ディオは黒に白の縁飾りの付いたドレスを身に纏い、夜の闇へと身を滑らせる。そんなディオを
 主人であるマッドは酷く複雑そうな顔で見送っていたけれど、引き止める事はしなかった。
  自分の母親に良く似た風貌の女――中身は馬だが――身体だけの関係だとはいえ、一応自分の情
 人を引っ掛けに行くのだから心中は複雑であろうが、しかしそれ以上に、マッドの心が今の現状に
 悲鳴を上げてなんとか打破したいという思いがあるのだろう。
  あんたの気配を出す為に、とディオが髪の毛一本を強請った時も、深く追求せずにすんなりと手
 渡した。




  My dear Accomplice 3






  マッドに雰囲気の似た女に化けて、サンダウンの前に姿を見せた事はあるけれど、本気で引っ掛
 けようとするのはこれが初めてだ。以前は途中で振り払い、マッドの姿を借りて、そして異なる気
 配――ディオの気配に気付かれた。
  今回は、最初からマッドの気配を前面に出して、マッドに良く似た女の姿でサンダウンの前に現
 れる。
  きっと、サンダウンは食いつくだろう。

  ディオとて、伊達に人間として生きたわけではないのだ。マッドがサンダウンに惹かれているの
 と同じように、サンダウンがマッドに並々ならぬ感情を抱いている事に気付いている。
  人目をはばかる逃亡による絶望が広がる中で、マッドの到来が如何に大切か、それはサンダウン
 が誰よりもよく知っているはずだ。だからこそマッドの身体に、自分の熱を焼き鏝のように刻みつ
 け、忘れられないように快楽を注ぎ込んだのだろう。

  サンダウンが、女を抱く理由だって、実を言えば分かっている。
  あれは、マッドがいないからだ。マッドを探しあぐね、それでもなんとか魔王を押し留める為に、
 マッドに逢うまでの繋ぎとして女を使っているのだ。
  それによって更なる渇きを覚えても――マッドの代わりなどいるわけがない――あの男にはそれ
 以外に、マッドを思い出す術がない。いや寧ろ、女を抱いて満たされない事を感じて、それでマッ
 ドの存在を更に強く感じようとしているのか。

  それは、とてもとても憐れな魔王の姿。

  けれど、だからといって、それでマッドを苦しめる事の酌量にはならない。何故ならば、それは
 あくまでもサンダウンの勝手な思いこみだからだ。
  女を抱く以外にマッドの事を思い出す術がない?
  笑わせる。
  マッドの熱はあちこちに飛散して、その足跡を感じようと思えば、いくらでも感じる事が出来る。
 それをしないのはサンダウンの怠慢だ。いや、そんなものでは足りないと駄々を捏ねているのか。
 それならば何と言う傲慢。
  マッドが欲しいと言いつつ、けれどもマッドを手に入れる為に快楽を注ぎ込んでも、そこに責任
 の伴う言葉を一滴も零さない癖に。
  それとももしや、その言葉さえも、マッドから与えて貰おうと言うのか。

  思えば思うほど、怒りは止めどなく溢れてくる。
  もはや、ディオの頭の中には、サンダウンがこの姿に惹かれたら、という前提をなくしても、サ
 ンダウンに心底の絶望を与えてやろうと考えていた。
  あの男が最も恐れる事――それは、マッドがいなくなる事だ。それならば、マッドとサンダウン
 の気配を覆い隠し、出会ってもと気付かぬようにして、二度と逢えないようにすれば良い。マッド
 は悲しむかもしれないが、それは一時的な事だ。マッドにはもっと相応しい幸せがある。

 『………なんて格好をしているんだ、お前は。』

  考えながら歩いていた所為か、周囲への注意力が散漫になっていたようだ。突然の声にぎょっと
 して立ち止ると、窓から明かりが四角く零れている酒場の裏手に差しかかるところだった。酒場の
 裏手には簡易的な厩があり、そこに栗色の馬が大人しく繋がれている。

 『お前、ディオだろう。』

  栗色の馬から放たれた言葉に、ディオは再びぎょっとする。その馬は、紛れもなくサンダウンの
 馬で、それはマッドの読み通りサンダウンがこの町に来ている事を示している。マッドは出来る事
 ならサンダウンに逢いたかったのだろうが、そこはディオが断固反対し、こうしてディオがサンダ
 ウンに鉄鎚を下す為に逢いに来ているわけであるのだが。

 「………あんた、俺が分かるのか。」
 『お前の気配は独特だからな………それにお前の主人の気配がお前からする。何故お前からマッド
  の気配がするのかは知らんが、そんな事出来るのはお前くらいだろう。』
 「ふん、相変わらず頭の宜しい事で。」

  ディオのように、一度馬になるという特殊な経験をしたわけでもないのに、ディオ並みに頭の良
 い馬は、ふるりと首を振ると、それで、と問うた。

 『お前は、なんでそんな恰好をしているんだ?』
 「いいだろ、別に。俺の勝手だ。」
 『どうせまた、良からぬ事を企んでいるんだろう?以前、私の主人が奇妙な気配のする人間に出会
  ったと呟いていたが………。』

  マッドの気配を持ちながらも別の気配もする人間だった、と言い、栗毛はディオをちらりと見る。

 『どうせ、お前だろう?』
 「へ、わかってんならいいじゃねぇか。」
 『………お前の主人と、私の主人に関係する事か?』

  しばしの間を置いてから、栗毛の馬は言葉を紡いだ。返事をしないディオを見て、彼は溜め息を
 吐く。

 『あまり彼らの事に首を突っ込むな。確かにお前は人間になれるが、お前は馬だろう?人間の事は
  人間に任せておけ。』
 「任せられるか、あんなおっさんに!」

  くわ、とディオを口を開いて怒鳴った。

 「あのおっさんは俺の主人を泣かせたんだぞ!ずっとあんなに無茶苦茶な事しておきながら、御
  主人の矜持をずたずたにしておきながら!そのくせ、泣かしても何もしないんだぜ!」
 『それは…………確かに済まない事をしたと思う。だが苦しんでいるのはお前の主人だけではな
  い。』
 「ああそうさ!そうだよ!あのおっさんだって苦しんでるんだろうな、ああ分かってるさ。でもだ
  から何だってんだ!」

  ディオの叫び声に、他の馬達も何だ何だと顔を覗かせる。皆、一様に人間が馬に一方的に罵りを
 放っているのを興味深そうに見ている。しかしディオはそんな事には一切、気を払わない。 

 「何だよ、自分も苦しんでるからって、だからって何しても良いっていうのかよ。自分からは何も
  しないくせに、全部御主人の所為だって言いたいのかよ。好き勝手して、そのくせ何の責任も負
  わないってのか!」

  本来ならば、誰よりも明瞭な気配を放ってすっくと立っているはずのマッドが、今、酷く頼りな
 げに震えているのは、誰の所為だ。
  底無しの欲望を持ったあの男は、マッドの涙を貪欲に吸いこんでそれでもあっと言う間に乾いた
 この荒野の砂と同じだ。

 『ディオ…………。』

  栗毛の馬は、ディオが馬である時のように、その鼻先をディオの首筋に擦り寄せる。

 『分かったから、泣くのは止せ…………。』

  マッドと同じ睫毛からほろほろと零れる涙を鼻先で受け止め、栗毛はディオを宥めるように言っ
 た。茶色の眼が、優しくディオを覗きこむ。

 『お前の言いたい事は分かった。お前の主が苦しんでいる事も。だが、もう少し待ってはくれない
  か?』
 「待って、何が変わるって言うんだよ。御主人が苦しむ時間が長くなるだけじゃねぇか。」
 『まだ、分からない。だから。』

  頼むから。

  そう栗色の鬣がそよいだ時、ぬっと黒い影が落ちかかってきた。
  物音一つせずに振ってきたそれに、ディオはひっと声を上げた。気付いた瞬間に湧き起こった気
 配は、地の底を這う獣のように暗い色をしていたからだ。
  それは、魔王の気配。
  振り返ったそこにいたのは、荒野と同じ姿をした男――サンダウン・キッドだった。
  もはや当初の目的さえもを忘れるようなサンダウンの出で立ちに、ディオは音がするほど息を呑
 んだ。そんなディオを見下ろし、サンダウンは呻き声よりも苦く呟く。

 「誰だ、お前は…………?」

  その問いが、単に厩の前にいた不審人物として向けられたものでない事は、サンダウンの気配か
 らすぐに知れた。
  サンダウンは、ディオの得体の知れなさを見抜いたが故にそう問うたのだ。人の姿を取りながら、
 そうではない者。しかしサンダウンにとって、もはや全てと言っても過言ではないマッドの気配を
 纏う者。
  一度、同じように奇妙に捻じれ上がった存在に出会っているが故に、サンダウンの疑心は強い。
 一瞬で見抜かれた事はディオにとっては計算外ではあったが、しかしそれ以上に計算外なのが、そ
 の怒りにも等しい疑いの眼差しだ。

 「答えろ…………。」

  肉食獣が飛びかかる寸前の殺気にも似た声音に、ディオは思わず身震いした。サンダウンとディ
 オの間に、栗毛の馬が割って入らなければディオはその場に崩れ落ちていたかもしれない。それほ
 どに、今のサンダウンの中に棲みついている魔王は強大だ。
  自分の愛馬がディオを庇うようにした事で、サンダウンの火炎にも似た矛先は緩んだ。しかし、
 まだその眼は冷たいままだ。

 「以前にも、私の前に現れたな………。その時もマッドの気配を身に着けていたが………。」

  まさか、と男の視線が、見たものに恐怖を与えるようなおぞましい色に変化する。
  しかし同時にそれは男にとっては恐怖でもあったようだ。

 「マッドに………何か、したのか。」

  震える語尾が、微かな弱さを見せた。しかしそれがディオにとっては腹立たしい。魂を喉元まで
 押し出すようなサンダウンの恐怖の波動を振り切って、ディオは怒鳴る。

 「何かしたのはてめぇだろ!裸に剥いて、好きなだけ犯したじゃねぇか!?性懲りもなく何度も!
  ああそんなに良かったかよ、俺の主人の味は!」
 「お前の主人…………?お前、一体………。」
 「自分が良けりゃ、御主人が泣いてたって良いだろうがよ!自分ばっかりが苦しいだなんて思うな
  よ!」
 「泣いて………?っ待て!」

  何が何だか分からなくなって再び涙をぼろぼろと零し始めたディオは、もはや計画を遂行する事
 は無理だと思い、身を翻す。その腕をサンダウンが物凄い力で掴み、引き止めた。力ずくでディオ
 の身体を引き寄せ、その顔を覗き込み、

 「…………お前、ディオだな。」

  なんでそんな姿を、と愛馬と同じような台詞を吐いて、サンダウンはディオの旋毛を見下ろす。

 「これには、マッドも噛んでいるのか?」
 「御主人は関係ねぇ。」
 「………だが、マッドは関係しているんだろう。」
 「………………。」

  答えないディオに痺れを切らしたのか、サンダウンは辺りを見回す。

 「………マッドは、いないのか?」
 「はっ、あんたがいる場所に連れてくるわけねぇだろうが。」
 「だが、お前がマッドの傍からそう遠く離れるとは思えん………。この街の何処かにいるんだな。
  ………宿か。」
 「止めろ!御主人に近づくな!前みたいにそのへんの女に相手してもらえよ!そんで御主人には二
  度と近づくんじゃねぇ!」
 「………………それが、お前のその姿の、原因か。」

  サンダウンはディオの腕を解くと、くるりと背を向ける。その歩みが何処かに向かおうとしてい
 るのを見て、今度はディオがサンダウンにしがみついた。

 「だから、御主人に近づくなって言ってるだろ!」
 「………逢わねば弁明出来ない。」
 「弁明なんかしなくていい!御主人に二度と逢わなきゃそれでいいんだ!」
 「私が良くない。」
 「てめぇの事なんか知るか!今まで好き勝手にしてきた癖に!無責任なんだよ、お前は!御主人が
  責めないのを良い事に、楽ばかりしようとしやがって!何の言葉も口にしないで、なのに御主人
  がいなけりゃ女でなんとかするんだろうが!」
 「…………なんとかなるわけが、ないだろう。」

  ディオの責め立てに対し吐き捨てられたのは、酷く苦々しい言葉だった。サンダウンの表情も険
 しい。

 「お前は、自分の主人の代わりがいると思っているのか?」

  私には、マッドの代わりは存在しない。

 「だから、手を放せ。お前がマッドの事をどれほど思っているのかは良く分かった。だが、それ以
  上に、私のほうがマッドを想っている。」

  振り返ったサンダウンの双眸が、冷徹に煌めいた。ひやり、と大きなその手がディオの喉元に絡
 みつく。

 「マッドの傍にある事が許されたお前を、縊り殺したいほどに。」

  愛しているのだ、と。

  吐く息が掛かるほど間近で囁かれた、魔王の気配。それはディオが想像していた以上に、重く、
 暗い。特に力が込められているわけでもないのに、ディオの呼吸はその時、確かに止まった。
  ひらり、と擦り切れたポンチョが大きく空気を孕んで翻るのを最後に、ディオの視界からはサン
 ダウンが遠ざかって行く。それを、ディオはただ黙って眺めるしかない。

  唸るような旋風を閉じ込めた魔王は、この夜空の下で守られた勇者を攫いにいくのだろう。

  今にも牙を剥いて飛びかかりそうな魔王の気配が、身を丸めるようにしていたマッドの気配を包
 み込み、そこにマッドの怯えや抵抗がない事を感じた瞬間、ディオはまた泣き出した。

  マッドの代わりが存在しないのだと告げた男は、それをそっくりそのままマッドに告げたのだろ
 う。ずっとずっと言わないままで置き去りにしていた言葉達を、今、必死になって紡いで、マッド
 の嘆きを止めようとしている。

  それは甘い菓子のようだっただろうか。
  それとも人を酔わせる酒の匂いがしただろうか。
  それとも、泡のように掴みどころのない今にも壊れそうなものだったのだろうか。
  何れにせよ、それは嘆きで身を包んでいたマッドに届き、マッドはそれを受け入れたのだ。

  びょおびょおと泣き続けるディオに、栗色の馬がそっと寄り添った。

 『だから、待て、と言っただろう………?私の主人は、お前が思っているほど、無責任な人間では
  ない。お前の主の心根一つに怯えるような、臆病な人間かもしれないが。』
 「う、ううるせぇ!俺は、俺はなっ!御主人には人並みに、幸せに、なって欲しかったんだ!」
 『………私の主は、お前の主の望み通り、お前の主人のものになったんだ。幸せだと思うが。』
 「ちげぇよ、朴念仁!俺の言う幸せってのはなっ!可愛い奥さん貰って!可愛い子供を作って!」
 『まあ、お前の主人は子供は産めないだろうが………。』

  まるで娘を嫁に差し出した男親のように泣きじゃくるディオに、栗毛の馬は囁く。

 『いい加減、泣くのを止めろ…………。』
 「泣かずにいられるか!俺、俺はな!俺だって御主人の事は愛してるんだぞ!」
 『………知っている。』
 「幸せになって欲しかったんだ!」
 『………分かっている。』

  黒い髪を優しく食んでやり、頬を鼻先を押し当てて涙を拭ってやると、ディオがようやく顔を上
 げた。彼の主に似せたという姿は、このまま放っておけば誰かに襲われかねない。ディオだから大
 丈夫だろうという思いはあるが、しかし一方で弱っている彼が咄嗟の判断をする事ができるだろう
 かという懸念もある。

 『ディオ、馬に戻れ。』
 「うるせぇ……俺には泣く事も許されねぇってのか。」
 『そうではなくてだな。』

  何を言ってもネガティブにしか受け取らない、己の主人の初夜――と言っていいのかどうなのか
 を迎えた馬は、聞く耳を持たないようだ。

 『分かった……それならせめて、私の背中に乗れ。そんなところにいると邪魔になるから移動する
  ぞ。』
 「ふえ、えぐ、えっぐ……。」

  ぎゅうっと栗毛の毛並みに顔を押し当てて、涙やら鼻水やらを吸わせていたディオは、それでも
 流石にこのままでは変な人間扱いされると分かったのか、大人しく馬の背に乗る。
  それを確認してから、栗色の馬はディオを乗せたまま厩の敷居を飛び越した。

 『気が済むまで、付き合ってやろう………。』

  背中に顔を押し付けているディオにそう囁いて、彼は夜の荒野へと走り去った。