マッドはぐったりとベッドに沈みこんでいた。その背中に、サンダウンは嬉しくて堪らないと言
 わんばかりに口付けを落としている。飽きもせずに痕を付ける男は、マッドが酷いと呟くたびに、
 笑みを深くしてマッドに触れた。

 「何が、酷いんだ………?」

  背後から抱き竦められて、その力強さにマッドはうっとりするも、けれどもまだ抵抗の残る心は
 ぼろぼろと眼から涙を零した。だが抵抗の言葉は決してサンダウンを拒絶するものではなかった。

 「こんな……俺を無茶苦茶にして………!」

  初めて男を受け入れたマッドに対して、それは凌辱といっても差し支えないほどの荒淫だった。
 別に、手酷く扱われたわけではないし、暴力を振るわれたわけではない。むしろ、初めてだったと
 いうのにマッドは痛みを感じないほど、サンダウンに丁寧に愛撫された。
  だが、あまりにも丁寧で、執拗な愛撫は拷問と紙一重だ。
  前戯で何度も絶頂の間際を彷徨い、貫かれた後は感じるところを蹂躙されて際限なく熱を飛び
 散らし、それも限界が来た時には達する事が出来ないように縛られて。
  本当ならばそんな事をされたら――というかマッドを抱こうとした時点で、マッドは男を殴り飛
 ばしているとことなのだが、如何せん今のマッドにはサンダウンに本気で抵抗するだけの力はない。
 それどころか、もっとサンダウンに触れて欲しいと思っている。マッドも知らない激しい情交の間
 中、マッドは泣きながら止めて欲しいと叫んだが、その声音で本気で嫌がっていない事はサンダウ
 ンにも知れているだろう。
  シーツに顔を埋め、サンダウンから眼を逸らしているマッドに、サンダウンは舐めるような視線
 を向ける。

 「反応がまるで処女、だな………あれほど啼いていたくせに。それとも焦らして楽しんでいるのか?」
 「俺の何処が楽しんでるように見えるってんだ!」

  薬の所為でサンダウンを見ただけで胸がときめいて、それに抗う事が出来ずにその腕の中で泣き
 叫んだのは紛れもない事実だ。だが、それはつまり、後戻りできない事も意味していると、理性が
 囁いている。
  もしもそれが、穏やかな、或いは好奇心に任せたものであったなら、薬の効果が切れた後でも、
 しばらくはうろたえるかもしれないが、笑い話に漕ぎ着く事はできたかもしれない。
  しかし、サンダウンがマッドに叩きこんだのは、獣の交尾のような、けれども処理とは言い難い
 欲に濡れた快感だった。仰向けに転ばされたマッドの脚を大きく開かせ、羞恥に頬を赤らめて逃げ
 を打つマッドを甚振るように、少し逃がしては捕え、また少し逃がしては捕まえる。
  明らかに男として辱められている行為は、薬の効果が切れた後、マッドを激しく苛むだろう。だ
 が、それさえどうでも良いと思うほど、マッドはサンダウンに溺れていた。それがまた、マッドに
 とっては悔しい事この上ない。

 「だが、お前も私に抱かれたいと思っていた……そうだろう?」
 「…………。」

  否定は出来なかった。
  何故なら、

 「お前もあの薬を飲んだからな。」

  厄介な事に、互いが惚れ薬を飲んだ事を知っている。それ故、サンダウンはマッドがどれだけ否
 定の言葉を吐こうと自分を想っている事を知っているのだ。そして、確実に、薬は二人の中で効い
 ていた。
  いつも勘違いしてマッドに圧し掛かろうとする男共を蹴り飛ばす時のように、サンダウンを手酷
 く扱う事が出来ないまま、辱められたマッドは悔しそうに呟く。

 「てめぇ、いつもこんなふうに女も抱いてんのかよ。」

  絶頂を何度も味わったかと思えば、絶頂の手前で焦らされる。そんな狂おしい荒淫を、他の女達
 も味わっているのか。
  詰る為の口調が、いつの間にか嫉妬のそれに変わった事に、サンダウンも気付いたのだろう。ふ
 っと笑うと、突っ伏したマッドを引き起こすと、マッドの顎に手を添える。

 「嫉妬、か………。」
 「な……んなわけねぇだろ!」

  真っ赤にして怒鳴るマッドに、サンダウンは宥めるように口付けを落す。額に、頬に鼻梁に、そ
 して唇に。先程までの激しい情交とは全く異なる優しいそれに、マッドは思わず眼を閉じ、甘えた
 声を出してしまった。

 「ん………。」

  抱き締めてくる腕も力強いが、けれども荒々しさはない。マッドの心を落ち着けるかのように、
 穏やかに、絶対的な安堵感を齎す。愛しい男が羽根のように抱き締めるのだから、その温もりに
 安堵しないはずがない。

 「安心しろ……此処まで愛したのは、お前だけだ。」

  愛しい人。
  そう囁かれて、マッドの背中が粟立つ。蕩けてしまいそうな低音に、頭の芯まで犯されるような
 気分になる。聞きなれた声のはずなのに、これほどに反応してしまうのは、やはり薬の所為だ。け
 れど、薬の所為と分かっていても、震える身体は止められない。
  そんなマッドに気を良くしたのか、サンダウンは先程までの優しい笑みを消して、少し意地悪そ
 うな笑みを浮かべた。

 「それよりも、お前こそ本当に初めて抱かれたのか?そのわりには、後ろだけで達していたが……。」
 「あ、あれは、あんたがしつこく触るから……!」

  明らかにマッドを辱める意図を持って吐き出されたサンダウンの台詞に、マッドは今度こそ、酷
 い、と思った。男を初めて受け入れたというのに、痛みはおろか後ろだけで感じ、そしてそのまま
 達してしまった。しかも、前を触れられる事なく、何度も。
  それを思い出したマッドは、再び、今度は頬だけでなく全身を真っ赤にした。そんなマッドの様
 子を楽しそうに見ながら、サンダウンは囁く。

 「私に触れられると、そう、なるのか……?」
 「ち、違う!」
 「違わないだろう。なんなら、もう一度、抱いてやろうか?」
 「な………!」

  嬲るような言葉に、マッドの眼に涙が盛り上がった。確かにサンダウンの事は愛しく想っている
 が、だからと言って辱めるような言葉を投げつけられて傷つかぬわけではない。浮かべた涙を落と
 さないように唇を噛み締めていると、代わりにサンダウンが近付いてきて、唇でそれを吸い上げた。

 「泣くな……私は、お前が私にだけ反応する事が、嬉しいだけだ。」

  涙を浮かべたマッドに苦笑しながらも、それでも嬉しそうにサンダウンは言う。

 「マッド……私はお前に私を刻みつけてやりたい……。お前が私を裏切らぬように、忘れないよう
  に。薬の効果が切れても、その身体が私を裏切らないようにしてやりたい。」
 「そんな………。」

  やっぱり酷いとマッドは呟く。
  薬の効果が切れたら、この関係は闇に葬ってしまわねばならない事なのに、サンダウンはマッド
 の身体にサンダウンの味を覚えこませるのだという。薬の愛に酔っている間は、それでも良いだろ
 う。しかし、薬の効果が切れたら、その時はどうなるのだ。
  サンダウンはまだ良い。賞金首であるサンダウンは、現れるマッドを厭うて撃ち殺せば良いだけ
 だ。
  けれども、身体にサンダウンを刻み込まれたマッドは、どうすれば良いのか。今まで知らなかっ
 た身体の奥への快感を覚えこまされて、薬の効果が切れた後、例え心は元に戻っていたとしても身
 体がサンダウンを求めるようになっていたら。きっと、どれだけサンダウンに疎まれても、それで
 も必死に追ってしまうだろう。そして、その冷たい眼差しに傷つくのだ。お前がこんな身体にした
 くせに、と怒鳴れたら楽なのだろうが、そんな情けない事は出来ない。そもそも、男に貫かれて悦
 んで、それを思い出して疼くようになっている身体のほうがおかしいのだから。
  サンダウンの今ある囁きなど、この身体に刻まれた所有印よりも、儚い。所詮、薬で紡ぎだされ
 た言葉に過ぎないのだから。その言葉に一喜一憂しているマッドの心も、偽りでしかないのだが、
 けれども今ある思いは現実で、だからこそ薬が切れた時の事を考えれば胸が痛む。
  これがは偽りだと言い聞かせれば言い聞かせるほど、辛く、悲しい。だが、この先も続く事ので
 きる本物ではないのだ。
  だから、サンダウンの囁く言葉は、マッドには甘さよりも苦さのほうが深い。
  マッドがそう呟いて俯いていると、サンダウンは不意に笑みを消した。そして、マッドの頬に手
 を添え、何か遠くを見るような眼にマッドの姿を映す。 

 「………私が抱いた女は、私がどれだけ言葉を残しても、物を贈っても、私を裏切って何処かに行
  ってしまったな。」 

  壊さないように優しくしたのに。それだけでは、女達の中では本物にはなり得なかったようだ。
  そう告げたサンダウンの声は、乾いた深い井戸の中のように薄暗かった。

 「きっと、裏切った後で、私を思い出す事もなかっただろう。それほど深く、痕を刻んで来なかっ
  た。優しく触れるだけで、それで良いと思っていた。」
 「でも、それはあんたがそうしたいと思ってやった事じゃねぇか。薬やらそんなので強制的にして
  たわけじゃねぇだろ。」
 「……お前は薬に拘るな。」
 「当り前じゃねぇか!薬を飲まなきゃ、こんな事……!」
 「だが、女達は私を裏切った。お前が言う『本物』とやらは、結果的に私に何も残さなかった。」

     遠くを見る眼差しには、懐かしむものではなかった。ただ、同じ轍を踏まないようにする為だけ
 に、マッドも知らない女の影を思い浮かべたのだろう。その空虚さが、逆にそれがサンダウンにと
 っての古傷である事に、マッドは気付いた。その時のサンダウンの愛し方がどんなものだったのか、
 マッドには知る由もないが、しかしサンダウンには何も残らなかったのだ。
  マッドの見た事がない過去を、一抹とは言え語った男は、すぐに焦点をマッドに絞り込む。愛お
 しそうに、ただし肉食獣の眼で見つめ、囁く。  

 「だから、お前には、私がいなくなった後も思い出せるよう、身体の奥に痕を刻んでやろう。偽物
  であろうと本物であろうと、関係なく、離れても思い出せるように。」

    ―――私は、私を刻み込んでいる人間が、欲しい。

     掠れた声で呟く言葉は、恐らく薬に浸されないサンダウンの本心だったのだろう。だが、それを
 マッドに求める事は、薬による誤りだ。
  マッドはその誤りに怯え、サンダウンを身体に刻まれる事に怯え、けれども愛しい相手を拒む事
 は出来ず、半ば自ら求めてサンダウンを迎え入れた。