目を覚ましたマッドは、相変わらずひらひらとした飾りの付いている天蓋を見上げ、やっぱり趣味は良くな
 い部屋だと思った。もしかしたら女と一緒だったならそうは思わないのかもしれない。けれども何をどうした
 って、今、マッドと一緒にこの部屋にいるのは髭面のおっさんだ。
  そこまで思って、マッドは隣にその髭面のおっさんがいない事に気付く。残念ながら、非常に残念ながら、
 天蓋付きのダブルベッド一つしかないこの部屋では、マッドはサンダウンと床を共にするしなかない。そこで
 いつもは枕で境界線を引いて、それを越えないように寝ていたのだが、今日は境界線自体がなくマッドは一人
 中央に寝かされている。
  そう、寝かされているのだ。
  マッドには自分で此処まで来た記憶がない。
  その事実を思い出して、身を起こせば、頭が究極的に重かった。
  そういえば昨日は酒盛りをした。マッドが交易所で買ったウィスキーを、サンダウンと二人で飲み漁ったの
 だ。しかし、ウィスキー如きでどうこうなるマッドではない。では、何が起こったのか。
  霧がかった記憶を手繰り寄せ、マッドは眉間に皺を寄せた。




  四日目夜〜五日目朝






  昨夜、マッドはサンダウンと二人で、まったりとグラスを傾けていた。失礼にも自分をサンダウンの恋人だ
 とのたまった男から貰ったピアノコンサートチケットを破り捨て、そのコンサートが開催されている時間帯は
 延々と酒を飲んでいた。
  程よく酔いも回って、マッドは少し休憩と銘打って、ベッドに転がって広い窓の外から聞こえる波の音に耳
 を傾けていた。荒野では決して聞く事の出来ない音は、けれども確かに昔聞いた事がある。光一つ差さない暗
 い海から打ち寄せる音に、うっとりとしているその背後では、サンダウンが一人手酌でアルコールを注いでい
 る。
  口数が少なくなった部屋では動く空気も静かで、波の音以外には、シーツの冷たさが心地良いのかマッドが
 それに頬を擦りつける音がするだけだ。それを立てるマッドの動きが、艶めかしい。その動きに誘われたわけ
 ではないが、不意にサンダウンが口を開いた。

 「………寝るのか?」
 「少し休憩してるだけって言ってるだろ。」

  シーツに頬を擦り寄せながら言う黒髪は、しかし当分は動きそうにない。その無防備に身体を投げ出した姿
 にサンダウンは軽く溜め息を吐いて、一人グラスを傾ける。
  今日のマッドは大人しい。酒を飲んでいる時だけでなく、こうして二人でいてもサンダウンに絡む事がほと
 んどない。マッド自身の機嫌があまり宜しくない所為もあったのだろうが、此処まで大人しいとなんだか不気
 味だ。まるで、サンダウンの事など興味がないような。
  サンダウンがそう思って、何となくおもしろくない気分になっていると、不意に部屋のドアがノックされた。

  誰がこんな時間に。

  もうすぐ日が変わりそうな時間だというのに、非常識にもしつこいノックの音に、うっとりとシーツに身を
 委ねていたマッドも身を起こして眉間に皺を寄せている。
  サンダウンも、あまり良い予感はしない。
  それでも鳴り止まないノックに、仕方なく立ち上がって扉を開けば、そこには見たくもないウェーブがかっ
 た黒髪があった。紛れもなくマッドの機嫌を大いに損ねる相手――マッドをサンダウンの恋人呼ばわりした男
 は、己の非常識さなど微塵も感じていないのか、にこやかに微笑んでさえいる。サンダウンは、背後で吹き上
 がったマッドの機嫌の悪い気配に後押しされて、自分の機嫌を急降下させる。
  が、その気配を感じ取る技能を眼の前の男は持っていないようだった。

 「コンサートにいらっしゃらなかったので、どうされたのかと思いましてね。まだ、お気分がすぐれないのか
  と。」
 「………………。」

  お前が来なければ、という言葉が思わず喉元まで出かかったのは、サンダウンの責任ではあるまい。何とか
 沈黙を貫くサンダウンに、そんな心の葛藤など気にせず、男は手にしていた瓶をサンダウンへと差し出す。

 「お加減が悪いようでしたら、これを。これはアルコールなのですが、中に香草などが入っていましてね。薬
  としても活用されているのですよ。」

  宜しければどうぞ。
  そう言ってにこやかに去っていく男の後姿を、じっとりとした眼で見送った後、サンダウンはベッドの上で
 身を起こしたマッドを振り返る。先程までのとろんとした表情を掻き消して、鋭くなった目つきの前に受け取
 った酒瓶を見せると、その眼つきはますます冷たくなった。

 「大丈夫なのかよ、それ。」
 「匂いは特におかしくない。」

  瓶の蓋を開けて、数滴掌に垂らして舐めてみても、確かにワインの味の中に香草のつんとした香りがある。
 後は、少しの甘みが。とりあえず、毒ではなさそうだ。
  グラスに注いで、飲むか?と眼線だけで尋ねると、マッドはもぞもぞと近づいてきて、グラスの中を満たす
 液体を胡散臭げに見つめる。

 「すげぇ香草の匂いがする………。」

  ぶつぶつと言いながらも液体の表面を舐め、少し顔を顰めた。

 「甘い…………。」
 「ああ、蜂蜜が少し入っているようだな。」

  サンダウンの言葉に、マッドは少し考える素振りを見せていたが、やがて害はないの判断したのかそれとも
 生来の酒好きの部分が動いたのか、怪しい酒をこくこくと飲み始めた。

 「ま、飲めなくはねぇな。」
 「………古くからある酒だからな。」
 「そうなのか?」
 「ああ……………。」
 「ふうん。」

  ワインと蜂蜜と香料を混ぜて作る酒は昔からあるのだが、マッドは知らないらしい。色々な事を知っている
 わりには、意外と一般的な家庭知識はないようだ。
  マッドは珍しそうに酒瓶を眺めながら――ラベルも何もないところを見ると、もしかしたら何処かの家庭で
 作られたものなのかもしれない――くいくいと酒を進めていく。もはや酒を警戒する気は失せたようだ。
  しかし、此処で考えねばならない事があった。マッドはこの酒を飲み慣れていない。如何に酒豪と雖も、飲
 み慣れていない酒については、稀に酩酊状態を引き起こす事があるのだ。
  そして―――

 「…………大丈夫か?」
 「うー。」

  数十分後、そこにはとろんとした表情を浮かべたマッドがいた。初めて飲む酒という事もあって、自分のペ
 ースを掴み損ねたのかもしれない。頬を赤くしてくったりと身体を椅子に凭れさせるその姿は、どう見ても酔
 っ払いのそれだ。

 「立てるか?」
 「んー。」

  しばらく立とうと四苦八苦していたが、すぐに諦めたのかマッドは身体を投げ出してしまう。そして、無理
 だと言うように首をゆるゆると横に振った。
  その様子に溜め息を吐いて、サンダウンはマッドの肩を支えるようにして立ち上がらせる。すると、

 「なんで俺があんたなんかに…………。」
 「お前が酔っ払っているからだ。」

  非常に不服そうな声に、サンダウンは呆れたように言い返す。しかし不満そうな声を上げてはいても、やは
 り自分一人では立ち上がる事が出来ない為、マッドはサンダウンに寄り掛かるようにして立ち上がる。が、歩
 き出そうとしない。

 「足が動かねぇ………。」
 「……………。」

  だるそうな声に再度溜め息を吐き、サンダウンはマッドをもう一度椅子に座らせる。その事について、マッ
 ドはもう思考回路自体が動かないのか、特に何かを口にする事はなかった。代わりに、少し潤んだ眼でサンダ
 ウンを見る。
  その視線が追ってくるのに任せて、サンダウンはマッドの背中と膝裏に腕を滑り込ませた。一瞬ちらりと、
 文句を言われるかもしれないという思いが過ぎったが、そのまま力を込めてマッドを抱き上げる。
  が、所謂お姫様抱っこ状態であるにも拘わらず、サンダウンが予想したマッドの文句はやって来なかった。
 サンダウンが不思議に思ってマッドを見下ろせば、マッドはサンダウンの肩に頭を寄り掛からせて、苦しそう
 に息を吐いている。

 「…………気分が悪いか?」
 「いや、それよりも、水が飲みてぇ。」
 
  そう呟くマッドに頷いて、サンダウンはマッドをベッドへと運ぶ。天蓋から垂れ下がる幕を割り入って、白
 いシーツの中に埋めてやると、マッドは少し安心したように大きく息を吐いた。それでも息苦しさは消えない
 のか、彼は身を捩るとサンダウンを見上げて呟く。

 「キッド………水………。」
 「分かっている。」

  マッドに強請られるまま水を取りに行き、そして戻ってくると、マッドは少しでも楽になろうとシャツのボ
 タンを外そうとしていた。が、いつもは器用に動く指が、今日ばかりは全くと言っていいほど役に立っていな
 い。不必要にシャツに皺を作るばかりだ。

 「………貸してみろ。」

  見兼ねたサンダウンが、ボタンと格闘しているマッドの手を取り、代わりに首元まで閉じられているボタン
 を一つ、二つ外してやる。そしてマッドの身体を起こし、その背中に枕を詰め込む。

 「飲めるか?」

  水の入ったグラスを口元に付けてやると、マッドはこくりと頷いた。が、グラスを支える手がやはり覚束な
 いので、サンダウンも一緒に支えてやる事になる。
  口の端から少し零しながらも、それでも何とか飲み終えると、ようやく楽になったのか、マッドの息も落ち
 着いてきた。が、身体に力は入っておらず、これ以上飲み続けるのは無理だろう。
  マッドの身体をもう一度横にしながら、サンダウンはその耳元で囁く。

 「眠れ。」
 「ん、お前、は?」
 「私は片付けをしてから寝る。」

  言ってから、包み込むように毛布をかけてやると、マッドも安心したのか今にも蕩けそうだった眼をぱたり
 と閉じた。そうなってしまえば、マッドはもう口の悪い賞金稼ぎではなく、あどけない無力な子供になる。黒
 い髪を撫でてやると、小さく声を上げ、そっと擦り寄ってくる。それは子供どころか、犬か猫のようで。
  随分と愛らしい反応をするものだとサンダウンは苦笑いした。その手で、何人もの賞金首を血濡れにしたと
 は思えず、今もサンダウンの首を狙っているはずなのに、まるで何も知らない無垢のような表情を曝すのは、
 こちらが本来のマッドだからか。
  ぼんやりとそう思って、サンダウンは立ち上がり、マッドが包み込まれている天蓋から身を離した。




 「眼が覚めたか。」

  天蓋の幕を上げて声をかけてきた男の声に、マッドははっとした。ぎこちない動きでサンダウンを見ると、
 そこにはいつもの無表情をがあるだけだった。
  しかしマッドとしては無表情ではいられない。事もあろう事か、眼の前の賞金首にお姫様抱っこされてベッ
 ドまで連れて行かれた挙句、水まで飲ませて貰った。別に普通の知り合いとかだったらそれくらいは良いのか
 もしれないが、何せ眼の前の男は賞金首だ。
  昨夜の酔っ払った自分の醜態も相まって、マッドは再びシーツの上に沈没した。

 「………具合が悪いのか?」

  心配げに聞いてくる男に、賞金首がどうして賞金稼ぎの体調を気にしてるんだ、と突っ込みたくなる。

 「今日も、ゆっくりしたほうが、良いか………。」

  独り言のように呟く男から身を隠すように、マッドは毛布に包まった。