ほろ酔い気分でサルーンを出て、先程まで一緒にいた女の感触を思い出しては楽しみながら、
  ふらふらと通りを歩いていると、酷く硬い視線に見られている事に気付いた。しかし銃に手を掛
  けなかったのは、その視線には殺意や憎悪に近い気配が籠められていなかったからだ。
   マッドは少し上気した頬を冷やすように眼を閉じて風を感じてから、その視線の持ち主へと夜
  と同じ色をした眼を向ける。
   昼間ならば馬車の往来が激しい通りは、夜も更けたこの時間帯は人通りも少なく何処までも見
  渡せる。だから、石のような視線の持ち主はすぐに見つかったし、相手もすぐに見つかる事を見
  越していたようだった。

   広い通りの向こう側で、すっと立ち上がった影はこの時間帯をうろつくには些か柔らかさを伴
  った曲線で刳り抜かれていた。今にも路地裏に連れ込まれてしまいそうな曲線美を示す影は、そ
  の曲線を一層際立てるようなシャツとズボンに身を包んでいる。粗末な服装だが、しかしこれが
  ドレスだったならば隠せたであろう丸みが全て曝け出されてしまっている。
   しかしそれでも彼女が襲われないのは、その身体全身に仕込まれたナイフと銃があるからだ。
  マッドと同じように武装した彼女は、確かにマッドと同じ属性にいる。

   通り越しに彼女に向き直ったマッドは、彼女が誰なのかもう分かっている。
   昼間、娼婦と言い争いをしていた女賞金稼ぎだ。硬い表情にまだあどけなさが残る顔立ちは、
  例え賞金稼ぎであってもこんな夜更けにうろつき回るのが危険だと思わせるには十分だが、隙の
  ない身のこなしが、彼女が女であるという侮りを寄せ付けない。
   深く被った帽子の隙間から、赤い髪が流れるのを見て、マッドはその女賞金稼ぎの名前を聞い
  た事があるような気がした。

   女の賞金稼ぎは珍しい。
   職業が職業なだけに、その身体能力から考えても難しいというのが理由の一つだ。それと、な
  らず者だけでなく、賞金稼ぎ仲間にも襲われるという可能性がある事と。それ故に賞金稼ぎにな
  る女は少ない。
   更に、その銃の腕で名を馳せるとなると、もはやほとんどいないと言っていい。大抵の女賞金
  稼ぎは、男達の後ろについて回るだけか、それか身体で賞金首に近づくかのどちらかだ。
   だから、仲間が凄腕の女賞金稼ぎがいると噂していたのを覚えていたのだ。
   赤い髪と、その流れた血の多さから、確か、こう呼ばれていたはず。

  「ブラッディ・マリー?」

   首を傾げて、そう誰何すれば頷く気配があった。目深に被っていた帽子を少し上げて、硬い色
  をしている褐色の瞳を覗かせる。それは確かに、昼間、娼婦とやり合っていた女賞金稼ぎだ。

  「貴方、マッド・ドッグね。」
  「何か用か?」

   マリーの問いには答えずに問い返せば、マリーは不満そうな表情をした。

  「質問に対して質問で答えるのは反則ね。でもいいわ、不躾に眺めていたのは私だもの、答えて
   あげる。西部一の賞金稼ぎと言われる貴方に興味があっただけよ。」
  「へぇ、それで、俺を見た感想は?」
  「何処にでもいる賞金稼ぎと一緒ね。娼婦達の媚びに好い気になっている、その辺にいる男と同
   じだわ。」

   賞金稼ぎの頂点は、即ち荒野の王を指す。その王に対してその物言いは、不敬罪に値し、その
  まま撃ち殺されても文句は言えない。
   だが、マッドはマリーの台詞に口角を上げて笑ってみせた。

  「そりゃそうだ。俺は男だから女を抱きたいと思うし、良い女に擦り寄られて悪い気はしねぇよ。」
  「がっかりしたわ。西部一なんて言われているから、そのへんの男とは違うと思ったのに。」
  「そりゃ悪かったな。けど、俺らが娼婦達の媚に喜ぶように、お前だって男に対して変な理想を
   持ってねえか?」

   生娘のようなマリーの台詞に苦笑いしつつ、マッドは彼女の確信を突く。どうやらこの娘は、
  西部一の賞金稼ぎに小奇麗な理想を抱いていたらしい。
   だが、賞金稼ぎという職業である時点で理想からかけ離れているはずなのだ。血腥い職業の頂
  点なのだから、その血臭は他の誰よりも濃い。
   しかしそれをマッドは口にせず、マリーに背を向ける。マッドは彼らの王であっても、決して
  指導者ではない。だから賞金稼ぎとしての在り方を滔々と語る気はない。そもそも賞金稼ぎの在
  り方など自体が存在しないのだ。
   だからマッドは、マリーに賞金稼ぎの位置を教える代わりに、早く帰れと肩越しに言った。

  「この辺りは別に治安が悪いわけじゃねぇが、夜に女が一人で歩くような場所でもねぇ。さっさ
   と宿に戻りな。」
  「女?貴方もやっぱり私を女だと言って侮るの?」
  「そうじゃねぇよ。」

   妙に頑なな声に、マッドはマリーが何を言わんとしているのかを悟り、大きく溜め息を吐いた。
  女の賞金稼ぎは珍しい。それ故に枷も多いだろう。それはマッドにも分かる。しかしマリーはそ
  れをどうやら過剰に意識しているらしい。
   つまり、男に負けたくないという事を、強く意識している時期なのだろう。
   やれやれと首を振り、マッドはもう一度マリーに向き直る。

  「女だからとか男だからとか、そういう問題じゃねぇ事もあるだろうが。お前はどうしたって女
   だし、俺もどうしたって男だ。お前が女で損をした事があるように、俺だって男だって事で嫌
   な目にあった事がある。」
  「そうかしら。銃の腕は一流だし、娼婦にも人気があるのに、損をしているとは思えないわ。」

   つん、と硬くそっぽを向くマリーは知らないのだろう。マッドが此処に至るまで、いや至った
  後も、どれほど多くの欲望の眼に曝されてきたか。女の数が少ない西部において、その端正な身
  体がどれだけ欲望の対象とされてきたか。
   しかしマッドはそれを口にせず、苦笑いするに留まった。

  「お前の場合はあれだろうが。女として得をしている事――女だから多少は大目に見て貰えてる
   事が、枷にしか見えねぇんだろう。そんな事思わずに、甘えてりゃいいのさ。」
  「ふん、大目に見る連中の大半は、下心を持ってるわ。」
  「ま、そういう奴らもいるだろうが。」
  「それとも、自分は違うとでも言うつもりかしら?」
  「だから俺はお前を宿に送っていこうだなんて言ってもねぇだろうが。」

   マッドの台詞にマリーは怪訝な表情をする。何を言っているのだと言わんばかりの表情に、マ
  ッドはもう一度溜め息を吐く。

  「お前が娼婦だったら送っていったさ。でもお前は賞金稼ぎだろうが。送っていくだなんてお節
   介はかけねぇよ………そりゃ、怪我でもしてりゃ別だが、五体満足の賞金稼ぎをなんでわざわ
   ざ裏通りでもねぇのに送っていかなきゃなんねぇんだ。」

   それは、賞金稼ぎとしての矜持を傷つけかねないのに。
   喉の奥だけでそう呟いていると、マリーが顔を顰めていた。

  「でも、さっき、女だから早く帰れって言ったわ。」
  「お前が女じゃなくてガキでも同じ事は言ったさ。どう足掻いたって、女子供は男よりも力が弱
   いからな。」
  「それが侮っているって言うのよ。」
  「は、じゃあ何か。お前は狼の群れがいる事が分かっているのに、そこに向かおうとする同業者
   に何の注意もしねぇのか。俺ならその場合、女だろうが男だろうが警告はする。ただ、女子供
   の場合はその警告の基準点が男よりも低いだけだ。それを侮っているだのなんだの言われても
   困る。」

   大体、とマッドは何度目とも分からない溜め息を吐く。

  「さっきも言ったようにお前は賞金稼ぎだ。娼婦じゃねぇ。一夜の夢を見る相手としては、見れ
   ねぇな。」
  「………………。」

   黙りこんだマリーに、喋りすぎた、と呟いてマッドは今度こそ彼女に背を向ける。仄かに身体
  に残っていた酔いも女の香りも消えてしまった。何処かで飲み直すべきだろうかと考えていると、
  その背に、マリーの言葉が届いた。

  「少し、見直したわ。貴方は他の賞金稼ぎ達とは違うみたいね。」
  「そりゃ、光栄。」

   マッドは気のない声でそう返す、と二度と振り返らなかった。