始まりの町は、既に砂に埋もれた場所だった。
  長く長く、強い荒野の砂嵐に曝された所為で、かつて家という家だったものには、赤茶けた砂が
 覆い被さり壁に圧し掛かっていた。一粒一粒の重さは大した事はないとはいえ、それが無数に降り
 積もった赤茶色の塊は、木で出来た簡素な家を長い時間をかけて押し潰し、既に住む者もないが故
 に、修復も見込まれぬまま、ゆっくりと傾きかけていた。
  砂が降り積もっているのは壁だけではなく、勿論、普通ならば人が出入りする扉にも、もう長い
 間そうやって動く事もなかったらしく、壁と扉の境目が分からぬほどにぴったりと砂がこびりつい
 て、本来の目的として開ける事を困難にさせていた。
  それは、普通の扉だけではなく、いとも容易く開けられるはずのウエスタン・ドアも同じ事だっ
 た。扉の下が地面についていないウエスタン・ドアでさえ、その開閉を砂に阻まれるのだから、こ
 の街が如何に砂嵐に悩まされ、且つ、如何に長い間、人による手入れが為されていないかが分かる
 というものだった。
  それが、賞金稼ぎマッド・ドッグの始まりの場所だった。




    ひとつ星の州
 




  おしゃべりで気まぐれで身勝手な賞金稼ぎマッド・ドッグは、同時に西部一の賞金稼ぎでもあっ
 たが、前述したように気まぐれで身勝手で我儘である為、撃ち落す賞金首を些か選り好みする傾向
 にある。
  勿論、西部一の賞金稼ぎとしての務め、いわば正義の御旗を掲げる保安官には到底真似出来ない、
 法律に照らし合わせてみれば眉を顰めなければならない仕事――即ち法の目を掻い潜った性根の腐
 った連中を撃ち落す仕事もしないわけではないし、むしろその手の荒事についてはマッドはまるで
 天性の素質を持ったかのように得意であった。
  なので、仕事をさぼったりする事はないのだが、如何せん賞金稼ぎというのは自由業であると言
 っても過言ではなく、マッドは特別に依頼でも出されない限りは、好きな時に好きなように賞金首
 を狩っている。
  そして、勿論賞金首を追いかけていない時もあるわけだ。
  そして、今のマッドは賞金首を追いかけていない時期真っ最中だった。
  しかし、マッドの現在の状況が、果たして本当に仕事と全く無関係であるのかどうかという事は、
 正直なところ誰にも分からないだろう。
  娼婦の膝の上でゴロゴロしているように見えても、実は予断なく娼婦の間で交わされている噂話
 には聞き耳を立てているような男だ。賞金稼ぎとして生きていくには、銃の腕も大切かもしれない
 が、一方で情報収集が重要だと考えているマッドにとって、如何なる情報が糧となり、或いは自分
 の命を救うか分からないのだ。
  だから、こうしてゴースト・タウンとなっている街を見やるマッドが、実は何かの情報を探して
 いるという可能性はゼロではない。本人は暇つぶしと言うかもしれないが、実際何を考えているの
 か知っているのは、当のマッド以外にはいないのだから。
  そして、マッドは、当人曰く暇つぶしの最初の街として、この砂に埋もれかけた街を選んだのだ。
  遠くには茶色い、長い時間をかけて風によって作られた岩が奇妙な形に捻じれ上がっているのが
 見える。地面には草らしい草はなく、あったとしても地面を這っているような物体で、所謂天を向
 いて伸びるような植物の影はない。あるいは、大地の上を転がり移動する枯草のようなタンブル・
 ウィードくらいしかない。
  その他に生命の気配があるといえば、空高くを飛んでいるハゲワシか、地面に不思議な模様を描
 く虫か、もしくは地面に潜り込んでいる蛇くらいなものか。
  不毛の大地。
  そう呼ぶに、全くの躊躇いがない地だった。
  むろん、マッドは遠くの大地にこれよりも尚過酷な地がある事を知っている。暗黒大陸と呼ばれ
 ていた場所には、見渡す限りの死の砂漠が広がっていると、かつて聞いた事がある。それに比べれ
 ば、地面を這うだけとはいえ、植物が生えているのは奇跡なのかもしれない。
  けれどもその奇跡は、慎まやかな動物達には恵みを与えても、些か強欲な人間には雀の涙ほどし
 かないだろう。いや、糊口を凌ぐにも足らないか。
  マッドは砂に埋もれ、今や訪れる人もない街を見渡し、小さく笑った。
  メキシコとアメリカの境にあるテキサス州は、その土地その土地によって全くと言っていいほど
 気候や地質が異なる。故に、土地も緑豊かな場所もあれば、この飲まれた町のように酷く痩せた砂
 だらけの土地もある。
  砂丘と砂漠の渓谷と砂漠の草地と。
  この地は、どちらかと言えば、そんな乾ききった大地を代表する場所だった。
  そして、メキシコとの争いが勃発した土地でもある。南北戦争が完全に終わるまで、この土地は
 諍いの場であったのだ。インディアンの部族も多い。
  故に、この地を治めるには多大な労力を必要としたのだ。
  手当たり次第に、銃の腕の立つ人間ばかりを保安官に任命したのもその名残だろう。保安官の任
 命には町の有力者の、そして連邦保安官ともなれば大統領の任命が必要だ。だが、それでも保安官
 の座にならず者が就く事は少なくない。
  特に、南部の荒れた地に行けば行くほど、そうした銃の腕だけで伸し上った、例えば南北戦争で
 落ちぶれた貴族、東部から流入してきた犯罪者、或いは戦争で名を上げた何の身元も保証されてい
 ない農民、そういった連中が保安官になる。
  それは、やはりどうしても力で捻じ伏せる以外の方法が、大統領閣下含め誰にも思いつかなかっ
 たからだろう。
  その結果、やたらといざこざが多くなったわけだが、とマッドは、その尻拭いをしているのは自
 分であると自負している。そしてそれは間違っていない。ならず者が権力者と癒着して、街を蹂躙
 し、その度に街の住人が自分の足元に跪いて希う事を、マッドは何度も経験してきた。
  この街の保安官が、そんなならず者と紙一重の位置にいたのかどうか、それはマッドには分から
 ないが。
  ざらりと砂の付いた看板を、マッドは繊細な手で払い、砂を落とす。
  その下から覗いた、保安官事務所である事を示す言葉は、今やマッドにどんな情報も齎しはしな
 かった。
  既に人が去って久しいこの街からは、かつて此処で起きたであろう犯罪履歴を一つとして感じ取
 れなかった。それほどに長く、時間が経ってしまったという事だ。
  ただ、70年代に入ってからようやくアメリカに帰属する事を許されたこの州には、間違いなく
 腕の立つ保安官が配置されたはずだった。それが血腥い匂いで人々を捻じ伏せたのか、恐怖で抑え
 込んだのか、そこまでは分からないが。
  けれども、いずれにせよ、この辺りに勤めていた保安官達は、着任してからそう遠くない未来に
 次々と辞めていったはずだ。
  何せ、今、この周囲には一切の町もないのだから。
  ゴールド・ラッシュの波が終わった後の波及効果が、テキサスにまで及んだのか、それとも他に
 理由があったのかは分からないが、とにかくこの辺りには今、どんな街もない。
  それに伴って、此処に赴任していた保安官達は一体何処へ行ったのか。
  マッドは、誰とも知れない相手の行方に少し首を傾げたが、すぐにひらりと掌を砂塗れの看板か
 ら離し、砂に埋もれた扉を開いた。
  長年降り積もっていた砂は、酷く固くしこっていたが、マッドが力に任せて――加減をする必要
 は何処にもなかった――無理やりに動かすと、ごっそりと扉ごと動き、もろもろと見ている端から
 崩れ始めた。
  それを一瞥し、マッドは一体何年もの間、こうして人が来るのを待っていたのか分からない、空
 気の澱む保安官事務所の中を覗いた。
  窓という窓が砂に覆われた保安官事務所の中は薄暗く、微かな物陰さえ何か別の奇怪なものに見
 えたが、それ以上にマッドが眼を向けたのは、床に鮮やかな文様を描いている砂だった。どうやら
 あちこちの隙間から入り込んだらしい砂は、しかしある時期になればその隙間さえ砂で埋もれてし
 まったのか、長い間動いた形跡はなく、まるで床と同化しているかのように、足で踏んだだけでは
 動かなくなっていた。
  波打つような、或いは牙のような曲線を描く風紋の上を歩き、マッドは長い間放置され、役目を
 再び果たす日が来るのをじっと待っている、簡素な机の前へと歩む。
  荒く削られた板で作られた机は、誰が何をするまでもなくささくれ立っており、そっと触れただ
 けでも棘が突き刺さりそうだった。
  しかしマッドはその棘などものともせず、役目を包み込んでいる机の引き出しを無造作に開く。
  砂が落ちる音以外は、ほとんど無言で開かれたそこには、当然の如く当時を忍ばせるような何か
 は入っていなかった。街が枯れる前に処分したのか、それとも別の町に帰属する事となったのか。
 とにかく、この町の犯罪歴は途絶えている。
  むろん、マッドとてこの街にそれ以上の情報を求めるつもりは最初からなかった。
  だが、そんなマッドの予想を裏切るような形で、机の中にはぽつりと役目を果たせなかった銀の
 星が墜落していた。
  この街を最後に請け負った保安官が忘れていったのか、それとも故意に残していったのか。
  それを窺い知る事は、勿論マッドには不可能だった。それ以上の情報も、マッドには読み取れな
 い。この街からは、どうやらこれ以上の情報を得る事は出来なさそうだった。
  マッドは砂のついた手を、ひらりと払うと、赤茶色の砂丘になりつつある街に背を向けた。