保安官達が果たして何処までの道のりを辿ったのか、それはマッドには分からない。
  もしかしたらミシシッピ川を越える事さえなかったのかもしれないし、或いは治安の悪い地域で
 斃れたのかもしれない。それとも、保安官という任務を投げ出して、何処かに逃げ出した可能性だ
 ってある。
  彼らの中で最も欲深で金に惑わされた連中は、もしかしたらマッドが撃ち殺しているかもしれな
 いし、彼らの中で最も清廉だった輩はマッド以外の誰かに撃ち殺されているかもしれない。
  ただ、彼らのうち、誰一人として西部に行くという言葉の裏に、微かな黄金の煌めきを見てとら
 なかったものはいないだろう。
  西部と言えば、それは間違いなく金鉱山を連想する。
  だが、そこに辿り着ける者はほんの一握りであり、保安官達だって辿り着けるわけがない。
  そんな中、この赤い土で出来た、僅かにではあるが黄金を生み出した事に辿り着いた何人かは、
 此処で働いて何を思っただろうか。
  僅かな黄金と、しかしそれを凌ぐ人々の入出と、モルモン教徒やインディアンとの小競り合いと、
 そしてそんな中で明らかに台頭している賞金稼ぎ達に。




  百年祭の州





  コロラドのデンバーは、アメリカ大陸初の大陸横断鉄道が通っている。
  故に、人の流入は多い。
  コロラドにもゴールド・ラッシュがあったが、それは鉄道が通った時にはほとんど波が過ぎ去っ
 ている状況だった。
  しかしコロラドで見つかったのは金だけではなく、銀鉱脈もあった。それが発見されたのは大陸
 横断鉄道が開通して間もない頃であったため、コロラドでの人の往来はますます激しくなったのだ
 った。
  故に、もしかしたらこの地こそ、他の如何なる地よりも混沌として、何よりも治安を求めている
 場所なのかもしれない。
  事実マッドも、これほどまでに仕事に有りつきやすい土地はないと思っている。
  人が多い所為だろうか、犯罪者も当然の如く集まりやすい。それは金の移動も多いこの地で犯罪
 を起こす為、鉄道を狙った強盗が多いのもこの地特有のものだ。或いは鉄道に乗って別の土地へと
 逃げ出す為。あらゆる人々の中には、過去の陰に怯えて生きる者も多い。
  だから、賞金稼ぎはこの地を恰好の餌場とする。
  そういった狩場を求める賞金稼ぎの一人であるマッドは、緩やかな足取りで列車のタラップを踏
 み、人がごった返す駅へと降り立った。
  流れる人の様々な色や匂いを眺めながら、マッドはこの街が、自分の気まぐれな旅程が終わりを
 告げるであろうことを確信していた。
  無数の、数える事のできない人の群れの中に、きっとマッドが望む答えを出すものがあるはずで
 あった。それが人であるのか、物であるのか、判然とはしなかったが、恐らく此処が旅の終わりを
 決める場所だった。
  途切れぬ人の群れが、それこそマッドまで飲み込もうとしていても。
  幸いにしてマッドが乗っていたのは一等車両だったので、二等や三等の車両よりも人の数は少な
 い。
  粗末な衣服に身を包んだ二等、三等車両の中に入っていた人々を見やり、そしてそこはかつてマ
 ッドがいた場所でもあった。過去、マッドは同じように鉄道で、この西部までやって来た事がある。
 その時は、マッドの名前は今のように西部の荒野に轟いてはいなかったし、そもそも名前も違って
 いた。
  もう誰も知る事がない古い古い名前は、きっとこれからも使われる事はないだろう。
  過去のマッドのように、転身を求めてやってきたであろう人々は、倦まず弛まず生まれ続けてこ
 の西部へとやってくる。鉄道が出来てから、この駅が閑散としていた事など、一度でもあったのだ
 ろうか。
  そして、人の流入と流出の激しいこの街には、一体どれほどの犯罪が発生しているのか。
  マッドは犯罪学者ではないので、この土地の犯罪発生率など統計しようとは思わないが、泡を食
 って逃げ出す賞金首の大半が、この州を目指すところを見ると、発生率はともかく犯罪者の数は多
 いのかもしれない。
  故に、この街には、やはり腕利きの保安官が配属されるはずだった。
  過去も、未来も。
  けれども、何年も同じ保安官が務めた事はないという。
  その理由は、一体何なのか。
  マッドは人の流れに従って、殺風景な駅の中を漂っていき、そして埃っぽい荒野特有の空気のす
 る外へと出る。賑やかで、乾いていて、貧しさと豊かさが混在するような人々の群れは、確かに荒
 野特有のものだった。
  コロラドは気候の差が激しく、実を言えば豊かな森も、巨大な湖もあるのだが、同時に西部の赤
 い乾いた荒野を内包する土地でもある。そしてマッドがこれから向かうのも、そんな赤い土の上に
 成り立つ、誰もが思い浮かべる西部の街だった。
  所々に石畳はあるものの基本的には硬い水はけの悪い地面の上に、ちょっとばかり上品なホテル
 や富裕層の家が並びつつ、その対岸には簡素な木の家が並ぶ。広い大通りには砂埃を巻き上げる馬
 車が何台も往来し、砂埃の合間に見えるサルーンには娼婦が花のように立ち並び、男達がポーカー
 に興じる声がする。
  マッドは、賞金稼ぎがいつもするように、ふらりふらりと歩いて昼間でも賑やかな酒場へと入り
 込んだ。
  賭博場が隣接する酒場では、アルコールと葉巻の匂いがきつく漂っている。特有の香りにマッド
 はうっとりと微笑んで、磨かれてはいるが染みやらがついて汚れた店の中を見回した。随分と古い
 のか、黒ずんでいる木の壁には、やはりというべきか何枚もの賞金首のポスターが貼られている。
  沢山の見慣れた顔を写真越しに見ながら、マッドは葉巻の香りを割るようにして酒場の中を動き、
 優雅な仕草でカウンター席に腰掛けた。
  見るからに場馴れしている態のマッドの様子に、酒場のマスターも慣れた手つきでグラスを差し
 出す。差し出された繊細なグラスを見て、マッドは滑らかに告げた。

 「ウィスキーを水割りで。あと、葉巻。」

    朗々とした声で命ぜられたマスターは、恭しく望みの物を差し出す。つまり、ウィスキーと葉巻
 だ。差し出されたそれを、優雅に、けれども無造作に受け取ったマッドは、そのまま何でもなさそ
 うな口調で問う。

   「それと、この店を初めて何年になるんだ?」

  穏やかな口調のマッドの問いに、マスターも同じくらい穏やかな声で応えた。

 「十年ほどになりますかね。」
 「随分と長いな。そんなに長くこの街にいたって事は、この街の事はなんでも知ってるんじゃねぇ
  のか?」
 「さあ……此処で普通に暮らしている分の知識しかありませんがね。」

  けれどもマッドにはそれで十分だった。

 「此処って賞金首の連中はどれくらい来るんだ?」
 「さて。そういうのはお客さんのほうが良く知ってそうだ。」
 「そうかもな。でも、この街で誰かが暴れ回ってるって話はあんまり聞かねぇ。これだけ人の集ま
  る街の割にはな。もしかしたら潜伏してるだけって可能性もあるが、それよりも保安官が名うて
  なんじゃねぇのか?」

     すると、マスターの老いた顔に少しばかり苦笑が広がった。

 「まあ、この街には有難い事に、良い保安官が就きますよ。そんなに長い間はいないけれどね。他
  の街に暴れ者がいれば、そりゃあ良い保安官はそっちに流れる。」
 「って事は、しょっちゅう変わってんのか。マスターがこの酒場を始めてからどれくらい人が変わ
  った?」

  ざっと6人。
  マスターの回答にマッドは少しばかり眼を見開いた。想像していた通り、いや、それ以上に多い。

 「まあ、皆良い保安官だったしね。」
 「特にいざこざはなかった?」
 「なかったねぇ。」

  ゆっくりと懐かしむように眼を細めるマスターに、マッドは最後の問いかけをした。

 「この街から別の街に移った保安官達の噂を聞いた事はねぇのか?」
 「噂だけなら良く聞くよ。どの賞金首を捕まえただとか。保安官を止めて何処かに移り住んだとか。
  そういうありきたりな噂ばかりだね。」

  真偽のほどは分からないよ、と首を竦めたマスターに、マッドは、そりゃそうだな、と頷く。
  辞めていった保安官達の事など、誰も気にしないだろう。よほど、名を残していない限り。いや、
 残していたとしてもこの広い荒野、気づくかどうかも分からない。むしろ、気づかないほうが良い
 のか。
  誰の為にも。
  例えば、自分が賞金稼ぎに、この世で最も相反する存在である賞金稼ぎに追われる身となった事
 など、過去の自分を知る者には知ってほしくないか。きっと、清廉であった人間であればあるほど、
 そう思うに違いなかった。
  この街で保安官として過ごした連中は、きっと保安官として優秀だった。賞金稼ぎの存在を疎ま
 しく思うほどに優秀だった輩もいるに違いなかった。
  例え落ちぶれても、賞金稼ぎにだけは捕えられたくないと思う人間がいたとしてもおかしくはな
 い。
  この、犯罪の起こりやすい土地で。
  賞金稼ぎの手を借りる事で秩序の守られるような荒野で、保安官達はどれだけ自分の信念を守れ
 るだろうか。