それから、少しずつマリーはマッドの周囲に近づくようになった。
   マッドと近しい賞金稼ぎ達と話をし、そして共に仕事をする事もあるようだった。マリーは賞
  金稼ぎとして見れば、腕は良いほうだったから、マッドと仕事をする賞金稼ぎ仲間と手を組んで
  も、決して足手まといにはならないだろう。
   そして賞金稼ぎ達も、マリーに対しては好意的だった。マリーが女だという事もあったのだろ
  うが、娼婦とは違う凛とした眼差しが彼らの琴線を揺さぶったのかもしれない。
   彼らと酒場で談笑する紅一点を見やって、マッドはそんな事をぼんやりと思った。

   しかしマッドには関係のない事だった。マッドにとっては、マリーが傍に近づく事は自分を取
  り巻く賞金稼ぎ仲間が一人増えただけの事。もしかしたら共闘する事もこれからあるのかもしれ
  ないが、しかしだからといって、マッドが彼女に対して何かをする必要はない。
   常に大勢の賞金稼ぎ達に傅かれているマッドにしてみれば、取り巻きが一人増えるも一人減る
  も日常茶飯事だ。新しく自分の前に跪いた人間に対して、何か労いの言葉を懸ける必要は、賞金稼
  ぎの頂点にいる男にはない。だから、マッドはマリーに何一つとして特別な事はしなかった。




   その夜、酒場でゆっくりと食事をしているマッドの耳に、ざわついた気配が聞こえてきた。一
  人や二人ではないその声は、確かにマッドがいる酒場へと近づいてくる。
   これが何か険呑な――例えば酒の勢いを借りて無法を働く奴らだとか――だったなら、酒場の
  扉が開いた瞬間に、マッドも何らかの反応をしただろうが、特に問題のある様子ではなかったの
  でマッドは眼の前にあるソーセージに専念する事にした。
   やがて、ざわめきが大きくなり酒場の扉が開かれるや、陽気な笑い声が弾け飛んだ。

  「いや、保安官に突き出した時のあいつらの顔といったら見ものだったな!」
  「は、良い気味さ。あんな連中、本当は縛り首になっちまえばいいんだからな。」

   口々に言い合うその内容は、どうやら狩りの話らしい。そしてその狩りの話をする者は、賞金
  稼ぎしかいない。そしてマッドは彼らの声の中に幾つか見知ったものがある事に気が付いた。
   彼らも、マッドに気付いたらしい。
   カウンターで、こくこくとワインを飲んでいたマッドを見つけると、彼らはこぞって駆け寄っ
  てくる。

  「おお、マッド!お前も来てたのか!」
  「よお………。」

   振り返って、カランとグラスを鳴らし、男達を見渡せば、そこにはやはり狩りの後の達成感に
  満ちた表情があった。カウンターに凭れて彼らの表情を眺め――その中にはマリーの顔もあった
  ――首を傾げる。

  「なんだ、でかい狩りでもあったのか?」
  「ああ、組織的に馬泥棒をしている連中を潰してきたところだ。あんたも来たかったのか?」

   後半部分をややきまり悪げに言う男に、マッドは首を横に振る。

  「いいや。俺もちょうど別の賞金首を狩ってたからな。」
  「へえ、誰を?」
  「フランコさ。処刑人フランコ。お前らも知ってるだろ?」

   ならず者達にひっつき、そして彼らの邪魔になる者を次々と殺していった処刑人だ。保安官や
  検事の中には彼を雇い政敵を殺した者もいる為、殺された側の遺族は表立って騒ぐ事が出来なか
  った。
   だから、彼らは有り金を掻き集め、マッドに請うたのだ。

  「2000ドルだ。奴に懸けられた金額は。」
  「で、撃ち取ったのか?」
  「当り前だ。でなきゃこんなとこで酒なんか飲んでねぇよ。」

   マッドは葉巻を取り出し、それに火を点ける。いつの間にか、とんでもない大役を果たしてい
  た君主のその様子を、賞金稼ぎ達は黙って見守る。
   そこに口を挟んだのはマリーだった。

  「それは公式の賞金首じゃないのよね?そんな事をしてもいいのかしら?」
  「良いとか悪いの問題じゃねぇよ。俺が気に入ったか気に入らなかったかの問題だ。」

   フランコが性質の悪い人殺しである事はすぐに知れた。念の為に裏取りもしたが、その評価が
  覆る事はなく、その下衆が法のもとに賞金首の首に縛り首用の荒縄を引っ掛けている事が、マッ
  ドには不愉快だった。
   縛り首にされてもおかしくない男が、同じように縛り首にされる連中を嘲笑って、自分は法の
  側にあるから大丈夫だと思い込んでいる様が、気に入らなかっただけだ。

  「その男は、どうしたの?」
  「だから、撃ち取ったって言ってるだろ?」

   嘘だ。
   いや、半分は本当だ。
   マッドはフランコの両手足を撃ち抜いて、炎天下の誰も通らない――獣しかいない荒野のど真
  ん中に置き去りにしてきた。フランコが、出血多量で死ぬのか、飢えと暑さで死ぬのか、それと
  もコヨーテや狼、ハゲワシに喰い殺されるのかなど、それはマッドの与り知らぬ事だ。

  「もし、その男に殺された人の遺族が、賞金を懸けなかったら、貴方はどうしたの?」
  「どうもしねぇよ。俺は賞金稼ぎだ。見ず知らずの連中の復讐なんぞに手を貸す義理はねぇ。」
  「その男が極悪人だと分かっていても?」
  「ああ。」

   フランコは極悪人で、マッドは彼の事が気に入らなかった。だが、それだけで人殺しをするほ
  どマッドは気の狂った性格ではない。マッド自身はフランコの害を被ったわけでも何でもないの
  だから。
   けれども賞金が支払われるとなれば話は別だ。マッドは仕事をする。それだけだ。

   マッドには、今のマリーが何を言いたいのか分からない。
   公的ではない賞金首を撃ち取った事に文句を言いたいのか、それとも賞金がなければ動かない
  事に文句を言いたいのか。
   いずれにせよ、その文句は見当外れだ。賞金稼ぎは法の網を掻い潜るような職種であって、公
  を時にはないがしろにする。そして掲げる御旗は正義のそれではなく、どこまでも貪欲な亡者の
  旗だ。そしてそれをマッドはわざわざ口にしたりしない。
   そんなマッドに何を思ったのか、マリーは小さく呟く。

  「変な人。」

   そうぽつりと落として、彼女はマッドに背を向けると、壁のように連なっている賞金稼ぎ達を
  割って、酒場から出ていってしまう。その様子を呆気に取られてみていた賞金稼ぎ達は、おそる
  おそるといったふうにマッドの顔色を窺い始めた。新人の不躾な質問に、王の機嫌が損なわれた
  のではないかと怯えているのだ。

  「悪いな、マッド。どうもあいつは余計な口出しをせずにはいられねぇ性格らしくてな。俺達も
   何度か注意はしたんだが。」
  「別に何とも思っちゃいねぇよ。」

   マッドはゆっくりと葉巻の煙を吐き出しながら、そう答える。
   しかし、賞金稼ぎ達の顔色は冴えない。どうしたのかと怪訝に思っていると、彼らは何かを逡
  巡するような表情を見せていたが、やがて諦めたように口を開いた。

  「どうやら、あいつは自分が特別だと思っているらしくてな。いや、特別とは少し違うな。娼婦
   でもなく、かといって他の町娘とも違う。そういう立ち位置を確立したがっているらしい。」
  「それで?」
  「それで、まあ、背伸びをしようとしているのか誰に対してもあの調子だ。そこまでは、いいん
   だが。」
  「だから、なんなんだ。」

   どうも回りくどい台詞に、マッドは少しだけ苛立った声を出す。他の女とは違う立ち位置を確
  立したがっているのはともかく、誰にでも突っ掛かろうとするのは別にマリーだけに限った事で
  はない。子供には良くある事だ。それの、何が問題だ。
   すると、賞金稼ぎ達の逡巡は、更に深くなった。

  「マッド、お前、マリーを俺達と同列に扱っているよな。」
  「それの何が問題だ。俺はお前らに優劣も上下もつけた事がねぇよ。」
  「ああそうだ、マッド・ドッグ。お前は何処までも公正だ。だから、余計にマリーが自分を特別
   だと勘違いしているんだ。」
  「ああ?」

   言われている事が理解できずに、マッドは眉間に皺を寄せる。それから眼を逸らしながら彼ら
  は続ける。

  「俺達はどうしてもマリーを特別扱いしてしまう。それはあいつが女だからだ。女だから手荒に
   は扱えないし、言葉もそうだ。もしかしたら自覚はないが下心も持っているのかもしれん。そ
   れがマリーには気に入らない。だが、マッド、お前は違う。」
  「お前ら、マリーを抱きたいのか。」
  「違う。いや、わからん。さっきも言ったように無自覚にそう思っている可能性はある。」
  「止めとけ。同業者を娼婦と同じ眼で見ても、後で後悔するぞ。」
  「それだよ。」
  「何がだよ。」
  「お前のそれが、マリーに変な勘違いを起こさせてるんだ。」

   娼婦は一晩だけの付き合いだ。手軽に抱けて手軽に別れられる相手だ。つまり、言葉は悪いが
  遊びだ。
   しかし同業者ともなればそうはいかない。同じコミュニティに属する人間と、遊びで身体を重
  ねる事は、もしも途中で情が移ってしまえば仕事に差し支えが出てしまう。そして別れ話になれ
  ば、きっと血を見る事になるだろう。だから、もし、同業者を抱くならば、それなりの覚悟が必
  要だ。
   その暗黙の了解を脳内で繰り返し、マッドは少しばかり話が見えてきた気がした。

  「つまり、俺が、マリーに手を出す時は、本気で手を出す時だ、と?それが、特別?」
  「そうだ。」
  「だから、それで、」
  「マリーはどうやらお前を少しばかり特別な目で見ているらしい。お前の肩書の所為かお前の態
   度の所為かは知らんが、多分後者だろうな。マリーも女だ。ちやほやされる事を嫌っているよ
   うに見せても、じゃあ逆に自分を特別扱いしない男がいれば、こっちに眼を向けさせたくなる
   もんだ。」
  「くだらねぇ。」
  「だが、的外れでもない。」

   気をつけろ、と賞金稼ぎ達は王に進言する。

  「マリーは凄腕の賞金稼ぎだが、まだ賞金稼ぎになって日が浅い。賞金稼ぎの機微も分かってな
   い。寧ろ、正義と法を夢見ている時点で、賞金稼ぎには向いてない。」
  「だろうな。」
  「そしてお前にも夢を見ている。俺達のように特別扱いしないお前を。」

   正義と法の夢と、マッドに見る夢と。
   その夢が一致しない時、どうなるか。

  「どうもならない。」

   名実共に西部一の賞金稼ぎが、マリーにどうこうされるわけがない。
   だから、マッドは賞金稼ぎ達の杞憂を、一蹴した。