『うぎゃあああ!来るなぁあああ!』

  後ろから、鼻息を荒くしたばんえい競馬の馬に追いかけられ、俺は絶叫した。
  馬のコミュニティに参加した末のこの顛末。そんなの嫌だ。ばんえい競馬の馬(オス)にあらぬ
 発情をかけられて追い掛けられるなんて。俺の好みは白馬のれっきとした雌馬だ。いくら俺がカッ
 コいいからと言って雄になんぞ迫られたくはない。
  だが。

  遠目に、俺が死に物狂いで雄馬から逃げ回っているのを見ているご主人には、多分、馬同士の追
 いかけっこにしか見えないんだろう。それに、他の馬達も遠巻きに見ているだけで、関わり合いた
 くないのか――そりゃ、俺だって他馬事だったら関わり合いたくねぇよ――手は出してこない。

  つまり、俺に残された選択肢は、自力で振り切る事以外になかった。




  Life of Horse 10  







        お見苦しいところをすみません、O.ディオです。
  現在俺は、ご主人と一緒に巷で噂の馬コミュニティに来ています。

  あ、馬コミュニティって、あれね。普通に、馬の牧場の事ね。新しく家畜デビューする馬達をお
 披露目したり、馬を走らせたりするような普通の牧場で、特別なもんでもなんでもないから。
  で、なんで俺がそんな所に来てるのかと言うと。

 「少々肥満気味ですね。」

  という獣医の一言の所為だった。
  ちょっと最近毛艶が悪くなった俺の事を心配したご主人が、獣医に俺を診せたのだ。その時に、
 その医者は、特に問題はありませんが、と前置きをした上で、

 「強いて言うなら。」

  と別に強いる必要はないのに、件の台詞を吐いたのだ。
  その台詞を聞いた瞬間、御主人は、ものっすごい渋い顔をした。多分、とある薄汚れた賞金首が
 荷物袋の中に食べ終わった弁当箱を入れっぱなしにしていた時と同じくらいの、渋さだった。そし
 て俺が『この藪医者め!』と獣医を罵るよりも先に、低い声で呟いたのだ。

 「やっぱりそうか……。」

  と。
  つまり、御主人は獣医の事を藪医者だなんて思っていなかったわけだ。

 「最近、鞍も着けにくくなってたしな……やっぱり太ってたのか。あんだけ走らせてるし、食事も
  管理してるのに。」
 「何処かで拾い食いをしている可能性もありますね。それに、太りやすい体質なのかもしれません。」

    次々と侮辱的な言葉を言い放つ藪医者。ご主人がいなかったら、間違いなく蹴り殺していた。ん
 が、今はご主人がいるのでそれは出来ない。それをしたら、俺はいい感じに脂の乗った馬刺しとし
 て売り飛ばされる。

 「一度、徹底的に運動させてみてはどうでしょうか。もしかしたらストレスの可能性もあります。
  牧場などの、馬のいる環境で休ませてみては?」

    ご主人は藪医者の言葉を検討してみたようだった。
  実りの秋であるこの季節にダイエット――食事療法なんて酷い、と思っている俺も、ドッグラン
 ならぬホースランで駆け回るくらいなら、別に良い。今は実りとスポーツの秋だ。走っておいしい
 ものを食べれば良いのだ。
  俺のそんな思いが通じたのか、御主人は食事療法よりも先に、俺に運動させるほうを優先させた
 ようだった。そんなわけで、俺は今、牧場に来ている。

 『まあ、お前は他の馬の飼葉桶に良く顔を突っ込むからな。』

  そして何故か、俺の隣には薄汚れた茶色い賞金首の茶色い馬がいる。
  何故に。
  何故に、ご主人は此処に来る時に都合良く現れたサンダウンを追い払わずに、ついてこさせるが
 ままにしているのか。

  まるでストーカーのようにご主人の行く先々に喜び勇んで待ち構えている賞金首は、いつものよ
 うに偶然を装ってご主人の前に現れた。けれども俺を牧場に連れていくご主人は素っ気なく、サン
 ダウンに決闘を申し込んだりしなかった。それにショックを受けたサンダウンは、物凄く静かに慌
 てて、ご主人の後を追いかけて――賞金首が賞金稼ぎを追いかけるってどうよ――とうとう俺を放
 牧する牧場までついてきてしまった。
  そして、ご主人の後ろを――もとい尻を追い掛けたおっさんは、ついでに自分の馬も放牧し、要
 するにご主人と二人っきりになるつもりらしかった。そして自分を付け回すヒゲに、ご主人は何故
 か一分の疑問も抱いていない。それどころか、普通に、本当に普通に賞金首に『あの馬良いな』と
 か言っている。

  ご主人、あんたはもっと危機感を持つべきだ!
  それとさっきの台詞!
  まさか俺からそっちの馬に乗り換えるつもりか!
  そんなの嫌だ!

  ご主人に捨てられてしまう!とさめざめ泣く俺に、茶色のおっさんの茶色い馬は、酷く素っ気な
 かった。

 『それならしっかりダイエットをしたらどうだ。そもそもあれだけ他の馬の飼葉やら、その辺の草
  やらを食べて、その程度の肥満で済んだ事が不思議だ。』
 『やかましい!俺の運動量はてめぇの倍以上はあるんだ!倍以上は!』

  蹄で地面を叩きながら、俺は奴に向けて怒鳴る。
  そんな俺達を、他の馬が遠巻きに見ている。
  そうだ、何で俺はこんな奴と喋ってるんだ。せっかく他の馬もいるんだから、念願の白馬を口説
 く絶好のチャンスだ。

 『こうしちゃいられねぇ。さっさとナンパしにいかねぇと!』

  ざっと見ただけで、多種多様な馬がいるんだ。それなら、俺のお眼鏡に叶う馬もいるかもしれね
 ぇ。そんでちっさい仔馬を沢山産んで、ご主人の子供に乗って貰うんだ!ご主人の子供なら、俺の
 ような黒馬でも、雪のような白馬でも似合うに違いない。
  俺は脳内で幸せな未来予想図を組み立てて、ほんのりと笑みを浮かべる。
  そんな俺をちらりと奴は横目で見て、呟いた。

 『しかし、見たところ、白馬はあいつしかいないようだが。』

  奴が顎をしゃくって示す方向には、確かに真っ白な馬がいて、牧草を食んでいる。毛並みも良く
 白馬と聞いて誰もが想像する白さだろう。
  だが――。

 『…………なんか、でかくねぇ?』

  他の馬よりも、なんか、二回りくらい、でかい。他の馬達が遠くにいるように見える。が、実際
 は同じくらいのところで和んでいるんだろう。何、この、遠近法。

 『重装騎兵隊の馬のようだな……。』
 『いや、このご時世、そんな甲冑着こむ中世じみた軍隊いねぇから。』

  俺のもといた第七騎兵隊だって、軽装備だった。

 『どうやら、我々とは種が違うようだ。』 
 『どう見てもそうだろ。それに、脚も短いし。胴も太いし。』

  俺だってあんなに太ってねぇ。

 『別種は駄目だ。言っちゃ悪ぃが、ちゃんと騎乗できる子供が出来るかわかんねぇからな。家畜と
  して駄目な馬は不幸だし、ご主人にも悪ぃ。』
 『まあ、その前に、あの馬は雄だからな。』
 『じゃあ言うなよ!俺は雌を捜してんだから!』
 『しかし、白馬はあいつしかいない。』
 『白馬よりも雌である事のほうが大事だろうが、普通!』

  俺は、ふんと鼻を鳴らして、遠くに見えるやけにでかい馬を一瞥し、再び雌馬を捜し始めた――
 が、その前に、一瞥した時、なんか目があった。

 『おい、こちらに来るぞ。』
 『ほっとけよ………。』
 『放っておこうにも、普通にこちらに来るんだが。』
 『てめぇに任せた。』
 『いや、任せるも何も………。』

  奴が全部を言い終える前に俺は駆け出す。同時に、背後で物凄い蹄の音が聞こえてきた。明らか
 に駆け脚でこちらにやってくる、のしのしという擬態語がしっくりくる蹄の音に――ぱかぱか、で
 はない、のしのしだ――俺は目があった瞬間に背中を駆け抜けた悪寒が、正しかった事を知る。

 『明らかに、あの馬はお前を狙っている。』

  一心不乱に駆け出した俺の耳に、非常に嬉しくない現実を指摘した奴の声が聞こえた。





  しつこかった。
  ばんえい競馬に出れるような図体のでかい白馬は、本当にしつこかった。何を考えているのか、
 雄だろうが雌だろうが、自分よりも小さい馬に色気を見せる馬は、しかもついでに黒い馬が好みだ
 ったらしい。

 『お、俺は白い雌馬が良いんだ!』
 『それなら両思いだ!』

  逃げながら必死に叫ぶ俺の台詞に、そう答えたばんえい競馬の馬は、自分が雄である事を忘れて
 いたのかもしれない。いや、忘れていたのであって欲しかった。よもや『愛があれば性別なんて!』
 とだけは言って欲しくない。
  そんな、サンダウンのおっさんみたいな考えは、俺に対してだけは思って欲しくない。
  もう一度念のために言っておくが、俺の好みは白い『雌』馬だ。
  確かに、馬というのは偶に雄同士で何かやらかす事もある。んが、俺はそんなアブノーマルな事
 はしたくない。俺の考えは馬よりも人間に近いんだ!――まあ、人間にも小汚いヒゲのような例外
 もいるけれど。
  とにかく、俺は、下にされるのは嫌だ。上にされたからって喜びもしないけれど!

  俺の必死の逃走が功を成したのか、それとも単にあの馬が図体でか過ぎて鈍重だったおかげか、
 俺は白馬を振り切る事に成功した。
  俺の俊足についていけないと判断した図体のでかい白馬は、途中で別の馬に色気を出したらしい。
 言っておくが、俺は浮気者は嫌いだ。
  浮気者に狙われてしまった、と落ち込む俺が、のそのそと元いた場所に戻ると、サンダウンの馬
 は完全に他人事の顔をして、もしゃもしゃと牧草を食んでいた。確かに他人事なのだろうが、何故
 か薄っすらと腹が立つのは、この馬がサンダウンの馬だからか。

 『意外と早く戻ってきたな。』

  もしゃもしゃと牧草を食べながら、事も無げに言った奴に、俺はむかっ腹が立つ。所詮は甲斐性
 なしのサンダウンの馬だ。気遣いだとかそんなものを求めるのが間違いだったのだ。
  俺がぷかぷかと怒っていると、

 『まあ、落ち着いて草でも食べろ。』

  と自分の場所を譲る。別にこの牧草地は奴の物ではないのだが、しかしその申し出を断る理由は
 ないので、俺はぷかぷかとしながら牧草に口を埋める。

 『もう嫌だ、こんなとこ、早く帰りたい。』

  もぞもぞとそう言うと、奴は宥めるように俺の毛繕いを始める。

 『そう言うな。せっかく連れてきて貰ったんだろう。』
 『うるせぇ。俺は一人気ままに走り回るより、ご主人と一緒にいるほうが好きなんだ。さっさとご
  主人乗せて、帰りたい。』
 『しかし、おそらく明日までは帰れないぞ。』

  何か、不穏な事を告げた奴を、俺は怪訝な眼で見上げる。すると、奴は遠い眼をしたまま続けた。

    『私の主が、お前の主人を連れて、向こうのほうにある小屋に入ってしまったからな。』

  当分は出てこないだろう。

  遠い眼のまま奴が言った台詞の意味を、一瞬遅れて理解した俺は、そのまま人間になれる勢いで
 嘶いた。

 『あのヒゲぇえええええ!』