俺の目の前には、うんうん唸っている賞金稼ぎが一人。
 毛布にくるまって、その毛布を鼻先まで引き上げて、身体を丸めている賞金稼ぎマッド・ドッグは、
俺が眺めている間も、苦しそうに呻いている。
 広い白い額には玉のような汗がびっしりと浮かんで、一つそれが頬を滑り落ちて毛布に浸み込んで
いく。きっと、毛布もその下にある服も、汗を吸い込んでべったりとしている事だろう。それを着込
んでいる御主人は、絶対に気持ち悪いと思うのだが、それ以上にそれらを引っぺがして洗って綺麗な
ものに取り換えるという事さえ辛いのか、御主人は動こうとしない。
 魘される御主人に俺がしてやれることと言えば、その辺にある綺麗そうな布を咥えて、額の汗を拭
ってやる事くらいだ。
 何せ、俺は馬なので、看病とかそういう事は出来ない。
 しかし何もしないと言うのは愛馬の風上にも置けないので、馬として出来る限りの事をしているの
である。
 そして、そんな俺の視界の端を、ちらちらと動く茶色い物体。
 何やらうろうろ行ったり来たりしているが、それ以上の事をしようとしない物体。
 いや、人間の形はしているのだが。
 というか、人間の形してるんなら、ちょっとは手伝えや、ヒゲ!





 Life of Horse 15






 皆さん、ご無沙汰しております、O.ディオです。
 ようやく春めいてきましたが、お身体悪くされていないでしょうか。そう、御主人のように。
 昼間は温かくなってきたので、御主人は厚手のコートを仕舞い込み、所謂スプリングコートなるも
のを取り出したのだが、どういうわけだが先週あたりからまた寒さがぶり返し、それでもコートをま
た取り換えるのも面倒だったのか、スプリングコートだけでやり過ごしていたら、案の定というか、
ちょっとばかり引くには遅い風邪にやられてしまった。
 しかも、この風邪、少しばかり性質が悪く、御主人は三日三晩腹痛に襲われ、今は熱が下がらない
状態だ。
 幸いにして、このO.ディオが水汲みが出来る馬であったため、脱水症状は免れているが、しかし辛
そうである。
 街に行くだけの元気があれば医者にかかれるのだろうが、今の御主人には馬に乗るだけの体力がな
い。いくらこの俺であっても、今の状態の御主人を背中から落とさずに街にまで連れて行けるかと言
われると、少々自信がないところである。
 なので、御主人は荒野の低い立ち木が生い茂る場所に身を横たえ、どうにか身体が落ち着くのを待
っているのである。
 これは非常に危険な状態なのだが、仕方ない。
 もしも御主人の愛馬が俺でなければ、御主人はならず者に襲われて、あんな事やこんな事をされて
いただろうが、生憎とこの俺がいる限りはそういう連中は蹴り飛ばせるし、むろん野生のコヨーテや
ら狼も、恐れるに足らない。
 御主人が呻いている周りで、狼やらコヨーテやらを蹴り飛ばしている俺は、愛馬の鏡じゃあなかろ
うか?
 それにしても、御主人は辛そうである。
 俺は馬なので、御主人の看病をする事は出来ない。
 ああ、出来る事なら、代わってやりたい!
 いや、本当に代わったら、俺はその場で御主人から引退通告を受けそうな気がするので、謹んでお
断りするが。しかし、まあ、代わってやりたい、という心境に間違いはない。
 とりあえず、御主人の額の汗を拭きとって、御主人の周りをうろつく輩を蹴り飛ばしに行く。
 見回りを一通り終えて帰ってきた時の事である。
 あれほどまで御主人の周りに害虫が近寄らないように気を付けていたはずなのに!
 御主人の傍には、何故か茶色い害虫が一匹。
 もぞもぞかさかさとGのように御主人に近づいて、ふんふんと匂いを嗅いでいる様は、なんか得体
のしれない生物だが、一応人間の形をしている。色合いは完全に茶色いが。
 その茶色い物体、御主人が熱に魘されていると分かるや、明らかに狼狽えたようだ。何やら、おろ
おろし始めた。
 おろおろし始めて、御主人の周りを行ったり来たり。
 待てや茶色。お前人間の手足があるんなら、そこから看病する為にそれらを動かそうとは思わんの
かい。
 意味もなく行ったり来たりして、それ以外に何一つとして役に立つ行為をしそうにない茶色いヒゲ
を、俺は蹴り飛ばしてやりたくなった。というか、御主人の傍にいなければ、蹴り飛ばしていた。憎
らしい事にこのヒゲ、蹴り飛ばしたら御主人にも被害が出るような位置にいるんだ、これが!
 というか役に立たんのならそこを離れんかい!
 静かに――御主人の身体に障りがあってはいけないからなー―地団太踏む俺の前で、茶色いヒゲ―
―賞金首サンダウン・キッドはうろうろーうろうろーとしている。何したいんだこのおっさん。
 あれか、いつも元気な御主人が、力尽きているという予期せぬ出来事に見舞われて、混乱している
のか。面倒臭い。混乱するだけなら邪魔だからどっかに行け。
 何処かに行け、と念を送る俺の眼差しは、生憎とヒゲには効果がなかった。
 くそ、無駄にオディオの念を送ったのに、無駄にそれを無効化しやがった、このヒゲ!
 看病も何もしないくせに、どうしてそういう事は勝手にするんだ。あれか、マルチカウンターか。
俺に跳ね返ってないからカウンターじゃないけど。
 ぴんぴんした状態で、俺の目の前をうろうろするヒゲは、本当にこれまで誰かを看病とかした事な
いんだろうか。というか人間は共同体を作る生命体なので、仮に看病をした事なくてもどうにかしよ
うとする本能が備わっていると聞いたような聞かなかったような。
 俺はヒゲの人間としての本能を疑いつつ、それでもせめて服を着替えさせるとか、と思って、いか
んいかんと考え直す。
 このおっさんに御主人の着替えとかその他諸々を頼んだら、おそらく嬉々として、盛大に邪を盛り
込んで実行するに違いない。御主人が抵抗できない事を良い事に、あんな事やこんな事をするに違い
ねぇ!
 そう考えると、実にこのおっさんの存在は迷惑だ。
 役に立たないどころか、看病させようとしたらあんな事やこんな事に向かおうとするのだから。魘
される御主人を見下ろしながら、おろおろしているように見えて実はハアハアしてるんじゃないだろ
うか。
 そういう疑いが、ある。
 そういうところだけは実に人間的だ。
 そんな即物的なところがおかしな方向に残っているおっさんを蹴り飛ばしたい思いを抱えつつ、し
かしおっさんが御主人の傍にいる所為でそれができないと言う状態に悶々としながら、それでもおっ
さんが御主人に手を出さないようにと俺は一晩銅像のように立ち尽くして過ごしたのだった。



 次の日、御主人は非常に元気になって、その場にヒゲがいると認めるや、意気揚々と決闘を申し込
んでいた。
 ヒゲがいた事で気力が戻って体調が治ったとは、考えたくもない。