19世紀後半のアメリカ西部は、酷く混沌としていた。
  ゴールド・ラッシュの波が去り、けれども移民は果てしなく増え、西の果てを目指す者――冒険
 者だけでなく、犯罪者、娼婦、賭博師、没落貴族など――は多い。それを受けて作られた大陸横断
 鉄道は、決して安価ではないにも拘わらず人が犇き合い、更なる人間を西部へと送り込む。
  しかし増え続ける人間の数は、それまでいた人間を圧迫する。白人とインディアンの争いは、今
 一時の休息を得ているものの、また、いつ暴発してもおかしくない状態にあった。
  そんな状態では法的機関はほとんど働かず、ならず者達が跋扈する世界を自然と西部の荒野に作
 り上げていた。
  あらゆる人種、あらゆる職種が見境なく蔓延る、渇きの大地。
  そこには、ただ二つの玉座が鎮座していた。




  Wild Road





  硬い馬蹄の音を響かせて、青と茶色の世界の中を、突き抜けて黒い影が馬を走らせる。湧き起こ
 る砂埃になど一瞥もしない。荒野の不安定な道のりに慣れたその姿は、見るものが見れば隙一つな
 い事が分かるだろう。
  すっきりと細身の身体は、しかし実は今から戦争にでも行くのかと思うほどの武器が、そのあち
 こちに隠されている。ジャケットの内側に仕込まれた数本の厳めしいナイフだとか、背中に背負っ
 たライフル銃だとか、その胴回りに絡みつく鉛玉の束だとか。
  そんな身体の中で一番強くその属性を主張しているのが、腰に帯びた黒光りする銃だ。持ち主の
 瞳と同じような黒で鍛え抜かれた鋼は、荒野の強い日差しを浴びていっそ白いほどだ。
  愛馬でさえ黒いその姿は、客観的に考えれば酷く地味なはずなのに、それにも拘わらずやたら目
 立つのは、それが特異な存在であるからかもしれない。
  血腥い荒野で賞金首を打ち倒し、負け知らずの銃の腕は瞬く間に荒野の頂点へと昇りつめた。若
 くしてその地位についた身体は、荒野にあるにしてはあまりにも繊細さが目立ち、どうしたって人
 目を惹くという事もある。同時に、火花のように苛烈で、氷山のように冷徹という、まるきり正反
 対の性質を併せ持つ彼は、それ故に生命の乏しい荒野にあって否が応にもその存在を知らしめる。

  銃の腕と、容貌と、その気質と。
  それら全てを呑み込んでいるその身体が、混沌とした西部の中で最も幅を利かせている賞金稼ぎ
 の頂点に君臨するのは、当然と言えば当然の事だった。
  若いが故にあるはずの舐められた態度も、彼が荒野の荒くれ者にあるまじき繊細な采配と、荒く
 れ者達以上の苛烈さを見せれば、悉く翻るばかりだった。
  賞金稼ぎの頂点は、即ち荒野の王と同義だ。賞金稼ぎ達が跪けば、必然的に娼婦達も跪き、そし
 て荒野を席巻しているならず者達も恐れ戦く。そして結果的に、荒野の実権を握る事になる。
  そう、考える者は、非常に多いのだ。

  しかし、その玉座に座る張本人は、自分が西部一の賞金稼ぎだと言う事は自負していても、自分
 が荒野を支配しているなどという考えは、微塵も持っていないのだった。
  彼は遠くに見えた町を見やると、三日ぶりのまともな食事と寝床と風呂、そして女に喜び、黒い
 愛馬をそちらへと駆けさせる。賞金稼ぎの王たる者、これらに不自由した事はないが、けれどもそ
 れがあって当然とは思わない。なくて癇癪を起こすなど、二流がやる事だ。望むものは手に入れる
 が、それは決して力づく――特に女は――であってはならない。
  西部一の賞金稼ぎと雖も、確かにコミュニティの一つに属する以上、ある程度のマナーは必要だ。
 それを守るか守らないかが、賞金稼ぎとならず者を分ける一線だ。それを自覚的にか、それか無意
 識にかは分からないが、成し遂げているマッドは、それ故に両手を広げてサルーンに迎え入れられ
 るのだ。

  その自分を迎え入れてくれるはずのサルーンの厩にディオを繋ぎ、西部一の賞金稼ぎマッド・ド
 ッグは、いそいそと酒場の中に入った。ハムとチーズと酒を期待して。
  だが、ウエスタン・ドアを開いたその中に漂っていたのは、待ち侘びていた微温湯のような娼婦
 と仲間達の空気ではなく、何か刺々しい、強いて言うなれば何かに向かって攻撃しようとしている
 空気だった。
  怪訝に思って、昼間なのに薄暗い部屋の中を見渡せば、しんと静まり返った空気の中に二つの人
 影が刳り抜いたように立ち上がっているのが見えた。

  一つは、まるで咲き誇る花のように艶やかなドレスを装った女。マッドも良く知る、このサルー
 ンの娼婦だ。彼女は美しく作り上げた白い顔を強張らせ、高く結い上げた髪の先端を震わせて、怒
 りを露わにしている。
  もう一つは、装い自体は、まるで西部の荒くれ者達と同じような薄汚れたシャツに帽子。けれど
 もそれが形作る線が、どう見ても女の曲線だ。
  あまり見かけない光景に、マッドは眉根を寄せる前で、二人の女達の声が響き渡る。

 「あんた、ちょっとちやほやされたからって、いい気になるんじゃないよ!女の賞金稼ぎが珍しい
  だけなんだよ、あんたが見られるのは!」
 「勝手な推測や邪推は止めて。私はただ此処で仕事終わりの一杯を楽しんでいただけよ。ちやほや
  されてるだなんて思っていないわ。」

  娼婦の怒鳴り声に対し、男装に似た装いをした女は冷ややかでさえある声を発している。娼婦が
 叫べば叫ぶほど、怒鳴れば怒鳴るほど、女は冷徹になっていくようだった。そしてその様が、娼婦
 を逆上させていく。
 
  その光景に、マッドは軽く舌打ちした。娼婦はサルーンでは一番位が高い。男達にとっては一番
 の『売り物』である彼女達は、自分達が必要であると知っているからこそ、誇りも高い。それを怒
 らせたならどうなるか。
  それは例え、女だから――むしろ女だからこそ、か――許されるものではない。

  余計な火種は消してしまうに限る。そう思ったマッドの動きは素早かった。
  徐々に怒りが上塗りされていく娼婦が、その怒りを遂に身体へと移行させてその細い手を振り上
 げた時、その手はしかし女の頬を打つ事はなく、中で押さえ込められた。
  はっとして振り返った娼婦は、自分の頭上高くで制止した自分の手の横で、黒い瞳が煌めいてい
 るのを見て眼を見張る。その表情を見下ろし、マッドは薄い笑みを口元に湛えた。

 「おいおい、女の相手で手がいっぱいで、俺の相手をしてる暇はねぇってのか?そりゃちょっと酷
  いんじゃねぇのか?」

  笑い含みの声は、刺々しい酒場の中を、凛と打った。その声に惹かれるように、静まり返って動
 きのなかった室内の空気が動き始める。恥じたように眼を伏せた娼婦は、ドレスの裾を掻き上げる
 と急いでカウンターの奥へと引っ込み、マッドのもとへと上等の酒を注ぎにやってくる。凍りつい
 ていた客達はマッドの為に道を開き、酒場の主人も注文の受付を始める。
  その様子を尻目に、マッドは開けられた椅子へと腰を下ろそうと身を翻す。
  が、動き始めた空気の中、一つ動かない気配があるのを見て、マッドはそちらに視線を向けた。
 硬い表情をした女は、成熟からは遠い、まだ少女ともいえる顔をしている。しかし、だからといっ
 て、賞金稼ぎである以上、娼婦を邪険に扱うなど許されないのだ。

  膨れっ面にもにた表情を鼻先で笑い飛ばし、マッドは用意された椅子に座った。
 
  
 
  
  
 
  



















TileはB'zの『WildRaod』より引用