の姿がリアルに想像できる!
 『仕方ねぇなぁ』とかなんとかいって、お粥作って、サンダウンの意のままに言う事を聞くかもし
 れない!

  ふおおおお!
  誰か、この俺に、憎しみを!
  今なら再び人間となって、ガトリングを振り回せる気がする!

  俺が雄叫びを上げている間にも、サンダウンの無体は止まらない。
  御主人の身体に擦り寄って、身体を引き寄せようとしている。

 「寒いのか?」

  サンダウンの身体を毛布で包みながら問うている御主人に、ちげぇよ!と突っ込む。
  そのおっさんはあんたの身体を触りたいだけだ!
  熱で悪寒を感じているというのを言い訳にして!

  ジャケットを脱いだ御主人の防御力は著しく低い。そんな状態でサンダウンを抱え込んで一つの
 毛布に包まっているのだ。
  しかもベルトごとホルスターを外した状態で!
  一歩間違えれば、痛恨の一撃を受けかねない。眼が覚めたらおいしく頂かれてましたなんて事に
 なりかねない。そんな事になったら、俺は腹かっ捌いて詫びないといけない。いや、もう、誰に詫
 びるのかもわからないけれど。

「ん………。」

  小さく御主人が呻いた。
  サンダウンの身じろぎに、何事か呟いている。見ればサンダウンの奴、じりじりと動いて御主人
 の胸元に顔を埋めて腰と肩に腕を回している。御主人、あんた一体サンダウンに何を言ったんだ。
 『遠慮してねぇでもっと傍に寄れよ』なんて、おっさんが喜ぶような事言ってねぇだろうな!
 『今日は甘えても良いんだぜ』とか、圧し掛かられても文句言えねぇ事言ってねぇよな!
  そんな事言ったら、このおっさん、その渋い面の裏側で、あんたに口でも言えねぇような事しよ
 うと画策するぜ!?
  すんでのところで人間になるところだった俺を止めたのは、図らずともサンダウンの声だった。

 「マッド………。」

  やや掠れ気味の声に、御主人は、止めとけと言いたくなるくらい――しかし御主人にしてみれば
 普段通りの――悩ましげな視線を向ける。
  その視線に煽られ切って色んなものが降り切れているサンダウンは、聞こえそうにない低い声で
 問う。

 「何故…………?」
 「うるせぇな。てめぇは俺が仕留めるんだ。こんなとこで死なれて堪るかよ。」

  苦々しげにツンデレそのものの台詞を吐き捨てた御主人は、サンダウンの腕が引き寄せるがまま
 にされている。

 「熱が下がったら、決着をつけてやる。それまでは………。」

  声が、物凄く、艶っぽく聞こえるのは、きっとサンダウンの電波を受け取ったからに違いない。

 「それまでは……今夜は、こうして、一緒にいてやるぜ?」

  瞬間、サンダウンの理性線が切れた音がしたのは、気の所為じゃない。
  ああそうだよ、御主人はこんだけ色っぽいんだ。
  参ったか。



  幸い、熱がある所為で大した力がないサンダウンは、御主人に抱きつくのが精いっぱいだったよ
 うだ。それでも御主人の尻やら胸やら思う存分楽しんでいるのは、もはや流石と言っていいかもし
 れない。乾いた視線を夜空に向ける俺の後ろで、奴の愛馬が悟りを開いたように黙々とそのへんに
 生えている草を食べていた。








  次の日。

 「う……頭、いてぇ………。」

  放浪しているくたびれたおっさんのはずのサンダウンは、妙に艶々として目覚めていた。
  対照的に地面に沈み込んでいるのは御主人。
  どうやら、サンダウンを苛んでいた熱は風邪だったようで、一晩中御主人と抱き合っていたおっ
 さんは、見事御主人に風邪を移す事に成功したらしい。
  風邪を移された御主人は、悪寒に時折身体を震わせながら、毛布に包まっている。
  だから、こんなおっさんに関わるのは止したほうがいいんだ。
  俺が保護者めいた事を内心で口にしている間、御主人は熱で潤んだ目を――危険極まりない事に
 ――サンダウンに向けていた。

 「さっさとどっか行けよ。てめぇなんかに心配されたかねぇ。」

  いつもみたいにどっか行っちまえ、と呟いている御主人は、普段よりも少し声が掠れている。
  それが、サンダウンを余計に煽ったらしい。
  サンダウンは毛布に包まった御主人の身体を――言っとくが御主人は太っちゃいないが上背があ
 るし筋肉もしっかりついてる――軽々と抱き上げた。
  そのままぎっくり腰にでもなってしまえ。
  一瞬物騒な事を考えた俺を尻目に、サンダウンは御主人を自分の愛馬に乗せている。

  って、ちょっと待てぇい!
  このシミーズ男、御主人を何処に連れ去るつもりだ!

 『白馬じゃなくてすいませんね』と呟く愛馬に跨り、サンダウンは御主人を後ろから抱え込む。

 「キッド?!何しやがるんだ!」

  叫ぶ御主人の言葉は真っ当すぎる。
  だが、暴走するおっさんには効果がない。
  愛馬を促し、御主人を荒野へと連れ去っていく。
  頭の中では手に手をとってランナウェイくらいのノリかもしれねぇが、俺からしてみりゃだたの
 誘拐だ。



  走り去る奴と奴の愛馬、そして攫われた御主人を追いかけるべく、俺は一人荒野を疾走した。