朝、眼が覚めると少し空気がひんやりしていた。
  眼を閉じたまま、冷たい空気に顔を顰め、傍にいるはずの温もりを引き寄せようと腕を動かす。
 が、動かした手はひんやりとしたシーツの上を虚しく引っ掻いただけで、お目当ての温もりは何処
 にもなかった。
  むぅ、とその現実に呻いて眼を開くと、やはりベッドの上には自分以外の誰もいないという現実
 が広がっていた。ぺたぺたと何度シーツの上を触っても、そこは冷たいだけで、何の返事もない。
  冷え切ったシーツは、昨日の晩、確かに連れ込んだはずの青年が自分の腕の中から抜け出してか
 ら随分と時間が経っている事を告げている。
  一体いつの間に。
  サンダウンはその事実に気付いて、眉間の皺をより一層深くする。普段なら、腕の中から抜け出
 そうとしたら眠っていても気付いてすぐに引き寄せるのに、何故今日に限ってそれが出来なかった
 のか。もしや、昨日の晩ご飯に睡眠薬が。

 「おい、キッド。」

  サンダウンの思考が昨日の晩ご飯についての疑念に向かい始めた時、サンダウンが先程までベッ
 ドの上に求めていた姿が、扉を開いてやってきた。
  求めていた姿を見るなり、サンダウンは疑問をぶつける。

 「……お前は、昨日の私の食事に薬でも入れたのか?」
 「……眼が覚めて開口一番、何の話をしてんだ、てめぇは。」

  前後の遣り取りが全く分からないマッドは、サンダウンの台詞に一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに
 気を取り直して、昼近くまで寝ていた男に命じる。

 「それよりも、あんた、キャベツ買ってこいよ。」




  Cabbage Roll






 「キャベツ………。」

  唐突にマッドの口から出てきた言葉を、サンダウンは復唱する。そして首を傾げる。
  キャベツとは、やはりあのキャベツの事だろう。人間の頭の半分くらいの大きさで、葉が何重に
 も重なって丸くなっている、緑色の植物の事を言っているのだろう。
  だが、何故急にキャベツの事を口にするのか。

    「てめぇが食いたいって言ったんだろうが。」

  サンダウンの疑問を読み取ったように、マッドは腰に手をあてたまま答える。
  しかし、サンダウンは首を傾げ続ける。
  サンダウンは、キャベツが食べたいなどと言った記憶はない。眠っている間にマッドが腕の中か
 ら抜け出した事に気付かなかった事といい、昨夜、自分の身に何かあったのだろうか。誰かが自分
 になりすましてキャベツの事を口にしたのか、それとも単に酔っていて覚えていないのか。
  ぶつぶつと考え込んでいるサンダウンを、けれどもマッドはあっさりと無視する。

 「他の材料はあるんだけどよ、キャベツだけがねぇんだよ。てめぇが食いたいって言ったんだから
  てめぇがどうにかしろよ。」

  その間に俺は他のもんを準備しとくから。

  そう言い放つマッドの言葉を喉の奥で反芻したサンダウンは、いつ自分がキャベツを食べたいと
 言ったのかという疑問をあっさりと忘れた。サンダウンの中には、とりあえずマッドがサンダウン
 の為に、サンダウンが食べたいと口にしたキャベツを料理してくれるのだという現実だけが取り残
 されている。
  これまでも、マッドがサンダウンの食事を作った事は何度でもある。その始まりがなんであった
 のかサンダウンは良く覚えていないし、覚えていたとしてもどうせ施しか何かが始まりであろうか
 ら、別に詳しく覚えている必要はない。とにかく、何処かで始まって、サンダウンは今でもマッド
 の手料理を食べる地位に居座り続けているのだ。
  けれど、その間、サンダウンはマッドに料理のリクエストをした事はほとんどない。基本的にサ
 ンダウンは出された物は食べるし、ましてそれがマッドの作ったものであるならば尚更だった。マ
 ッドに『お前の作った料理が食べたい』と強請る事はあっても、具体的な料理名を口にした事はな
 い。
  それはもしかしたら、仮にリクエストをしたとしてもマッドが拒んだ時の胸の痛みを、無意識に
 回避した結果であるのかもしれない。そう思えば、記憶にないキャベツのリクエストは、抑圧され
 たサンダウンの希望が知らぬ間に零れたものと言える。

 「ぼーっとしてねぇで、さっさと行ってこいよ。日が暮れるまでにキャベツ持ってこねぇと承知し
  ねぇぞ。」
 「……朝ご飯は。」

  何も食べずにキャベツを探しに行くのは体力的に無理がある。流石にその事に気付いたサンダウ
 ンは、あきらかに食いっぱぐれた朝ご飯を、念の為に聞いてみた。

 「朝飯っつーか、もう昼飯なんだがな。」

  寝坊したサンダウンに対して、マッドの声は冷ややかだった。が、くるりとサンダウンに背を向
 けたマッドは、その態度ほどには冷たい人間ではなかった。 

 「台所に昨日の残りのシチューがあるから、それでも食ってけよ。」

  マッドの言葉に、サンダウンはようやく動き出すとともに、そう言えば昨日はシチューだったと
 思い出す。
  いそいそと身支度を整え――と言ってもポンチョを羽織って、銃を腰に帯びるだけなのだが――
 台所に出ると、挽き肉を保管庫から取り出していたマッドが、顔を顰めた。

 「てめぇ、その髭のままで出ていくつもりか。」

  分けが分からないという表情をしていると、マッドの白い手が伸びてきて、サンダウンの髭をぴ
 んと弾いた。どうやら寝癖になっているらしい。  

 「髭を整えろ。顔ぐらい洗え。ついでに歯も磨け。」 

  髭の寝癖から、一瞬で無精を見抜かれたサンダウンは、すごすごと洗面所へと向かった。
  そして、マッドに言われた一通りの事をしてから、もう一度台所に戻った。そこでは、マッドが
 先程取り出した挽き肉をボウルに移しているところだった。
  黒いエプロンを付けた賞金稼ぎの姿をちらりと見てから、サンダウンはテーブルの上に温められ
 たシチューがあるのを見つけ、もそもそとそれを啜り始める。それらを全部胃の中に収めて、流し
 に皿を戻してから、もう一度マッドを見る。が、マッドはこれから玉葱と格闘するつもりらしく、
 サンダウンには些かの注意も向けなかった。

 「………行ってくる。」

  ぼそっと告げた声に、期待をしたわけではなかったが、やはり『行ってらっしゃい』どころか何
 の言葉も帰って来なかった。





  ところで、何故キャベツなのだろう。

  近場の街の市場でキャベツを見つけて、馬の背中に括りつけたあたりで、サンダウンは肝心の事
 を思い出す。
  マッドが腕の中から抜け出す気配に気づかなかった事も鑑みるに、恐らく昨夜の自分は酔ってい
 たのだ。確かに、夕飯の記憶も微妙に抜け落ちているし、マッドをベッドに引き摺りこんだ後の事
 も、覚えていない。酔った勢いで色々したのか、或いは酔ってそのまま寝てしまったのか。普段な
 らアルコールで記憶が飛ぶ事などないのだが、疲れが溜まっていたのか、それとも居心地の良い場
 所に包まれて気が抜けたのか、もしくは歳の所為か。
  まあ、閨での云々はいつでも取り返す事が出来るから良いとして、それよりも自分は何故キャベ
 ツなんぞを強請ったのだろう。

  せっかくマッドにリクエストをするんなら、別にキャベツでなくとも良いはずだ。何故。キャベ
 ツなんていう、生でも食べられそうなものにしたのか。もしもこれで、普通にキャベツの千切りと
 かが出されたら、普通に泣ける。
  いや、挽き肉やら玉葱を準備していたから、それはないだろう。だが、ハンバーグの添え物とし
 てキャベツの千切りが出てきて、自分だけハンバーグなしでキャベツの千切りのみという事も、考
 えようと思えば考えられる。
  マッドに色々と負担を掛けている自覚が薄っすらとある為、サンダウンはキャベツの千切りが出
 てくる不安を拭いきれない。
  そうなると、自分が何を言ったのか覚えていない事が、今更ながら悔やまれる。一体、自分はマ
 ッドにキャベツの何をリクエストしたのか。
  しかし記憶に残っていないリクエスト内容を思い出せるはずもなく。サンダウンはキャベツを二
 玉抱え、マッドの待つ小屋へと戻った。





 「遅ぇ………。」
 「すまん……。」

  小屋に戻ると、不機嫌なマッドの出迎えにあった。

 「俺のほうはもう準備できたってのに、あんたはキャベツ探すのに一体何処まで行ってたんだ。」
 「街まで………。」

  ぼそぼそと答えると、マッドは疑わしげにサンダウンを見る。どうやら何処かで油を売っていた
 のではないかと疑っているらしい。それに反論しても無駄である事をサンダウンは良く知っている
 為、代わりに手に入れたキャベツ二玉を差し出す。

 「ふん………。」

  マッドはサンダウンからキャベツを受け取ると、それをすぐに台所に運び、一枚一枚丁寧に剥い
 でいく。剥がされたキャベツは水で丁寧に洗われて、その後、熱湯の中に放り込まれた。

  何をするつもりだ。

  とりあえず千切りではなさそうな事に安堵しつつ、サンダウンはそれでも不安げに台所を覗き込
 む。そこには丸く捏ねられた挽き肉の塊が幾つか転がっている。ハンバーグ、と言うには、俵状過
 ぎるそれを、サンダウンが訝しんでいると、茹で上げられたキャベツは水で冷やされ、水切りした
 後、挽き肉の塊を包んでいく。
  マッドが器用に挽き肉をキャベツで包み、それを準備していた鍋の中に敷き詰めていく。全てが
 鍋の中に敷き詰められた後、マッドは火を掛けた。

 「それで………。」

  後は火を通すだけとなって、ようやく手を止めたマッドにサンダウンは意を決して問い掛けた。

 「……お前は何を作っているんだ?」

  途端に、マッドの米神に青筋が浮かんだ気がした。マッドが物凄い勢いと剣幕で振り返り、怒鳴
 り散らす。

 「てめぇが食いたいって駄々捏ねたくせに、何ぬかしてやがるんだ!それともてめぇの世界のロー
  ルキャベツは、これじゃねぇってのか!」

  ロールキャベツ。

  マッドの口から齎された言葉に、サンダウンは薄っすらと昨日の記憶を思い出した。
  昨日は寒かった。だからマッドはシチューを作った。そしてシチューは身体も温まるし栄養も取
 りやすいとか話したような気がする。そしてその流れで、ロールキャベツも身体は温まるな、とか
 言ったような気がする。いや、言った。

    ようやく自分のリクエストを思い出したサンダウンの鼻腔に、トマトの濃厚な匂いが漂ってきた。