準備は完璧だった。
  サンダウン・キッドは広い荒野で、乾いた風に吹かれて、赤茶けた地平線を眺める。今のサンダ
 ウンには何一つとしてするべき事はなく、ただそこで待っていれば良いだけだった。
  今にも枯れそうな草が、風が通るたびにあえかな音を囁く。それを割って現れる黒点を、サンダ
 ウンは待っていた。自分で捜しに行く事が出来ない――というか、こうやって待っていれば相手が
 やって来る事を知っているからそれに甘えているだけだ――サンダウンに代わって、サンダウンを
 見つけてくれる賞金稼ぎが、モーセのように大草原の海原を割ってやって来るのを、今か今かと待
 っている。

  そして、その時は唐突に訪れた。

 「よう、久しぶりだな!」

  そう言って、二週間ぶりに見る賞金稼ぎマッド・ドッグの姿に、サンダウンは眼を細めた。相変
 わらず良い身体をしている。白皙の端正な顔も、すんなりと細身の身体も、それはそれはサンダウ
 ンの好みだ。何よりも、

 「今じゃ、恋人同士な気がするぜ。」

  そうやって、遠回しに愛の告白をしてくる恥じらいが、可愛らしい。

 「だが、それも、今日までだ!」

  その声に、サンダウンはもしやマッドもそのつもりだったのか、と思う。
  サンダウンも、今日限りでこの恋人以上夫婦未満な関係から抜け出すつもりだった。いつまでも、
 追いかけっこをして甘えるだけの関係ではなく、そろそろ次の大人の関係に進もうと考え、この日
 の為にわざわざ指輪を―いつもじっくりとマッドの指を舐めるように眺めているので、彼の指のサ
 イズは熟知している――準備したのだ。
  いつものようにマッドが照れ隠しに銃口を掲げ、それを弾き飛ばした後、蹲るマッドの傍に近寄
 って、優しくその手に指輪を嵌めれば良いだけだ。
  そんな一連の動作を、サンダウンはここ2週間の間、ずっとシミュレーションしてきた。ぬかりは
 ない。
  そのはずだった。

 「てめぇ、愛馬ゴールドの手綱を撃ちやがったな!」

  いつもの癖で、マッドの銃を弾き飛ばした後颯爽と馬に跨り、マッドの愛馬の手綱を撃ち抜いて
 しまった。
  馬から振り落とされたマッドは、上目遣いでサンダウンを見上げている。それを見下ろすサンダ
 ウンは馬上の人だ。完全にこれから追いかけっこを始める状態で、今更馬から降りるなど、引っ込
 みが付かない。
  引っ込みのつかないまま、サンダウンは仕方なく馬を走らせる。心の中で、バカバカバカと自分
 を盛大に罵りながら。本当ならば、今は馬を走らせている時ではなく、マッドの指に指輪を嵌めて
 いる時なのに。しかし、馬を走らせてしまった以上、今更後戻りするなどカッコ悪い。泣く泣くプ
 ロポーズのチャンスを逃し、サンダウンは馬を走らせ続ける。

  そんなサンダウンを、運命の女神は見捨てなかった。
  憮然として馬を走らせているサンダウンの眼の前に、うらぶれた町並みが広がる。

 「町、か…………。」

  その瞬間、よし、と心の中でガッツポーズした。
  あそこで待っていれば、マッドは再び追いつくだろう。そうして、置いていかれた事に拗ねて、
 決闘を申し込んでくるに違いない。その時こそ、間違えずに指輪を渡せば良い。そうだ、馬は厩に
 繋いでおこう。それならば、いつもの癖で馬に乗って立ち去るなんて失敗はしないはずだ。
  いそいそと町に向かい、サンダウンは馬を停めると酒場に脚を踏み入れた。そこにいれば、間違
 いなくマッドが来ると確信して。





   「表に出ろ!」

  案の定、サクセズ・タウンという寂れた町に、マッドはサンダウンを求めてやってきた。一生懸
 命捜したのだろう可愛いな、とサンダウンは思いながら、酒場を出ていくマッドを追いかける。
  周りでは、町の人間が決闘だ決闘だと騒がしい。ムードの欠片もないが、しかし既成事実になる
 かとも思った。何せマッドを狙う輩は多い。そういう人間は、サンダウンが人知れず始末してきた
 が、しかしそれでも後から後から虫のように湧いてくる。いつ、奪われてしまうか分からない。だ
 から、マッドがサンダウンのものであると大勢の前で宣言し、周知徹底する事はとてつもなく良い
 考えに思えたのだ。

  酒場の外で待つマッドに、今度こそ、と懐に忍ばせた指輪の箱の重みを感じつつ、鼻息を荒くす
 る。ウエスタン・ドアの向こうに見えるマッドの姿は、サンダウンを今か今かと待っているヴァー
 ジン・ロード上の花嫁のようだ――普通、花婿が花嫁を待っているものではないのかという常識的
 な考えは、サンダウンの頭からすっぽりと抜け落ちている。
  いそいそとマッドの前に向い合せに立ち、もはやこのまま近付いて口付けしても良いんじゃない
 かと思いつつ、いやそれだと恥ずかしがり屋のマッドが逃げ出してしまう、ここはマッドのペース
 に合わせるべきだと、ぐっと堪える。
  そして、マッドが数を数えていく。一つ、二つ、と甘美な声でサンダウンを誘いながら。五つ目
 を数え終わった後に、祝砲を鳴らしてマッドを抱き締めて口付けて指輪を渡そう。

  しかし、此処でもサンダウンの思惑は外れる。

 「つまらねぇ邪魔が入っちまった。」

  全くだ。
  倒れたクレイジー・バンチとかいうメンバーである二人の男に対するマッドの感想に、サンダウ
 ンは心の底で大きく頷いて同意した。いや、つまらないどころか、このまま灰に帰してやっても良
 いくらい腹立たしい。
  せっかくのマッドへの愛の告白が、こんな薄汚れた二人の男の所為で潰されてしまうなんて。運
 命とは何と残酷なのか。先程微笑んだと思った女神のそれは、どうやら嘲笑だったらしい。
  そのまま地球の裏側まで沈み込みそうなくらい落ち込んだサンダウンの耳には、アニーの『クレ
 イジー・バンチを倒してくれないか』という頼み事など入っていない。だが現金なもので、

 「女の頼みとあっちゃ仕方ねぇ。」

  というマッドの声はちゃんと耳に入ってきた。

 「キッド、それまで決闘はお預けだ!」

  その言葉に、サンダウンは更に沈み込む。つまりそれは、クレイジー・バンチとかいうのを滅ぼ
 すまでプロポーズは受け取って貰えないという事か。完全に企画倒れになったサンダウンの計画に、
 しかしサンダウンが肩を落としている暇はなかった。
  何せ、マッドはクレイジー・バンチという人の恋路を邪魔する連中を倒す気満々である。確かに
 サンダウンとしても、そんな馬に蹴られて死んでしまえば良いような連中は、徹底的に壊滅させて
 やるべきだと思う――完全に私憤である。しかしそれ以上に、マッドがクレイジー・バンチなどと
 いう、何処の馬の骨とも分からぬ輩と対峙して、何かされでもしたら。サンダウンは、間違いなく
 その場で魔王と化して、アメリカ西部を死の大地とする自信がある。
  そんなどうでも良い自信に促され、サンダウンはマッドと共にサクセズ・タウンを救う事を決め
 た。とにかく、さっさとクレイジー・バンチを潰してしまって、改めてマッドに愛の告白をしたか
 った。

  だが、そんなサンダウンの思いは、マッドの二人きりで罠を探すという非常においしい状況のお
 かげで少しばかり治まった。
  デートというには、周囲の様子は寂れた町という非常に味気ないものであるが、

 「できたぜ、火炎瓶だ。」

  サンダウンが頼むたびに火炎瓶を作ってくれるマッドが可愛いから、世界は薔薇色だ。マッドの
 手の温もりが残る瓶に指を這わせて、絶対に使わないようにしよう、と心に固く決めるサンダウン
 は、マッドが何かを見つけてくるたびに、そう思って、罠になると思われるであろう物体を全て懐
 に仕舞っていく。
  そんなサンダウンに気付かないマッドは、大分探したよなと呑気そのものだ。
  それを見たサンダウンは、少しマッドを驚かせてやりたくなった。呑気に、サンダウンからのプ
 ロポーズを待っているマッドの、意表を突いてみたくなったのだ。普通に渡すだけではつまらない。
 もっと、何か手はないだろうか。
  そう考えていると、マッドがじっとこちらを見つめていた。もしや、サンダウンの考えを読んだ
 のだろうかと、どきどきしていると、マッドはサンダウンのポンチョを掴んで、しげしげと眺める。

 「随分と汚れてるよなあ、これ。あんた新しいのに変えようとか思わねぇの?」
 「……………だったらお前が。」

  お前がプレゼントしてくれたら、と言い掛けて止める。それではまるでたかっているかのようだ。
 別にサンダウンはマッドに何か買って欲しいのではない。くれると言うのならば貰うが、それはマ
 ッドが贈ってくれる物だからであって、それ以外の人間から貰っても嬉しくない。

 「別に良いけどよ。」

  ぶつぶつと喉の奥で呟いていたサンダウンに、マッドが、ほれと着ていたジャケットを脱いで渡
 す。脱ぎたての、まだほかほかとマッドの体温が残るそれを差し出されて、サンダウンは一瞬思考
 が停止した。

 「なんだよ、欲しいって言ったのはあんただろ。」

  別に俺はジャケット一枚に困るような生活してねぇし。
  それはマッドにしてみれば施しでしかないのだが、サンダウンにしてみれば指輪交換並の意味の
 ある行動だ。もしかしてこのまま服装交換が指輪交換になるんじゃないだろうか。

 「あ、俺はあんたのポンチョなんかいらねぇから。ってか、他人の一張羅を奪うほど非人間じゃね
  ぇから。」

  さて、もう少し探すか、と腕まくりをしたマッドに、サンダウンはこのままシャツも脱がないだ
 ろうかと少し期待して、慌てて打ち消す。そんな事をしたら、クレイジー・バンチどころか、この
 町の人間まで悩殺してしまう。既に腕の中にあるジャケットに顔を埋めたいくらいに悩殺されてい
 る男は、流石に理性が勝ったのか、ジャケットをぎゅっと抱きしめるだけに留めておく。
  そして、無防備に曝されたマッドの腰回りを舐めるように見て、あっと思い付いた。

 「マッド。」
 「あ?何だよ?」

  可愛らしく小首を傾げる様子に、抱き締めたい衝動に駆られながらもそれを寸でのところで止め、
 サンダウンはまっどに一か八かのお願いをしてみる。

 「銃を少し、貸してくれないか?」
 「ん?良いけど?」

  不思議そうに眼を瞬かせながらも、何の疑いもなく腰に帯びたバントラインを差し出すマッドの
 無防備過ぎる可愛さに、けしからんと思いつつもサンダウンは差し出された銃を受け取った。






  そして、八つ目の鐘が鳴る前に、サンダウンはマッドに銃を返した。
  マッドは、何だったんだと怪訝な顔をしつつも、やはり何の疑いもなく銃を腰のベルトに戻した。






  八つ目の鐘が鳴る。

  お世辞にも上品とは言えない罵声と共に、クレイジー・バンチ達が酒場の外に集まってきた。わ
 らわらと虫のように集まる男どもに、サンダウンは先だってプロポーズの邪魔をされた憂さ晴らし
 をしようと、無表情の下で舌なめずりしていた。
  が、ふと思い出して隣にいるマッドを見る。マッドは特に何の変化もなく、サンダウンの事など
 何一つとして疑いもせずについてくる。その様子を、貞淑な妻のようだと思いながらも、サンダウ
 ンはその時を今か今かと待っていた。





  そして、その時は遂にやってきた。






  ディオがガトリングを構える中、マッドもバントラインを引き抜き、引き金に指を掛けた。
  その瞬間、マッドが奇妙な表情をする。ディオが肉薄していると言うのに、引き金から指を引き
 抜き、そして眼を丸くした。

 「な、なんじゃこりゃぁああああ!」

  クレイジー・バンチ達でさえ呆然とするような叫び声を上げたマッドは、自分の人差し指を見て
 目眩がしそうになった。
  すっぽりと人差し指に嵌り込んだのは、金の表面の艶めかしい、エンゲージ・リングだった。し
 かも何故か指から外れない。膠か何かで塗り固められたかのようだ。
  呆気にとられたマッドは、しかしすぐに何が起きたのかと考え、そして最後にこれに触った人物
 に思い至る。
  ガトリングを撃とうとしているディオの事など歯牙にもかけず、マッドは引き攣った顔でサンダ
 ウンを振り返った。すると、そこには何故か両腕を広げているおっさんの姿があった。
  人差し指に嵌め込まれた指輪と、マッドに向けて両腕を広げているサンダウン。
  眼の前にいる賞金首が、何を考えているのかなど、考えたくもなかった。
  しかも、サンダウンがじりじりと近付いてくる。
  もはや、クレイジー・バンチの事もサクセズ・タウンの事も頭から吹き飛ばした二人は、ギャラ
 リーが息を詰めて見守る中、

 「キッド、聞きたくねぇが聞いてやる………これは何の嫌がらせだ?」
 「嫌がらせ………?確かにギャラリーが多いのはお前にとっては恥ずかしいだろうが、しかし先延
  ばしにされたこっちの身にもなれ。」
 「悪ぃが、何の話なのか、さっぱり見えねぇんだが。何がどうあんたの身になれってんだ。」
 「お前にプロポーズをしようとするたびに邪魔が入った事だ!」
 「プロっ?!」
 「そんなに恥ずかしがる必要はない。すぐにこの胸に飛び込んでこい。」
 「恥ずかしがってねぇ!恥ずかしいとしたら、それはあんたの頭の中だ!」
 「む、確かにお前にあれやこれやをしたいとは思っているが………。」
 「あ、あれやこれやって何だ……って言うな、聞きたくねぇ!」
 「夫婦の営みだ。」
 「だから言うな!ってかなんで俺とあんたが!ぼけてんのか!」
 「何を言う。既に指輪を受け取った癖に。」

  膠でぴったりと皮膚に貼り付く指輪は、何をどうしてもマッドの指から外れてくれない。その様
 子に、サンダウンは勝ち誇ったように笑う。そして、嬉々としてマッドに飛びかかろうとする。
  普段、無口で無表情なだけに、その饒舌さと笑みが、怖い。
  今にも獲物に飛びかかろうとする肉食獣の気配で、マッドを舐めるように見る男に、マッドは貞
 操の危機を覚えた。もう、クレイジー・バンチでもなんでも良いから、助けて欲しい。が、ならず
 者共は、ガトリングを振り回そうとしていた時の勢いは何処へやら、サンダウンの気配に呑まれて
 ――というか関わりたくないのだろう――完全に他人の顔をしている。
  じりじりと後退りしながら、マッドは必死に頭を働かせた。
  このままでは、勝手にサンダウンの嫁にされてしまう。一体何が原因なのかは分からないが、と
 にかくサンダウンの嫁にされてしまう事だけは確実だ。
  が、やっぱり人差し指に嵌められた指輪は取れない。
  そして、ふっと気付いた。気付いて、マッドはにやりと笑う。

 「は、残念だったな!エンゲージ・リングは人差し指じゃなくて薬指に嵌めるんだよ、馬鹿!」