マリーがサンダウン・キッドを間近で見る機会は、早くに訪れた。

  珍しい事に、いつもは大きな街に屯する事の多い賞金稼ぎ達が、ゴールド・ラッシュが過ぎ去っ
 た、まるで波が去った後に打ち残された貝殻のような鄙びた町に集まっていた。彼らが求める娼婦
 もいないような町で、それでも少しでも渇きを潤そうと言うかのように、賞金稼ぎ達は小さな酒場
 の隅を占領していた。

  彼らがその町を訪れた理由は、単に賞金首達を狩った後、手近な町で身を休めようという考えか
 らだ。
  荒野の隅――もしかしたらど真ん中だったのかもしれない――の誰も訪れる事がないような洞窟
 を根城とした賞金首達を捕える為に集まった賞金稼ぎ達は、決して難しくはない狩りであったにも
 拘わらず、時間を掛けて大きな街へ向かう事が億劫だと感じるほどに憔悴していたのだ。
  それは、撃ち殺した賞金首達と、彼らが根城にしていた洞窟内部の所為だった。

  マリーにとっては初めて参加する事になる、賞金稼ぎの頂点であるマッド・ドッグ主導の狩り。
 それは、聞いただけでも身の毛がよだつ賞金首達の駆逐だった。
  保安官が手を拱いて、検事も当てにならず、被害者の嘆きが深くなるばかりの賞金首。その狩り
 を一手に担う血濡れの玉座に座る気紛れな賞金稼ぎは、集まった賞金稼ぎ仲間を見回して、冷やや
 かに告げた。

  今度の相手は、食人鬼だ、と。
  駅馬車を襲って、そして中の人間を攫って喰らっていく連中がいるのだ、と。

  今まであまりにも手口が鮮やかで誰も気付かなかったが、一週間前運良く連中から逃げ出す事が
 出来た男がいた。その男の口から、その存在が明らかになった。しかし、先行して捕えに行った警
 備隊十名が返って来ない。つまり、連中に食われたのだろう。警備隊は確かに一般人から募った素
 人だ。しかし、十名という数が食われたとなると、相手がどれだけの手練が分かる。
  顔を見合わせる賞金首達に、マッドは告げた。来たい奴だけ来い、と。

 「奴らの根城は、恐らく今までに見たどの場所よりも酷い状況だろう。そして奴らには人を食う事
  について罪悪感はない。どうやら、そうやって生きてきたらしいからな。俺らを殺す事にも何の
  躊躇いもねぇだろう。俺らが奴らを保安官の前に引き摺り出して、裁判にかけたところで、連中
  には何の事か分からねぇだろう。つまり、罰を与える事も出来やしねぇって事だ。」

  だから、その場で撃ち殺す。

 「奴らは動物と同じだ。死にたいとは思わねぇだろう。だから、その場で殺す。それが連中にとっ
  ては一番効果的だ。そしてその場で根城ごと焼き払う。」

  きっと、そう言い放った時には、マッドの中では既に根城がどれほど凄惨な状況になっているの
 か想像出来ていたのだろう。蟻のように群がる、機械的に人間を『加工処理』しようとする連中を
 全て殺し終えた後、マリーはどれほど頼んでも、血の匂いが漂う洞窟の中には入れて貰えなかった。
 マリーだけではなく、まだ幼い少年達も入れては貰えなかった。
  だが、年嵩の賞金稼ぎが真っ青な顔で飛び出してくるなり、胃の中の物を全て吐き出しているの
 を見れば、それが人智を越えるほど凄惨な状態だった事が窺い知れる。
  中を見た誰もがその場で蹲り吐瀉する中、唯一マッドだけが、顔色こそ蒼褪めていたものの、洞
 窟の奥から被害者の遺留品と思われる物を丁寧に検分し、それを油紙で包みこんでいた。
  そしてそれらが終わった後、彼は洞窟に火を放った。爆ぜる炎が洞窟の奥に達する前に、マッド
 が立ち去るようにと促したから、そこが今どういう状況となっているのかは分からないが、それは
 肉の焼ける臭いを嗅がないようにというマッドの配慮だったのだろう。

  そして、気管に何かが絡まるようなその仕事を終えて、ようやく鄙びた町に辿り着いた時には皆
 憔悴し、洞窟の中を見た者は食欲などないのだろう、酒場でも酒を浴びるだけだ。
  いつもは賑やかしい彼らが黙りこくっているのは、非常に珍しい事だ。そしてその中心にいるは
 ずのマッドは、今は窓際の席に一人座って黙りこくっている。何か考え事をしているかのように頬
 杖をついて、あらぬ方向を見ているその様子は、改めて見れば賞金稼ぎとは思えないほどの秀麗さ
 と思慮深さを物語っているかのようだ。
  少年達と少し離れた席で食事をしていたマリーは、ちらちらとマッドの彫刻のように動かない横
 顔を眺める。
  一体何を考えているのだろうか。今日の狩りの事だろうか。確かに今日の狩りでは考えてしまう
 事が大量にあった。罪悪感のない理不尽な犯罪者の事や、それに巻き込まれた被害者の事。きりが
 ないだろう。しかしそれならば何故、この仕事を引き受けたのか。報酬が良かったと言っても、マ
 ッドならば幾らでも別の賞金首を選べるはず。
  それらの疑問を投げかけてみようかとマリーが腰を浮かせ、マッドに近づこうとしたその時、そ
 れまで彫刻のように動かなかったマッドの背中が跳ね上がった。同時に噴き上げる、マッドの内面
 で、いつも荒れ狂っている獰猛な気配。
  突然の転調にマリーが驚くよりも早く、うらぶれた酒場の扉が開き、ウエスタン・ドアが軋んだ
 音が響いた。

  その瞬間を何と表現すれば良いのだろう。
  扉を軋ませて入ってきた気配は、マッドの気配とは対照的な、夜の闇よりも尚深い静寂と、しか
 しその奥底に混沌とした得体の知れないものを泡立てていた。
  思わずそちらを振り返れば、そこにいたのは草臥れた帽子とポンチョに身を包んだ背の高い壮年
 の男だ。特に眼を引く出で立ちではないが、その気配が。
  そして男を見た途端、心痛な面持ちで酒を煽っていた賞金稼ぎ達が凍りつく。顔を引き攣らせ、
 ぎこちない動きでマッドのほうへと視線を向ける。
  視線を向けられたマッドはと言えば、勢いよく椅子から立ち上がり、顔色こそまだ悪いものの、
 勢いよく椅子から立ち上がるや眼にも止まらぬ早業で腰のホルスターからバントラインを引き抜き、
 その銃口を入ってきたばかりの男に突き付けた。

 「よお、キッド。てめぇから俺のもとに来るなんざ珍しいじゃねぇか。」

  喜悦を孕んだ声に、銃口を突き付けられた男はと言えば、少し眉根を寄せただけで特に反応はし
 ない。だが、それでもマッドは気にしていないようだった。いつもより少し青い顔色に、いつもの
 笑みを刷いて続ける。

 「表に出ろよ、キッド。今日こそ、決着をつけようぜ。」
 「………………。」

  背の高い影が何かを口にしようとしたが、それは途中で止まり閉ざされる。代わりに男は背を向
 けて酒場から出ていく。それをマッドがしなやかな動きで追いかける。
  二人の影が軋むウエスタン・ドアから離れた時になって、ようやく酒場の中には時間が戻ってき
 たようだった。はっと我に帰ったマリーは、慌てて周りにいる賞金稼ぎ達に問う。

 「追いかけなくて、いいの?!」
 「安心しろ、殺されたりしねぇよ。」

  これまでもずっとそうだった、と男達は言う。
  賞金首サンダウン・キッドは、賞金稼ぎマッド・ドッグを殺したりはしない。

 「むしろ、邪魔をしたらマッドに殺されるぜ。あいつのサンダウンへの執着は異常だからな。」
 「マリー、お前もマッドの手で殺されたくはねぇだろう?」

  そう言う賞金稼ぎの声に、立て続けに起こった銃声が被る。
  始まったな、と呑気な年嵩の賞金稼ぎをマリーは一睨みし、ウエスタン・ドアを押し広げて薄闇
 が広がる舗装されてもいない通りへと出ていく。そして、先程の銃声が聞こえた方角を頼りに、マ
 ッドの姿を探す。
  大きくもない町は、歩けばすぐに町を囲う柵へと突き当り、マリーはその柵を越えて荒野へと足
 を伸ばした。
  細く貧相な月が砂塵でぼやける乾いた大地の上、求める姿はすぐに見つかった。

  蹲る細い影、それに覆い被さるような背の高い影。
  腕を抑えて蹲ったマッドの顎に男が手を掛けて、マッドの顔を覗き込んでいるのだ。そして今に
 も何かを口にしようと唇を開きかけている。
  だがそれよりも早く二人はマリーに気付いた。四つの眼線がマリーを見ると同時に、マリーは銃
 を掲げて叫ぶ。

 「マッドから離れなさい!」

  マッドが何をされようとして、男が何をマッドに言おうとしていたのか、それはマリーには分か
 らない。ただ、賞金首と賞金稼ぎというには、何か不可思議に穏やかな空間が流れている事に、酷
 い不信感を持ったのだ。
  銃口をぴったりと背の高い影に合わせて、マリーは突き付けた銃口と同じくらいの鋭さで男を睨
 みつける。
  だが、男はやはりそれに対して何の反応も見せなかった。マリーを一瞥すると、再びマッドに視
 線を戻す。
  マリーを完全に無視した男の代わりに、マッドが小さく溜め息を吐いて言った。

 「マリー、銃を降ろせ。そんで、あいつらの所に戻りな。」
 「でも…………。」
 「良いから、戻れ。これは、俺達二人の問題だ。」

  酷く面倒くさそうな、マリーの事などどうでも良いと言わんばかりの口調に、マリーは少しだけ
 頭に血が昇ったような気がした。それで銃口を下ろさずにいると、マッドの顔が顰められる。

 「マリー、俺の声が聞こえなかったのか?銃を下ろして、戻れ。」

  だが、マリーの銃口は動かない。そもそも、マリーにマッドの言う事を聞く必要など何処にもな
 い。マッドは確かに賞金稼ぎの頂にいるが、賞金稼ぎ達を支配しているわけではないのだから。だ
 から、マリーはマッドから離れない賞金首から銃口を逸らそうとしない。
  そんなマリーに焦れたのか、マッドの口から、ふっと鋭い息が漏れた。

 「失せろ、今すぐに。」

  瞬間に膨れ上がったマッドの気配は、圧倒的だった。それは正しく、この荒野の嘆きと血を吸い
 取った玉座に座る覚悟と意志がある者だけが放つ事の出来る、何もかもを貪欲に飲みこむ気配。そ
 れと同時に吐き出された声は、いつものマッドの声よりも遥かに深く、鋭い。
  見つめられているだけだと言うのに、喉元に刃を突きつけられているような感触がする。そして
 その黒い視線は、飲みこんだ全てを噴き上げる寸前の色をしている。
  ひゅっと、マリーの喉が情けない音を立てた。
  今になって、本気でマッドが自分を殺すかもしれないと思ったのだ。思わず一歩後退れば、もう
 恐怖が留まる事はなかった。未だかつてないほど殺気を露わにした西部一の賞金稼ぎの姿に、マリ
 ーは身を捩るようにして逃げ出した。




 「……………良いのか。」

  マリーが立ち去った後、低い声がマッドの耳朶を打った。自分を見下ろすサンダウンの声に、マ
 ッドは小さく笑う。

 「かまわねぇよ。これで俺がどういう人間なのか、わかったんなら、それでいい。」

  マッドは薄々気付いていた。マリーが自分に妙な理想を抱きかけている事に。それは、マッドが
 この荒野の嘆きが行きつく最後の場所に座っているからかもしれないし、単にマッドの容姿に惹か
 れただけかもしれない。
  何れにせよ、マッドには迷惑な事この上ない。
  そして、それを膨らませた挙句、こんな時に、この相手に銃を掲げるなんて。

 「俺とあんたの決闘を邪魔しようとする奴なんか、俺は傍に欲しくはねぇな。」
 「……………本当に、あれで、分かったと思うのか。」

  サンダウンの声は溜め息交じりだった。
  その声に眉根を寄せると、サンダウンは小さく告げる。

 「私なら、冷静になった後で、お前が自分を守ろうとしたのだろうと思うだろうな。」

  サンダウンという到底敵わない相手から、守ろうとした、と。
  そのサンダウンの言葉に、マッドはますます顔を顰めた。マッドとしては、そんなつもりは微塵
 もなかったのに。
  そんなマッドに、サンダウンは囁く。

 「賞金稼ぎの王とは、苦労するものだな。しかも今日は顔色が悪い。また、嫌な相手を狩ったか。」
 「へっ、あんたがそういう賞金首をまとめてくれりゃ、俺も楽なんだがな。」

  だが、それは叶えられない。賞金稼ぎは徒党を組んで、それをマッドが纏める事は出来ても、賞
 金首の王が同じ事をするのは不可能だ。何せ賞金首はそれぞれが犯罪を起こし、それぞれが己の欲
 に従って罪を犯すからだ。そんな連中を纏める事など、出来るはずがない。それが分かった上で、
 マッドは恨み言を吐いているだけだ。

  そして、西部一の賞金稼ぎがそんな事を言える相手は、この世に西部一の賞金首をおいて、他に
 はいなかった。