砂とざらついた木目を曝した家の茶色で構成された町は、妙に重苦しい夜を迎えていた。
  その夜の底を這うように、数少ない町の住人が強張った白い顔のままで蠢いている。
  覚束ない手で、夜明けの襲撃者を迎え撃つために、口数も少なく黙々と罠を仕掛ける様は、いっ
 そ異様と言っていい。
  風の音と彼らの砂を踏みしめる音に耳を傾けているサンダウンの隣では、一人の男が葉巻を細い
 指に挟んで、形の良い口元にひっそりと笑みを湛えていた。
  普段、自分に見せる凶暴な光は眼元から薄れ、周囲の張り詰めた空気とは裏腹に穏やかな色を浮
 かべている。
  その姿に、サンダウンは町の住人達になり変って、酷く居た堪れない気分になった。




 Under the Fake





  クレイジー・バンチと呼ばれるならず者集団に怯える、小さな町『サクセズタウン』。
  以前はゴールドラッシュで賑わい、幾多もあるブームタウンの一つとなった町は、その波が引く
 と一気に寂れた。
  しかし、今にもゴーストタウンにまで落ちぶれそうな状況は、先に上げたクレイジー・バンチの
 襲撃によるものが多いのだろう。
  町の住人が怯え、色を失うほどに尻込みする理由を、サンダウンもマッドも理解している。
  極端に少ない人の数。
  それが答えだ。
  誰も口にしないが、それは口にする事さえ恐ろしいからなのか。

 「……保安官さんよ。あんたの息子以外の子供はどうしたんだ?」

  救済を望んだ少年の父親である保安官に、マッドは何の表情もない声で尋ねた。
  マッドの爪の先ほども、心を隠す事に慣れていないらしい田舎の保安官は、数拍、息を詰めた。
  落ち着かない眼差しの大人達の空気に、マッドは低く笑って彼らの沈黙という答えに頷いた。
  酒場のマスターの妹以外に、若い女がいない理由。
  保安官の息子以外に子供がいない理由。
  ゴーストタウン一歩手前の人の数。
  新しい墓はなかった。
  この町で死者は生まれていない。
  では、いなくなった人々は逃げ出したのか?
  いや、この町から彼らが逃げ出さない――逃げられないならば、いなくなった人々も逃げ出した
 わけではないだろう。
  ならば行きつく答えなど、そう多くはない。
  いなくなった人々は、殺されたのだろう。
  ただし、この町の外側で。

  ―――攫われて、殺された。

  若い娘ならば、いっそう、むごい。

 「随分な趣味してんなぁ、クレイジー・バンチって奴らは。」

  震える糸のような空気の中、軽やかにバランスを取ってみせるようにマッドは変わらぬ口調で言
 った。
  彼もまた、この町の外で行われた腐臭の臭いのする饗宴に気付いている。

 「女だけじゃなく、子供まで連れ去るか。よほど飢えてやがんのかね。」

  彼ら、彼女らがどうなったのかなど、真実は分からない。
  犯され殺されたのか、それとも奴隷として歪んだ趣味を持つ富豪に売り払われたのか。
  いずれにせよ、その末路は決して恵まれたものではないだろう。
  むごければむごいほど、この町の住人は口を閉ざし、奴らに逆らう事を恐れるのだ。
  それは、今、罠を仕掛けているこの瞬間ですらそうだろう。
  サンダウンは異教徒の儀式を見るような感覚で、罠を仕掛ける作業をしている人々を見る。
  無言で、目に形容しがたい光を灯し、それ以外には表情を見せない彼らは、サンダウンにとって
 は正しく異形だ。
  だが、それでもその腹の内で考えている事が分かってしまう。
  サンダウンにとって彼らが異形であるように、彼らにとってもサンダウンは余所者だ。
  救済を求め、その足元に身を投げ出して縋っても、内心では己だけの保身を量っている。
  黙々と作業を進めていても、彼らのうち、一体何人が本当にサンダウンを信用し、クレイジー・
 バンチに勝てると思っているだろう?
  きっと、サンダウンが負けた時のクレイジー・バンチに対する言い訳を、必死で考えている者が
 ほとんどだ。
  いや、それどころか―――。
  サンダウンは視線を動かさずに、若い賞金稼ぎの気配を探る。
  ゆっくりと葉巻を燻らす男は、やはり普段通りの自信と余裕を湛えていた。
  だが、マッドこそ、この町の住人が何を考えているのかに気付いているはずだ。
  もしも、サンダウンとマッドが、クレイジー・バンチに負けた時、町の住人は知らぬ存ぜぬを貫
 き通すだろう。
  保安官もマスターも、サンダウンとマッドが勝手にやった事だと――クレイジー・バンチが何処
 まで信じるかはわからないが――言い張るだろう。
  いや、それだけならまだいい。
  むしろ、それだけでは済まされないだろう。

  保安官には最愛の息子がいる。
  どれだけ父親を罵っても、保安官にとっては何にも代えがたい。
  マスターにはただ一人の妹がいる。
  喧嘩をしようと何をしようと、兄は妹を守ろうとするだろう。
  クレイジー・バンチが、この二人を所望するのは遠い未来の話ではない。
  それを回避する方法など、そう多くはないのだ。
  クレイジー・バンチを倒せないのならば、手段は一つしか残らない。
  誰かを、身代りに立てれば良い。

  秀麗な指先に、白い煙が絡みつく。
  あらゆる色を呑みこんだ黒髪は、闇よりも深い。
  葉巻を挟む指が綺麗な所作で時折、何かを考えるように額を弾く。
  きっと、誰もがマッドの登場を喜んだだろう。
  サンダウンだけでは心許ない。
  負けた時、言い訳だけでは許されないかもしれない。
  ああ、それならば。
  この、西部では秀麗な声と所作と身体を持つ、この男を、捧げれば良い。

  マッドの身体を地面に引き倒し、クレイジー・バンチの前に転がす事を、いざとなればこの町の
 住人は躊躇わないだろう。
  もしかしたら勿体ないとは思うかもしれないが、それはマッドの事を思ってではなく、自分達が
 組み敷けないからとかそんな理由だ。
  凶暴で爆ぜる火花のような男の命と身体ならば、ならず者達も欲しがるだろう。
  サンダウンでさえ、その喉笛に触れたいと思うくらいだ。

  腹の底で展開される欲と情と業を受けて、それでもマッドは平然とした表情を浮かべている。
  気づいていないはずがない。
  保安官に他の子供達の所在を聞いた時点で、マッドは自分に求められる役割に思い至っていたは
 ずだ。
  若くても、西部一の賞金稼ぎに成り上がるまでに幾多の死線を潜ってきた彼が、自分の身体に向
 けられる眼差しを知らないはずがない。
  そんな彼に、覚束ない嘘がばれないわけがないのだ。
  この町の住人が吐き出す救援の声と怯えの色の裏側で、彼らが隠す本心はマッドに届いている。
  どれだけ言葉を重ねて隠そうとも、マッドは正しくそれを読み取っている。
  それでも尚、笑んで、許しているのだ。

  サンダウンは気配でマッドを追うのを止め、視線を巡らせてマッドを見た。
  夜の闇と家々の灯りを受けた彼は、その整えられた身体に強い影を描いている。
  その中で、黒い瞳は穏やかに澄み、口元にはやはり同じような穏やかな笑みが弧を描いている。

  ―――お前は許せるのか。

  本心から救済を望みながらも、本心から自分達を信じていない彼らから課せられた役割に。
  笑みを顔に刷いたマッドの表情は穏やかだが、その機微までは読みとれない。
  何よりもあけすけな表情を作っているのに、それが意味するところまでは分からない。
  その口は何一つとして嘘を吐かないが、同時に真実も語ってはくれない。

  それとも負けるはずがないと思っているのか。
  それとも。

  ―――信じているのか。
  ―――信じてくれているのか。
  負けるはずがない、と。

  声に出して訊きそうになって、サンダウンは唇を引き結んだ。
  尋ねた瞬間、すべてが壊れる瞬間とは確かにあるのだ。
  この問いは、きっとするべきではない問いだ。
  尋ねずに、読みとらなくてはならない答えの一つだろう。




  流れる紫煙の向きが、少しだけ変わった。
  マッドが身じろぎする。
  すっと細くなる視線。
  穏やかに弧を描いていた口元が、きゅっと皮肉なものに変わる。
  彼が、臨戦態勢に入った事を示す瞬間。
  柔らかく透けていた瞳が、鋭い光を弾く。
  東の空から、白い粒子が帯のように広がり出した。

  ひらり、と。
  この、罠が数多く仕掛けられた、乾いた大地に、一言も嘘を吐かない男が砂を軽く踏んで舞い降
 りた。
  サンダウンは、その背に、無言で続いた。