男は、まだあどけなさの残る少年と言っても過言ではないような、しかしにも拘らず、ならず者
 と紙一重の生き方をする事を決めた青年を連れて、夜のサルーンを歩いていた。
  青年の淡い金髪は夕闇の中でぼんやりと輝いているようで、その様に数人の若い娼婦達が振り返
 る。だが、年嵩の酸いも甘いも噛み分けた娼婦達は、口を真一文字に引き締めた青年を見ると、何
 処となく馬鹿にしたような表情を浮かべて、別の男達を物色し始めた。それは、青年が新米であり、
 この世界では、一人では何も出来ない赤ん坊でしかない事を暗に示しているのだ。 
  しかし、顔を強張らせたように引き締めている青年には、女達の婀娜っぽい視線など気付きもし
 ない。彼は、今からこの世界の王の前に引き摺りだされるのだ。それは青年自身が焦がれるように
 望んだ事でもある。
  だが、青年をその場に連れていく壮年の男としては、それは酷く浮かない物事のように思えてな
 らなかった。
  しかしこの世界に入った以上、一度は王の前に顔を出したほうが良いであろう事は分かっていた
 し、遠かれ近かれ、何処かで顔を会わせる事もあるかもしれないと考えれば、せめて自分の眼の前
 で、引き合わせておいたほうが良かろうと思ったのだ。
  王と顔を会わせる事が、例え、太陽神の前に行き、そして身に余る仕事を引き受けて散ったパエ
 トーンのようになる結末を産むのだとしても。




  パエトーン

 

  


  乾いた砂と青味の強い空が支配するアメリカ西部の荒野において、実質、王者として君臨してい
 る者の前に引き出されたパエトーンは、西部の空よりもずっと淡い眼で王者を見た。いや、睨みつ
 けたと言った方が正しい。
  その表情に引き合わせた男は、無知なる人間に火を与えてしまったプロメテウスの心境になる。
  そんな二人を睥睨する賞金稼ぎの王は、優雅に長い脚を組み、頬杖をついて葉巻を燻らせている。
 常よりも眼を細めて鋭い輝きを放っているものだから、初めて彼を見た者は彼の機嫌が悪いのでは
 ないかと思うかもしれない。
  だが、何の事はない。
  単に彼は眠いだけのだ。
  夜のサルーンは騒がしいが、眠そうな王者を気遣ってか娼婦達は他の客の喧騒を閉めだし、娼婦
 達自身も呼ばれなければやってこない。その為、その周辺だけまるで切り取ったかのような別世界
 になっている。彼の眠気を妨げようなんていう愚か者は、何も知らないパエトーンくらいしかいな
 いのだ。
  或いは。
  眠そうにしている王者を見やり、プロメテウスは喧騒が繰り広げられているであろう、窓硝子の
 向こうにある夜のサルーンを見る。サルーンの路地裏から、賞金首でも出てこない限り、王者の眠
 気は払えないだろう。それも、とびきり格上の、それこそ西部の荒野の化身のような賞金首でもや
 ってこない限りは。

 「あんたが、マッド・ドッグか。」

  逸れていたプロメテウスの意識は、耳に飛び込んできたパエトーンの不遜な台詞で一気に現実に
 戻って来る。
  プロメテウスは、王者に対する言葉遣いを改めさせるか否かを一瞬考えた。確かに眼の前に君臨
 しているのは王者なのだが、しかし所詮は賞金稼ぎなのだ。わざわざ言葉遣いを考えるような立場
 では、お互いに無い。
  そんな逡巡は、王者の眠たげな視線と声で切り落とされた。

 「ああ、そうだぜ。」

  眠たげな眼で不遜なパエトーンを見た西部一の賞金稼ぎマッド・ドッグは、微かな南部訛りのあ
 る、しかし明瞭な発音で答えた。
  ゆらゆらとオレンジの光が揺れる、臙脂色のクッションに凭れた王者を見たパエトーンは、小さ
 く鼻先で笑った。

 「ふぅん……思ってたほど大した様じゃねぇな。」
 「そりゃどうも。」

    気の荒い男共なら、パエトーンの台詞にいきり立ってもおかしくないだろう。そしてそのまま、
 殴る蹴るの暴行を受けたとしてもおかしくないのだ。
  しかし、マッドは表情一つ変えなかった。
  賞金稼ぎマッド・ドッグといえば、気が短いと言われいてる。だから、この反応はパエトーンに
 は拍子抜けだったのかもしれない。しかし、実際のマッドは癇癪玉気質のように見えて、その実は
 冷徹そのものであったりするのだ。
  そんな事を知らないパエトーンは、大した反応を見せないマッドに、更に馬鹿にしたような表情
 を浮かべる。

 「なんだ、反論も碌にできねぇのか。南部出身の貴族様じゃあ、所詮そんなもんなのかもしれねぇ
  な。」

  はっきりと、マッドの出自を揶揄するような台詞だった。マッドが出自に触れられる事をそれほ
 ど好んでいない事を知って言っているのか。
  だが、眠たげなマッドはちらりとパエトーンを見ただけで、さほどの興味を浮かべたりはしなか
 った。
  そんなマッドを良い事に、パエトーンは更に大口を叩く。

 「だが、この際はっきり言っといてやる。お前らみたいな貧弱な貴族出身に、俺達荒野育ちが負け
  るわけねぇんだ。それだけは覚えとけよ。」

     言うなり、パエトーンはまだ細い背中を王者に向けて、足音だけは声高く酒場を出ていく。その
 様子に、王者の様子を窺い見ていた娼婦達が何事かと顔を上げて、こちらを見た。
  パエトーンの不躾極まりない態度に、やはりこうなったかと思いつつもプロメテウスは若干の気
 まずさを感じていた。しかしその気まずさが恐怖にすり替わるのに、そう時間は掛からなかった。

 「なんで、あんなガキ連れてきた?」

  低い声が、アルコールと葉巻の香りを伴ってプロメテウスを打った。ぎくりとして声の主を見れ
 ば、けれどもマッドの表情に怒りらしきものは浮かんでいない。

 「まあ、てめぇがあれの面倒を見るっていうのは別にてめぇの勝手だから好きにしたら良いけどよ。」

  臙脂色のクッションに身体を預けた王は、プロメテウスをゆったりとした眼で見る。

 「あんなのを、賞金稼ぎなんかにしてどうするつもりだ。」
 「あいつがなりたいと言った。だから、俺はそうなる為に必要な事をしてやっただけだ。」

  溜め息を吐いてマッドに向き直れば、マッドは眠たげな眼をしてプロメテウスに相対した。しか
 し、それほど眠たげであっても、その覇気は王者そのものだ。プロメテウスはその眼に促されるま
 まに話す。

 「あいつはこの荒野で生まれて荒野で育った。その一方で、荒野以外からやってきた連中、特にイ
  ギリス本国から来た連中には馬鹿にされてきた。」
 「だから、あんなふうな態度を取るんだろうってか?そうと分かってて、俺の前に連れてきたのか?」
 「……あいつがお前を見たがっていた。それに、どうせ賞金稼ぎとして生きるのなら、お前には必
  ず会うだろう。それに、あいつはお前にあんな口を叩いたが、お前自身を嫌悪してるわけじゃな
  い。何せ、あいつは別の男に敵愾心を持っているからな。」
 「へぇ……この俺を差し置いて?何処の誰だ、そりゃあ。」

  興味があるような言葉ではあるが、しかしマッドの口調はつまらなさそうだ。実際に小さく欠伸
 をしている。それでもプロメテウスは答えた。

 「ナインハルトだ。」
 「しらねぇな、そんな大層な名前の男は。」
 「そうだろうな。」

  マッドは興味のない事には基本的に食指を動かさない。もしもナインハルトが悪辣な賞金稼ぎで
 あるならば、マッドも知っていただろうが、ナインハルトはその逆。むしろ無血での捕縛を心がけ
 るような、所謂『良い子』である。
  そんな男は『嘆きの砦』たるマッドの歯牙には引っ掛からない。引っ掛かる時は、無血を振り翳
 し過ぎてマッドの逆鱗に触れる時くらいだろう。
  だが、マッドは知らなくとも腕の良い賞金稼ぎとして、他の賞金稼ぎの耳にその名は残っている。
 たびたび浮上する事のある王者の交替の噂に、時期王者候補として名前が上がるほどに。

 「ナインハルトは正真正銘の貴族だった男だ。あいつにとっては眼の仇のようなものだ。」
 「俺は?俺の事も貴族だとか抜かしてやがったが。」
 「……お前が貴族である証拠は何処にもない。」

  マッドが貴族であった事は、おそらく間違いがない。立ち振舞い、その声音、全てがはっきりと
 貴族たる事を示している。しかし当のマッドから貴族である証拠となる品が出てきた事はなく、マ
 ッドの口からも貴族らしき名前が出てきた事はないのだ。 
  それ故、この荒野においてマッドの出自は、状況証拠しかないが故に、不明のままとされている
 のだ。そんなあやふやな存在を眼の仇にしても仕方がないというものだ。
  一方でナインハルトはしっかりと自らの出自を明白にしているし、貴族であった頃の品を今でも
 身に付けている。だからこそ、攻撃しやすいのだ。

 「ま、どうでもいいさ。」

  マッドは、そんな下々の遣り取りを、面倒臭そうに一蹴した。

 「でもよ、てめぇ、あいつを賞金稼ぎに引き入れたんなら、最後まで面倒みろよ。」

  あんな子供に、銃なんてものを持たせてしまったのだから。

 「破滅する時まで、見届けろよ?」