大量の花束が敷き詰められている。
  むさ苦しいはずの――持ち主の趣味によっては趣味が悪いほどに華美になる事もあるが――保安
 官事務所に、時期を一瞬間違えてしまいそうなくらい、色とりどりの花が咲き誇っている。
  薔薇、百合、鈴蘭、立葵、ライラック、チューリップに菫。
  春から初夏に掛けて咲き誇る花を纏めた花束は一つではない。幾つもに分けられて束ねられたそ
 れらは、訪れる人間がそれを落としていく可能性が非常に高い事を示している。
  荒野では簡単には手に入らない、瑞々しい花々は、決して高くはない。しかしそれがここ数日間
 欠かさずに、保安官事務所に届けられているのだ。
  保安官事務所に隣接された、薄暗い檻に閉じ込められたたった一人の囚人の為に。




  女神の糸





  足の踏み場もないほど床に巻き散らかされた花弁を見て、サンダウンは眼を丸くした。部屋の中
 では、まだ年若い保安官助手が右往左往しながら、おそらく一生のうちに見るだろう全ての花を、
 どうにかして、保安官事務所にある水を受ける事が出来る入れ物に突っ込んでいた。
  それでも次々と湧いて出てくる花束に、部屋のど真ん中で保安官事務所の現持ち主であるサイラ
 スが頭を抱えていた。

 「……………恋人からか?」
 「違う!」

  散々悩んだ末に出した答えは、サイラスに真っ向から否定された。まあ、サンダウンも半ば冗談
 のつもりで口にしたのだが。
  しかし、恋人からの花束でなければ、一体何だというのか。不幸事があったのなら、この大量の
 花束も分からぬではないが、しかしここまでの量になるとお悔やみと言うよりも、ただの嫌がらせ
 だ。

 「あの!賞金稼ぎの!所為だ!」

  花弁が降りしきる中、サイラスは、わざわざ区切りをつけて原因を吐き捨てた。

 「あの賞金稼ぎを、マッド・ドッグを牢屋に入れている所為で、こうして引っ切り無しに娼婦から
  花束が届けられてくる!」
 「ああ………。」

  そういう事か。
  マッドが牢屋に入っている事を嘆く娼婦達が、マッドの心を少しでも癒す為にと花束を贈り込ん
 でいるのか。
  だが、それならば、マッドのいる牢屋に放り込めば良いだけの話ではないか。

 「ああ、最初の内はそうしていたさ。だか、あの男、何と言ったと思う?!」
 「『しけたおっさんに、俺が愛を分けてやろう』とでも言って、花束を投げて寄こしたか?」
 「どうしてお前はあの男の言葉と行動を一語一句間違わずに予測できるんだ!」

  サイラスの言った通りに予測してやっただけなのに、サイラスはそれを当てられて憤慨する。
  というか、本当にそんな事を言ったのか、あの男は。確かに言いそうではあるが。

 「おかげで、私の事務所は花弁だらけだ!」

  なまじ今まで花束が贈られてくる事などなかったから、事務所内には花を活ける瓶に乏しい。そ
 んな哀愁漂う事実も、サイラスが頭を抱える理由の一つなのかもしれない。
  そんな、かつての保安官仲間を慰める意図があったわけではないが、サンダウンはとりあえず、
 適当に思いついた事を口にする。

 「娼婦にも、何かを探らせているのかもな。その花束の中に情報を入れて持ってくるように含ませ
  ているのかも。」

  その瞬間、サイラスは先程助手が活けたばかりの花束を鷲掴むと、茎を握ってぶんぶんと振り回
 した。せっかく片付けたばかりの助手の悲痛な悲鳴も一向に介さない。助手の悲鳴が上がる中に、
 あたりに花弁と花粉が舞い散る。
  が、当然の事ながら、降りしきる花弁の中には紙切れ一枚として入っていない。

 「何もないじゃないか!」
 「………普通に考えれば、お前に渡す前に抜き取ると思うが。」

  葉巻に火を点けながら、サンダウンは色とりどりの花弁に心動かされもしないかのような無表情
 で真を穿つ。
  そんな元同僚の姿に、サイラスは頭を掻き毟る。

 「あの男が何かを知っているのは明白なのに、何故こうも人をおちょくったような事ばかりして、
  肝心な事は言わないんだ、あの男は!」
 「…………暇なんだろう。」
 「それとこれと何の関係がある!」
 「…………。」

  お前をおちょくって暇つぶしをしているのだ、と告げれば、更なる惨状が引き起こされるのは眼
 に見えている。だから、サンダウンは無言で葉巻をふかす。

 「あの商人の屋敷を賞金稼ぎ達が探っていた事も、あの男の命令のはずなのに!」
 「………そう言えば、あの遺体から、何か新しい事は分かったのか?」

  放っておけば延々とマッドへの愚痴を続けそうなサイラスに、サンダウンはさりげなく話を擦り
 かえる。
  すると、流石にサイラスも保安官としての任務を思い出したのか、顔つきを変えた。

 「ああ、大した事は分からなかったな。だが、20年前行方不明になった商人の家族とみて間違いが
  ないだろう。」
 「………そうか。」
 「しかし惨いものだ。まだ生まれて間もない赤ん坊まで殺すとは。犯人はどれほどあの商人を憎ん
  でいたんだろうな。」
 「………………。」

  サイラスの嘆かわしそうな声に、サンダウンは無言だった。
  赤ん坊まで殺すほどの憎しみ。赤ん坊を殺す事は、普通に考えれば嫌悪の眼差しで見られる行為
 だ。しかし、その行為に及ぶに至った憎しみを聞けば、皆が頷くかもしれない。
  現に、20年前のサンダウンは、赤ん坊を殺すほどの憎しみに辿り着き、結局犯人を逃してしまっ
 た。それは、助手だったという立場の制約があっただけではなく、サンダウンが犯人の動機に、僅
 かでも情を傾けてしまったからだ。
  それこそが、サンダウンにとっての『汚点』だ。
  商人の屋敷を訪れた時以上の苦い気分になりながら、サンダウンは葉巻の掠れた味を呑みこんだ。
  




 「ふぅん。」

  マッドは、面会に来た女の顔を眺めながら、表向きは興味のない表情を浮かべていた。
  白い縁飾りの付いたドレスに身を包んだ女は、牢屋の中にいるマッドに、商人についての情報を
 伝える。
  数日前――商人達の遺体が発見される前に――マッドから殺害現場に住んでいた人間について調
 べろと言われた娼婦達は、秘密裏にそれを調べてきた。職業柄、様々な職種と年代に絡む彼女達は、
 その卓越した話術を武器に、マッドの望む物を集めてきた。
  商人の交友関係、仕事の状況、そして趣味――。
  彼女達は生まず弛まず、休む事なく、マッドに情報を贈り続けた。花束と一緒に。
  そして今、マッドはようやく、望む情報を手に入れたような気がしていた。

 「…………召使が自殺した?」

  ジーナという名前の馴染みの娼婦は、殺された娼婦とは対極に位置する格上の娼婦だ。美しい顔
 には、牢屋を眼の前にしても物怖じ一つ浮かんでいない。そんな、堂々とした娼婦の出で立ちに、
 こちらも牢屋に閉じ込められているとは思えないほど、いっそ気だるげに見えるほど優雅な所作で  
 マッドは首を傾げた。
  だが、優美な二人が話している事は、あまり優雅とは言えない内容だ。

 「そうなのよね。商人が行方不明っていうか、まあ殺される前に、商人の元で働いていた召使が自
  殺してたらしいわ。」

  ジーナは牢屋に溜まった埃がドレスの裾に付く事も気にせず、脚を組みかえる。美しく細い脚首
 が、ドレスの裾からちらちらと見え、普通の男ならば鼻の下を伸ばすところだが、生憎と見慣れて
 いるマッドは、こちらも形の良い長い脚を組みかえる。

 「その召使ってのは、女か?男か?」
 「女よ。なんでも、恋人がいたとか。」
 「でも、死んだ。」
 「そう。首を吊って自殺したんだってさ。」

  娼婦は、結い上げた髪を弄りながら、痛ましそうな表情を浮かべる。基本的に優しい女達だ。き
 っと、自殺した召使に、同情しているのだろう。
  せっかく恋人もいて、幸せだったはずなのに、まさか――。

  そう、情報を集めてくれた娼婦達も、マッドと同じ結論に行きついているはずだ。

  ――まさか、男に強姦されてしまうなんて。

  遺体で見つかった商人は、女癖が悪かった。妻が子を孕んでいる間あちこちに女を作り、時には
 若い女を凌辱しては金をばら撒いて逃げおおせ続けた。しかし子供が生まれた後は流石に、その遊
 びは控えていたようなのだが。
  直後に自殺した召使。
  それを結び付ければ、何が起きたのかを想像するのは難くない。

 「手近なところで、手を打ったってか?」
 「そういう言い方は止めて。」

  ジーナに睨まれ、マッドは悪かった、と素直に謝る。同じ女である分、彼女の方がそこに漂う残
 忍さを理解しているのかもしれない。裁きの女神のような表情をしている娼婦に、マッドは分かっ
 てるよ、と彼女が感じているであろう痛みに頷く。
  マッドは『嘆きの砦』だ。もしも20年前、マッドがあの場所にいたのなら、きっと周囲の嘆きを
 受けて――ジーナのような裁きの女神の痛みを受けて――商人の罪を暴いただろう。
  けれど――――。

  その先を考えようとして、マッドは止めた。ちらりとジーナを見やって、これ以上の思考は、一
 人でいる時に――冷徹な『嘆きの砦』である時に行うべきだ。少なくともマッドは、現在の殺人に、
 20年前の殺人の動機を踏まえて斟酌してやるつもりはない。例え、自殺した召使が如何に憐れであ
 っても。

  自殺した召使の、復讐の為に、商人の家族を殺した。

  その動機は、現在の罪には、なんら効果はない。