苦しい涙を零し続ける主を見て、ディオは心配そうに馬体を動かす。と、見る間にその身体は一
 人の巨漢となり、毛布に包まってほろほろと涙を零すマッドに寄り添った。
  ディオは今でこそ馬の姿をしているが、かつてはクレイジー・バンチというならず者達を纏め上
 げた男である。どう贔屓目にみても凶悪な顔をして、見た目から判断すればマッドの腕などぽっき
 りと折ってしまえそうな巨漢は、しかしその巨躯からは信じられないような困惑した表情を浮かべ、
 おろおろとマッドの眦から伝い落ちる涙の数を数えるだけだった。
  もはやO.ディオとして恐れられた姿は何処にもない男――もとい馬は、喉の奥で盛大に、己の主
 人の涙の原因を作り上げた賞金首を罵った。




  My dear Accomplice 2






  そう、悪いのは全てサンダウン・キッドだ。
  子供のように泣きつかれて眠ってしまったマッドの髪を撫でながら、ディオはふつふつと込み上
 げる怒りのままに、そう思った。

  ディオの現在の主である賞金稼ぎのマッド・ドッグは、この西部において最も美しい部類に入る
 人間だろう。日差しを浴びて銀に輝くほど艶のある髪と白い象牙のような肌は、若さに溢れて弾け
 飛ぶ水飛沫のようだ。その光を灯した黒い眼は、夜空のように秘密を湛えつつも底知れぬ凶暴さを
 孕んでいる。
  その容貌だけでも十分に目立つのに、それに負け劣らずマッドの性質は強靭で苛烈で、変化に富
 んでいる。強さは美しさであり美しいものは強いのだとよく言うが、マッドを見れば正にそうなの
 だと思わざるを得ない。
  全ての物事の中心にあり、まるで存在自体が熱や光で出来ているような男は、全身からそれらを
 迸らせ、まさに春の神だ。

  しかし、そんな彼が今、涙を流して嘆いている。
  睫毛に積もったままの涙も、頬に残るその跡も、それでもやはり秀麗であるが、しかしそれ故に
 苦しみの深さが窺える。
  その苦しみの原因と仮定を知っているディオにしてみれば、何故マッドがこれほどまでに苦しま
 なければならないのかが分からない。そして、原因が分かっている以上ディオとしては、その原因
 を一刻も早く取り除きたいのだが、その原因というのがサンダウン・キッドである以上ディオには
 手を出す事が出来ない。

  サンダウン・キッド。マッドが追い求める賞金首。そしてマッドの身体を思う様に貪る男。腹の
 底に、ディオでさえ震撼するような魔王を抱えている魔王候補。

  マッドを銃の腕で凌駕してその視線を惹きつけ、そして徹底的な快楽でマッドの身体を籠絡した
 男は、荒野の風のように利己的にマッドに牙を突き立てては毒を注ぎ込んでいく。
  あまりにも不健全な状態である事は、聡明なマッドはとうの昔に気付いている。それでも止めら
 れないのは、マッドの情が深すぎるからだろう。マッドが吐き捨てる言葉通りに酷薄であったなら、
 こんなに苦しむはずがないのだ。

  それでもまだ保たれていた均衡。ディオも、サンダウンが決してマッドの身体だけを狙ったわけ
 ではないのだと、かつて主に近い色をした女に化けてサンダウンの前に現れた時にそう感じ、しば
 し静観する事にしたのだが。

  先程訪れたほんの少しばかり大きめの街。
  人が行き交う街には、総じて男達の為に賭博場が設置された酒場がある。そしてそこには男達の
 相手をする為の娼婦達が屯している。彼女達を買わず、共に酒を飲むだけの事を求める事を求める
 男達も多い。
  そして、マッドのように女達のほうから擦り寄って来られる男もいる。
  女達から手を引かれ、アルコールに身を包むマッドは、着飾る女達よりも妖艶だ。女達を侍らせ
 る彼はうっとりと夜に身を委ねるが、実は最近は女を抱く事が減っている。
  理由を言わずもがなだ。

  サンダウンに抱かれ始めた時から、女を抱く事が減っている。
  その理由がなんなのか、と言われれば、きっとマッドにも明確には答えられないだろう。
  もしもマッドがもっと図太く、サンダウンに抱かれる事をただの遊びだと割り切る事が出来たな
  ら、サンダウンに抱かれた後も女を抱く事に戸惑いはなかっただろう。
  しかし実際のマッドは、実は酷く繊細で、サンダウンに抱かれる事で動揺するほどサンダウンを
 己の中で特別な存在として確立してしまっている。

  だから、こんなにも苦しんでいるのだ。
  サンダウンが女といるところを見ただけで、涙を流すほどに。

  あの男の事だ、一緒に酒を呑む為だけに女を連れだっているわけではないだろう。だとすれば、
 後は女を抱く為だとしか考えられない。その事にマッドも思い至ったのだろう。
  自分は女を抱く事が出来ないほどその指が身体に刻み込まれているというのに、サンダウンにと
 っての自分はそうではなかったのだ。
  その時に浮かんだ主人の表情に、ディオはサンダウンをその時本気で殺してやりたくなった。
  あの時、静観する事を決めた自分が、憎らしい。

  自嘲の笑いを乾いた声で零し、その間にもぼろぼろと涙を零す主に、ディオはひたすら傍らに寄
 り添い、必死で慰めた。
  ディオにとってマッドはこの世の全てだ。憎しみを削がれた今でもやはり普通の馬に戻る事の叶
 わない、サンダウンには劣るが魔王の因子が渦巻いている。それを気味悪く思う事もなく、柔らか
 く微笑んでくれるマッドは、ディオにとっては生涯最後の主となるだろう。
  ディオの将来の夢は、マッドの可愛いベイビーを背に乗せて余生をのんびり過ごすことだった。
 マッドに良く似た色を持つその子は、さぞかし愛らしいに違いない。そのふくふくとした頬を、デ
 ィオの首筋に擦りつけてくれるのだ。

  思い浮かべた想像に薄っすらと微笑むディオは、次にサンダウンの事を思い出し、般若の様相を
 浮かべた。
  ディオの幸せな未来計画は、今、一人のおっさんによって阻まれようとしているのだ。いや別に
 ディオの余生の事はどうでも良い。マッドがサンダウンと一緒にいて幸せだと言うのなら、ディオ
 も涙を呑むというのもだ。
  しかし実際は違う。サンダウンはマッドを泣かせてばかりで、自分勝手にマッドを蹂躙していく。

  ディオの我慢の限界は、今夜のマッドの涙の事により、完全に果てた。
  あのふてぶてしいおっさんを、なんとかしてぎゃふんと言わせてやりたい。
  出来る事ならマッドから引き離してやりたい。

  ディオは、ふつふつと湧き上がる怒りと共に、思案を巡らせる。
  そして―――




 「ディオ………か?お前?」

  次の日、眼を覚ましたマッドは、自分が泣き疲れて眠ってしまったのだと悟り、自己嫌悪に陥っ
 ていた。
  だが、自分の傍にいるはずの愛馬がおらず、代わりに黒髪の女がいるのを見て、一瞬絶句した。
 が、傍にいない愛馬と、愛馬が稀に人間の姿を取る事がある事を思い出し、マッドはそれをディオ 
 だと判断した。
  しかし次に思い浮かぶのは、ただの疑問だ。ディオは普段、人間になる時はクレイジー・バンチ
 を統率していた時の荒くれ者の姿を取る。それが、何故色白の女の姿なんぞになっているのか。

 「どう?御主人?」
 「いや、どうって言われても。」

  困る。
  ディオは馬なので、どれだけ美女に変身したところで、そそられもしないのだが。
  するとディオは不意に真面目な顔になった。

 「御主人、やっぱりさ、あんなおっさんの事なんか忘れようよ。」
 「何言って………。」
 「御主人がいるのにさ、あんなふうにふらふらしてる男、ろくなもんじゃないよ。そんな男の事な
  んか忘れてさ、俺とどっかでのんびり暮らそう。」
 「……それで女の姿になってんのか、お前は。」

  呆れたように見やれば、ディオは溜め息を吐いた。

 「別に御主人とどうこうなりたいだなんて思ってねぇよ。俺の好みは四本足の白馬なんだ。」
 「つまりそういう雌馬と番わせろってか。」
 「ちげぇよ。」
 「分かってるよ。」

  マッドは睫毛を伏せ、首を横に振る。

 「ディオ、お前に心配を掛けてる事は悪いと思ってる。でも、こればっかりはどうしようもねぇん
  だ。もしも……その、お前が俺を嫌だって言うんなら、別の飼い主を探してやるから。」
 「御主人!俺を見縊らねぇでくれ!」

  マッドの台詞に仰天したディオは、思わず叫んだ。愛馬の突然の叫びに、マッドも大きく眼を見
 開いたが、すぐに、悪い、と呟いた。
  そんな主人の様子を痛ましそうに見やった後、ディオを腰に手を当てて言い放つ。

 「御主人、俺はあんなおっさんみたいに目移りする事はしねぇよ。だから、そんな変な心配はしな
  くていいんだ。むしろ俺が許せねぇのはサンダウンのほうだ!御主人というものがありながら、
  女に手を出すなんて!」

  だから、とディオはあんまり豊満ではない胸を指差し、自慢げに言った。

 「この俺が、あのおっさんに一つお灸を据えてやる。」
 「それでなんでその格好なんだ?」
 「ふふん、この格好ならあのおっさんは、俺に食いつく可能性が高いからな。」
 「………それで、なんで、その格好を選んだんだ?」
 「御主人に似てるから。」

  黒い髪と眼、そして白い肌。それらはディオがマッドから借りたものだ。細くて繊細な指だとか、
 形の良い唇なんかもマッド由来だ。

 「別に御主人を女体化した姿でも良かったんだけど。」
 「女体化言うな、生々しい。」

  自分が女になったところを想像して、マッドは薄気味悪げにディオを見る。

 「けど、それでサンダウンが嬉々としたら、正直俺もなんかあのおっさんの趣味に挫けそうだから、
  御主人に似た女の姿にしたんだけど、なんかおかしいところ、ある?」
 「…………俺のおふくろにそっくりだ。」

  複雑な表情を浮かべるマッドに、ディオは、くるりと一回転してみせてから、にっこりと笑う。

 「もしもサンダウンが、この俺に引っ掛かったら、あのおっさんはやっぱり御主人の容姿が好きだ
  って判明する。もしも引っ掛かったら、その時は。」

  にっこりとした笑みが、凶悪に変化する。

 「骨の髄まで、絶望を刻みつけてやる。」