マッドはソーセージを齧りながら、シカゴの街並みをゴールドを引き連れて歩いていた。数年前の
大火――原因は分かっていないが、後にシカゴ大火と呼ばれる大火によって、シカゴの街は廃墟と化
していた。しかし、それでも人間と言うのはたくましいもので、シカゴの新都市計画が進められたの
はこの大火が起因している。木造建築は禁止され、煉瓦や鉄筋による建築が推奨され、建築家達がこ
ぞってこの市場にやってきた。
 煉瓦を運ぶ二台やら、鉄錆びた臭いが行き来する道をマッドは歩きながら、復興を推し進めている
シカゴの建物を見回し、するりと手を擦った。ふっと溜め息を吐けば息は白い。
 それもそのはず、今は十二月も末。本来ならばクリスマス期間で、このシカゴもクリスマスツリー
がそこかしこに飾られていたはずなのだ。大火から大分月日がたったとはいえ、未だに家のない人
々は多く、ほぼ焼け落ちてしまった公共建造物もまだ完全には再建していない。
 ただ、再建中の建物の片隅に小さな飾りがあるのを見ると、それでもクリスマスを祝おうとしてい
るのだろう。
 マッドはコートの前を合わせ、視線を工事中の街並みの上に落とす。資材に凭れるようにして休憩
している労働者達が怪訝そうにこちらを見るが、マッドはそれを無視する。マッドは自分がどんなふ
うに視られるか重々承知している。バントラインをこれ見よがしに腰にぶら下げていれば周囲からの
警戒は増すばかりだろうが、今はコートでバントラインは隠れている。となると、後はマッドの見た
目だけの問題である。
 シカゴは焼け落ちたとはいえ、もともとは物流や商業の中心地。成り上がりの金持ちどもは大勢い
る街だ。
 再建中の通りを、端正で身なりの良い男が歩いていれば、どこぞの建築家に建物を頼んだ商人か貴
族が、工事の進み具合を見に来たと見えなくもない。
 少なくとも、屯する労働者達はマッドをそうだと思ったらしく、すぐに視線を逸らし、休憩の合間
の葉巻をじっくりと楽しみ始めた。
 そんな労働者を横目に、マッドは新しく建てられた軍の施設に向かう。別に軍人に用があるわけで
はない――いや、一応用があると言って良いのか。マッドがシカゴで調べようとしているのは、かつ
てリトルビックホーンの戦いに参加して生き延びた男の一人なのだから。その男が、来月の一月に査
問会議にかけられるのだ。酔っ払い行為や不貞などの軍人としてあるまじき行為を咎められて。その
軍人としてあるまじき行為の中に、リトルビックホーンでカスター将軍の救援に向かわなかった、と
いうものがある。
 あの戦いを生き延びた男。そして汚名を着せられようとしている男。
 この周辺に、O.ディオはいるだろうか。現れるだろうか。『前』は生き残りの馬が恨みを背負った
が、『今』は。あの生き残った男に背負わせるつもりだろうか。
 マッドは、何処かで査問会議を執り行うであろう施設を見やる。如何にマッドとはいえ、軍の施設
に入り込むわけにはいかない。査問会議にかけられようとしている男に逢いに行く事も出来ないだろ
う。そもそも逢ったところで、それがO.ディオに連なる者かどうか分からない。
 ぶるり、と背後でコールドが首を震わせた。答えを出しあぐねているマッドに、まるで焦れたかの
ような愛馬の態度に、マッドは薄く苦笑を浮かべた。
 軍に収容されている以上、マッドには手を出しようがない。かといって、何も確かめずに放ってお
くわけにもいかない。

「しばらく、この街で様子を見るか。」

 あの男とてずっと軍に収容されているわけではないのだから。必ず、どこかで出入りはするはずだ。
その時を待ち、確認すればいい。

「帰りは二月になりそうだな。」

 呟いて、マッドは少し顔を顰める。査問会議が終わってあの男が問題ないと判じるまで。果たして
二月までに終わるだろうか。いや、時間がかかるのは仕方がないにしても。サンダウンのほうは、大
丈夫だろうか。
 サンダウンが保安官を辞める原因となった、ならず者連中については決着が着いていると言ってい
い。あの街にはマッドの知り合いの賞金稼ぎが入れ代わり立ち代わりいて、ならず者連中が騒げば、
すぐに制圧されるだろう。サンダウンが保安官を辞める原因は、今のところは見当たらない。そして
O.ディオが現れたサクセズ・タウンは砂に埋もれた。
 けれども、サクセズ・タウンにいたマスターとアニー、保安官とビリーはあの街にやって来た。彼
らが『前』のように、サンダウンに何かを期待することはなさそうだ。期待をしなくてはいけないほ
ど、追い詰められてはいないからだ。が、いつ何がふらりと舞い降りて、そこかしこを追いかけて追
い詰めて、サンダウンに期待をかけるか分からない。
 マッドがあの街に戻るまで、少なくとも二月まで。あの街は何事もなく、今まで通りの喧騒と平穏
の綱渡りをやり遂げる事が出来るだろうか。

「………考えても仕方ねぇか。」

 マッドは、『前』と選択を一つ変えた。あの時、『前』と同じようにコロラド川を根城にしている
強盗共を撃ち殺していれば、世界は『前』と同じ道を辿っていたかもしれない。しかしマッドは強盗
共の手配書を無視して、サンダウンが保安官を務めている街に向かった。その途中、サンダウンに決
闘を申し込もうとしているならず者を何人か撃ち殺した。
 あの時、マッドは撃ち殺した相手を変えただけ。それで世界は変わった。もしかしたら、マッドに
はこれ以上何かを変える事は出来ないのかもしれない。後は、サンダウンが。

「………あのおっさんに任せるってのも癪だけどな。」

 だが、戻るまではそこに懸けるしかない。
 マッドはゴールドを連れて、長期滞在できそうなホテルを探し始めた。そういえば、とふと思う。
クリスマスは、此処で一人で過ごす事になるのか、と。クリスマスも、新しい年の始まりも。思って
いると、ふるりとゴールドが鼻先を擦りつけてきた。その仕草に笑う。
 ああ、そうだな。

「お前がいるか。」

 呟いて、サンダウンはどうするのだろう、と思う。家族もいなさそうだった、あの保安官は。いつ
もどうしていたのか。マッドが少なくとも二ヵ月近くは現れなければ、どう思うか。どこかで野垂れ
死んだとでも思うか。マッドが死んだらどう思うか。殺した時、どう思ったのか。
 いや違う、とマッドは頭を一つ振る。
 マッドのサンダウンと、『今』のサンダウンは別だ。『今』のサンダウンは、自分がマッドを殺す
事など微塵も考えていない。乾いていないサンダウンでは、マッドを殺す事なんて出来るわけがない。
 何処からともなく、風鳴りが聞こえた。サクセズ・タウンの物寂し気な隙間風を思い出す。夜露だ
けが世界を潤したあの夜、それでもあの男は渇き切っていた。クリスマスも年の始めも夜明けも関係
なく。荒野の風を人型に流し込んで固めて出来たような男だった。
 あの、荒野の化身のような姿は、この世界の何処にもいない。

「…………マッド。」

 声が聞こえた気がしたが、気のせいだ。むしろ、まだ声を覚えていたのか、と少し驚いた。
 低い低い、薄暗い世界を這いずり回るようなあの声は、もう聴く事はないだろう。マッドが何処か
で死んだなら、今度こそ地獄の門を潜ったなら、もう一度聞くことが叶うかもしれないが。だがそれ
も、まだ先の事だ。
 あの、荒野の化身のような姿を見つけるのは、まだまだ先の事だ。マッドは、そのつもりだ。