「此処はね、昔は私達の聖地だったのよ。」

   そう、白人よりも少し肌の色の濃い女は、少したどたどしい英語で告げた。
   岩肌がごつごつしているばかりの洞窟の中は、普通の人間――こと金塊やそういったものにば
  かり目を向けている白人には、その価値は分からないだろう。
   だが、ふと視線を見上げてみれば、 彼女が聖地だと告げた理由が少しだけ分かる気がした。
   サンダウンは、ごつごつした岩肌を曝した洞窟の天井を一瞥し、なるほど、と呟く。
   見上げたそこには、満天の星空と見紛うような、光が密集していたのだ。どうやらヒカリゴケ
  が群生しているそこは、自然崇拝の根強いインディオ達にとっては聖地になり得るだろう。
   もう一度、サンダウンが頷くと、女は満足そうに微笑んだ。




   女を見つけたのは、夕刻も過ぎて、空は夜の支配下に移ろうとしていた頃だった。
   酒場の片隅で、何人もの男に絡まれていた女は、しかし物怖じ一つせずに甲高い声で男達と真
  っ向から向かい合っていた。その様子に、娼婦だろうかと思いもしたが、粗末な服装は娼婦とは
  違う。それに、言葉づかいが酷くたどたどしい。まるで覚えたての言葉を並べるような台詞に、
  彼女が英語圏の人間でない事はすぐに知れた。
   そして、男達の口から時折侮蔑混じりに吐き出される『インディオ』という言葉が。

   放っておいても別に問題はなかっただろう。男達は白人で、女はインディオだ。女を助けたと
  ころでサンダウンには何の旨みもない。
   それでも止めに入ったのは、かつての保安官としての性が疼いた所為か、それとももっと別の
  瞳がサンダウンの行動を逐一見ていると思ったからか。神の眼とは違う、現世の眼がサンダウン
  の行動を秤にかけるところを想像すれば、サンダウンの行動はどうしても限られてくる。何せ、
  女には――特に気の強い美人の――とことん甘い男だ。それが男に絡まれてたのを見過ごした事
  が知れたら、なんと思われるか。
   そんな、些か不謹慎な考えに捕らわれながらも、サンダウンはどうやら酒に酔っている男達か
  ら女を救った。
   ただし、薄汚れているとはいえ金髪碧眼のサンダウンがインディオを助けた事で、男達は更に
  逆上した。アルコールに飲まれた頭は、正常という言葉を完全に置き去りにしていたらしい。
  『裏切り者!』と喚き始めた男達は、何をとち狂ったのか腰に帯びた銃にまで手を伸ばし、サン
  ダウンを追いかけ始めた。
   いくら酒を飲んでいるとはいえ、喧嘩で銃まで持ち出すなんて、とサンダウンは呆れた。だが、
  呆れてばかりもいられない。銃を振り回す、アルコールに飲まれた男達ほど性質の悪いものはな
  い。それは保安官だった頃から良く知っている。

   とりあえず、それらを銃で撃ち抜いて、なんとか安全を確保した頃には、しかし残念ながら辺
  りは喧騒に満ちていた。賞金首である自分が銃を抜いた以上、これ以上の平穏は求められない。
  追いたてられて夜明けまで逃げ続ける事を覚悟していると、助けたばかりのインディオの女が手
  招きした。
   そして、彼女がとっておきの隠れ家だという、インディオの聖地に連れて来られたわけである。

  「良いのか?」
  「何が?」

   あっけらかんとしている女は、自分が聖地に白人を連れてきた事について悪びれもしなかった。
  その事を指摘すると、彼女はひらひらと手を振る。

  「構わないわ。聖地だから誰も来ないし、隠れるにはもってこいの場所よ。それに、私はどうや
   ら、精霊から見放されてるらしいから。」

   精霊とはインディオが祈りを捧げる存在の事だろう。それから見放されているとはどういう事
  か。
   顔を顰めていると、女は首を竦めた。

  「私の旦那は白人なのよ。で、白人の男に嫁いだら精霊の加護は消えちゃうんですって。」

   だから家族のもとに送っていこうなんて考えないでね、家族は皆、私を一族の恥と思ってるみ
  たいだから。
   まるで昨夜の晩ご飯の話でもするかのようにとんでもない事を告げた女に、サンダウンは呆気
  に取られた。インディオと白人が結婚する事は確かにある。しかしそれは、インディオの牙城を
  突き崩す為の、白人側の戦略的な結婚がほとんどだ。
   しかし、眼の前にいる女からは、そんな政略的結婚をしたという悲壮感は何処にもない。

  「あ、旦那はね、今日は牛を探しに行ってるの。ちっちゃい子供達が牛がどっかに行っちゃった
   って泣いてたから、それを探しに行ったんだと思うわ。」

   おかげで私は変な男達に絡まれたわけだけど。
   長い黒髪をひらりと片手で払いのけ、女は歌うように言った。
   白人からはインディオとして差別され、部族からは裏切り者として白い眼で見られているはず
  の女は、しかしそんな事は大した事ではないと言わんばかりに涼しげな表情をしている。白人と
  結婚しなければ、少なくとも何処かに落ち着けたはずだろうに、女はそれを後悔する素振りを微
  塵も見せない。

  「男らしかったからよ。」

   唐突に、女はそう告げた。それは、まるでサンダウンの顔色を呼んだかのようだった。

  「私の旦那はね、男らしいの。本当に、男らしいのよ。私達みたいに伝統だとかなんだとか、そ
   ういったものに縋りついて昔の傷を見せびらかさないと保てないような、そんな外面じゃない。
   誰かを撃ち負かしたとかそんな理由なしに、ただ自分の成すべき事をちゃんと分かってる。部
   族や血筋の名前を出さなくても誇りを守れるんだって、嬉しかったわ。私が白人を選んだくら
   いで掌返して裏切り者扱いするような部族の男じゃなくて、インディオであっても私を見てく
   れる人が傍にいる。それだけで、世界の何処にいても幸せになれると思ったわ。貴方に、分か
   るかしら?」

   ヒカリゴケの光を浴びながら、彼女は言った。彼女の言葉の節々から、彼女が後悔していない
  事は良く分かった。そして、彼女の言う意味も。自分も、同じく端正な容姿ではなくその生き方
  一つで誇りを守っている男を知っている。
 
  「早く帰って来ないかしらねー?」

   女は、幸せそのものの声で、最愛の相手の帰りを望んだ。