西部開拓の最初の地と言えば、此処だろう。
  後世にまで残る、アメリカ史上最重要な地と言っていい。
  それは、ルイス・クラーク探検隊がフロンティアを開拓する為に、その第一歩を踏み出した、西
 部開拓時代の一番最初の場所だ。
  そして、もう一つ、黒人奴隷であるドレッド・スコットが自由を求めて裁判を起こした、即ち、
 南北戦争の引き金となった土地でもある。




  疑い深い州





  ミズーリ州のミシシッピ川沿いにある街は、ヨーロッパ移民の特性を色濃く表している。特に、
 フランス移民が多い街では、フランス人特有の優美なデザインの街並みが作り出されており、アメ
 リカというよりも、ヨーロッパの古い町並みを歩いているような錯覚を覚える。
  しかし、この地もまた、南北戦争の爪痕を大きく残している地であった。
  南北戦争の発端となった、という事だけが理由ではないだろうが。
  南北戦争によって、商業が完全に止まってしまったというのが、この街を崩壊させた一番の理由
 だ。それに、時代の流れもあった。ミシシッピ川を蒸気船で行き来し、それによる交易を進めてい
 たミズーリ州は、しかしその後急速に発達した鉄道によって、置いてけぼりを食ってしまったので
 ある。しかもその頃、ミズーリ州の蒸気船は、南北戦争によって悉く破壊されてしまった為、鉄道
 に張り合おうにも武器がなかったのだ。
  結局、蒸気船会社は、今でもかつての繁栄を取り戻せずにいる。
  ミシシッピ川を、ゆらゆらと揺れながら渡りゆく蒸気船の数も、きっとかつてほど多くはないの
 だろう。
  けれども、零落したとはいえ、この地がアメリカ西部にとっての一番最初の地である事に変わり
 はない。
  この地を通り、西部に向けて出発する鉄道には、今も大勢の人間が詰めかけ、ごった返している。
  かつて、南北戦争で名を上げ、そして保安官として歩む事を定められた者達も、この地を通り、
 此処から鉄道に乗って西部に向かったのかもしれない。
  或いは、この地で保安官となる事を任ぜられたのか。
  最初の地であり、様々な人々が雪崩れ込む商業都市には、人の数だけ犯罪者もまた集まる。つま
 り、その分治安が悪いのだ。一歩踏み誤れば、そのままスラム街に足を踏み入れ、戻ってこれない
 輩もいる。
  それを食い止めるために、或いは西部への犯罪者の流出を出来る限り防ぐために、此処に有能な
 保安官を置こうとするのは、ある意味正しい考えなのかもしれなかった。
  尤も、マッドが見る限り、その思惑は完全に外れいてるような気もするが。
  そもそも、ミズーリ州は確かに西部の入り口ではあるが、既にカリフォルニアまでの道筋が立ち、
 鉄道網も縦横無尽に走る現在、ミズーリ州だけに有能な保安官を置いたところで、どうにもなりは
 しない。
  それは、マッドのような賞金稼ぎが西部で名を馳せている事が、何よりの証拠だろう。
  むろん、ミズーリ州以外にも有能な保安官を置いているつもりなのかもしれないが、けれども置
 いた保安官全員が有能であるはずがないのだ。
  それは前々からしつこく言っているが、南北戦争で手に入れた何処の馬の骨とも分からぬ強者な
 ど、いつ手を噛み千切ろうとするか分からない連中なのだ。逆に犯罪者となりかねない。
  だが、そんな人手不足の状況も、理解していないわけではない。
  人手不足を埋める存在であるマッドは、故に賞金稼ぎなんて仕事が成り立っているのだ、と苦笑
 いする。
  有能な保安官を育てる事が出来ない、或いは有能な保安官を手元に置き続ける事が出来ないほど、
 国家が保安官という職業を保証していないが故に、賞金稼ぎという、それこそならず者に等しい存
 在が幅を利かせているのだ。
  もしも、全州に有能な保安官がいたのなら、賞金稼ぎなんて職業は、すぐにでも廃れてしまうだ
 ろう。
  それほどに、この国は犯罪者によって喘ぎ、有能な人材の不足に苦しんでいる。
  有能な保安官など、マッドの知る限り数える程度しかいない。そして有能な保安官が、皆その才
 能に対して対等な報酬を約束されているわけでもない。むしろ、最後までその任務を全う出来る者
 など、ほとんどいないのではないか。
  過酷な仕事によって身体を壊す事によって。病によって。或いはもっと別の割の良い仕事に流れ
 る事によって。任務中に命を落とす事によって。
  もしくは。
  無辜の罪を背負わされる事によって。
  いずれにせよ、報われない仕事だ。
  この地から西部に向けて旅立つ時は、もしかしたらその身に受けた栄誉で喜び勇んでいたかもし
 れないのに、西部についた途端、後悔の念に襲われる事もあるのではないか。
  それを考えれば、マッドは到底、胸に銀の星を付けようなんて気にはなれないのだ。
  マッドには、自分の人生を他人の為に費やすなんて事は、とても想像できない。
  そう、この地を一番最初に旅立ったルイスとクラークのように、使命に身を燃やして立ち向かう
 なんて事は、出来そうになかった。
  だからマッドは賞金稼ぎなのだ。
  胸に銀の星を付けるのではなく、血塗れの玉座に優雅に腰掛ける賞金稼ぎの王だ。正義の御旗で
 はなく、嘆きの砦だ。
  気紛れに生きて、その身も魂も、全部自分だけの物。
  保安官という人種とは、仕事以外ではきっと関わり合わないだろうし、きっと分かり合えもしな
 いだろう。その任務に対して忠実であればある人物であれば、尚の事。理解なんて微塵も進まない。
  報われない仕事である以上に、保安官の本分が基本的に守る事であるという事が、何よりもマッ
 ドには親しめない。
  守るという事を否定したり軽んじたりするつもりはないが、そこはやはり保安官という正義と、
 賞金稼ぎという嘆きの部分で、完全に向くべき道が違うのだ。
  保安官が人々銃弾から守る存在だというのなら、賞金稼ぎは放たれた血濡れの銃弾を拾い上げ、
 それを投げつけるのが役目だ。それは復讐にほど近い。
  保安官が嘆きを未然に防ぐというのなら、賞金稼ぎは防ぎきれなかった嘆きを飲み込むのが仕事
 だった。
  そして、それは正義からは程遠い。
  保安官には、保安官だった人間にとっては、眼を背けたくなるほどの背信の行為だろう。一般人
 でありながら、時には裁判官よりも強い力を行使する賞金稼ぎは、むしろ唾棄したい存在として眼
 に映っていたのかもしれない。
  だが、それが現実だ。
  賞金稼ぎなしでは、西部という土地は成り立たない。
  保安官だけでは嘆きは止められない。
  その事実を、この記念すべき地を旅立って、目の当たりにして、保安官達は一体何を思っただろ
 うか。
  幻滅したか、諦観したか。
  それとも、よりいっそう強い憎しみを抱いて賞金稼ぎを見たか。
  金で命の遣り取りをするマッド達を、一体どう思っているのか。
  むろん、マッドはそんな事を当の保安官達本人に聞くつもりはなかった。そんな事は、聞くだけ
 無意味だからだ。
  何よりも、保安官がまた、賞金首の懸賞金のポスターを壁に貼り付けているという事態が、全て
 を物語っているような気がした。
  ポスターを張り付けている保安官に、マッドは壁に背を持たせかけながら問いかける。

 「なあ、おっさん。」

  酷く無礼な言い分に、保安官は顔を顰めながらも振り返る。そしてマッドを見て、ますます眉間
 に皺を寄せた。マッドの出で立ちを見て、すぐさま無辜の一般市民ではないと見て取ったのだろう。
 そしてそれは確かに正しい。
  マッドは、審判の日が来るとするならば、間違いなく地獄に傾く人間だ。

     「この街に任命された保安官の履歴みたいなもん、持ってねぇか?」

  マッドの問いかけに、保安官の表情にははっきりと警戒が見て取れた。
  堅気ではない人間が、保安官の履歴など調べている事など、冷静に考えればまともな話ではない。
 あからさまに犯罪の香りがする事だろう。
  それはマッドから、というよりも、歴代の保安官達の誰かから醸し出されるものだ。
  そしてこの保安官には、何か心当たりがあるのかもしれない。
  本来ならば仲間であるはずの保安官に、疑いを持つ瞬間が。相容れない賞金稼ぎよりも疑わねば
 ならないという事実が、何処かにあるのかもしれない。それはまだ立ち上がっていない煙のような
 疑念かもしれないが、焦げ臭さがあるものなのかもしれない。
  だが、それは果たして本当に黒なのか。きっと、目の前の保安官もそれを判断しかねている。
  もしかしたら、それはマッドが作り上げた疑惑であるからかもしれないのだ。
  事実、そうしたでっち上げにより失墜した保安官もいる。
  眼に見えて分かる警戒に対して、マッドは苦笑いして、なんでもない、と手をひらりと振った。