それは、粛々とした雰囲気ではなかったけれども、二人の門出を祝うには十分幸福な式だった。


  一人の賞金稼ぎと、一人の娼婦が結婚を果たした。うら若い二人は、世間一般から見れば薄汚い
 とも言える小金を、それでも未来の為にせっせと掻き集めて蓄え、そして小さな夢と愛を語り合っ
 たのだ。
  そしてその報いは今日、訪れた。
  ようやく十分に金が溜まり、なんらかの元手となるであろうそれを懐に入れた賞金稼ぎは、安物
 ではあるが必死になって選んだ指輪を捧げ持って、ううらぶれた売春宿にいる娼婦の前に跪いたの
 だ。
  一輪の薔薇と共に差し出されたそれを、娼婦が涙ぐみながら受け取った時、その場にいた売春宿
 の主人と、そこで働く娼婦仲間、そしてその光景を固唾を飲んで見守っていた賞金稼ぎ達は一様に
 喜びの声を上げた。
  売春宿の主人はまるで娘を嫁に出すかのように男泣きし、娼婦達は幸せに向かう仲間に抱き付い
 て祝福の声と口付けを繰り返し、賞金稼ぎ達は祝砲と称して銃を空に向けて撃ち鳴らした。


  西部で生きる娼婦にとって、結婚とは憧れそのものだ。
  婦人連からは軽蔑の眼差しで見られる彼女達は、しかし男と出会う回数が多く、それ故恋に落ち
 る回数も多い。だが、相手がならず者である場合がほとんどで、その結末が幸福である可能性は極
 めて低い。
  そんな、悲恋の中にあった一つの幸せを、売春宿にいる者達が祝わないわけがなかった。
  神父の言葉も教会に行く事すら望めないが、それならばと娼婦達は若い仲間の為にヴェールを縫
 い上げ、宿に隣接している酒場のマスターは、そこを式場として準備した。
  そして賞金稼ぎ達は、これからは賞金稼ぎの道ではなく、真っ当な職を歩む事になる仲間の為に、
 幾許かの金を用意した。
  結婚すると言う事は、荒野においては、表の道を歩く職に就くという事だ。
  きっと、これから先、結婚する二人に出会う事はないだろう。彼らが売春宿のある裏通りを歩く
 事は、この先ないのだ。もしもあるとすれば、それは二人の仲が裂けてしまった時で、そんな事は
 ないようにと皆が祈った。

  ならず者達の賑やかな、そして最後の祝福を受けた二人は、これが別れである事を知って、ずっ
 と眼を潤ませていた。泣くなよう、と皆にからかわれて、笑みを零しながら。 

  そして、二人を遠くの街に連れ去っていく馬車がやってきて、そこに乗り込む時になって、幸せ
 の門出へと向かう二人は、二人を引き合わせた賞金稼ぎに花束を渡した。世話になった、忘れない
 と告げて。
  ブーケを握らされて、こんなもん貰っても困る、と言っても、二人は頑として譲らず、そしてそ
 のまま遠くの街へ走り去ってしまった。


  花嫁のブーケなるものを握らされた賞金稼ぎマッド・ドッグは途方に暮れた。
  何せ、ブーケを貰った者は次に結婚するという伝説が実しやかに囁かれている。そんなものを貰
 ったら、間違いなくからかいの対象になるだろう。
  大体、結婚するには賞金稼ぎとしての仕事を止めねばならず、今のマッドにはそこまでして結婚
 したいという相手もいない。
  そう思ってから、マッドはこっそりと頬を赤らめた。一瞬思い浮かんだ姿に、いやいや違うぞ、
 と首を横に振ってその姿を打ち消す。いや確かに、あの男を捕まえるまでは賞金稼ぎを止めようと
 は思わないのだけれど、それとこれとは別の話だ。別にあの男の為に結婚しないわけじゃないんだ
 ぞ。
  口の中で呟くマッドは、否定する事が逆に肯定になっている事に気付かない。
  ぶつぶつと否定の言葉を繰り返しながらお気に入りの塒に近づき、そしてマッドは小屋の中に入
 ろうとして、ぴたりと足を止めた。そして、小屋の中に男の気配を感じ取り、何故だか耳まで赤く
 する。
  どうして、こんな時に限って、いるのか。
  いや、もう夜も遅いし、多分寝てるだろう。そう言い聞かせて、マッドは忍び足で小屋の中に入
 る。こっそりと廊下を歩き、男の気配がより強い扉の前では息を殺し、通り過ぎる。通り過ぎたと
 ころで安堵の息を思わず吐いたら、背後で勢いよく扉が開いた。そして、のっそりと出てくる男の
 気配。
  マッドが男の気配に敏感なように、男もまたマッドの気配には敏感だった。
  乾いた風を巻き起こす気配に、マッドはそのまま黙って通り過ぎようかとも考えたが、しかし通
 り過ぎたところで、どうせ男がついてくる事は眼に見えているし、もしかしたら機嫌を損ねてしま
 う可能性がある。それならば、出来る限り穏便なほうを選ぶのが賢いというものだ。
  諦めて、マッドは背後を振り返る。
  すると、そこには賞金首サンダウン・キッドが立っていた。
  ただし、瞼はほとんど閉じかけているし、砂色の髪もくるりと寝癖が付いている。そして服には
 あちこち皺がついているから、そのままの服で寝ていたのだろう。
  賞金首の、一目で眠たそうだと分かる様子に、マッドは溜め息を吐いた。
  
 「良いから、寝てろよ。」

  が、マッドの親切心を、サンダウンは大欠伸と共に掻き消して、のそのそとマッドに近付いてく
 る。

 「遅い………。」

  マッドの帰りが遅い事を詰り、そのまま腕をとって部屋に引きずり込もうとする。それを慌てて
 避ける。そんな事をしたら明日の朝まで解放してくれないだろうし、そうなれば腕に抱えている花
 束は、見るも無残な事になってしまう。

 「だから、先に寝てろって。」
 「……眠れん。」
 「嘘を吐くな、嘘を。」

  どう見ても、さっきまで眠っていたという風体なのに。
  そう告げれば、半ば寝ぼけている所為なのか、すまん、とやけに素直な返事が返って来て、マッ
 ドは言葉に詰まった。






  台所から、ひとまずコップを取り出して、水を張ったそこに花束を活ける。これで、とりあえず
 は花が枯れる事はないだろう。
  マッドが花を活けている間、サンダウンはソファに腰掛けて大きく項垂れていた。やはり眠いら
 しく、ずりずりと身体が傾いている。賞金首のくせにやけに無防備だ、と思いもするが、もしも此
 処でマッドが殺気一つでも飛ばそうものなら、一瞬で眼を醒まし、マッドに銃口を向けるだろう。
  そう。本当なら、同じ空間に一緒にいる事さえおかしいはずなのに。憎み合いこそしていないも
 のの、しかし敵同士と言っても差し支えない。そう考えれば、こうして一緒にいる事はとても不自
 然だ。マッドが、サンダウンの事を考えている事も。  
  だが、思考はサンダウンの声で中断させられる。

 「マッド。」

  低い声に呼ばれて、そちらを向けば、サンダウンが眠たそうに手招きしている。それに従って近
 付くと、あっと言う間に腕を引かれて、サンダウンの隣に座らされた。そして、膝の上にサンダウ
 ンの頭が落ちかかって来る。
  マッドの膝に頭を乗せ、ソファの上に仰向けに寝転んだサンダウンは、しかしすぐに身じろぎし
 て身体の向きを変え、マッドの腰に腕を回して下腹部に顔を埋める。敏感な部分に顔を押し当てら
 れてマッドは、う、と息を詰める。

 「おい、いきなり何すんだ。」

  流石に怒鳴りはしなかったが、普段、自分達がこの時間帯に成している事を連想させるサンダウ
 ンの動きに、マッドは思わず頬に朱を散らせる。
  その声に、サンダウンは僅かに顔をマッドの下腹部から外し、瞼の隙間から薄っすらと見える青
 い眼にマッドを映すと、

 「眠い。」

  そんな事は、見れば分かる。
    マッドはがっくりと肩を落とすと、膝の上でごろごろしている寝ぼけた男に、苦く吐き捨てる。
 
 「だったら、部屋に戻って寝ろよ。」
 「お前も、一緒に。」
 「疲れてるんだよ。」

  相手はしてやれない、と告げると、サンダウンの眼が心なしか鋭い光を帯びた。それを見て、し
 まった、と思った時にはもう遅い。
  サンダウンが以外と嫉妬深い事は、今に始まった事ではない。賞金稼ぎ仲間達と売春宿に行く事
 は辛うじて許してくれているが、マッドがサンダウン以外に長期的に追いかけている賞金首がいた
 ら、サンダウンがそれを仕留めてしまうほどだ。だから、マッドはここ最近、一人の賞金首を捕え
 る期間を一週間と定めている。それを越えたら、狙っていた賞金首はいつの間にやら誰かに撃ち殺
 されている。

 「誰と、何をしていた。」

  自分以外の何かによってマッドが疲れを感じている事に嫉妬している男は、マッドをソファの上
 に引き倒すと、その上に馬乗りになる。どうやら、嫉妬の所為で眠気が吹き飛んだようだった。

 「あの花束は、何だ。」

  寝ぼけていた癖に、ちゃんと見ていたのか。そしてその出所が何処なのかと、真剣に問うてくる。

 「結婚式に、行ってたんだよ。若い賞金稼ぎと、娼婦の。そこで、その二人に、貰った。貰っても
  意味がねぇのに。」
 「……………。」

  後半部分は、囁くような声だった。しかし、サンダウンの耳には届いていたようだった。そして、
 マッドの声音の変調も。

 「……………相手でも、いるのか。」

  低く問うてくる男の声には、だが、先程までの嫉妬よりも不安が微かに垣間見えた。貰っても意
 味がないという言葉を、相手がいない、ではなく、相手はいても繋がる事は出来ないと受け止めた
 のは、マッドの声音の所為もあっただろうが、半分以上は男の中に巣食っている恐怖の所為だ。そ
 の事に、マッドも気付いている。
  だから、腕を持ち上げて、サンダウンの頬を手で包みこみ、囁く。

 「いねぇよ、相手なんか。」

  眼の前にいる賞金首を追いかけるのに手がいっぱいで、相手を探してる暇なんかない。
  そう告げると、軽くはない口付けが落とされた。舌先を絡め取られ、上顎を擦られる。しばらく
 の間、互いに口付けを深めあってから、ゆっくりと離れる。

 「………それなら、何故、そんな声を出す。」

  鼻先が触れ合うくらい近くで、サンダウンがマッドの声の変調を問う。
  問われたマッドは、ブーケを貰った時に、眼の前の男を思い浮かべた事を思い出し、頬を赤くし
 た。だが、その顔で、なんでもないと言ったところでサンダウンが納得するはずもない。ぎゅうっ
 としがみ付いて、マッドの耳朶を舌で舐め上げる。

 「何があった………?」

  その声には、嫉妬の欠片もない。どうやら、赤らんだマッドの頬から、それが自分に都合の良い
 事だと判断したらしい。腹立たしいほどに察しの良い男に、しかしその腹いせに全然違う事を告げ
 れば、一気に機嫌を損ねるのは眼に見えている。かといって、喜ばせるような事を口にするのも、
 それはそれで癪だ。そもそも、自分達は敵同士であって、そんな事を考える事自体間違っている。
 だから、マッドは何でもないと繰り返すしかない。

 「マッド、此処には誰もいない。」 

  口を閉ざしたマッドに、その思考を止めさせるようにサンダウンが囁いた。

 「此処には、私と、お前しか、いない。」

  敵と味方を判じる事が出来るのは、サンダウンとマッドしかいない状態で、それならば二人が判
 じた関係が、そのまま反映される。
  そう、穏やかに言い聞かされて、マッドはサンダウンの胸に顔を埋める。すると、微かに笑った
 気配がした。後頭部から首筋にかけてを優しく撫でられ、ぴったりと身体を寄せ合うような形にな
 る。自分よりも強い、即ち絶対的に安全な場所に囲われて、マッドは安堵の息を零した。そこに、
 促すように声が掛かる。
 
 「マッド。」
 「何でもねぇよ、ただ、………少し、ただ………。」

  あの二人のように互いに受け止め合えるような関係を想像した時に、サンダウンしか脳裏に浮か
 ばなかっただけの話だ。別にそれが欲しかったとかではない。
  マッドがぶつぶつとそう呟くと、サンダウンがその顔を覗き込んできた。そこにあったのが、喜
 色ではなくて思いのほか真剣な表情だった事に、マッドは意表を突かれる。

 「マッド、私の命は、お前のものだ。」

  マッドが欲しいと言うのなら、いつでも取りに来たら良い。まだ、マッドの手はそこには届かな
 いが、けれども間違いなくサンダウンの命はマッドのものになる。
  だから、とサンダウンはマッドの頬を撫でる。

   「いつでも、来たら良い。」

  言外に、決闘以外でも、不安であったり甘えたくなった時に来ても良いのだと囁く。
  お前を拒んだ事はないだろう、と言う声に、マッドはぎゅうとしがみつく。それに答えるように、
 サンダウンの腕もマッドの腰と肩に回って引き寄せる。そして、

 「部屋に、行くぞ…………。」

  素早い囁きと共に、そのまま抱き上げられた。マッドが抗議する暇もなく、それにマッドも抗議
 するつもりはなく、成すがままに抱きかかえられて、寝室へと連れて行かれる。
  寝室の扉は微かな物音を立てて開いて、かちりと小さな音を立てて鍵が掛かった。
  そのまま、朝まで開く事はなかった。