結局のところ、シカゴにO.ディオは現れなかった。拍子抜けしたような気分ではあったが、そも
そもシカゴに現れるという確証など何処にもなかったのだから、まあ残当な結果ではある。もしかし
たら、この世界にはO.ディオ自体がいないのかもしれない。
 マッドは『今』は随分と大人しいゴールドの馬上で、このまま何事もないまま、世界は回り続ける
のかな、と思った。それはそれで構いはしない。そしてその場合、マッドがサンダウンのいる街を拠
点にする必要もない。
 サンダウンの街には、アニーとマスター、保安官とビリーという『前』と同じピースが当てはまっ
ているが、彼らも随分と違ってきている。いや、大体にしてサンダウンが賞金首になっていない時点
で全てが違うのだ。マッドのサンダウンは、この世界にはいない。
 街に戻って、何ら変わりのない酒場の片隅で、もきゅもきゅとベーコンに巻かれたチーズを頬張っ
ていると、珍しい事にサンダウンがやって来た。あの男も酒場に来るのか、と思ってマッドは腹の中
で笑う。サンダウンだって、そりゃあ酒場くらい来るだろう。『前』のサンダウンはそうだった。け
れども、そう、『今』のサンダウンが酒場にやって来るところを、マッドは今の今まで見た事がなか
った。それだけ、マッドの中では『今』と『前』のサンダウンに大きな隔たりがある。
 サンダウンはマッドを見つけると、ウェイトレスも何もかもを無視して、ずかずかとこちらに寄っ
てきた。胸で、きらりと銀の星が光り、マッドはそれを眩しそうに見つける。

「随分と長い間見かけなかったが。」
「へぇ、何?心配でもしてくれてたのか?」

 うっそりと笑ってみせると、サンダウンの頬が微かに強張った。『前』よりも随分と分かりやすい
反応をするのは、荒野を彷徨わなかったからか。

「………お前の言っていたクレイジー・バンチとやらだが。」
「まあ、座れよ。あんたみたいな図体のでかいのが突っ立ってると、邪魔にしかならねぇ。」

 くるくると手の中でグラスを弄びながら目の前の席を指し示すと、サンダウンは少し何かを躊躇っ
た後、それでも椅子に座った。

「んで?クレイジー・バンチについてなんかわかったのか?」
「ああ………クレイジー・バンチなんてならず者は、存在していない。いや、つい先週まで、存在し
ていなかった。」
「つまり、今は存在している?」
「………先週、お前がいない間に、それぞれの街の保安官に向けて通告があった。最近、徒党を組ん
で街を荒らしているならず者がいる、と。」
「前置きはいらねぇ。そいつらがクレイジー・バンチか。そいつらのリーダーは?」
「そこまでは、分かっていない、が。」

 マッド、と低い声が耳朶を打つ。マッドを覗き込む眼は青。
 それを聞いて、それを見て、マッドは喉の奥で笑いを殺す。マッドに何かを願うのなら、もっと渇
き切った声で、もっと強い青味で、請うべきだ。荒野のように。

「お前は、何故、クレイジー・バンチの事を知っている?」

 こちらを窺うような、場合によってはマッドを捕縛する事を匂わせている声。サンダウンにしてみ
れば、今までいなかったならず者の徒党について、マッドが以前から知っているというのは、疑惑を
浮かべるには十分なのだろう。

「あんたに、撃ち殺されたことがあるからさ。」
「何を言っている……。」

 焦れたようにこちらを見るサンダウンは、小奇麗だ。髪も髭も、整えられている。保安官として矯
正されているかのよう。

「お前は前々から、そういう事を言っていたな。これから先の事を知っているかのようにいえば、ま
るで何もかもが起きてしまったかのようにも言う。お前は、何を知っている。」
「俺が知っているのは、クレイジー・バンチっていうならず者連中がサクセズ・タウンを襲って、そ
のならず者のリーダーがO.ディオっていう事だけだ。O.ディオは第七騎兵隊が参加したリトル・
ビッグホーンの戦いで生き残った馬で、そいつを倒した後、賞金首になってたあんたは俺を殺すんだ。」

 一気に言ってやると、サンダウンの眼が酷く泳いでいた。

「……正気で言っているのか?」
「さて、俺は自分の正気と狂気を切り分けた事がないから、なんとも。」
「私は賞金首じゃない。」
「あんたの銃の腕を聞いたならず者やらなんやらが、決闘を申し込みにやってきて、あんたはそれで
街が荒れるのを恐れて、自分で自分の首に賞金を懸けたのさ。」
「サクセズ・タウンという街は………。」
「もう、なくなったな。あるのは街の抜け殻だけだ。」
「言っている事がおかしいぞ。」
「そうさ、俺の知っている世界とは、もうだいぶん違ってきている。あんたが保安官のままな所為か、
どうかは知らねぇけどな。」
「お前は、私に殺されるつもりか?」

 最後の問いかけに、マッドは黙ってグラスに口をつける。琥珀色の、バーボンウィスキー。それで
唇と喉を微かに湿らせて、マッドはサンダウンを見た。マッドのサンダウンとは、大きく隔たったサ
ンダウンを。

「あんたに殺されるつもりはねぇよ。だって、あんたは、俺を殺したサンダウンじゃあないんだから。」

 もしも、『今』のサンダウンが、マッドのサンダウンと重なることがあるならば、殺されても良い
と思うかもしれない。けれども、そういうことがこの先あるのかと言われれば、可能性は低い。そも
そも、サンダウンと決闘をするなんてことがあるのか。

「………そうか。」
「もういいのか?」

 立ち上がるサンダウンに声を掛ければ、サンダウンは小さく頷いた。」

「お前が、自殺願望者ではないということが、わかったからな………。」
「俺は別に死にたがりじゃねぇよ。」
「私に殺されるとか言っていただろう。
「あんたじゃない。」

 きっぱりと言い切る。一瞬たじろいだサンダウンを見据えて、はっきりと言ってやる。

「あんたじゃない。」