時間は少しばかり遡る。
  それは、まだクレイジー・バンチがサクセズ・タウンを牛耳っていた頃。
  買い出しと称してアニーが近くの町まで馬で駆けている時に、その富豪は現れた。
  自前の馬車に乗っていた彼は、富豪に良くある、無知であるくせに旅に出たいと思うような輩で、
 一人張りきって荒野に出たものの、道も分からず、ただただ荒野をうろつくだけとなり、そうこう
 しているうちに食料も底を尽き、野垂れ死に掛けていたのだ。
  それを見つけたアニーは、よくもならず者の餌食にならずにいられたものだと思った。健在、正
 にならず者共に蹂躙された地に住むアニーにしてみれば、こんな能天気なお坊ちゃんは、どう考え
 ても西部で生きるには相応しくない。
  それでもそんなダメ駄目男をアニーが助けたのは、一重に彼女の心根によるものに他ならない。
 サクセズ・タウンに連れ帰る事は出来ない富豪を、とりあえず近くの町まで誘導した彼女は、裕福
 な者が稀に見せる、気まぐれな求愛をはぐらかし、クレイジー・バンチの連中がアニーの帰りが遅
 い事に変な勘繰りを浮かべ、兄を脅しつけない前に帰ろうとした。
  それをつれないと嘆きながらも、富豪はアニーを無理に引き止める事はせず、ただその手に一枚
 の紙切れを渡した。
  これは君の気遣いに対する心ばかりのお礼だ気にせず取っておいてくれたまえ。
  そう告げた彼は、おそらくアニーの身分も何もかもを考えずにそれを渡したに違いない。その紙
 切れは、所謂ペア一組様限りのカリフォルニアリゾートホテルへの招待券だった。




  旅の準備





  見事、O.ディオを倒してのけた賞金首サンダウン・キッドと、賞金稼ぎマッド・ドッグを見て、
 アニーは安堵すると共に、酷い後悔に悩まされていた。アニーは二人に向かって、この町を救って
 くれたらお礼に金をあげると約束してしまったのだ。だが、実は金など何処にも残っておらず、そ
 れをどう説明したら良いのか分からなかった。
  ぐるぐるする頭はろくな事を思い浮かばない。
  おそらく、その時アニーの中に思い浮かんだそれは、紛れもなくろくでもない事だった。けれど
 も、こういう事は往々にして考え付いた人間はろくでもないとは思っていないものだ。
  散々悩みぬいたアニーは、もはやこれを使う時は今しかないと言わんばかりに、今から決闘でも
 始めようかと考えていた賞金首と賞金稼ぎに向かって、力強く叩きつけた。
  いつ使うのかも分からず、引き出しの中にしまいこまれていた、件のペア一組様限りの招待券を。

 「なんだ、これ?」

  叩きつけられたそれに対して、マッドがそう声を上げたのは、至極尤もだった。決闘しようとし
 ていた矢先に、突然紙切れを叩きつけられたら、誰だってそう思うだろう。怪訝な顔をするマッド
 にアニーは堂々と言い放った。

 「金はないけど招待券ならあるわ。」

  その台詞にサンダウンが微かに既視感を覚えたのは、多分オディオが見せた錯覚だったに違いな
 い。事実、オディオには何ら関係のないマッドは、その台詞に特に何も感じていないようだった。
  いや、その言い方には語弊がある。マッドはサンダウンが感じた既視感は感じていなかったもの
 の差し出された無料招待券を見て、眉根を寄せているのだ。

 「一枚のもんをどうやって二人で分けろってんだ。」

  別にマッドは金が欲しかったわけでもないし、そもそもこんな田舎に金がある事など期待しては
 いなかったのだが、差し出されたそれが一枚の招待券とあっては眉根を寄せたくもなるというもの
 だ。何せこちらは二人いるのだから。
  だが、アニーは引かなかった。むしろ更に堂々として言い放った。

 「何言ってんのよ。これはペア一組なのよ。二人で十分なんとかなるじゃない。」

  その瞬間、マッドは棒でも飲み込んだかのような表情をした。が、すぐさまアニーの言っている
 事を理解して立ち直った彼は、悲鳴に近い怒鳴り声を上げた。

 「馬鹿じゃねぇのか、お前!ってか自分が何言ってんのか分かってんのか!俺にこのおっさんと二
  人でリゾートホテルに行けっつってんだぞ!」
 「いいじゃない、リゾートホテル!あたいだってお金があったら行きたいわよ!けど今はそこまで
  行く旅費がないし、それに行く相手もいないんだから!」

  何気にさらりと悲しい事を言ってのけて、アニーは沈黙を保っている賞金首に向き直る。

 「あんたは別に構わないでしょ?」
 「…………ああ。」
 「ああ、じゃねぇよ!少しは構えよ!」

  なんの躊躇いもなく快諾したサンダウンに、マッドが吠える。アニーが勝ち誇ったように笑って
 いるのが忌々しい。

 「だったら、俺一人にくれよ。俺なら、こんなおっさんじゃなくて、もっと若くて美人の相手を幾
  らでも見つけて行くから。」
 「駄目よ!この町を救ったのは、あんただけじゃないんだから!あんた達二人で行かなきゃお礼の
  意味がないじゃない!」
 「俺をこのおっさんとリゾートホテルに行かせる時点で、お礼じゃなくなってるだろうがよ!」

  頑なに、マッドとサンダウンが二人で行く事に拘るアニーは、自分だけに寄こせと言うマッドに
 招待券を渡さない。それに焦れたマッドが手を引っこめ、

 「だったらこのおっさんにやれよ。俺はいらねぇから。」
 「だから『二人に』お礼をしなきゃ駄目なんだってば!大体、この人一人でリゾートホテルに行か
  せたって、その恰好だけで門前払いくらうに決まってるじゃないか!」
 「…………お前、何気に酷いぞ。」

  確かにサンダウンのボロい恰好ではリゾートホテルなんかに入れるわけがないのだが、しかし恩
 人に向かってそれを言うか。当のサンダウンが、特に気にしていないのがせめてもの救いだ。

 「とにかく、これは二人に渡すんだからね!二人で行かなきゃ駄目なんだからね!二人で行ったか
  どうかホテルに確認するからね!」
 「………ってか、ホテルに確認するのも金が懸るだろうが。」

  呆れたようにマッドは溜息を吐くと、しぶしぶながら頷いた。

 「分かったよ。二人で行くよ。行けばいいんだろ。」
 「そうだよ。分かれば良いんだよ、分かれば。」

  そう言ってなんだか偉そうに招待券を渡すアニーに、マッドはもう一度深く溜息を吐いた。





 「カリフォルニア沿岸部に最近できたリゾートホテルねぇ………。」

  とりあえずサクセズ・タウンを、サンダウンと一緒に出たマッドは、紙切れを透かして見やりな
 がら、何度目か分からない溜息を吐いた。そして横眼でサンダウンを見ながら、訊く。

 「おい、どうするよ。」
 「どうする、とは?」

  サンダウンは特に何も考えてなかったのか、マッドの言葉に首を傾げる。その様子にマッドはげ
 んなりした。

 「おいおっさん。なあキッド。あんたまさか、本気で行くつもりか、このホテルに。」

  チケットに描かれているのは、どう見ても富裕層が行くようなホテルだ。海が見えるという立地
 条件といい、その落ち着いた雰囲気の上品な佇まいといい、上流貴族が――あるいは貴族ぶりたい
 成金が――好みそうな物品だ。
  マッドとしても決して嫌いな雰囲気ではないが、そこにサンダウンと一緒に行くとなると、話は
 まったく別となるわけで。そもそも賞金首と賞金稼ぎが、何故に一緒にリゾートホテルなんぞに行
 かねばならないのか。
  確かに一緒にサクセズ・タウンを救った間柄だが、それ以前に自分達は敵対する者同士ではない
 のか。

 「…………一緒に行かねば、何をされるだろうな。」

  サンダウンはぼそりと呟く。
  それを聞き咎めて、マッドは口を尖らす。所詮田舎の女一人だ。そんな彼女が自分達に何が出来
 ると言うのか。
  するとサンダウンは低い声で続ける。

 「お前は聞いていないだろうが、あの後、アニーは私にこう言った。」
 「なんだよ。」
 「一緒に行かねば、私達が恋人同士であると言いふらすそうだ。」
 「……………!?」

  眼の前に火花が飛び散ったとは、こういう事を言うのだろう。いやむしろ稲妻が走ったような衝
 撃を受けた。

 「いやいやいや、あの小さい町ん中じゃあ言いふらすも何もないだろうが!」
 「あの旅芸人達に、西部一帯に触れて回ってもらうそうだ。」
 「待て待て待て!」

  マッドは想像した。
  
  自分とサンダウンが恋人同士であるという根も葉もない噂が、まことしやかに囁かれるのを。
  その時、間違いなく噂の矢面に立たされるのは、人としてある程度の社会生活を営んでいる自分
 だ。荒野をふらふらしているサンダウンには、そんな噂屁でもないに違いないのだから。

  つーか、何故に恋人!?

  普段のストーカーぎりぎりの追走劇を棚に上げ、頭を抱えて呻り始めたマッドは、同時に自分が
 この状況から逃れられない事を悟る。これはまるで、蜘蛛の糸に絡めとられたかのよう。尤もそれ
 は蜘蛛の糸ほど巧妙ではなく、かなり稚拙なのだが、稚拙であるが故に打破できぬ事もあるのだ。
 
 「ちくしょう…………。」

  一つ呻いて、マッドはサンダウンを睨みつける。
  そして吐き捨てる。

 「分かったよ、行けばいいんだろ、行けば!」

  その代わり。

 「てめぇ、その服をどうにかしろよ!」