「新鮮なチーズと、それと出来立てのソーセージが入ってるよ。酒の肴にどうかね?」
「酒も、イギリスのほうから良いウィスキーが届いたってさ!」
「こっちのバーボンやテキーラもあるが、どうするかね。」

 すっかりこの街に馴染んだマスターとアニーが、マッドが酒場に入るなり寄ってきて、売り子を始
める。マスターはこの街ではマスターではなくウェィターだが、ややこしいのでマッドは頭の中では
マスターと呼んでいる。
 二人をぶら下げたままカウンター席に向かい、カウンターの中でグラスを磨いているこの店の本物
のマスターに葉巻を差し出す。

「とりあえずは、この葉巻と同じものを、くれ。」

 酒場は酒と飯だけを提供するわけではない。何もない荒野で、唯一の娯楽場なのだ。葉巻もあれば、
片隅ではポーカーやら賭け事に乗じることだってできる。
 マッドが差し出した葉巻をちらりと見て、本物のマスターは無言でカウンターの下を探り始めた。
同じ銘柄のものがあるらしい。稀に、別の安物で誤魔化そうとする輩もいるが、此処ではそんな事は
流石にないだろう。
 ひょいと後ろからアニーがマッドの手元を覗き込んで、肩を竦めた。葉巻については詳しくないら
しい。『前』はサクセズタウンの看板娘だったが、『今』はそうではない。この酒場の看板娘になる
には、まだ垢抜けない。久レイジー・バンチが襲撃してきた頃と同じ年齢になる頃には、十分に洗練
されているかもしれないが。だが、その頃であっても、やはり葉巻についての知識はなかったのかも
しれない。
 あんな辺鄙な土地ではな、とマッドは葉巻が出てくるまでの間に、思いを馳せる。あの少しで砂に
飲まれるところだったサクセズタウンでは、『今』も『前』も物が潤沢だったとは言い難い。酒も葉
巻も大した銘柄も揃っていなかっただろう。
『今』のアニーのほうが、きっと『前』よりもっと洗練された女になる。それが良い事なのか悪い事
なのか、マッドには判断が付かないが。

「そういえば。」

 アニーがマッドの隣に座り、顔を覗き込んでくる。

「ビリーっていったっけ、あの、元保安官の子供。あの子、賞金稼ぎ達の周りをやたらとうろついて
るみたいだけど。」

 あんたの知り合いなんだっけ、と言うアニーに、マッドは少し眉根を寄せた。ビリーの知り合いと
いうのもあれだが、賞金稼ぎの周りをうろついているのも問題だ。ビリーが何歳かは知らないが、ま
だ賞金稼ぎ共の群れに入るには早いだろう。アニーも、そう思っているからこそ『知り合い』である
マッドにこうやって話題として振っているのだ。

「男だからね。銃ってもんに憧れるのも仕方ないと思うけどさ。だからって賞金稼ぎが屯してる所に
入ってくるのは、ちょっと、ね。賞金稼ぎがどうっていうわけじゃないけどさ。それこそ、良い奴も
いれば悪い奴もいるし。此処に来るのは大抵が良い奴だけどさ。」
「賞金稼ぎに良いも悪いもねぇよ。」

 強いて天秤を傾けるならば、悪いほうだ。命を金に換えている人種が、良い、なんて事になったら、
どこぞにいる名前を言ってはいけない四文字もびっくりだろう。いや、聖書を読む限り、割とあっさ
りと人を死なせているのを見るに、びっくりはしないか。

「一時的なもんだろ。賞金稼ぎなんぞへの憧れは、すぐに冷める。」

 賞金稼ぎになりたくてなる奴なんて、ほとんどいない。大抵が、他にやる事がない、できる事がな
い連中ばかりだ。そしてそれは、マッドも同じことだ。賞金稼ぎになっていなければ、マッドはきっ
と生き人形だっただろう。一番手っ取り早く自由になる方法、それが賞金稼ぎだった、それだけだ。
 ビリーは、そんなものに憧れるだろうか。
 マッドが知っているビリーは、『前』のサクセズタウンをならず者から守ろうとしていた、正義感
を第一信条とした子供だった。そこには父親への反発やら色んなものが混ざっていたけれど。

「大体、なんで賞金稼ぎなんかに憧れるんだ。」
「この前、賞金稼ぎがならず者を叩きのめすのを見てて。」

 その言葉に、マッドは鼻を鳴らした。命を金に換える賞金稼ぎの行動は、時として正義に見える事
がある。ビリーが目撃したのは、マッドが賞金稼ぎ連中に頼んでいた『この町を守る』ことの一環で
あって、別に金絡みではなかったが、しかし打算がないわけではない。

「父親は保安官だったはずだが。」
「サクセズタウンじゃ、仕事なんてなかったからね。この街でも、保安官の仕事はほとんどが書類の
処理とかばっかりで、悪人と戦うなんてことしないし。」
「俺は悪人と戦ったことなんかねぇけどな。」

 子供の眼は、単純だ。表層だけを見る。表層だけを見れば、小競り合いを治める賞金稼ぎのほうが
強そうだ、という事か。実際は、決してそんな事はないのだけれど。
 マッドは葉巻を入れた袋を受け取り、立ち上がる。立ち上がりざまにアニーを一瞥し、

「ビリーとかいうガキに言っておきな。少なくとも銃の腕だけは、この街の保安官が一番だってな。」

 それだけは、『今』も『前』も変わっていない。

「随分と保安官を買ってるんだね。賞金稼ぎなのに。」
「俺は事実を言っただけだ。」





 確実に、『今』は『前』に追いつこうとしている。
 アニーもビリーも、確かに背を伸ばして、あの時と同じくらいになろうとしている。『前』よりも
表情は朗らかで、そのまま『前』とは重ならないのではないかと思うくらいだ。
 けれども、確かに『前』と同じことだってある。
 その一つが、つい先頃、マッドの愛馬が死んだ。マッドが手に入れた時には既に老いていたが、老
いによる動きの鈍りをカバーする経験と知性があった。そんな愛馬をマッドは気に入っていたが、し
かしその付き合いは、やはり死によって終わりを告げた。老衰である。明け方、眠るように息を引き
取った馬は、最後にマッドを街に届けて、確かにその使命を果たした。
 頭の良い愛馬を失ったマッドは、とにかく新しい馬を見つけなくてはならなかった。しかし、流石
に以前の馬のようなのは、そうそう現れるわけがない。そもそも売り場に現れるのは、まだ若い馬ば
かりだ。経験による知性を求める事はできない。
 そんな若い馬の中から、マッドは見知った馬を見つけ出した。少し落ち着きのない、けれどもがっ
しりとした体躯の馬。

「ゴールド。」

 マッドは、その馬に手を伸ばした。サンダウンに手綱を何度も撃ち抜かれたことのある、あの馬。
マッドの手に一瞬びくつき、しかしすぐに撫でられるがままになる。

「お前も、此処に追いついたのか。」

 不思議そうな眼差しを受け止め、マッドは何処から何までが同じで変わっているのかと思い、止め
た。自分の動きで、既に齟齬は数え切れないほど出来上がっている。同じような状況もあるけれど、
しかし器が異なる。
 さて、このゴールドにマッドが乗ることで、何が異なり何が同じになるのだろうか。仮にマッドが
別の馬を選んだなら。

「どうせすぐに逃げ出して、結局お前を選びそうだ。」

 マッドは呟いて、ゴールドの手綱を引いた。