極東の島国の、かの大文豪はこう言った。
  英語の『I Love You』は、日本語に訳すと『月は綺麗ですね』となるのだ、と。

  
  
  
  月に叢雲





  日本人というのは、非常に奥ゆかしい為、相手に自分の好意を伝える際に『好きです』とか『愛
 している』とは言わないのだそうである。そう言わなければどうやって伝えるというのだ、と思っ
 ていると、なんでも非常に遠回しな言い方や仕草をして、それとなく伝えるのだそうである。
  そう、自称奥ゆかしい日本人代表であるアキラから、何故か自慢げに教えられたサンダウンは、
 非常に胡乱な眼差しで、己を恥じらい深い人間であると公言する少年を見やった。そもそも、そう
 やって公言する時点で奥ゆかしくも恥じらい深くもないと思うのだが。
  サンダウンは思いもかけない方法で見る事になった日本人三名――アキラを含む日本人をそれぞ
 れ見比べて、一体どの辺が奥ゆかしいのだろうと首をひねった。 
  自らを奥ゆかしいと公言しているアキラは、けれども女性の下着をこそこそと見ている時点で奥
 ゆかしさも何もない。只の変態である。
  アキラよりも少し下った時代からやってきたらしい日勝は、奥ゆかしさというか、デリカシー自
 体がその頭の中にあるか疑わしいほどにポジティブな人間である。きっと、わざわざ迂遠は言い回
 しなどしない。
  そして残るは古き良き時代からやって来たおぼろ丸であるが、ざっくざっくと敵を葬り去ってい
 る光景を見るからに、奥ゆかしさと冷酷さが同居出来るものなのか、小一時間議論が必要な気がし
 てうる。
  そんなわけで、サンダウンの中では日本人は別に奥ゆかしくもなんともない、下手をすれば変態
 であるという結論が固まりつつある。 
  それに。
  サンダウンは自分達の言葉が日本語に翻訳された時の言葉を改めて思い返し、どうやったらそん
 な役になるのか、と渋い顔をした。
  己のの言語にそれほどの誇りを持っているわけではないが、それはあまりにも意訳されすぎでは
 ないのか。何を以てして『I Love You』が『月が綺麗ですね』に変換されるのか。曲解にもほどが
 あるだろう。
    月なんて言葉、一言も出てきていないのに、『月が綺麗ですね』と翻訳する日本人の思考がサン
 ダウンには全く読めなかった。
  というか、それでどうやって己に好意が向けられていると考えられるのか。

   「ばっか、それは感じるもんなんだよ。」

  相手の身振り、表情、仕草、気配それらから感じ取るものなのだ、とアキラは自慢げに言う。
  だが、それらで感じ取るのなら、それこそ言葉なんてものはいらないだろう。基本的に無口がデ
 フォルトで、とある賞金稼ぎに僅かな表情や気配で感情を汲み取って貰っているサンダウンはそう
 思う。
  それに対して、アキラはサンダウンの賞金稼ぎ――サンダウンの嫁であると認知されている為―
 ―という部分をさっくり無視して、これだから奥ゆかしくないアメリカ人は、と呆れたように肩を
 竦めている。 

 「女ってのは、言葉が欲しいもんなんだよ。仕草とかだけじゃなくてさあ。けど直球だと向こうも
  恥ずかしがるから、こう遠回しな言い方をするもんなのさ。」
 「…………それで通じるのか。」
 「通じるさ。当たり前だろ。」
 「…………だったら今から、レイに向かって言ってみろ。」

  奥ゆかしくないアメリカ人であるサンダウンは、アキラに自分の言い分を証明させる為、向こう
 の木陰でキューブと休んでいるレイを指差してみた。
  途端に真っ赤になって後退り始めるアキラ。

 「お、おおおお、何言ってんだおっさん!この奥ゆかしい日本人代表であるこの、俺に!」 
 「…………奥ゆかしいから、私達の言葉を複雑怪奇に曲解したんだろう。ならば、その成果を見せ
  てみろ。」
 「な、なに言ってやがる!日本人はなぁ!例え遠回しでもそんな事は妄りに口にしねぇんだぞ!キ
  スを挨拶代わりにしてるアメリカ人と一緒にするなよ!」
 「………ほう。臆病だから遠回しにしか言えないのかと思った。」

    別にアメリカ人だって赤の他人にキスで挨拶するわけではない。キスをしあうのはよっぽど親し
 い友人か、家族間だけのものだ。誰彼かまわずキスをしていたら、ただの変態だ。
  そう思ったが、サンダウンはそこには突っ込まず、負けず嫌いの少年に、わざと神経を逆撫です
 るような言葉を投げてやった。
  そこまでした事について、深い意味はない。
  強いて言うなら、こちらが大事に温めている言葉を、いきなり月なんていう言葉に置き換えた事
 に対する腹いせだろうか。

   「臆病!?臆病だとうー!俺達日本人はなあ!いつでもどこでも誰にでも愛してるとか叫ぶアメリ
  カ人とは違うんだ!好きでもない奴には、例え遠回しでもそんな台詞言わねえんだからな!」
 「………つまり、レイの事は好きではない、と。」
 「うぐっ………!」

  サンダウンの結論に対して、アキラが変な音を立てて絶句した。
  ぐぬぬぬぬ、と変な声を出し続けているアキラから視線を逸らし、サンダウンは葉巻を咥えて火
 を点ける。ぷかあ、と煙を吐き出した。
  アキラは何か勘違いしているようではあるが、アメリカ人だって妄りに『I Love You』と言うわ
 けではない。先程のキスの話と一緒で、親しい相手にしか言わないのが基本である。あと、言う対
 象者が恋愛関係にある男女間に限らないくらいで。
  まあ、少なくとも出会ったばかりの少女に、少年が言うべき言葉ではないのは確かである。
  なので、アキラがレイに言いに行ったら、ただの不躾な男になるだけだ。それでもかまわないの
 なら言いに行けばいい。『月が綺麗ですね』でも『I Love You』でも何でも良いから。ただし、前
 者ならきっと何も伝わらないだろうし、後者なら不躾である。

    「だから、なんであんたはレイを絡ませたがるんだー!」
 「あたいがどうかしたのかい?」 

  アキラの叫びに、いつの間に近くにやって来たのか、レイが胡乱気な眼差しで問いかけた。途端
 に、ほぎゃー!と形容しがたい叫び声を上げるアキラ。
  わたわたと混乱し、不躾と言うよりも無様であるアキラの様子をレイが呆れたように見ている。
 そんなアキラとレイを見比べて、サンダウンは口から葉巻を離した。

 「………レイ。」
 「?なんだい?」  

  珍しい事にサンダウンに呼ばれたレイは、一人でわちゃわちゃしているアキラから視線を逸らし
 てサンダウンを見据えた。
  芙蓉の花に似た立ち姿を見て、サンダウンは告げた。

 「………月が綺麗だな。」
 「は?」

  その瞬間、レイの表情が怪訝な物に変わった。
  それはそうなるだろうな。
  大体、月も出てないのにそんな台詞をいきなり言ったら、当然そんな反応になるだろうな。とい
 うか、場面が限定され過ぎだろう、この口説き文句。
  サンダウンは自分の予想が正しかった事に頷き、なんでもない、と手をひらりと振った。