娼婦が殺されたという場所は、旧市街の奥まった場所――夜ともなれば、文字通り光も射さぬよ
 うな暗い場所だった。
  昼でさえ人通りがないというその場所は、夜の闇が深いこの時間は誰一人としてその姿を現わさ
 ない。仮に誰かが姿を見せたとすれば、それは闇に乗じた職を生業とする、いかがわしい人間だろ
 う。
  そんな場所に、何故娼婦がいたのか。そしてその場所に何故マッドが訪れたのか。その謎は今は
 まだ解明されていない。その謎を解く鍵の一端は、この街一体の治安維持を務める保安官サイラス
 の言ったように、マッドが持っているのだろう。
  しかしそれをマッドから聞き出すのは、如何にサンダウンであっても不可能だ。お喋りな癖に、
 実は真実をほとんど話さない上、以外と頑固なところがある賞金稼ぎは、今は例えサンダウンが、
 マッドが人生を掛けてサンダウンに求めている決闘に応じたとしても何一つとして話さないだろう。
  となれば、サンダウンは――昔馴染みの頼みだし、それにサイラスの言った通りマッドも絡んで
 いる、仕方ない――自力で事実に近付くしかない。
  それに、とサンダウンは、娼婦が斃れていたという薄汚れた建物を見上げる。
  闇夜にぬっと立ち上がったその影は、サンダウンがまだ保安官見習いだった時と何一つとして変
 わっていなかった。




  亡者の遠征





  娼婦が殺されていたのは、旧市街の中でも最も大きな建物――かつて、とある商人が住んでいた
 建物だった。尤も、その商人は既に此処には住んでおらず、建物の中を彩っていた珍しい調度品も
 今では何処かに売り払われてしまったらしい。
  今ではこの建物の由来を知る者は、サンダウンとサイラスくらいしかいない。後は、この建物の
 に纏わる事件に関わった人間が。

  この建物で事件が起こったのは、実は今回が初めてではない。そしてその事件は、今でも未解決
 のままだ。
  時は20年近く遡る。それは、まだこの建物に商人が済んでいた頃。そしてその商人がいなくなっ
 た時の事。
  ある日、突然、この建物で暮らしていた商人の家族――商人と、その妻と、その間に生まれて間
 もない赤ん坊が消え失せたのだ。居間に大きな血痕を残して。
  仕事については特に問題を持っていなかった商人が忽然と姿を消した事と、残された夥しい血の
 跡から、それが夜逃げなどではなく事件性を孕んだものである事は、誰の目から見ても明白だった。
  しかし、屋敷から灯が消えてから夜が明けるまでのその間、何か不審な物音を聞いた者はおらず、
 不審な人影を見たという目撃者もいなかった。その屋敷で働いていた使用人達は一様に厳しい取り
 調べを受けたが、結局何一つとして証拠は見つからなかった。
  そして、何もかもが闇に溶けてしまったまま、現在に至っている。

  そして、その未解決事件は、サンダウンがまだ保安官見習いだった頃に、一番最初に立ち会った
 事件だった。
  保安官見習いという立場は、所謂助手のようなもので、サンダウン本人が事件の検分をしたり、
 容疑者を取り調べたりしたわけではない。保安官の命じられるがままに、容疑者と思われる人間を
 連れてきたりするだけだ。
  だがそれでも、この事件については、サンダウンには犯人を『見逃した』という思いが今でも燻
 っている。

  その燻りが残る事件と、同じ場所で起こった事件。
  しかも、そこには、よりにもよって、マッドが容疑者として絡んでいる。
  むろん、サンダウンもマッドが娼婦を殺したなど思っていない。仮に殺したとしても、そこには
 何らかのはっきりとした理由があるはずだ。気紛れではあるが、確かに賞金稼ぎの王として君臨す
 る彼は、決してその気紛れで人を殺したりはしない。きっと、聞けば誰もが頷く理由があるはずな
 のだ。それを口にしないのは、マッドが娼婦を殺していないからだ。
  そして、マッドが、娼婦が殺された夜の事を話そうとしないのは、やはり聞けば誰もが頷く理由
 があるからだろう。その理由を口にしないのも、れっきとした理由があるのだ。
  まるで堂々巡りのような、マッドの立てた理由の塔に、付き合いの長いサンダウンでさえ舌打ち
 したくなるのだから、サイラスの心労は如何ほどか。きっとサイラスも、まさか見た目感情豊かで
 激しいマッドが、実は此処まで理論づくしの人間だとは考えていなかったに違いない。

  しかし、それについて愚痴を言っても仕方ない事は、サンダウンは良く知っている。さっきも言
 ったようにマッドは頑固だ――長年飽きもせずサンダウンを追いかけるほどに。愚痴を零しても、
 マッドの夢幻回廊のような塔は、微動だにしないだろう。
  やれやれとサンダウンは肩を竦め、かつて足げく通った建物に、再び足元を踏み入れる。
  荒野特有の、乾いた砂っぽい香りが一段と濃くなったような気がしたのは、そこが長年放置され
 た場所だからだろう。娼婦が殺された事で、何人もの人が調査に訪れたとはいえ、積もりに積もっ
 た残骸は流し尽くされないのだろう、砂のような埃のような臭いは、あちこちに漂っている。
  つい最近踏み荒らされた事を象徴するかのように、床には幾つもの足跡が残っている。それは
 きっと、調査に訪れたサイラス達のものだ。
  その足跡を追うように、サンダウンは記憶を辿りながら建物の中を巡る。20年も昔、何度も何度
 も訪れ、結局断罪を下せなかった場所。それは、正にサンダウンにとっては『汚点』だ。もしもマ
 ッドがそれを聞いたなら、やはり『汚点』だと思うだろう。或いは、あの男なら過去の話になど何
 も思わないか。

  そして、忘れもしない、夥しい血の跡が残る居間へ。
  その扉に手を掛けようとした時、サンダウンはふと足を止めた。転瞬、背後に飛び退った後には、
 先程まで立っていたところ目掛けて、銃声が放たれている。銃弾を穿たれて爆ぜた床から眼を離し、
 その軌道を見極めるや、そちら目掛けて銃口を向ける。
  慌ただしく床の上を駆け巡り、逃げ場を探そうとする気配が幾つもある。しかし、薬物に犯され
 たような様子も、いかがわしい事をしていたという様子もない。むしろ、サンダウンのほうが何か
 悪事に染めていると思い込んで、それで撃ってきたという節がある。
  訝しげにその気配を追っていると、忙しなく動いて窓から逃げ出そうとしている男達の口から、
 言葉が幾つか零れた。

 「ジャックスさんに―――。」
 「伝え――。」
 「急いで――。」

  わあわあと騒ぎながら闇夜に消えていく男達の言葉に、サンダウンは聞き覚えのある音があった
 ような気がして、銃を持ったまま立ち尽くした。
  ジャックス。
  確かそれは、サイラスが口にしていた、前代の賞金稼ぎの王の名前ではなかったか。面倒見が良
 く、今でも賞金稼ぎ達に慕われているという。そしてもしかしたら、マッドにも信を置かれている
 かもしれないという、賞金稼ぎ。
  その名を口にするという事は、あれは賞金稼ぎの一団だったのか。
  そう思って、サンダウンは納得する。なるほど、確かにマッドは此処でも糸を操っている。牢の
 中に押しやられても、何かを手繰り寄せようと、賞金稼ぎ達を動かしている。そして思った。やは
 り、マッドは何かを知っているのだ、と。

  何故黙っている、と思いながらも、しかしそこには正当な理由があるとサンダウンは苦いコーヒ
 ーを喉奥に流し込むような気分で、居間への扉を開く。あっさりと開いたそこは、やはり、大勢の
 人間に荒らされた跡があった。
  砂埃が払われたような跡や、床を踏み砕いたような跡。
  それらを見て、サンダウンは顔を顰める。これは、保安官達の仕業ではない。こんな乱暴な所業
 は保安官達はしない。では――。
  サンダウンは、先程出て行って賞金稼ぎ達を思い出す。
  あいつらか。
  しかしその所業を咎めるよりも、妙に綺麗に砂が払われた床の一画に、サンダウンは眼を留める。
 そこだけ刳り抜いたかのように、妙に綺麗な床。そしてそこは幾つもの足が何度も踏み荒らした形
 跡がある。ただし、開けるには至らなかったのか、踏み砕かれただけで、開かれた形跡はない。
  その場所に、サンダウンはゆっくりと足を向けた。そして、足で踏み鳴らしてみる。
  すると、そこは、確かに他と違った音がした。それは、まだ青二才だった昔には分からなかった
 音の違い。マッドが仕向けた精鋭の男達は、すぐにそれに気付いただろう。そしてサンダウンもま
 た、歳を経てそれに気が付いた。

  跪いて、音の違う床を調べる。まるで下が空洞であるかのような音の反響が聞こえたその床を、
 じっくりと調べれば、僅かに――ほんとうに微かに、古いささくれの形跡があった。ちょうど、指
 を添えたかのような。
  その後に指を添え、床を引っ張る。すると、砂が零れる音を立てて、その床は四角く外れた。か
 つてそれを見落とした事に、サンダウンの中に今一度苦い思いが浮かび、しかしそれは今しがた発
 見した穴倉の中身を見た事で霧散した。

 「……………っ。」

  思わず息を呑んだ。
  より一層深くなった砂と、埃、そして黴のような臭い。その中に、ひっそりと横たわる者は、サ
 ンダウンが必死になって捜したものに間違いがなかった。
  すでに白骨化した、二体の身体。
  その間に挟み込まれるようにしてある、原型が分からぬ小さな破片。

  20年前に行方不明になった、商人の家族だった。