マッドは遠目にリッチモンドの風景を眺めて、そっと眼を細めた。
  かつてアメリカ連合国の首都であったその地は、マッドの眼にも懐かしいものがある。しばらく
 眼にしていなかった風景は、マッドが意図的にそちらに向かおうとしなかった所為もある。
  それでも今回足を向けたのは、気まぐれのほかに、この地にはもはやマッドの事を見分けられる
 人間がいないからだ。
  ジェームズ川の流れるその地には、未だに南北戦争時の戦火の爪痕が生々しく残っている。壊滅
 した市街地は、徐々に復興しつつあるものの、まだ時間がかかるだろう。
  此処は、南北戦争最後の戦いが起きた場所であり、1865年にこの地が北部軍により陥落した
 事で、南北戦争は終結に向かったのだ。




  古き領地





  南北戦争最大の決戦と言えば、ゲティスバーグの戦いを思い浮かべるだろう。
  ペンシルバニア州の、そしてアメリカの要所であった土地で起きた、決選とも言える戦いだった。
  だが、その戦は、マッドの脳裏にそれほどまで強烈に記憶には残っていない。それは当時、マッ
 ドが幼く事態を理解できておらず、また、ゲティスバーグがマッドのいる場所から遠く離れた地で
 あったからかもしれなかった。
  逆にマッドの記憶に残った戦火と言えば、南北戦争最後の戦いであり、戦争終結を意味する、リ
 ッチモンド陥落であった。
  リッチモンドの陥落は、ゲティスバーグの戦いから二年の歳月が超えており、マッドも徐々に事
 態を理解し始めたから記憶に残っていたのだろう。
  そんな、幼い子供の脳裏にも残っている、アメリカ最大の戦争――内紛であった南北戦争は、北
 部と南部の互いに総力戦であった事から甚大な被害を及ぼした。先述したリッチモンドの市街地壊
 滅などは、序の口である。 
  そして、一方で、総力戦であったが故に数々の人員を投入し、それこそ弱肉強食の様相を保った。
 つまり、強い兵だけが――もしかしたら小賢しい輩も残ったかもしれないが――生き残ったのであ
 る。
    南北戦争後の南部は、非常に治安が悪かった。
  それは、単純に勝者による略奪が繰り広げられただけの話ではない。勝利者である北部軍の中で
 も南部の取扱いについて対立が生じていたからだ。かの有名なエイブラハム・リンカーンは穏健派
 であり、南部軍人についてもその地位を認めたが、彼の暗殺後、彼の方針に反発していた急進派が
   一気に台頭し、南部は軍事的に占拠された。
  それには、黒人と白人と、更にはインディアンの坩堝と化した南部を平定する意味合いが強かっ
 たのだろうが、それをするにはアメリカには先の戦争もあり人手が足りなかった。
  故に、戦争に生き残った強い者――彼らに眼を留め、彼らを混乱渦巻く南部に放り込み、治安維
 持に努めさせようとしたのだ。
  胸に銀色の星を持つ、保安官として。
  そのやり方が正しかったのか、マッドには判じる術はない。ゲティスバーグで、或いはこのリッ
 チモンドで、無量の夥しい血を流した、一歩間違えれば戦争犯罪人として引き立てられていたかも
 しれない連中が、保安官となるように計画された事について、マッドは無駄がないと思うと同時に、
 非常な危険を伴うと感じていた。
     南北戦争には、勿論大勢の軍人が投入されていた。しかし、それ以上の数の一般市民が投入され
 ていたはずである。
  それは、勝者である北部軍も同じ事。
  そして、戦争後、南部に保安官として投入される連中――南北戦争で名を挙げた生存者も、やは
 り農民や猟師や商人といった一般市民である事に間違いなかった。
  軍というものから縁遠かった彼らが、果たして軍とは違うと雖も、保安官というある程度の規律
 の必要な職が、しかも過酷な南部での職が務まるだろうか。
  むろん、見事に勤め上げる者もいるだろう。
  名もなき農民が、名保安官と成り上がる事は、決して有り得ぬ話ではない。
  だが、そんな人間が一体この世にどれほどいると言うのか。そもそも、戦争に勝ち残った者の全
 てが、性根の座った人間であるとは限らない。中には、そのまま朽ち果ててしまえと思うほど、性
 根の腐った輩もいる事だろう。
  そういった連中を、きちんと篩にかけたのか。
  マッドには、そうは思えない。
  保安官としての任務についての説明も碌にせず、適性も考えず、保安官という体裁だけを整えて、
 ぽい、と南部に放り込んだのだろう。
  故に、保安官殺しの為に賞金稼ぎが、マッドが走り回らなくてはならなくなったのだ。
  勿論、権力者と癒着したり、権力者の言いなりになったり、もしくは自分に与えられた力に溺れ
 て市民を虐げるような真似をする輩は、北部軍から叩き上げられた無骨な連中だけとは限らないだ
 ろう。
  けれど、背景がただの農民で、戦争によってがらりと生活が変わった事により犯罪に走る輩が多
 いのもまた事実だ。
  この前撃ち取ったばかりの、町長の言いなりになって、捕まえたならず者をすぐに釈放し、その
 代わりに町長の政敵は縛り首にするというような采配を振るっていた保安官も、調べてみれば過去
 に従軍経験があり、そしてその前はごく普通の猟師であった。
  南部戦争で、敵の幹部の首級を挙げた功績で、保安官任命された彼は、その数年後、自らの首級
 が取られるとは思っていなかったに違いない。
  身に余る栄誉。
  そんなものは受け取らない方が良い。
  それは、彼らの人生の道を踏み誤らせるだけではなく、彼らがどれだけ公正に保安官の任務を勤
 め上げたとしても、最後には悲劇を叩きこむのだ。
  保安官の任務には、街の治安を図ると共に反社会的勢力を駆逐する事も盛り込まれている。それ
 は基本的には軍の仕事ではあるのだが、広い荒野に、ぽつりぽつりと点在する街に一つ一つに軍を
 駐留させるなど、不可能な話。
  だから、保安官がそれを半ば代行しているのだ。
  そして、風の唸る荒野には、流れ込んできたならず者、娼婦、斜陽貴族のほかに、暗躍する連中
 がいる。
  未だに、過去の栄光が忘れられず、或いは自分達こそ神に選ばれて全てを支配する権利を有して
 いるのだと喚いている連中。
  黒人を虐げる事でしか己の存在を確立できず、いるかどうかも分からない神を持ち出してきて、
 自分達を正当化する愚者。インディアンを悪魔に取りつかれた堕落した人間だと罵り、人間以下の
 扱いをしようとする獣達。
  所謂、カルトと呼ばれるような、狂った宗教家。いや、宗教家ではなく、ただひたすらに己の血
 統やら肌の色やらでしか、戦え抜けない連中。
  人種差別主義者と呼ばれる輩である。
  彼らは南部で黒人やインディアンに嫌がらせや暴力を振るい始め、遂には本来ならば優位だと自
 分達こそが語っている白人にまで手を出し始めた。
  そんな彼らを政府がテロリスト認定したのは当然の事であり、むろん、保安官達も彼らを見つけ
 るや逮捕し、拘留した。真面目で、公正である保安官であればあるほど、厳格に彼らを処分し続け
 た。
  ただし、それに対する報復も、確かにある。
  黒人を庇うような発言をした白人さえもを目の敵にするような連中に、保安官が殺される事件は、
 少なくない。
  結局、最後には悲劇が訪れる。
  マッドは、煤けたリッチモンドの街並みを見ながら、この街で最後まで生き残った農民が、或い
 は猟師が、漁師が、保安官になったのか、と思う。
  そして、身に余る権力を持たされて、それを振るい誤り、もしくは別の力で切り落とされて斃れ
 ていったのか、と思う。
  そんな事になるくらいなら、銀の星など、受け取らなければ良かったのに。
  戦後、まるで違う人生を歩む事となった彼らは、果たしてそう考えただろうか。胸に輝く銀の星
 を引き千切り、地面に投げ捨てたい衝動に駆られる事はなかったのか。
  それとも。
  人を守る事を己の本分と考える事が出来たのか。
  それは、勿論、人の命を金に置き換える、賞金稼ぎマッド・ドッグには到底理解できず、且つ全
 くの無関係な話であったが。
  それに、何処をどれだけ探しても、此処から保安官に成り上がった人間の情報など聞こえてこな
 い。何処の馬の骨とも分からぬ連中の事など、役所は記載もしなかったのだろうか。尤も、記載し
 たところでそれをマッドが眼に出来る可能性など少ないのだが。
  役所の中には、賞金稼ぎを嫌がるところもある。
  未だ炎が燻っているような錯覚を覚える街に、今一度目を細めて、マッドはゆっくりと次の場所
 を捜し始めた。