厩に辿り着いた時、そこにはいつの間に連絡が届いていたのか、煌々と輝くランプを片手に迎え撃とうとす
 る男達が群がっていた。阿片中毒で且つ耽美な世界に溺れている貴族達の忠実な子飼の連中は、もしかしたら
 主人とその性癖が似ているのか、嬉々として二人に襲いかかろうとしている。
  その様子にサンダウンとマッドが舌打ちし、腰に帯びた銃に手を伸ばす。銃を使う事は騒ぎを大きくするだ
 けだが、彼らに退く意志がないのなら、それも覚悟せねばならない。
  だが、二人が銃を抜き放つその前に、群れを成している男達の後ろの方から悲鳴が上がり、瓦解が始まった。
 高い悲鳴の中に、それよりも更にけたたましい嘶きが響き渡っている。それが空気を震わせるたび、地面に倒
 れ、逃げ出す男の数は増えていく。
  突き飛ばされた男達の手から転がり落ちたランプは、それでも炎を残してい地面にオレンジの色を咲かせる。
 その中に割り入るようにして現れたのは、夜の闇よりも尚黒い馬だった。気が昂ぶっているのか黒い馬は、
 必死に押しとどめようとしている馬丁を引き摺り、その後ろ脚で男達を蹴り飛ばしていく。

 「ディオ!」

  暴れ馬もかくやという、その馬の姿を見てマッドは眼を丸くし、己の愛馬の名を叫んだ。




  五日目夜〜六日目夜明け





  主人に名前を呼んで貰えた黒馬は、まるで喜ぶかのように首を上下に振り、同時に遂に手綱を握り締めてい
 た馬丁を振り放す。そして苦鳴を上げる男達を軽やかに飛び越え、マッドのもとへと駆け寄った。大型犬が喜
 んで尻尾を振り回すような勢いでマッドの頬にぐりぐりと自分の顔を擦り込む様は、どう考えてもクレイジー・
 バンチを統括していた時のそれからはかけ離れている。
  そんな賑やかしいディオの後ろから、静かな足取りで現れたのは栗毛色をしたサンダウンの愛馬だ。ディオ
 と違って落ち着いた動きで、それでもサンダウンの胸元に頬を少し擦りつける。
  とりあえず元気そうな彼らの様子に、主人達も安堵の息を吐く。だが、此処で安心するわけにはいかない。
 きっと、此処を突破された事はすぐに貴族達の耳に入る事だろう。

 「………乗れるか?」
 「馬鹿にすんじゃねぇぞ。」

  身体を気遣うサンダウンの言葉に、マッドは鼻先で笑い、軽やかにディオの背に乗る。それを見たサンダウ
 ンも、待ち構えている栗毛の愛馬の背に跨った。

  夜が更けても、辺りの建物はちかちかと明るい光が明滅し、通りにも人が行き交っている。それに何より、
 荒野の作りかけで舗装もされていない道とは違い、綺麗に揃えられた石が敷き詰めてる道は、本来ならば馬車
 がパカパカと走る事はあっても、単騎が疾走するような道ではない。
  その道を、二頭の馬が風のように走り抜ける。彼らの蹄が弾き飛ばす小石が、時にびりびりと窓硝子を震わ
 せた。
  だが、それを操る二人の主人はそんな事を気にしていない。何せ、彼らの背後には未だ、彼らを捕えようと
 する貴族達の手が伸びているのだ。立ち止る暇はない。

  街灯に垂らし出された駅に滑り込み、ようやく疾走していた馬の脚は並になり、そしてその背から二人の主
 が飛び降りる。軽い音を立てて石畳の上に降り立った二人は、まだ出発していない列車を見て、ようやく安堵
 したような表情を見せた。
  サンダウンとマッドは駅員に馬を乗せるように指示し、荷台へと収まる彼らを見送ってから、そして自分達
 も列車に乗り込もうとした。

  だが、遠くから聞こえる幾つもの足音と、回転しながら近付く闇の中の光の数に、ぎょっとして立ち止る。
 駅員にわあわあと何事かを怒鳴りながら、石畳を蹴って来るのは、正しくあの貴族達の部下だろう。貴族の部
 下というわりには、随分と下品な足音な気もするが。
  どれだけしつこいんだとか、そういう思いが去来する中、しかしそんな事に構っている状態ではない。
  何せ相手は成金貴族だ。その気になれば列車を止めてマッドを引き摺り降ろすくらいの事は出来かねない。
  サンダウンとマッドは同時に腰に帯びた銃に指を這わせる。が、サンダウンは隣で身構えているマッドの身
 体を一瞥すると、彼を列車の中へと押し込んだ。

 「わっ!何すんだ、てめぇ!」

  突然突き飛ばされたマッドが怒鳴るが、貴族達の狙いはサンダウンよりも寧ろマッドである為、サンダウン
 のその行動はある意味正しい。
  しかし、もしも本当に、貴族達が列車を止めるなどという暴挙に出たら。
  一人、闇の中こちらに近づいてくる光に向き直ったサンダウンは、その光の数の多さに、目眩を起こしそう
 になった。一人の人間の――しかも目的は身体だけだ――為に、此処まで執拗になれるのは、阿片中毒の症状
 なのだろうか。
  彼らが停車したままの列車に雪崩れ込んできた時は、その時は、愛馬が斃れるまで駆り、逃げ出すしかない。
 サンダウン一人で、大挙して押し寄せてくるあの連中からマッドを守り抜いて列車を動かす事は不可能に等し
 い。

  ――まあ、そうなる前に、多分向こうが諦めるだろうが、多分。

  だが、その思いは、押し寄せる光の数で薄っすらと砕けそうな予感がする。
  危機感、というには些かげんなりした気分で性欲持て余し気味の阿片中毒者の群れに、サンダウンは色んな
 ものが挫けそうになっている。
  それでもピースメーカーの引き金に指を絡め、彼らがやってくるのを迎え撃とうとしたその時。
  突撃してくる光の群れに、その横合いから別の光の群れが押し寄せてきた。仲間と合流したわけではなさそ
 うだ。何故なら雪崩れ込んできた光の群れは、阿片中毒者達を次々となぎ倒しているからだ。
  どうやら、あまりの騒ぎに警備兵達が駆け付けたらしい。もともと、阿片と乱交パーティで睨まれていた連
 中だ。もしかしたら、この夜の集まりの事も警備兵達の耳には何らかの形で入っていたのかもしれない。

  次々と彼らを取り押さえていく警備兵の中に、サンダウンのかつての知り合いがいたかどうかは定かではな
 い。それはサンダウンにはもはや関知するところではないし、何よりもあの連中と一緒に騒ぎの原因と思われ
 て捕まりたくはない。
  だから、サンダウンはマッドが待つ列車の中に飛び乗った。

  そして、わあわあと騒ぐ光の群れを置いて、列車は大地に響き渡るような音と共に、みしりみしりと動き出
 した。




  ようやく落ち着いた列車の中は、夜の所為か乗客もまばらで、突然乗り込んだわりにはちゃんと個室に入る
 事が出来た。
  座席に腰掛け、改めて周囲を見渡せば、向かいの座席に座ったマッドが、どこかむくれたような表情で窓辺
 に肘を突いて暗くて何も見えない窓の外を眺めやっている。おそらく、いや間違いなく、怒っているのだろう。
 あの阿片窟で性欲の対象――しかも弄ばれる側――として見られて、マッドは怒り狂っている。
  しかし、不機嫌なマッドを見てもサンダウンが何も出来ないのはいつもの事だ。慰めるのもおかしな話だし、
 かといって仕方ないで済む話でもない。何か気のきいた言葉でもあれば良いのだろうが、残念ながらサンダウ
 ンの中にはこういった時にどう言ってやるべきなのかという言葉は何処にも入っていなかった。

  結局、いつもの通りサンダウンは無言で。違う事と言えば、いつもは際限なく喋るお喋りな男が黙りこくっ
 ている事。それが、奇妙なまでに気まずい沈黙を作り上げている。
  そして思う。そういえば、沈黙を気まずく思ったのは久しぶりだ、と。いつも一人で荒野を彷徨っている時
 は沈黙など当然で、ともすれば言葉さえ忘れてしまいそうなくらいだ。声を発する事さえほとんどない、乾い
 た大地の時間。けれども言葉を忘れず、声を出す事を忘れないのは、決まったように現れて決まったように声
 をかけていく存在があるからだ。
  そしてこの五日間、サンダウンは本当に久しぶりに、様々な色を見た。いつも、その肩越しに感じるだけの
 それらを、久しぶりに自分の眼で見て感じたような気がする。
  不毛の大地とは異なる、海と、空と、木々と、そして行き交う人々の鮮やかな色だけでなく、人々の眼差し
 の意味も自分で受け止めて考えた。きっと、今後、こんな事は二度とない。

 「悪かったよ。」

  ぷくっと膨れた声で、マッドが唐突に口を開いた。
  自分の考えに没頭していたサンダウンは、賞金稼ぎの突然の謝罪に首を傾げる。

 「俺がいなかったら、こんな事に巻き込まれずに済んだんだ。明日の朝までゆっくりあのホテルで眠ってられ
  たんだ。」

  ぶちぶちとそんな事を言うマッドに、サンダウンは呆気に取られ、そして慌てて違うのだと言おうとする。
 むしろその逆で、マッドがいたからあれほどまで世界が鮮やかだったのだと。
  だが、それを今告げるには、マッドの顔色が悪すぎた。
  おそらく阿片の所為で、明瞭な彼の呼吸には雑音が入っているのだろう。
  だから、サンダウンはそれを告げる事はせず、向かいに座るマッドの隣に座ると、彼の黒い眼をその手で覆
 い隠した。そして、囁くように呟く。

 「眠れ。」

  眼が覚めれば、またあの乾いた大地が広がっている。それまでは、あの鮮やかな世界の夢を見ていればいい。
  サンダウンの行動に何やらもぞもぞと呟いていたマッドは、しかしやはり身に蟠る毒素には叶わなかったの
 か、いつしか言葉少なになり、その口からはいつしか寝息が零れるのみとなっていた。
  ずるりと今にも崩れ落ちそうな身体を支えてやりながら、サンダウンは思う。もしかしたら、あの鮮やかな
 世界にいれば、自分達の関係は自ずと変わっていったのかもしれない。賞金首と賞金稼ぎという関係以外の何
 かが育ったのかもしれない。
  だが、それは荒野に生きる事を決めた自分達には、到底有り得ない仮定の話だ。そして二人とも、その選択
 肢を選ぶ事を既に放棄している。マッドはサンダウンを追う事を望み、そしてサンダウンはそれを許して望ん
 だ。二人で望んだ以上、この関係を壊す術は何処にもない。

  眠るマッドの肩を引き寄せながら、サンダウンはこうして寄り添っていられるのも後数刻だと思う。荒野に
 辿り着けば、また、追われ追いかけの世界が待っている。そしてそれこそ、自分達が望んだ結末だ。

  だが、それでも。
  また、同じ時間を過ごせたのなら。

  星の見えない空は、夜明けが遠い事を示している。