馬である俺にとって、服なんて物は全く以て縁遠いものだ。
  勿論、鞍とか鐙とか手綱とか、そういう物に装飾めいたものをつける事はあるけれど、あれは別
 に俺ら馬の為にあるわけじゃねぇ。俺に乗る人間の為にあるようなもんだ。俺自身はどうでも良い。
  確かに俺は、一時期人間だった時もあるけど、その時も特に服装にかまった事はない。
  ぶっちゃけ、着れたら良いようなもんだった。
  まあ、人間だった頃の俺は、結構でかい図体をしていたから、サイズがあんまりなかったっての
 もあるんだけれど。
  そんなわけで、正直なところ、服なんてものに興味はなかった人生、もとい馬生を送ってきたわ
 けだが、最近は色々な服に眼が行くようになった。
  人間だった頃にも一度も付けた事がないタイにさえ、リボンタイだとかなんだとか、その色はど
 うだとか、普通に思うようになった。 
  それは多分、今現在俺が背中に乗せている人間の所為だろう。




  Life of Horse 12





  どうもお久しぶりです、O.ディオです。
  本日、俺はめっきり縁遠かった服屋なるものの前に立っている。
  そんじょそこらの馬よりも見栄えのする俺は、通りに立っているだけで、他の馬の賞賛やら嫉妬
 の眼差しを受けるどころか、人間のガキ共や目つきの悪い多分泥棒達にもじろじろと見られている。
  別に見られるのは構わねぇ。好きにすりゃあ良い。機嫌が良けりゃあ触る事も許してやろう。
  ただし、俺を盗むとなったら話は別だ。生憎だが、俺の背中に乗って良いのはこの世でただ一人
 だ。それ以外の輩なんぞ、よっぽどの美女でなけりゃ認めねぇ。
  そんなわけで、俺は馬泥棒の獲物を窺うような視線に対し、物凄い勢いでメンチを切っていた。
  俺に乗ろうとしやがったら、後ろ脚で蹴り飛ばすぞ、コラ。
  そんな物騒な事を考えつつも、俺は意識半分は馬泥棒に向けていたけれど、後の半分は服屋の中
 に向けている。
  ただ今、服屋の中では俺のご主人様がお着替えの真っ最中だ。
  俺のご主人、賞金稼ぎマッド・ドッグの今朝のお召し物は、いつもの金飾りの付いた黒の帽子に、
 黒のジャケットだった。ただし、ただの黒のジャケットと思う事なかれ。なんと、ストライプが入
 っているのだ。言っておくが、ストライプと言っても、シマウマのような見事な白と黒ではない。
 白味の部分はほとんど黒に近い灰色で、非常に上品な出で立ちとなっている。
  そりゃそうだ。本当にシマシマのジャケットなんか着てたら、ただのチャラい男だ。
  ついでに念の為に言っておくが、そんなシマシマがご主人に似合っていないとは一言も言ってい
 ない。ご主人の事だ。一見チャラ男しか着ないようなシマシマジャケットも、見事に着こなすだろ
 う。
  なお、御主人は本日はリボンタイをしている。少し渋みのある、深緑色をしたタイだ。
  うむ、やはりご主人は何を着ても良く似合う。
  きっと、例えオオサンショウウオの着ぐるみを着ていても、キュートだ、の一言で済んでしまう
 だろう。
  俺は服屋の窓の隙間からご主人の姿が見えないかな、と非常に愛馬精神のある馬の装いをして、
 道に立っていた。
  その間、やはり二、三度、馬泥棒を後ろ脚で蹴り飛ばさねばならない羽目になったが。
  そして、俺が、再び襲い掛かる馬泥棒に身を低くして対峙している真っ最中に、ようやくご主人
 は店から出てきた。
  ご主人は、服を買う時間は長いのだ。
  別に、それについてとやかく言うつもりはないけど。俺はご主人を背中に乗せて、人参を食べれ
 たら、それで良い。俺はご主人の愛馬だからな。
  とりあえず、店から出てきたご主人に、鼻先を擦り付ける事で親愛の情を示す――が、買ったば
 かりの服に俺の毛が付く事を嫌がられたご主人に、寸でのところで止められてしまう。ご主人の愛
 馬である事は、時にして辛く報われない事が多いのだ。きっと、俺のような馬でなければ耐えられ
 ないだろう。
  俺はご主人に親愛の情を示せないという事態に涙を飲んで、改めて着替えを済ませたご主人の姿
 を見る。

  あっ!可愛い!

  そう思った瞬間、俺の心が読めたわけでもないだろうし、仮に俺がその言葉を口に出したとして
 もご主人に馬語が分かるわけもないはずなのに、ご主人ははっきりと俺を睨み付けた。なので、俺
 は思い直す。

  いえ、カッコいいです、はい。

  俺が思い直した事が分かったのか、ご主人は俺を睨むのを止めた。
  ご主人の目線が俺から外れたのを受けて、俺はもう一度まじまじとご主人を見る。
  いや、やっぱり、あんたのそれはカッコいいって言うよりも、可愛いって言うんだと思うんです
 けど。
  ご主人は冬に向けて、コートを新調したようだ。
  厚手のコートは、濃い茶色に限りなく近い赤――臙脂というのだろうか、そんな色をしている。
 それだけならば別に良いのだが、背側を見れば、肩甲骨の真ん中辺りから生地が谷折りになるよう
 にすっと切り込まれている。その谷を繋ぐように、一本の紐が上から下まで編み込まれているのだ。
 そしてその紐は、何回も明らかにリボン結びをされている。その他にもポケットの辺りに、コート
 の記事と同色の、しかし煌めいて見える色で細やかな刺繍がされていたりする。
  これを、可愛いと言わずして何と言おうか。
  しかも、どうやらコートのついでに購入したブーツもまた、可愛らしい。これも深い茶色をして
 いるんだが、ぢょうど足の甲の上で紐を結ぶ部分だけが、なんか白いの。そこだけ。それ以外は革
 製の茶色なのに。しかも白い部分に銀の縁取りとかしちゃって。
  しかも、あんた!
  さっきちょっと見えたけど、ジャケットの中に来てるベスト、ピンク色じゃなかった?!
  そこまでどぎついピンクじゃなかったけど、ピンクはピンクだ!これまた上品な刺繍は施されて
 たけど。ピンクに変わりはない。
  いや、似合ってないわけじゃない。
  言っておくけど、御主人に似合わない服なんて、きっとこの世には存在しない。アヒルの着ぐる
 みだってプリティに着こなせるはずだ。 
  ただ、問題は、その服はご主人以外の西部の男には絶対に似合わないであろう事だ。
  リボン付きのコートが似合う男が、西部の荒野に普通にいるだろうか、いや、いない。
  今、ご主人が来ている服を、鉱山で働いている荒くれ男や、酒場で屯しているならず者連中に着
 せたら、それは間違いなく猥褻物陳列罪に値する。そしてそんな服を勧めて買わせた店側は、猥褻
 物陳列幇助の罪に問われるだろう。
  しかし、ご主人はそんな服を、見事に着こなしているわけだ。
  ただし、ご主人が望むようなカッコよさは感じない。どこからどう見ても、可愛いだけだ。男共
 の目の毒になるくらい、可愛い。女も裸足で逃げ出すレベルだ。
  一体何を考えてそんな服を選んだのか、色々と理解に苦しむ。
  それとも、今から夜会にでも出かけるつもりなのだろうか。
  可愛いけれども上品でもあるそれは、確かに今から舞踏会に行ってくる、と言われたら、頷いて
 いってらっしゃいませと言ってしまいそうになる出で立ちではある。
  ただ、ご主人の金の縁飾りの付いた腰のベルトには、はっきりと黒光りするバントラインがある
 わけですが。
  まあ、別に銃を持って夜会に向かっても良いんですけれども。
  個人的には、夜会に行ったらそのまま婦女子と恋に落ちて、そのままお子様を成して頂きたいん
 ですが。
  俺としてはですね、そろそろご主人の子供の顔が見たいわけですよ。俺の晩年の夢は、御主人の
 子供を背中に背負って、ゆったりと牧草を食みながら暮らす事なのです。なので、そんな可愛らし
 い、上品な恰好をされているという事は、今から女を引っ掛けに行くと期待しても良いんでしょう
 か、ねぇ。
  俺は淡い期待を抱いて、御主人の可愛らしい姿を見る。 
  が、そんな淡い期待は、一陣の風と共に消え去った。
  茶色。
  そんな色しか思い浮かばないような物体が、俺とご主人の目の前を走り去ったのだ。
  途端に、可愛らしい姿をしたご主人は、その恰好のまんま眼を爛々と輝かせて俺に飛び乗ってき
 た。それはまさに獲物を見つけた猟犬。いや、確かに目の前を通って行った茶色は、ご主人の獲物
 で間違いないんでしょうけれども。
  でも、ご主人!
  あんた、そんな可愛い恰好で狩りに出るってどうなのさ!
  いや、百歩譲って狩りに出るのは良いとして、その対象があの茶色ってのは、あのおっさんって
 のは!
  俺としては、このまま走り出したくない所存なんですけれども。 

 「行くぞ、ディオ!」

  いいえ、行きたくないです!
  やめてご主人、考え直して、あんなおっさんに関わろうとするのは!
  大体、あんたが可愛い恰好をした途端に現れるなんて、絶対に何かよからぬ企みがあっての事に
 決まってる。絶対に、あんたが服を買いに行こうとし始めた時から、あんたの行動を見てるに違い
 ない!
  しかし、渋る俺の腹に、御主人の脚が炸裂した。
  あう。
  地味に痛い腹を抱えて、俺はのろのろと走り出した。