暗がりの中、闇よりもなお黒い黒が動いている。サンダウンは誰も入って来れないように扉に背を
預けながら、ランタンの灯の中で蠢く黒の旋毛を眺めた。
 風の音さえ聞こえない夜更け。
 教会を家探しする、と宣言したマッドは、宣言通り教会の中をうろついていた。どうせ暇だろう、
とマッドに引き摺られたサンダウンは、見張りとして扉の前に置かれている。
 もぞもぞと壁や床に鼻をくっつけんばかりにして、あちこちを嗅ぎまわっているマッドは、時折頭
を持ち上げては、きょろきょろと辺りを見回す。おそらく、誰かが――この教会に寝泊まりしている
宣教師と尼僧が目を覚ましたりしていないか、気配を窺っているのだろう。そして、誰もやって来な
い事を確認すると、再びそこらじゅうを嗅ぎまわり始める。
 犬が匂いを嗅ぎまわる仕草に似ている。
 サンダウンは、マッドの仕草がマッドの名前の通りのものであるな、とぼんやりと思う。
 賞金稼ぎであるマッドが、普段からこんなふうに、這いずり回って物事を探るのか、と言われると
そうではないだろう。ただし、一方でマッドは、こうした労力を惜しむような男でもない。普段は情
報屋から、色んな情報を買い付けているだろうが、その裏取りはするだろうし、もしも誰もマッドが
意図した情報を持っていない場合は、自ら探しに行くだろう。その時に、こうやって地べたを這う事
があったとしても、それが嫌だ、という男ではない。
 プライドは高い。
 だが、砂に塗れたくらいで折れるような矜持は持ち合わせてはいない。
 そんなマッドに、行方不明の自警団の団長は、似ているのだと、宣教師は言う。
 どんなのだ、それは。
 サンダウンは微かな不機嫌さを伴う疑問を、腹の中で呟く。マッドに似ている男など、そうそうい
ないだろうに。
 しかし宣教師は、似ているのだ、と言う。青い眼でこちらを見ながら、その目線が、やはり不愉快
だった。
 不愉快の理由は分かっている。
 あの宣教師の眼差しが、自分に似ているからだ。
 ならば、マッドに何かしらの感情を、自分と同じように持っていてもおかしくない。まして、かつ
て、サンダウンが知らないマッドの記憶の片隅に、宣教師が薄ぼんやりと映っているかもしれないの
なら。
 捜し人がマッドに似ているのだという言葉も、何か薄ら寒いものにしか聞こえない。

「ああ、ちくしょう。」

 ごろごろという物音と、マッドの小さな舌打ちが重なった。ランタンで照らせばどうやら、昼間、
宣教師が持ち帰ったジャガイモの群れに、何らかの拍子にぶつかって、ジャガイモが転がり始めたら
しい。
 ごろんごろんと転がるジャガイモを、床を這いながらマッドが追いかける。暗がりの中でその様子
は詳しくは見えないが、どうも間抜けな恰好であることは否めない。

「あの野郎……ジャガイモくらい片付けろっての……。」

 礼拝堂の片隅に置かれたジャガイモと、それを置き去りにした宣教師に、マッドが毒づくのが聞こ
える。宣教師はともかく、ジャガイモに罪はない。

「だが、此処には何にもねぇな。」

 まあ、人が集まる礼拝堂だ。何かがあるとも思えない。まさか、秘密の通路があると思っていたわ
けでもないだろう。
 もしも何かあるとすれば、宣教師と尼僧の私室だろうが、彼らの寝ている今、そこに入り込むわけ
にもいかない。行くとすれば、彼らが出払う可能性のある昼間だ。実質、この夜間の捜索は、あまり
実りがあるようには思えない。
 だが、サンダウンはそれを口にはしなかった。
 サンダウンが思っている事を、マッドが思い至らないとは考えにくい。何もかもが放置された夜の
教会で、マッドは何を見つけたいのだろうか。
 礼拝堂の椅子と椅子の間を嗅ぎまわっていた黒い犬が、不意に後脚で立ち上がり、一つの扉を前脚
で掻き始めた。
 あまり、人が入ることがないのだろう。マッドが扉を撫でる度に、ぱらりぱらりと、こびり付いた
砂が零れ落ちる。立て付けの悪い教会の中は、こうして砂が溜まっている場所がほとんどだった。掃
除をしても追いつかないのだろう。
 マッドの指が、ドアノブを探り当てた。微かに軋みながら、ドアノブが回る。しかし、扉が開かな
い。
 鍵が、かかっているのか。

「いや………。」

 マッドが、そうではない、と首を横に振る。そして、肩を扉に押し当て、一気に体重をかけた。す
ると、がりがりと何かを削るような音を立てながら、扉がゆっくりと開く。どうやら、部屋の中に砂
が溜まり、扉が開くのを阻んていたようだ。
 部屋の中は、とても小さかった。溜まりに溜まった砂と、その中にぽつりと小さな椅子が置かれて
いる。そして椅子の近くの壁には、何処に通じているのか、小さな穴が。

「告解室か。」

 マッドがぐるりと砂の部屋を見回し、そう言った。
 誰も使う者がいないのだろう、床にはマッドが開いた扉によって砂の上に描かれた扇の跡が残り、
椅子の上にも砂が積もっている。 
 けれども、マッドは、どうだかな、と呟く。

「風の所為で、こんなふうな積もり方になったのか?」

 砂の積もり方は、部屋の中全てで、均一ではなかった。それは、果たして風だけの所為だろうか。

「それに、椅子の上に乗ってる砂の量も、床のに比べると、少ねぇな。」

 風で篩い落とされたのか。それとも、誰かが最近、この椅子に座ったのか。
 マッドは、床に跪く。そして、砂の中に埋もれた、擦り切れた黒い布の切れ端を拾い上げた。

「………誰のもんだと思う?」 

 マッドは、掌ほどの大きさの切れ端を引っ張ったり、揺れ動かしたりしていたが、

「僧衣に、似てるな。」 

 草臥れ切って、擦り切れた僧衣。それを着ている人物は、今のところこの街には一人しかいない。
だが、宣教師の――今はこの教会で臨時の神父として働いている宣教師の僧衣が、此処にあったとこ
ろでおかしくはない。
 いや――

「……告解室の、告解する側に?」 

 神父と言うのは『聞く側』ではないのか。
 何故、告解する側に、落ちているのだ。
 掃除の際に、落ちたとでも言うのか。

「掃除も何も、この部屋は掃除されてねぇ。仮に何度掃除しても嫌になるから最近は止めたっていう
んだとしても、掃除の際に落ちたのなら、気づくだろ。切れ端つっても掌くらいあるんだからな。」

 つまり、宣教師は掃除以外の何らかの意味があって、この部屋に入ったのだ。普通は入らない、こ
の部屋に。そして擦り切れ千切れた僧衣に気づかない状態で、部屋から出て行った。

「……ん?」

 マッドは砂の降り積もる床の上で、ランタンの光を浴びて微かに光る物を見つけた。あまりに細い
軌跡のように見えるそれは、少しても指先が狂えば、砂の中に埋もれてしまいそうだ。それを、砂の
中からより分けて摘み上げる。

「………髪の毛だな。」

 ランタンの灯りではよく分からないが、黒髪ではない。赤毛でもない、もっと色素の薄い色だ。
 金か、それよりも白に近い。

「………銀髪?」

 呟くマッドの声に、銀髪の人間として言及されたのは、一人しかいないと思い出す。 
 行方不明の、自警団の団長だ。

「自警団の団長も、この告解室に入ったってのか?」

 彼は、何を、吐き出そうとしたのか。二年前の出来事についての、何かしらだろうか。それとも、
二年前の出来事について、彼らはこの告解室で何かを話し合ったのか。この髪と、僧衣の切れ端は、
その断片だろうか。
 ふと、マッドが何かを思い出したように、告解室から出ていく。かと思えば、告解室の壁の穴の奥
――『聞く側』から何か物音がし始めた。やがて物音は止まり、マッドが戻ってくる。その手には、
やはり僧衣の切れ端が握られていた。

「あっちにも、僧衣は落ちてたな。ただ、砂にはそこまで言うほど、埋もれてなかった。」

 つい最近、宣教師は誰かの告解を聞いたのだろうか。それとも、それも風の悪戯か。
 いずれにせよ、誰も使わないであろう告解室で、宣教師が何かをしていた事は、確実だった。その
場に一緒に、自警団の団長がいたのかどうか、までは不明だが。
 ただ、マッドが妙に物憂げな顔をしている事に、サンダウンは気が付いた。

「……砂だらけだな。」

 マッドが、今更な事を呟いた。

「お前、おかしいと思わねぇのか?」
「何を?」

 サンダウンの問いかけに、マッドの物憂げの中に、苛立ちが混ざる。

「この教会の元々の神父は、あの尼の父親で、お前の話じゃ、そいつは私腹を肥やすのに忙しかった
んだろ?」

 ならば、この教会は。

「もっと、豪勢に造っても、良かったんじゃないのか?」

 十字架一つに、宝石をふんだんに使っていた。
 仮に、豪勢にすると何処かしらから睨まれるという理由で多少粗末にしたのだとしても、それにし
ても、もう少し、砂を防ぐような建て方ができただろうし、砂を防ぐくらいは誰でも許しただろう。
 にも拘わらず、これほどの建て付けの悪さ。

「どうしてだ?」

 何か、心変わりするような出来事でもあったのか。
 だとすれば、それは何なのか。
 それが、二年前の出来事に繋がるのか。
 マッドの疑問に対して、砂がさらりと崩れ落ちただけだった。