サクセズ・タウンの酒場には、険呑な空気が漂っていた。
  酒場のカウンターに座る賞金稼ぎと賞金首が、一触即発の表情で睨み合っているのだ。そんな二
 人の様子を眺めやる者は、罠を仕掛けに行っているのか誰一人としておらず――いや、シャカシャ
 カとなるマラカスの音が響いているところを見ると旅芸人の一人だけが残っているようだが、彼は
 一心不乱にマラカスを振っており、賞金首と賞金稼ぎの睨み合いなど意に介していない――彼らを
 止める夾雑物は何処にもない。
  ただし、それが果たして不幸な事なのか、それとも幸運な事なのかは、しばし考える必要があっ
 た。
  何故なら、睨み合う二人の間では、賞金首が賞金稼ぎの腕をむんずと掴んでおり、その賞金稼ぎ
 の手の中には料理を一掬いしたスプーンが握られているのだ。そして、賞金首は振り解こうとする
 賞金稼ぎの腕をずりずりと引き寄せ、賞金稼ぎが持っているスプーンを自分の顔に近付けようとし
 ている。
  何をしているのか、分かるような分からないような、そんな状況だった。




  ひとさじ





  罠を探し終え、それを適当にばら撒いたマッドは、その後すぐに腹が減ったと騒ぎ始めた。クレ
 イジー・バンチを迎え撃つという緊張感漲るはずの酒場で、そんな事自分には無関係であると言わ
 んばかりに騒ぐ賞金稼ぎに、酒場のマスターはそれならばと、最近考案している新しいレシピをお
 目見えさせた。
  マスター自身、緊張感を紛らわせる為には、料理でもしておいた方が良いと思った所為もある。
 賞金稼ぎに強請られるまま、玉ねぎを薄くスライスし、軽く炙ったベーコンと玉ねぎを互いに挟み
 合い、そこに黒胡椒をぽつぽつと振り、最後にビネガーソースを絡める。
  簡単だが、ビネガーソースはマスター特製の物で、それにベーコンの炙り具合も素人ではこうも
 いくまいという絶妙の焦げ付き加減である。少しピリ辛の味付けは、酒のつまみにちょうど良い。
  ウィスキーと一緒に皿を差し出せば、マッドは、へぇと意外そうな声を上げた。

 「なかなかいいもんを作るじゃねぇか。」
 「いやいや、そんなに凝ったものは作れないよ。あり合わせの材料で作ったからね。」
 「あり合わせのもんで作れるってのは、一番良いんだぜ?」

  言いながら器用な手つきで、ベーコンと玉ねぎの折り重なりを崩さずに、マッドはそれをフォー
 クで突き刺して口の中に運ぶ。
  そして、にっこりと笑った。

 「ん、旨いな、これ。」
 「そうかい?」
 「ああ、ベーコンの表面だけがカリッと焼けてて、中身はまだ柔らかい。玉ねぎも生とは思えねぇ
  ほど甘いな。」
 「そうだろう?この玉ねぎは行商人から買ったものなんだけれど、甘味の強い玉ねぎが採れるとこ
  ろで有名な場所のものらしいんだよ。」

  久しぶりに、自分の料理を理解してくれる人間に出会えて、マスターは勢い込んで話を続ける。
  何せ、今まで自分の料理を食べてくれるものと言えば、料理の味など一向に理解しないならず者
 どもと、そんなならず者どもに蹂躙されて、料理の味が分からなくなるまで酒浸る男達くらいしか
 いなかったのだ。
  だから、ちゃんと料理の味を理解して、感想を言ってくれる賞金稼ぎに、マスターが感激するの
 も無理ない事だった。

 「どうだい、これも食べてみるかい?」
 「なんだ、それ?」

  感激のあまり、マスターは更なる新作レシピを披露していく。
  うきうきと料理を振舞いながら、久々にマスターは料理する事の楽しさを思い出していた。

  そして、酒のつまみ程度のものとは言え、五皿ほどのメニューを作り終えた時、閉じたままだっ
 たウエスタン・ドアが突然開いた。

 「仕掛けてきたよ………あっ!」

  甲高いソプラノは、マッドがスプーンで掬い上げている、ガーネットのような色をしたどろりと
 した物を見て、声を上げた。
  パチンコを仕掛け終えたばかりの少年、ビリーは、マッドが今にも口に運ぼうとしている物が何
 なのか知っていたのだ。
  それは、マスターが春の間に集めていた苺だった。その苺を砂糖で煮詰めて、ジャムにしている
 のをビリーは知っていた。けれどもそれを口にしたのは、おすそ分けという名前のもとにスプーン
 でひとさじ掬って貰ったそれっきりで、それ以降は見る事も出来なかった。
  確かに、この荒野では苺そのものが珍しい。ジャムを口に出来たのだって、本当に幸運だったの
 だろう。けれど、ビリーはまだ子供で、甘いものが食べたい盛りだ。お菓子だって幾らでも食べた
 いし、パンに苺ジャムを付けられるのなら毎日だって付けて食べたい。
  それは、乾いた荒野では無理な事だと思っていたのに。
  眼の前で、賞金稼ぎが食べているのは苺ジャムと生クリームが寄り添ったワッフルだった。

 「ずるい!僕も食べたい!」
 「こら、我儘言うんじゃない。」

  叫ぶビリーに、マスターは慌てたような声を上げる。

 「だって、苺ジャムはもうなくなったって言ってたのに、まだあるじゃない!」
 「馬鹿!苺ジャムはお客さんが来た時に出すものなんだ!」
 「生クリームだって!」
 「生クリームも貴重な物なんだ!」

  言い合う二人を、マッドはワッフルを切り分けながら見ていたが、やがて、おい、と口を挟んだ。
 そして、脹れっ面をしているビリーを手招きする。

 「ほらよ。」

  近付いてきた少年のその口元に、賞金稼ぎは銀のスプーンに掬った一欠けのワッフルと、それに
 乗った苺ジャムと生クリームを差し出す。
  突然目の前に広がった、夢のような代物に、ビリーは眼を瞬かせていたが、直ぐにその眼を輝か
 せて、差し出されたスプーンの上に乗っているワッフルを口の中に迎え入れた。

 「へへー、ありがとー。」

  マッドにワッフルを食べさせて貰ったビリーは、満面の笑みを浮かべる。それを見て、マスター
 はやれやれと首を竦め、マッドはと言えば特に何でもなかったように、再びワッフルを切り分けて
 いる。
  そんな賞金稼ぎの様子を見上げていたビリーは、ウエスタン・ドアが開いて長い影が酒場の中に
 伸びている事に気付いて声を上げた。

 「あ、おじちゃん。」

  おじちゃん呼ばわりされた賞金首は、その呼称に特に文句を言うわけでもなく、無言で三人が集
 まっているカウンターへと近付いてきた。その足音にマッドも振り返り、男がロープを持っている
 事に気付いて、口角を上げる。

 「お、何か見つけてきたのか。」
 「……………。」

  ワッフルを掬う手を止めマッドが声を掛ければ、サンダウンは無言でカウンターに、ロープと、
 何処から盗んできたのか人参を、どさりと置いた。それを見たマスターとビリーは、慌ててそれら
 を手に取り、罠を仕掛ける為に酒場から出て行く。

 「おーおー、働き者だなぁ。」

  後に残されたマッドは、呑気にそんな事を口にしながら、ワッフルをスプーンの上に乗せる。同
 じく酒場に残されたサンダウンは、賞金稼ぎの様子を横目で見やり、問い掛けた。

 「お前は何をしている………。」
 「あ?見りゃ分かるだろ?腹が減ったから、なんか作って貰ってたんだよ。」
 「……………。」

  お前も食えば、と差し出されるワッフルが乗った皿と、そこから掬い上げられたワッフルが乗っ
 ているマッドの持つスプーンを見比べる。
  その間にもマッドの手は動き、スプーンを口の中へと運ぼうとしていた。
  それを見咎め、サンダウンはマッドの腕を掴んで、マッドがワッフルを食べるのを阻止する。

 「何すんだよ。」

  食事の邪魔をされたマッドは、思わず不機嫌な声を出す。
  が、それに覆い被さるように、サンダウンも地獄の釜が茹るような声で言った。

 「私にも、寄こせ。」
 「ああ?だから食えばいいだろ。そう言ってんじゃねぇか。」

  さっき差し出したばかりの皿を、マッドはもう一度サンダウンの方へと押しやる。が、サンダウ
 ンはそれを無視して、スプーンを持っているマッドの腕を引き寄せようとする。ぐいぐいと腕を引
 っ張る男に、マッドも反射的に抵抗する。
  しまいには、両腕でマッドの腕を掴んで引き寄せようとするサンダウンに、マッドもスプーンを
 持っていないほうの腕を使って応戦する。
  ふぎぎぎぎ、という声が聞こえそうな睨み合いと、腕の引っ張り合い。
  その末に、サンダウンが吐き捨てるように言った。

 「…………ビリーには、していただろう。」
 「ああ?!」

  何の事か分からずに問い返せば、サンダウンは答えずにマッドが握るスプーンを自分の顔――と
 いうか、口元に近付けようとしている。その瞬間に、何が言いたいのか理解した。

 「いい年こいて、なに頭沸いた事ぬかしてんだ、おっさん!」
 「ビリーには、していただろう。」
 「あれは子供だろうが!」
 「だったら子供でかまわん。」
 「あんたみたいな髭面のガキがいて堪るか!」

  つまり、『あーん』と口を開いたところに、スプーンで掬ったワッフルを入れて食べさせて欲し
 いと言っているのだ、このおっさん。
  目眩がしそうなその欲求に、マッドは辛うじて怒鳴り声を上げる事で耐える。すると、何故か傷
 ついたような表情をされた。精神的に傷ついているのは、むしろマッドのほうだ。
  が、長年賞金首として荒野を生き抜いてきた図太いおっさんは、駄々を捏ねる事を止めない。

 「どうして私は駄目なんだ。」

  と、遂にはわけのわからない事を言い始めた。もはや何処から突っ込んで良いのか分からない。
  しかも、カウンターにのの字を書いて、本格的にいじけた。
  頭痛しか込み上げない、長年追いかけている賞金首の醜態に、本気で追いかけるのを止めようか
 とマッドは考え込んだ。が、そんな事をしたら、今度は何が起こるか分からない。
  変な物を追い掛けてしまった、と思っても、もはやそれは遅すぎる。
  マッドは溜め息を吐いて、隣でいじけているおっさんを視線だけ動かして見やって、やはり溜め
 息を吐いた。

 「分かったよ。食わせてやれば良いんだろ、食わせてやれば。」

  食わせてやるまで、きっとクレイジー・バンチが来てもこうしていじけていると思い、マッドは
 諦めたように告げた。
  その瞬間、先程までいじけていたのが嘘のように、サンダウンは素早く立ち直ってマッドに向き
 直る。その変わり身の早さに、マッドは乾いた笑いを零しそうになった。
  しかもこのおっさん、餌を待つ雛鳥宜しく、ご丁寧に口まで開けている。 

 「ほらよ…………。」

  掬ったワッフルをスプーンで口の中に押し込めてやると、はむっと髭に覆われた口が、それを閉
 じ込める。

 「………旨い。」
 「そりゃ、良かったな。」

  サンダウンの感想に気のない返事をしていると、それが気に食わなかったのか、サンダウンがべ
 っとりとひっついてくる。

 「マッド。」
 「もう、やらねぇぞ。」
 「私も、お前に食わせてやりたいんだが。」
 「いらねぇ。」
 「…………。」

  すげなく断ると、サンダウンは諦めたのかマッドがら身を離し、マッドが切り分けたワッフルを
 もそもそと自分で食べ始めた。
  その様子に、マッドは何度目とも分からない溜め息を吐く。
  その瞬間。

 「……………!?」

  突然、ぐいっと引き寄せられた。その瞬間に視界一杯に広がる青い双眸と、口に当たる髭の感触。
 そして、口の中に押し込められる、何か甘ったるい物。
  それが、たった今、サンダウンが口にもそもそと詰め込んでいたワッフルだと気付いたマッドの
 耳には、シャカシャカとなるマラカスの音が鳴り響いていた。