視界は晴れた。
  だが、青暗い光は晴れたものの、世界を覆う、灰色とも白ともつけ難い膜に覆われたくすみは、
 明るさを取り戻しても戻らなかった。城の中が大理石に戻っても、圧倒的に残った歪みは消え去
 らない。
  いや、むしろ酷くなったのではないか。
  思ってサンダウンが見渡せば、記憶の残滓が薄れたにも拘わらず、未だそこかしこに人々の無
 念である白い煙が残っている。先程のように明確な輪郭はないが、滾々と湧き出る薄い煙のよう
 に、あちこちを滑って、他の煙と時には混ざり、離れ、揺らめいている。
  勿論、声を出す事も叶わぬような存在に成り下がっている。こちらの言葉も、もう聞こえない
 だろう。
  もしかしたら、再び何かの切欠で、形を持つ事が出来るのかもしれないが。けれども結局同じ
 事しか言えないのなら、生者にとってはなんら意味をなさない。だから、何らかの切欠が生者に
 あるのなら、この先二度と、彼らが再び言葉を吐く事はないだろう。
  少なくとも、サンダウンは同じ事しか言えない彼らに用はない。
  別の場所にいる、別の言葉を放つものならば、話はまた違ってくるだろうが。




  疑念の檻





 「まあ、あれだ。」

  さっきまで、いないも同然だった子供が口を開く。いや、確かに何か喋っていたが、それはサン
 ダウンにとってあまり意味のない事だったので、サンダウンの中では片隅に追いやられていたのだ。
 自分の背後にいる子供達がサンダウンに何らかの意味を落とすのは、彼らの身に危険が迫った時だ
 けだ。その時、サンダウンは保安官としての性分を未練がましく振り上げるだろうが、それ以外の  
 時は、子供などいないも同然だった。

 「とにかく、この状況にオルステッドって奴が関わってるって事だけは確かだな。」

  誰もが分かりそうな事を、吐く。
  そう思ったのはサンダウンだけではなかったようだ。子供達の中でも当然の事を言うな、という
 声が上がる。

 「そんな事、誰だって分かるよ。でも、それでどうしたら良いのか分かんないじゃないか。」
 「いや、此処は王道に、オルステッドって奴を倒したら良いんじゃねぇの。」

  少女の台詞に、少年が宥めるように、けれども存分に無責任な言葉を放っている。何の検証もな
 いままに吐き捨てられた台詞は、勿論誰にも拾われる事はない。拾われたとしても、こてんぱんに
 言い負かされるだけだった。

 「本当にそうなのかも分からないじゃないか。大体、オルステッドって奴を倒そうにも、そいつが
  何処にいるのかも分からないのに。」

  その通りだった。
  オルステッドがルクレチアの国民を皆殺しにした事は分かったが、その後何処に行ったのかは分
 からない。もう少し亡者達から情報を得られれば良かったのだが、その前に煙となってしまった。
  最後の鈍色の影の欠片が、自分の所為でオルステッドは魔王になったと、今にも笑い出しそうな
 声で叫んでいたが、何処で魔王になったのかは口にしなかった。
  強いて提案をするのならば、王女が魔王に連れ去られたという魔王山なのだろうが。
  そもそも、魔王山というのは何処の事だ。
  ルクレチアは森と山に囲まれた国だ。小高い山とも言えるものならば、サンダウンが黒光りする
 剣を手入れた山も含めてあちこちにあるし、国を取り囲む山まで含めばそれこそ数知れない。それ
 を一つ一つ調べるのは、あまりにも時間がかかりすぎる。
  サンダウンは、大理石の廊下の突当りに置いてある、飾り時計の動かない針を見る。
  もしかしたら、この場所には時間など流れていないのかもしれない。だから、どれだけサンダウ
 ン達が探索しようと、無駄になる時間など流れないという事もある。
  しかし、それを証明する手立てがない以上、無為に時間を過ごすべきではなかった。
  闇雲に、山を探し回っているなど、非効率的この上ない。
  冷静に考えれば、山を歩き回って場所を特定するよりも、この地に纏わる伝承などを調べて、魔
 王山について調べる事が得策だった。
  魔王山が、この地の伝承として何らかの形で残されている可能性は、多大にある。
  何故ならば、言っていたではないか、亡者達が。
  魔王山に住まう魔王を一人で斃した者こそ勇者となり、この国の王となるべきだ、と。
  一人一人の言葉の細かいところは異なっていたが、皆が、魔王山の魔王を斃した者こそが勇者と
 なるのだと言っていた。武闘大会で優勝した程度のオルステッドが、勇者となるべきではなかった、
 と。
  つまり、この地には、魔王山の魔王を斃した者が勇者であるとされる伝説が残っているはずだ。
  少なくとも、二十年前に王女を身籠った王妃が攫われたという事くらいは、何らかの形で資料と
 してあるはずだろう。
  いくら小さな国とはいえ、教会や城の保管室に、そういった出来事を脚色しながらも資料として
 残しているはずだ。後世に残す為に。勇者が魔王を斃したのなら、猶更その輝かしい歴史を伝えよ
 うとするはずだ。
  だが、そこでサンダウンはふと気が付いた。
  同時に、子供の一人が声を上げる。

 「しかし、あの亡者達の言葉は、少し奇妙ではござらんか?」

  海老茶色の髪をした、痩せ過ぎた小柄な子供だ。古風な口調で、彼は亡者の言葉の矛盾や、伝承
 の珍妙さではなく、当時の世相から鑑みて奇妙な個所を突く。

 「二十年前に攫われた時、王妃は王女を身籠っていたと言う。ならば、王女の年の頃は恐らく二十
  歳前後。町娘ならばともかく、高貴な身分の女子が、その年齢まで婚姻せずにいるというのは、
  不自然では?」

  その通りだった。
  中世時代、十代前半での結婚は普通だった。
  むしろ、二十代まで結婚せずにいるのは、行き遅れと言われても当然の時代だ。良家の娘ならば、
 病か何か、問題でもあるのではと勘ぐられてもおかしくない。

 「あれじゃねぇの?勇者と結婚するんだろ?勇者が中々現れなかったんじゃねぇの?」
 「しかし、魔王山にいる魔王を斃すというのが勇者の資格となるのならば、婚約者となる者を魔王
  山に向かわせれば良いだけでは?」

  実際は、武闘大会なんて者で勇者を決めようとした。
  武闘大会と言っても、御前試合だっただろうから、それなりに権威があるものだっただろうが、
 しかし伝承と異なるならば、やはり勇者としての資格はない。亡者達も、そう言っていた。

 「あれだよ、魔王がその時はいなかったんだよ。」

  激しく適当な事を言いまくる少年に、白い眼が向けられる。当たり前である。
  サンダウンはそんな子供達を無視して、一人城の奥へと向かう。勿論、魔王山の資料を探す為だ。
 この国の伝承には、確かに引っかかるものが多い。
  王女は何故、二十歳になるまで結婚できなかったのか、も含めて。魔王を斃そうとする婚姻相手
 がいなかったのか。だが、御遊び半分で魔王退治をしようとする貴族だって、中にはいるだろう。
 仮に彼らが失敗したのだとしても、オルステッドがいるではないか。武闘大会ではなく、オルステ
 ッドに最初から、魔王山に向かわせる事を、何故しなかったのか。
  それとも本当にアキラの言ったように、魔王山に魔王がいなかったのか。
  ならば、何故、いなかった。
  脈々と受け継がれている伝承と言うのなら、魔王がいないのはおかしい。魔王自体が最初からい
 ないのだとしたら、猶更おかしいのだ。その場合、魔王山に一人で向かえば良いのだから。
  そして、亡者の誰一人として口にしなかった、あの、氷のような吐息を吐く獣。
  あれは一体、何処からやって来た。
  何かが意図的に、隠されているのだ。王女の婚姻から、オルステッドが勇者の資格を得られなか
 った事、そして不在の魔王までの、一連が。
  隠されているならば、それは栄誉ではない。
  魔王殺しの資料を探し出し、描かれた栄誉の裏側に、不名誉が隠されているはずだ。それを、探
 し出さねば。
  きっと、魔王山への道は開けないだろうし、オルステッドの正体も分からぬままだ。