自分を延々と飽きもせずに追いかけてくる男に、何が楽しいんだと思う。
  年がら年中、朝昼晩問わず現れる彼は、賞金稼ぎが賞金首を狙うだけにしては、やや異常だ。
  彼の腕を考えれば食うに困るほど懐が寂しいはずもないし、もしも本当に切羽詰まっているのな
 らば自分ではなく他の手ごろな賞金首を狙えば良いだけの話だ。
  しかし、それをせずに自分を執拗に付け狙う男は、一体何を考えているのか。
  もはや意地になっているなと呆れつつサンダウンは、軽くあしらわれた事に腹を立てて怒鳴るマ
 ッドの声を背後で受け止めていた。





 eight ball





  この若い賞金稼ぎが自分の眼の前に現れたのは一体いつだっただろう。
  正直なところ、あまりにも長く対峙しすぎた為、サンダウンにはその時の事を鮮明に思い出す事
 は出来ても、それがいつの時期だったのかを日付や季節で正確に答える事は出来ない。
  その時のマッドの身体の造りは髪の一筋さえ思い出せるのだが。
  ややあどけない頬の輪郭に対して額から鼻筋、そして顎までのラインは驚くほど端正だった事や、
 真直ぐに伸び上がった背筋にのわりにまだ筋肉がつききっていない事など、身体の造りは酷くアン
 バランスだった。
  その不可思議な境界線上にあるマッドの立ち姿が、燃えるような朝焼けを背負っていた事も。
  ようやく人々が目覚める時間、彼は鮮やかな東雲を戴いてやってきた。
  今と変わらぬ笑みを携え、銃を扱うには繊細すぎる白い指を黒の銃身に絡めて。
  初めてその姿を見た瞬間、荒野には場違いな姿に人間である事を疑った。
  まだ幼さの残る、しかも細く秀麗な身体は荒野で生き残るには相応しくない色をしていたからだ。
  こんな所にいれば、真っ先に餌食になってしまうような身体だ。
  これは幻覚か、それとも本気で悪魔か死神が現れたのかと思った。

  今のマッドには、その当時の幼さはない。
  子供時代を示す頬の丸みなくなり、代わりに艶めかしさを感じる端正な線を描いている。身長に
 対して筋肉や手足の長さが不釣り合いだった部分も、今では細身だがしなやかに筋肉のついた身体
 付きになって、境目にあるというどこか背徳的な曖昧さも薄れている。
  それでもやはり、西部の荒ぶる男達とは一線を画す流暢さがある事は変わらない。
  白い指は傷が増えても相変わらず細く端正で、身のこなしは西部特有の武骨さなど何処にもない。
 それらは全て、マッドがサンダウンの前に初めて現れた時から備えている特性だ。彼自身にもどう
 する事も出来ないくらい、その血に強く刻まれてしまっているのだろう。
  だが、生まれ持って染みついたそれと、サンダウンを追いかける事は全く違う。
  マッドの意志で変われぬ事がその仕草だと言うのなら、サンダウンを追う事は間違いなく意志で
 以て終わらせる事が出来る事だ。
  しかしどれだけあしらっても、マッドはサンダウンを追いかける事を止めようとはしない。
  それは一体何故なのか。
  今日も背中でその罵りを受けつつ、サンダウンは呆れつつも内心で首を傾げていた。

  マッドを褒めるわけではないが、サンダウンの眼から見てもマッドは座の中央に存在するべき男
 だ。良くも悪くも、騒ぎの中心にいる。
  マッドの意志に関わらずに染みついた端正な仕草は、田舎臭く武骨な西部では珍しく、どうした
 って視線を浴びる。
  サルーンに行けば賞金稼ぎ仲間達に迎え入れられ、その肩やら腕には女達がしなだれかかる。
  逆にいらぬ欲情の視線や、羨望の眼差しを向けられる事も多々あっただろう。
  だが何れにせよ、それらは全てマッドに惹かれてやってくる。
  磁石のようになんでも吸い付ける男は、望めば女も名声も金も仲間も手に入る。
  彼が望めば誰だってその足元にその身を投げ出すに違いない。
  そんな男が、何故わざわざこうも時間を掛けて自分を追うのかが、サンダウンには理解できない。
 かつてサンダウンの銃の腕に挑んできたならず者共と同じで名声が欲しいと言うにしても、マッド
 の名は西部一の賞金稼ぎとして轟いている。
  サンダウンの首に懸かっている5000ドルの賞金が欲しいにしても、マッドの腕ならば他の賞金首
 を当たればすぐに5000ドルくらいにはなるだろう。
  わざわざサンダウンを狙う必要は、何処にもない。
  大体、まだ若い彼が、銃の腕しか取り柄のないくたびれた男を追いかけるなど、人生の無駄以外
 の何物でもない。

  それとも、暇を持て余しているだけか。
  何処までも開かれたマッドの世界は、別に、サンダウンだけに向けられているわけではないのだ
 から、それは大いに有り得る話ではある。
  何もかもが手に入る状態というのは以外に退屈で、その退屈しのぎに逃げる影を追いかけている
 だけなのかもしれない。
  しかしその暇つぶしで決闘までする彼は、その名の通り狂気を冠するに相応しい。
  挙句の果てには殺さない事を怒るのだから、もはや手のつけようがない。

  いっそ、望みどおり、その心臓を撃ち抜いてやろうか。
  だかその物騒な思いはサンダウンの思考の表層だけを上滑りして、結局今の今まで引き金は弾け
 ずじまいだ。
  サンダウンには、マッドがその身体を赤で染めて倒れる瞬間が想像できない。
  サンダウンが知っているマッドは、いつでもすっきりとしたジャケットに身を包み、皮肉な笑み
 を浮かべているか怒鳴っているかだ。
  そして、その背にあらん限りの世界を背負っている。

 「いい加減にしろよ、てめぇ!」

  乱暴なくせに、何処までも端正で音楽的でさえある声が響いた。
  青い空を背中いっぱいに背負った男は、苛立ったように怒鳴っている。
  振り返れば、やはりその頭上には痛いくらいに眩しい群青の空を戴いていた。
  その他に彼を彩るのは艶めかしい黒い髪と眼だ。

 「毎回毎回この俺から逃げやがって。何か?俺じゃあ不服だってのか?」

  その指の中で回転する銃身も、彼と同じ艶めかしい黒。
  それに眼を奪われながらも、内心でマッドの台詞を嗤う。
  何を、何を言うのか、と。
  誰も彼もに跪かれているお前が、自分の事を不服だと思っている人間がいると、考えているのか。
  サンダウンとてマッドに不満などない。
  いや、ある。
  マッドの世界は何処までも広く、誰に向けても放たれている。
  それは人から逃れるように生きているサンダウンも例外ではない。
  彼の下では誰もが等しくその熱を享受できるのだと言うように、そんな事する必要などないのに
 ンダウンをこうして追いかけてくる。
  それは、常に等しいマッドにしてみれば至極当然の事。
  だが等しいという事が、時として如何に残酷であるのか、この男は知っているのだろうか。
  そしてマッドにとっては当然である事が、周囲から見れば不自然で不必要で、それ故に与えられ
 る者にしてみれば優越感を抱かせる事を。
  マッドは当然のように、しかし傍から見れば異常なほどサンダウンを追いかける。
  それがマッドにとっては本当に当然の事なのか、それともマッドの中でも異常な事とされている
 のか。
  それを推し量る事は、マッドの背後に開かれた世界を見てしまったサンダウンには至難の業だ。
  何も感じずただマッドの表層だけを撫でていれば、西部一の賞金稼ぎが己を追うという自意識過
 剰に溺れる事も出来ただろうが、サンダウンはマッドの熱が誰にでも与えられる事を知ってしまっ
 ている。
  だから、マッドのその態度に、不服を感じるのだ。

 「俺を殺さずに逃げるだけってのは、俺を馬鹿にしてんのか?それとも、俺なんか眼に入ってない
  ってか?」

  押し黙ったサンダウンに、マッドは自己を無意味に卑下していく。
  だがサンダウンは、違うのだとは言ってやれない。
  マッドの問いに答えれば、必然的にマッドの態度の狭間で自惚れと不満に転び続ける己の様を吐露
  しなくてはならない。
  そしてそこから導き出されるのはサンダウンの中にある問いだ。

  何故そこまでして自分を追うのか。

  だが、訊いたら最後、多分、深みに嵌る。
  きっと、マッドは決して平等な答えなど返してこないだろう。
  いつものように気障ったらしく、けれどもこちらの神経を引っ掻くような言葉を落していく。
  そしてそれは間違っても嘘ではなく、マッドの本心だ。
  それが特別な色で染まっているかはともかくとして。
  だから押し黙って逃げるのだ。
  マッドの答えを聞かないように。
  そして、答えが永遠に失われないように。
  いつか聞く事が出来るように。

  いつものように無言で馬を走らせる。
  すると、マッドが焦ったような声を上げた。

 「っ………てめぇ!待ちやがれ!」

  慌てて追いかけてくる気配がする。
  その気配にいつも感じるのは、やはり優越感。
  しかし、次に放たれたマッドの言葉が、その浅はかな優越感を切り捨てた。

 「くそっ!いっつも逃げやがって!分かってんのか、てめぇ!てめぇを殺すのはこの俺なんだよ!」

  引き裂かれた優越感が、一瞬にして塗り替えられて、いっそう鮮やかなものに変わる。
  ああ、その先は言うな、言うな!
  いいや、言え。
  その口で、はっきりと声に出せ。
  後戻りが出来ないように。

 「誰にも渡さねぇから、覚悟しやがれ。」



 
  

 
 



  

 
 
 
 
 
TitleはB'zの『My Sad Love』から引用