翌日。
 割れたような鐘の音で、マッドは眼を覚ました。繰り返される、地面に響くような音に頭を抱えな
がら、むくりと起き上がる。
 辺りをぐるりと見渡せば、サンダウンは既に身を起こして、いつもの姿形――薄汚れたポンチョと
帽子に身を包んでいた。まあ、この男の場合、あまり考えたくもないが対して着替えもしていないだ
ろうから、身支度も何もないのだが。
 尤も、それはマッドも同じだ。いつも荒野で眠る時と同じように、次の日に着る服を身に纏ったま
ま寝ている。サンダウンと違うのは、前日にきちんと着替えを済ましている点だ。 

「もう、朝かよ………。」

 どうも、寝足りた気分がしない。昨晩、告解室を探ったと言っても、それほどの夜更かしをした覚
えはないのだが。
 寝起きは良いはずなのだが、今日は随分とぼんやりしている。マッドは自分の状態をそう称しなが
ら、視線をサンダウンから外し、再びぐるりと辺りへと回す。そして、窓に目を止めてげんなりとし
た。
 窓の外は、まだ暗い。夜明けにはもう少し時間があるんじゃないだろうか。
 別に、目的さえあるならば、夜明け前に目覚める事も、夜中から夜明けまで目を覚まして置く事も
苦にはならないが、しかし意味なく起こされたとなれば、むっつりとしたくなるものだ。
 もう一度眠り込んでやろうか、と思っていると、サンダウンが置物の如く立ち塞がっている扉の向
こうから、ノックの音が聞こえてきた。

「起きているかい?」

 控えめ、とは言い難い、しっかりとした問いかけは宣教師のものだ。
 むっつりとした気分のままの声で、起きている、と答えると、扉の向こうで頷いたような気配がし
た。

「ならば、準備をしてすぐに来てくれ。」
「来てくれって、何処にだよ。」

 夜も明けてない朝っぱら――夜が明けていないなら朝ですらない――から、何をさせるつもりか。
まさか、昨日何処かから貰ってきたジャガイモの種付けとかじゃあないだろうな。それはもはや、依
頼内容からかけ離れているから、マッドは断固拒否する構えである。

「何処にって、エリアスを捜しに行くに決まってるじゃないか。」

 しかし、宣教師が口にしたのは、マッドへの依頼の件だった。それもまた、賞金稼ぎの仕事ではな
いのだが。

「………今からか。」
「今からだ。」
「………まだ、暗いぞ。」
「だからこそ。」

 妙に、力を込めて宣教師が答えた。
 だからこそ。
 何がだ。

「確かにまだ暗いが、別に見えない程じゃない。さあ、行こう。」

 言って、宣教師が部屋に踏み込んでくる。が、宣教師が開こうとした扉はサンダウンで閊えて、そ
こで止まった。
 微妙な沈黙が落ちる。

「分かった。すぐに準備するから三分だけ待て。」

 マッドは扉が当たっても無表情なサンダウンと、扉の隙間から覗く宣教師の眼を見て溜め息を吐き
ながら答え、もぞもぞとジャケットを羽織り始めた。




 その土地に住むインディアンの聖域は、荒野の中においては奇妙なほどに鬱蒼とした森の事を指し
ていた。
 森というか、小高い山と言ったほうが近いだろうか。
 マッドは、切れ切れの獣道を歩きながら思う。しかし、森にせよ山にせよ、乾き切った荒野の中で
これほどに背の高い木々が生い茂っているのは、珍しいことだ。故に、インディアン達もこの地を聖
域としたのではないだろうか。
 が、そんな事は今はどうでも良い。
 暗い中、鬱蒼とした木々の間を通り抜けるのは、面倒な事この上ない。先を歩く宣教師の背中に、
そんな文句をぶつけてみた。

「おい、やっぱり夜が明けてから探したほうが効率的じゃねぇか。」

 獣道の中では、前を行く宣教師の姿も、後ろにいるサンダウンの姿も影にしか見えない。サンダウ
ンについては、影と言うか、もそもそと動く謎の黒い生命体である。
 けれども、宣教師はマッドの声を一蹴し、進み続ける。

「いいや、捜すなら、今のほうが、良い。」

 彼の髪は、銀髪だから。

「いやいや、髪の色が金だろうが銀だろうが、暗けりゃ分からねぇよ。というか髪が金銀だからって、
闇の中で光ったりしねぇからな。てめぇ自分の髪見てみろよ。」

 前後を金髪の人間で――サンダウンの場合は色褪せて金髪とは言い難いが、マッドは反論する。少
なくともマッドの前後は、発光したりしていない。
 しかし、宣教師は聞かない。

「彼は、」

 彼の場合は、特別だ。
 宣教師の言葉は、きっぱりとしていた。今までも、自警団の団長について語る時に、やたらきっぱ
りと言い切る時がある。それの理由が、マッドにはよく分からない。

「あんたは、随分と自警団の団長について良く知ってるみたいだな。」
「それは、親友だから。」
「へぇ。共犯者の間違いじゃなくて?」

 マッドが何の衒いもなく放った台詞に、宣教師の背中が、ひくりと震えた。

「……なんだって?」
「二年前の何かしらがあった時に、あんたと自警団の団長が何か仕出かしたんじゃあないのか?だか
ら、共犯者だって言ったんだ。」

 何があったのか、は勿論マッドは知らない。けれども、何かがあった事は、確実だろう。あの、告
解室で彼らが秘密裏に何を話していたのか。

「彼は、何もしていない!二年前も、今も。」

 すると、宣教師から鋭い口調で無実を訴える言葉が飛び出してきた。ただし、自警団団長一人だけ
の。

「じゃあ、あんたは?」
「私は、」

 暗闇の中でも、宣教師が眉間に皺を寄せて何かを堪えるのが分かった。

「何かを仕出かしたのは、私だ。だが、それと彼の失踪は間接的に関係があったとしても、直接的な
原因ではない。」
「おい、関係あるんじゃねぇか。」
「関係はあるが、それは心底からの原因ではない。彼が、そう言っていたから。」
「あん?失踪後に、そいつに会ったのかよ。」
「そうじゃない。失踪前に、彼が私のした事は、気にしないと言っていたんだ。」

 宣教師の眼が、闇の中でちかりと瞬いた。髪は光らないが、眼は光るのだ。獣と同じく。
 それは、とマッドは問う。

「二年前のことか?二年前にあんたか仕出かした事を、気にしない、と?」
「違う。二年前、私達がした事と言えば、この街の司教を看取ったことだけだ。彼は、エリアスは、
司教を裁くべきだと言ったけれど、止めてくれと懇願されて彼はしなかった。」
「………あんた達は、司教が何をしてきたのか、知ってたんだな。自警団の団長はそれを知って、司
教を追い詰めた?」

 私も一緒にだ、と宣教師は答えた。宣教師は、両手を痛いほどに握り締めている。その指先は、十
字架に縋ろうとしない。

「エリアスは、司教がしてきた事は裁かれなくてはならないと言った。そうでなければ、被害者達が
報われないと。」
「だが、それを庇った奴がいたと言ったな。それは、あの尼か。」
「違う。彼女は、自分の父親が何をしたのか、そして何が起きたのか、まるで理解できていなかった。」
「じゃあ、誰が。」

 マッドがもう一歩踏み込んで、宣教師に近づこうとしたその時。

「マッド。」

 サンダウンの抑揚のない、けれども何か不穏なものを孕んだ声が闇を割った。
 同時にマッドもぎくりとして立ち止まる。その腕をサンダウンが引っ張った。同時に、宣教師の青
い眼が、何かを追いかけて線を引いた。
 直後に轟いたのは、銃声だ。
 たった今まで、マッドが立っていた場所から、土煙の香りが立ち上がった。

「誰だ!」

 鋭い誰何の後、出てこい、と叫びかけたマッドを制したのは、新たな銃声だった。それらは的確に、
こちらに狙いを定めている。
 マッドは舌打ちしながら銃声を避けていくが、銃声は留まるところを知らない。幾つもの銃を持っ
て空になる度に捨てては新しいものに変えていっているのだろうか。まさか、ガトリングを持ってき
ているという事はないだろうが。
 しかし、銃弾の雨は降りやまない。このままでは、聖域の外に押し出されてしまいそうだ。それと
も、それが目的だろうか。だとすれば、これをしているのは、インディアンの誰かか。
 こちらを殺しても構わないと、それくらいの勢いで銃弾を降らせているが、確かにこのままだと怪
我人か死人が出る。
 けれども、相手を撃ち落したくても、何処にいるのかが分からない。
 気配が、虚ろすぎる。
 サンダウンも、撃ちあぐねているようだ。
 その時、不意に、空が昼間のように、いや、昼以上に明るくなった。辺りが一瞬で漂白され、地面
に信じられないほどに暗い影が落ちる。
 それは一瞬の事で、再びの闇に戻る。
 直後、轟音。