マッドがその事を知ったのは、太陽が天頂を通り過ぎてから、かなり時間が経った後の事だった。
  辿り着いた町で、引き摺って連れてきた賞金首を保安官の前に投げ出して、賞金を受け取った後、
 酒場に屯する賞金稼ぎ仲間から事の次第を聞いた。
  マリーが、単身、サンダウンのもとへ向かった、と。

 「止めたんだ。」

  マッドの表情の変貌ぶりに身を引きつつ、彼らは慌ててそう告げた。

 「けど、あいつは聞かなかった。俺達を臆病者だと罵って、自分だけでサンダウン・キッドを撃ち
  取りに行くと言った。」

  自分はマッドの隣に立って、マッドが一身に背負う荒野の嘆きを共に背負うのだ、と言って。マ
 リーは、やっぱりお前に夢を見ていたんだ。
  だからと言って、よりにもよって、サンダウンを撃ち取りに行くなんて。それにより、マッドの
 怒りを買う事が分からないのか。マッドの怒りの理由がどんなものであれ、マッドが怒り狂う事さ
 え分かっていれば良いだけなのに、それさえも分からないのか。
  もしかしたら、他でもないマッドが、きちんと説明していれば、マリーも納得したのかもしれな
 い。けれどもマッドにそんな説明責任はないし、責任の範疇外の事をしてやるほど、マリーを特別
 に思っているわけでもない。
  だから、マリーの愚行を聞いたマッドがした事と言えば、真っ先に怒り狂い、怒りのまま荒野へ
 と馬を向けさせる事だった。
  今から馬を走らせれば、きっとマリーがサンダウンに銃を向けるその現場に間に合うだろう。サ
 ンダウンが今何処にいるのかなどマッドには分からないが、マリーが見つけられた事と今まで聞い
 てきた噂話、そしてこれまでの経験とマッド自身の勘で、サンダウンを見つけ出す事は決して困難
 な事ではない。
  そんな事よりも一番困難なのは、怒り狂った自分を抑える事だ。
  マッドから表情を無くさせるほどのこの怒りの矛先は、紛れもなくマリー本人を刺し貫く。
  当り前だ。
  マリーは、自分を、賞金稼ぎ達をマッドの味方だと認識しているのだろうが、残念ながらマッド
 の見る世界はそんなに単純なものではない。マッドの世界は、もっと複雑だ。

  銃で撃ち殺すべき相手。
  縛り首にしなければ気が済まない相手。
  保安官に突き出すだけの相手。
  神経を逆撫でして許し難い相手。
  手を組んでも良い相手。
  一夜限りの熱と夢を見る相手。
  そして、それ以外のどうでも良い相手。

  これらの中をくるくると回転するのが、気紛れなマッドの世界だ。賞金稼ぎの皆を味方だと思っ
 てなどいないし、まして自分に反した相手を味方だなどと思うわけがない。それはもはや、神経を
 逆撫でして許し難い相手だと言っていい。
  だから、マッドはサンダウンに銃を突きつけるマリーを見た時、彼女の細指が支える銃身を撃つ
 事に些かの躊躇いもなかった。マリーの腕が痛めつけられようが折れようが、マッドには関係がな
 い。マリーは既に、マッドの『敵』となっているからだ。

  済んだ音を立てて、西日に照らされた乾いた砂の上に落ちた銃身に重なるように、マリーが腕を
 抱えて膝を折る。その様子を馬上から見下ろし、マッドは低く告げた。

 「マリー、此処で、何をしている?」

  普段のマッドからは想像もつかないような、背筋を凍えさせるような声に、マリーが弾かれたよ
 うに顔を上げた。だが、その顔にもマッドは冷ややかな視線を突き刺す。そこから広がるのは、マ
 リーも一度見た事がある、賞金稼ぎの王としての絶対的な圧力を持ったマッドの気配だ。
  それに呑み込まれたマリーは、崩れた膝を震わせながら、言葉を紡ごうとしている。以前は逃げ
 る事が出来たマッドの気配から、膝が動かない以上逃げる事が出来ない。そんな中、マリーはそれ
 でもまだマッドが自分を断罪する事がないと信じているのか、言葉を紡ごうとしている。

 「マッド、私は………!私はこの男を撃ち取って………!」
 「ああ、それは見りゃ分かる。で、お前はなんで、この男を撃ち取ろうとしてるんだ?」
 「それは、私の、勝手だわ!勿論、敵わないって事は分かってるわ!でも万が一って事もあるでし
  ょう!」
 「そうか、そうだな。でもよ、お前は一体誰の許しを得て、そんな勝手な事をしてるんだ?」
 「だから………!」

  マリーは一向に和らぐ事のないマッドの冷たさに焦れたのか、悲鳴のような声を上げた。

 「私が、この男を撃ち取るのに、貴方の許可がいるの?!」
 「いらねぇよ、けどな。」

  マッドの眼が細められると同時に、彼の手に握られていたバントラインの銃口が、マリー目掛け
 て大きく開かれる。

 「俺はな、自分の獲物を横取りされるのは、誰であろうとどんな理由があろうと許さねぇんだよ。」

  マッドがマリーに対して怒りを抱いたのは、単に、それだけの理由だ。マリーが身の程知らずに
 も自分よりも強い賞金首を標的にした事についてなど、怒りを感じない。どんな相手に狙いを定め、
 そして返り討ちに合おうが、マッドにはどうでも良い事だ。
  だが、サンダウンに関しては全く別の話だ。
  サンダウンを追い掛けているのはマッドであって、マッド以外にサンダウンが撃ち倒されるなど、
 決してあってはならない。マリーが言ったように、万が一にでも起きてはならないのだ。

 「さあ、早く俺の前から失せろ。一分間だけ待ってやる。その間に、出来る限り遠くまで逃げるん
  だな。」  
 「マッド、私は!」
 「マリー。同じ事を何度も言わせるなよ。サンダウン・キッドを撃ち取るのは俺であってお前じゃ
  ない。何が何でもお前がキッドを追い掛けるなら俺はそれを全力で邪魔をするし、お前も俺を殺
  す覚悟でやるんだな。」
 「何故?!」

  何故、そこまで、拘るのか、と。
  マリーが震える声で問うた。それにマッドは顔を顰める。そして、やはりマリーは分かっていな
 いのだと思った。

 「その男が、賞金首の王だからさ。」

  自分の対極にある玉座に座る男。そしてマッドを月だとすれば、撃ち落とせば確実に名が上がる
 この男は、正しく太陽だ。太陽がなければ月が輝く事がないように、マッドもサンダウンを手に入
 れなければ立ち位置を保つ事が出来ない。そして、その太陽を手に入れようと吠える事ができるの
 は、太陽の真逆にある玉座に座るマッドだけだ。
  マリーは間違えている。
  マッドの隣に座るなど、勘違いも甚だしい。
  マッドの隣には玉座はないのだ。賞金稼ぎの王の為の玉座は一つしかなく、そこに座る事が出来
 るのも一人しかいない。だから、マリーにはマッドの隣に座る為の手段はなく、もしも玉座が欲し
 いのならマッドを蹴り落としてそこに座るしかない。賞金稼ぎ達の関係は、マリーが想像するよう
 な甘ったるい関係ではないのだ。
  そして、荒野の玉座は、隣り合えるような生易しい関係ではない。
  確かに、荒野に玉座は二つある。けれどそれは、隣り合っているのではなく。完全に真逆を向い
 ている。マッドが座る賞金稼ぎの玉座と、サンダウンが座る賞金首の玉座。どちらも血みどろで、
 銃弾でしか繋ぎ合う事は出来ない。

 「さあ、もう、一分経ったぜ。」

  マッドは低く言い放ち、撃鉄を上げる。ひたりと銃口をマリーの白い額に合わせ、最期にかけて
 やるべき言葉を探そうと口を開く。その間も、マッドの気配は止まらない。小悪党ならば、その場

 で泡を吹いてもおかしくない気配の中、それでも何とが自我を保っているマリーは、やはりそれな
 りの賞金稼ぎだったのだろう。
  だが、マッドの座る場所には程遠い。

  マリー、


  マッドが殊更優しく囁く。
  だが、そこにはっきりと殺意が込められていた事に、今度はマリーも気付いたらしい。そして、
 もはやどんな言葉も通用しない事も分かっただろう。マッドは冗談で殺気を込めたりする人間では
 ない。
  笑う膝を引き摺るようにして後退りを始めた女を、マッドはじっと見つめる。きっと、マリーは
 これほどまで長くマッドに見つめられた事はないだろう。もしかしたら願っていたのかもしれない。
 それなら、最期の瞬間くらいは見つめておいてやろう。
  うっとりとした笑みを口元に刷くと、マリーは身を翻して、まろぶように走り去っていく。自分
 の愛馬に縋りつくように乗り、一目散に逃げ出していく。その背中を、マッドは振り返る事が出来
 ないように、殺気で貫き続ける。
  そして、薄暗くなった地平の向こうに馬蹄が消え去ってから、ようやく漣のように広がる自分の
 気配を断ち切る。

 「……………マッド。」

  マッドが殺気を消すと同時に、深い声で名を呼ばれた。ディオの上から見渡すと、サンダウンが
 こちらを見ている。それから視線を逸らし、マッドは呟く。

 「別に、あんたを助けに来たわけじゃないぜ。」
 「知っている。」
 「あれが、迷惑を掛けてたみたいだから、来ただけだ。」
 「分かっている。」

  腹が立つほどに全てを了解している声音だ。
  賞金稼ぎ仲間よりも、娼婦達よりも、自分の対極に存在するこの男が自分の事を一番了解してい
 るなんて、なんの喜劇か。だが、それを否定できないくらい、マッド自身この男が自分の世界の中
 でも別の枠に存在している事を知っている。 

  銃で撃ち殺すべき相手。
  縛り首にしなければ気が済まない相手。
  保安官に突き出すだけの相手。
  神経を逆撫でして許し難い相手。
  手を組んでも良い相手。
  一夜限りの熱と夢を見る相手。
  そして、それ以外のどうでも良い相手。

  マッドの世界で回転する人間達の中で、自分の真逆にある男は、この区画の中に当て嵌まらない。
  その時点で、マリーなどどう足掻いても、この男に対する興味の一欠けも得られないはずなのだ。

 「マッド。」

  降りてこい、と促す声に、マッドは仕方なくディオの背から降りる。マッドにこうして命じて、
 そしてマッドがそれに従う相手など、この世に一人しかいない。銃を掲げて追いかけて、それでも
 誰よりも死んでほしくない上に、自分以外の誰の手にも渡ってほしくない、自分と真逆の王者は、
 この先サンダウン以外には現れないだろう。

  対称の位置にいる、王者。
  そして、誰にも手渡したくない、俺の、日輪。

  それが、マッドの世界でサンダウンに与えられた区画だ。