かつては埃っぽいだけだった牢獄は、今や見違えるようだった。
  相変わらず石作りの地肌が剥き出しの床や壁は素っ気ないが、しかし娼婦達が陣中見舞いと称し
 て涙ながらに持ってきた花束が隅に堆く積もっている。枯れる前にすぐに新しくやってくるそれら
 に対して、保安官や助手が羨ましそうに見るものだから、やろうかと言うと物凄く憤慨された。
  しかし、牢屋に置けないからと言って無理やり持たせたところ、いそいそと持って帰ったところ
 を見ると、やはり潤いが欲しいと思っていたのかもしれない。
  もしくは、花束の中に、何か情報が詰まっているとでも思ったか。マッドを捕えた保安官は、マ
 ッドが何か知っていると思って、事あるごとに、このままだと縛り首だの何だの言って、何か聞き
 出そうとしているから、それくらいの事を考えるかもしれない。
  しかし―――。

  ………誰がそんなアホな事するか。

  もしもそんなアホな事を考えたのだとしたら、あの保安官は、相当のアホだ。マッドに手渡され
 る事が分かっているそれに情報を仕込むなど、一番真っ先に情報漏洩が起こりそうではないか。娼
 婦がマッドの為に買ったと一言でも口にすれば――いや言わなくても分かる――その花束は、犯人
 の手によって隅々まで調べ上げられるだろう。
  だから、マッドは情報を何処かに仕込むなど、誰一人にして命じた事はない。マッドは彼らから
 直接話を聞き、そして組み立てる。
  むろん、その情報が全て筒抜けである事も、十分に承知している。




  6.囚人の潜思






  マッドは、花弁が敷き詰められた牢屋の中で、優雅に脚を組みかえる。その様子を、年老いた看
 守が蔑むような眼で見ている。保安官を止めた後もこうして法に関わる仕事をする彼らは、骨の髄
 までならず者に対する嫌悪が深いのかもしれない。そしてその嫌悪の対象は、ならず者と紙一重で
 ある賞金稼ぎにも向かうのだろう。
  だが、マッドは看守のそんな眼差しには、床を這うダニに向けるほどの関心しか寄せない。
  貴族特有の無関心さで看守の眼差しをやり過ごし、マッドは唇を人差し指でなぞり、情報を纏め
 ていた。本当は葉巻が欲しいところだが、流石に賞金稼ぎの王と雖も牢の中ではそれは望めないの
 で、気を散らすように唇をなぞる。
  その仕草に、偶々やって来た保安官助手が、何故か頬を染めて見入っていた。

 「坊や、結局見つかった三つの死体は、商人達のものだったのかい?」

  少年の視線に気付いたマッドが穏やかに問い掛けると、少年は頬を赤くしたまま、慌てて視線を
 逸らした。

 「僕は坊やじゃない!れっきとした保安官助手だ。それに死体が三つある事まで知ってるなんて。
  住民には死体が出た事くらいしか公表してないはずなのに、娼婦達の間で噂になってるなんて、
  何処で情報が漏れたんだろう……。」
 「おいおい、俺が公表されてない情報を掴んでるからって、娼婦達を苛めてやんなよ。」

  もっと情報管理に気を付けないと、と呟く少年に、マッドは苦笑いをする。

 「それより、三人の死体は、商人とその妻と、赤ん坊のものだったんだろ?」
 「そんな事、容疑者であるお前になんか言う必要はない。」
 「言う必要はないって事は、既に誰の死体なのかは分かってるって事だな。」

  言葉尻を捕えられた少年は、ますます顔を赤くして、言葉が出ないとでも言うように口をぱくぱ
 くさせる。

 「公表しないのは、昔の事すぎて今更だと思っているからか、それとも、今回の娼婦殺しに関わっ
  ているからか――多分、後者だろうが。娼婦が、行方不明の商人の家で殺された。そしてそこか
  ら商人達の死体が発見された。じゃあ、考えられる選択肢なんかそう多くもねぇ。」

  大方、商人の死体がそこにある事に何かの拍子で気付いた娼婦が、商人の死に関わるであろう人
 物にそれを告げた。その意図は、強請りだ。そして娼婦はその人物に殺された。
  そしてマッドは、商人の死に関わる人物について、ジーナから情報を得る事ができた。
  それは、商人に強姦され、自殺した召使の縁の者だ。それが、親兄弟だったのか親友だったのか、
 はたまた恋人だったのか、そんな事はマッドには、どうでも良い。マッドは情報として知りたい事
 は全て知り尽くした。
  後は――

 「大体、お前が容疑者なんじゃないか。」
 「ああ、記憶喪失の、な。」

  保安官助手の叫びに、マッドは柔らかく微笑んだ。その様子に、少年は馬鹿にしたように鼻を鳴
 らす。

 「頭を殴られて記憶喪失だなんて、随分と間抜けだ。賞金稼ぎの王だなんて、名前負けじゃないか。」
 「へぇ、頭を殴られた事については、信じるのか。だったら俺は容疑者じゃねぇな。俺を殴った奴
  が犯人さ。」
 「ぐ………っ。」

  言葉の上げ足とりのような遣り取りに、少年は呻き声と共に唇を噛み締める。だが、どれだけ悔
 しがったところで、マッドに言葉で敵うはずがない。それでも何か言い返そうとする少年を止めた
 のは、今まで用がある時にしか聞く事がなかった、しわがれた声だ。

 「止めておけ。それよりも、仕事に戻れ。」

  低く萎びた声のする看守にそう言われ、保安官助手ははっとする。そして自分の仕事をようやく
 思い出したかのように、急いで牢を出ていく。出ていく間際に、マッドを睨みつけるのを忘れずに。
  そんな少年の様子をおかしそうに眺めるマッドに、今度は看守が睨みを飛ばす。

 「あまり、良い趣味とは言えんな。」
 「へえ、珍しい。あんたが用事がないのに俺に話しかけるなんて。」

  殊更目を丸くして見せると、年老いた看守は皺だらけの顔の中で、眉間に皺を寄せる。

 「ふん………儂はお前と娼婦の遣り取りを、逐一見逃さずにやってきたが、娼婦は誰一人として商
  人の死体の情報をお前に渡す事はなかった。むろん、儂も含めて、この事務所にいる者は誰一人
  として、お前に、死体の数が三つだとも、まして赤ん坊の死体のことまで言った覚えはない。」

  なのに、何故、お前はそれを知っているのか。
  看守の台詞に、マッドは口元に薄っすらと笑みを刷く。それは、何を考えているのか分からない、
 アルカイック・スマイルだ。その、一瞬不気味ささえ感じる完璧な笑みに怯む事なく、看守は言い
 募る。

 「記憶喪失の振りをしていれば、そのうち牢から出られるとでも思ったか?だがさっきのは語るに
  落ちたな。知らない事を知っている。それは紛れもなく犯人である証拠だ。」
 「記憶喪失の振りなんかしなくても、俺が犯人じゃない事くらい、すぐに分かるさ。」

  これまでの無愛想が嘘のように怒涛の言葉を吐いていく看守に、マッドは何の感慨もなさそうに
 告げた。

 「多分、そろそろ、そういった結論が届くさ。」
 「何……?」
 「銃弾だよ。」

  マッドはようやく笑みを消して、代わりに酷く面倒臭そうに、まるでそんな事も分からないのか
 と言わんばかりの口調で告げた。

 「娼婦の身体に残ってた銃弾と、俺がその時に持ってた銃の弾が違う事が、そろそろはっきりする
  はずさ。」

  マッドが持つ銃――バントラインが使う銃弾はロングコルトという一番多く普及している銃弾だ。
 だが、娼婦の体内から見つかる銃弾は、マッドの持つそれではない。バントラインでは使用不可の
 銃弾が見つかるはずだ。 

 「はっ、銃などどうにでも出来るだろう。殺しに行く途中で何処かに立ち寄って拾う事もできたは
  ずだ。」
 「残念ながら、保安官のおっさんが、俺が何処かに立ち寄ってたら、娼婦殺しは出来ない事を証明
  してる。」
 
 『マーシャの店から殺害現場に行くまでの時間と、君がマーシャの店を出てから娘を殺したと思わ
  れる銃声が聞こえるまでの時間は、ほとんど一緒だ』
 『わざわざ時計持って計りに行ったのか。ご苦労なこった。でも、それは俺が真直ぐ現場に行った
  場合の話だよな。』
 『君が寄り道していない事は、ある程度は証言から分かっている。そして、現場から立ち去る人影
  は残念ながら誰も見ていない。』

  つまり、マッドには銃を取りに行く暇も、捨てに行く暇もなかったのだ。

 「お前………。」

  看守は、マッドを睨み、呻く。
  マッドが犯人でないと言うのなら、マッドが知り得ない事を知っている理由など、一つしかない。

 「何を、考えている………。まさか、遊びでこんな事をしてるわけじゃないだろうな………。」
 「遊び?俺は、自分の仕事の事を考えてるだけさ。」

  看守の言葉に、マッドは何の屈託もなく答えた。

 「俺だって全てを知ってるわけじゃなかった。娼婦殺しの理由も、犯人の正体も、そんな事俺には
  意味のない情報だ。ジーナから貰った『商人に強姦され召使が自殺』したっていう情報ですら、
  俺にはどうだっていい。俺が欲しい情報は、たった一つだけだ。」

  マッドが知り得ない情報を知っていた。その情報は、あの、公表されていないはずの情報が何処
 かから漏れたと信じている保安官助手が、それについて騒ぎ立てる事ですぐに広まるだろう。
  それを知った時――マッドが記憶喪失になどなっていないと知った時――果たして犯人はどうす
 るのか。マッドが知りたいのは、それだ。
  逃げるか、それとも自首するか、それとも―――。

 「………ま、どれであっても、結末に変わりはねぇんだがよ。」

  『嘆きの砦』は、そう呟いた。