遠くで、少年達の絡み合う音が聞こえる。
  歪な月が照らす世界で、不自然に声高く聞こえるその音に、サンダウンは眉根を寄せた。性の味
 を知ったばかりの少年達が、自分達の今の状況から眼を逸らそうとそこに溺れる事は、分からぬで
 もない。ちょうど反抗的な時期でもある彼らが、現実逃避の手段として情事を用いる事は、いつの
 時代でも珍しい事ではないからだ。
  しかし、卑猥な行為に没頭する彼らの位置関係が、奇妙に狂い始めた事に、サンダウンは何か薄
 気味の悪さを覚えた。

  少年達の中で、淫猥に誘うのはおぼろ丸だ。一番性技に長け、男を受け入れた事がある身体は、
 彼らの中で一番卑猥な動きをする。そしてそのおぼろ丸が、何もかもを忘れさせてやろうと優しく
 触れながらも一番の失望の種であると嘲笑って、犯しているのがアキラだ。その様子を見て優しさ
 だと勘違いをして腹の底を見抜けぬまま、おぼろ丸を貫いて善がるのがユン。
  その一方で、おぼろ丸はサンダウンを誘い、それを見たユンはサンダウンを詰り、サンダウンの
 拷問行為をあちこちに言いふらす。
  別に、サンダウンにとってはおぼろ丸が誰と寝ようと、ユンがサンダウンをどれだけ詰ろうと、
 知った事ではなかった。嬌声を上げるおぼろ丸を途中で放り出しそれをおぼろ丸がユンにどのよう
 に語ろうと、執拗に己の正しさを主張しようと関係のない日勝やキューブにまで喚き散らし、挙句
 日勝に殴り飛ばされようと、それらはサンダウンにとってはどうでも良い事だ。

  しかし―――。

  嬌声に混じる、微かな笑い声にサンダウンは眉間の皺を深くした。  
  それは、これまでの絡まり合いの中には聞こえてこなかったざわめきだ。おぼろ丸やユンのよう
 にサンダウンには直接絡んで来なかった最後の少年が、けたけたと嗤っている。

  アキラは、この生命の希薄な世界で圧倒的な立場を保つ亡者達の意識を、その特異な能力故に誰
 よりも色濃く受け取っていた。それはアキラの精神を蝕み、いずれは破綻が来るであろう事を誰も
 が予想していた。だが、それに本気で手を貸そうとする者など、当然の事ながらこの世にはおらず、
 それどころかおぼろ丸が圧倒的優位を見せつける為に――アキラを一時でも亡者達から解放する為
 と言うのはおぼろ丸にとっての態の良い言い訳だ、実際はアキラに対して完全な優位性を誇示した
 かったのだろう――身体に快を刻みつけた所為で、破綻への時間は一気に加速したに違いない。
  サンダウンには、おぼろ丸が何故それほどまでにアキラを忌み嫌う、まるで失望の要のように思
 っているのか分からない、同じような眼を日勝にも向けているのは知っているが、彼らの共通点と
 言えば極東の島国が故郷だと言うくらいで、失望の原因となる理由はサンダウンには見つけられな
 かった。
  何れにせよ、おぼろ丸は己に失望を味あわせたアキラに、自分の立場の高さを見せつけてアキラ
 が出来そこないである事をアキラ自身にも認めさせようとしているのだろう。手を汚した事のない
 少年を、嘲笑いながら。

  だが、今、その立場が逆転している。亡者に怯え、耳を塞いで発狂の波を堪えていたアキラは、
 発狂の波に呑まれてしまったのか、嗤いながらおぼろ丸を犯し、おぼろ丸を犯していたユンを犯し
 ている。
  むろん、破綻したアキラの精神と、彼らの力関係の逆転劇について、サンダウンには責任はない。
  アキラの精神の事などサンダウンには門外漢以外の何物でもないし、彼らの閨房の事などそれこ
 そ興味がない。
  しかし、アキラのけたけたと嗤う声は、精神の狂った者特有の――いや、それ以上の不愉快さに
 満たされている。はっきりと不気味さを伴うその声は、耳障り以外の何物でもない。そこに、おぼ
 ろ丸とユンの嬌声が響くのだから、これは拷問でさえある。

  三匹のおぞましい獣達の様子に、吐き気すら覚えていると、ぎゅるぎゅると明らかに人間ではな
 い不自然な音を立てて鉄の塊がやってきた。丸みを帯びた、朽ち果てた骨のように白く冷たい塊は、
 冷ややかで無機質な光をサンダウンに向ける。
  見張っているつもりか。
  サンダウンは、愚直なユンの言葉を信じる、ユン以上に愚直な鉄塊の様子を、鼻で笑う。ユンが
 大声で、サンダウンがおぼろ丸を凌辱していると糾弾して以降、この鉄塊はサンダウンの行く先々
 に現れるようになった。まるで、サンダウンがおぼろ丸を凌辱する事を防ぐかのように。尤も、こ
 の鉄塊を嘲笑うように、その薄っぺらい光の眼を掻い潜って、おぼろ丸の方からサンダウンに凌辱
 を求めてくる事もあるのだが。
  通り一遍の事しか出来ぬ鉄屑に、サンダウンは憐れさよりも滑稽さを覚える。この塊には、サン
 ダウンがおぼろ丸を凌辱する理由など分からないだろう。サンダウンが月の光に罪を抉られる快感
 を覚える事など、想像もつかないだろう。そして、サンダウンの凌辱を糾弾したユンが、今現在お
 ぼろ丸を凌辱している事など知りもしないのだ。
  何も知らず、何も分からず、何も理解できず、鉄の塊は自分に理解できる音だけを理解し、サン
 ダウンを見張って平穏を保とうとしている。もはや、此処には平穏などありはしないのに。此処に
 あるのは、人間以外が織り成す、綻びだらけの絵画だ。そこに咲き誇る花など一輪もありはしない。

  薄暗い思いで、その鉄屑を見下ろす。ちょろちょろと動き回るそれを、一番最初――まだ破綻が
 遠かったアキラやユンは、酷く興味深げに見ていたものだったが、サンダウンにはそれを愛せそう
 にない。
  冷たいだけの鉄の塊や人形など、愛したくもない。
  本当に欲しかったものは一つだけだった。だが、それをこれ以上口にする気にはなれなかった。
 以前一度、ユンの前で零しただけで、激しい後悔に襲われたのだ。本当に大切なものは、こんな世
 界で一言でも口にすべきではない。口にした瞬間、牙に引っ掛けられて引き裂かれる事は、眼に見
 えているからだ。
  偽善と、独善と、失望と、発狂と。
  一言でも誰かにとっての大切な物を眼にしたなら、それをまるで争いの火種と見て、潰しにかか
 るだろう。

  愚直であればあるほど、独善的であればあるほど、そこに歯止めは掛からない。壊れた銃が暴発
 するように。気のふれた馬が暴れ狂うように。
  サンダウンは、それらが自分の中にも存在している事を、はっきりと自覚している。愚直と独善
 は、歯止めが何たるかをしらない。だが、失望と絶望は、歯止めがある事を知っていないがらそれ
 を無視する。
  全てを捨てたサンダウンには、希望など残されてはいない。それ故に墜落の速度が速まる事は、
 誰の目から見ても明らかだ。だから、地面に激突するまでの時間を少しでも長くする為に、サンダ
 ウンは失った希望を思い出し、抗うのだ。その抗いを、不要な言葉で失ってしまったら。
  それをせぬように、口を閉ざす。
  これ以上、サンダウンの中にある希望の影が、消えてしまわぬように。

    「無駄無駄。」

    まるで、心を読んだかのように、声が降る。
  気配一つ立てずに現れたやせ細った影に、サンダウンは一瞬息を飲んだ。物音さえ立てずに忍び
 寄ったのは、明らかにそういった事に疎いはずのアキラだった。おぼろ丸が平和ボケしていると嘲
 笑っている少年は、しかし、たった今、おぼろ丸以上に気配を絶って、サンダウンの前に現れた。
 そういえば、先程まで聞こえていた嬌声も、いつの間にか消えていた。ただし、濃厚な卑猥な匂い
 は何処からともなく流れ込んでいる。

 「あんたの大切なもんは、全部、分かってるぜ。」

  かかと嗤い、アキラは素足で枯葉を踏む。その脚の間からは、白い液が幾筋も垂れていた。だが、
 それは卑猥というよりも冷ややかな気持ち悪さを感じさせる。
  不気味な子供の様子に、本能が警鐘を鳴らし、サンダウンは銃を引き抜いた。その瞬間、ぐるぐ
 ると管が詰まったような音を立て、鉄屑がサンダウンに体当たりをしようと突っ込んできた。この
 期に及んで、潔癖すぎる愚直さを見せる鉄屑を舌打ちして避け、それでもサンダウンは銃を掲げる。

 「あーあー、随分と嫌われてんなぁ、キューブに。ま、仕方ねぇさ。てめぇは争いの火種なんだか
  らよ。なあ、おぼろ丸を犯してる癖に、他の人間がいるなんざ、どう考えてもてめぇが悪いんだ
  ろ?誰だってそう思うぜ?」
 「…………。」

  サンダウンは少年の声を聞きながら、その虚のような眼を見る。破綻しきったようなその眼に、
 短く問い掛けた。

 「お前は、誰だ。」
 「ああん?見りゃあ分かるだろ?てめぇが人形扱いしているおぼろ丸の野郎に犯されて、そのおぼ
  ろ丸を犯してるユンにも憐れみながら犯されてるアキラだよ。」
 「……………それで、あの二人には通じたのか?」

  アキラとは全く違う気配をしているくせに。いや、それ以前に。

 「一体、お前は、何人いるんだ?」

  染み出る気配は、一人や二人ではない。先程まで気配がなかったのが不思議なくらい、そこには
 大勢の気配がある。そしてそのどれもが、蟲の蠢きのように、背筋に悪寒が走る。

  途端に、アキラが――いや、アキラだったものが、哄笑した。薄気味悪い黒の森に響くような、
 大笑だった。しかし、そに驚いて飛び立つような鳥はいない。同族同士で殺し合う生命しかいない
 この世界には、既に声に驚くような存在さえいないのだ。それほどに、生命が少ない。

 「ひゃ、ひゃはははっ!ああ、流石だ、流石だぜ!この気配に気づくたぁ、やるねぇ、あんた!あ
  の田舎臭いガキも、澄ました淫乱も、勿論そこにいる鉄屑でさえ気付かなかったのに、よく気付
  いたぜ、褒めてやる!」

  むしろ、彼こそが怪鳥のように嗤うアキラに、サンダウンは銃を向ける手を下ろさない。銃口を
 ぴったりその額に向けたまま、アキラの一挙一動をつぶさに見つめる。
  あまりの大勢の気配が、何故アキラから迸っているのか。壊れたアキラの中に、代わりに注がれ
 たものは何なのか。それを見極めようとする前に、答えはアキラの口から出された。

 「俺達は、この国の亡者さ。」

  魔王オルステッドに殺され、魂を蹂躙され、その快感に耐えかねて忠誠を誓った亡者。魔王の意
 のままに動き、魔王の望むべきものを犯していく。そして不和を生み出し、そこから滴る甘い蜜こ
 そが魔王の餌。

 「オルステッドは犯して嬲る魂を求めてる。それには、このアキラとかいうガキは格好の獲物だっ
  たのさ。耳元で何度も恨みを囁いて、このガキが苦しむたびにオルステッドは喜んだ。俺達がこ
  の身体を犯してやれば、オルステッドも腰を振って絶頂を迎えた。あいつにとっては蹂躙こそが
  悦びだ。」

  その為に、あんた達は呼ばれたのさ。

 「絶妙だろう?この、采配は。」

  独善と、失望と、傲慢と、暴力と、色欲と、絶望と、狂気と。それらをまるで代表するかのよう
 な身体を集めて。オルステッドは各時代から、それらを内々に巣食わせた化け物を――自分と同じ
 化け物を呼び集めたのだ。
  己が、愉しむ為に。
  亡者は、まるで自分がオルステッドだと言うように楽しそうに嗤い、サンダウンの銃口を見る。

 「しかも、あんたときたら、未だに希望を手放そうとしないときてやがる!あのユンとかいうガキ
  でさえ、性欲と快感に耐えかねてこちら側に恋情を持ったってのに!あんたは淫婦を犯しながら
  も感じない。代わりに月に欲情するときたもんだ。月に、希望を重ねてやがる!」

  ぐり、と亡者はサンダウンの大切なものを抉った。的確に、そこを狙って。ぎろりと睨めば、へ
 らへらした笑い顔が返ってきた。

 「隠したって無駄だぜ。この身体は不和を巻き起こすには絶妙だって言っているだろ?何せ、他人
  の心を暴けるんだからなぁ!」

     唾を撒き散らすような怒鳴り声に、赤い舌がちろちろと覗く。まるで、蛇のように。

 「あんたの希望を知った奴らが、どんな顔をすると思う?これまでも、月に欲情するあんたを、ど
  うにかして壊そうとしてた奴らだぜ?!月に欲情してこちら側に堕ちないあんたを、仲間にしよ
  うと誘って、糾弾してるんだぜ?!その存在が露わになったら、一体どうするだろうなぁ!」

  それこそが、最後の一枚だ。
  不和の芽生えだ。
  失楽園の、始まりだ。

 「俺は、もう、全部話したぜ、あいつらによぉ。閨の睦言みてぇになぁ!あんたが大切すぎて、結
  局本気で手を出せなかった、希望とやらをなぁ!」

  あいつらがどうするか、これからが、本番だ!

  アキラが怒鳴った。
  その瞬間。

 「あがっ!」

  アキラの頬から、鮮血が飛び散った。衝撃で倒れたアキラの身体を見れば、その頬を貫いてクナ
 イが一本深々と突き刺さっている。命に別状はないだろうが、しかし言葉を発する事は出来ないだ
 ろう。
  ごぼごぼと血泡を吐くアキラの背後、亡霊の一人のように、白い影が舞い降りる。ほとんど何も
 身に着けていないその身体を見せつけるように、おぼろ丸がアキラの前に立った。

 「やれやれ、何かおかしいと思ったら、そういう事、か……。」

  呟いてアキラの身体を蹴飛ばす。苦鳴を零すアキラに、果たして亡者がまだいるのかは分からな
 い。むしろ、それを見下ろして一瞬唇を吊り上げたおぼろ丸こそ、まるで生成りのように凄惨だ。

 「お、おぼろ丸さん、これは……!」
  
  後からついてきたユンの動揺する声に、おぼろ丸は冷然とした声で言い放つ。

 「これはもはやアキラ殿ではない。この身には亡者が巣食っておる。ならば、彼の身体を使って業
  を犯さぬ内に仕留めてやるのがせめてもの情け。」

  澱みなく作られた言葉を騙るおぼろ丸に、ユンが口を閉ざす。それを見て、おぼろ丸はそして、
 とサンダウンに向けて一本の刃を向けた。

 「どうやら、この世界を此処まで狂わせた元凶は、何であるのか、今、ようやく分かった。」

  おぼろ丸は呟く。

 「亡者の言う事を信じるわけではない。しかし、奴の言葉には信じるに足るものがあった。オルス
  テッド。それこそが全ての元凶。そしてそやつは、ずっと我々の言動を見てきた。我々に不和が
  起こるように、時にその存在を露わにして。」

  月の牢獄。
  今も、歪な月が、世界を微かに照らしている。

 「それこそが、魔王オルステッド。」