マッドが、男と思しきインディアンの前で、彼が語る伝承を聞いている時、古びた僧衣を引き摺り
ながら、宣教師が帰ってきた。どういうわけだか、両手いっぱいにじゃがいもを抱えている。
 彼はマッドと話をしているインディアンの姿を認めると、軽く一礼した。
 インディアンのほうも、静かに眼を閉じて目礼すると、杖を手繰り寄せて立ち上がった。

「じゃあ、もしも他の話も聞きたくなったら、いつでも来て。」

 杖は、特に足腰を支える為のものではなく、彼ら呪術師がその威厳の為に持っているものらしい。
杖を突かずに立ち去る歩みは、マッドの眼から見ると女のそれに近い。

「彼と、何を話していたんだい?」

 宣教師は、あのインディアンの事を『彼』と呼んだ。では、やはり、あのインディアンは男で間違
いないのだ。
 インディアンが立ち去る姿を見送りながら、マッドは答える。

「別に……このあたりの伝承とやらを聞かされていただけだ。」

 その中には、今からマッドが人捜しの為に立ち入らなくてはならない聖地の話もあったが。すると、
宣教師は、ああ、と頷いた。

「雷を操る大きな鳥の話だね。飢えた人々の為に巨大な牛を運んできたりする、この地の精霊――い
や、神に近いのかな?」
「そういう鳥の話は、別にこの地に限らずにあるんだけどな。」

 サンダーバード。
 アメリカ大陸全土に、その精霊――いや、宣教師の言う通り神と言ったほうが正しい――の名は残
っている。ただ、インディアンの部族によって、その伝説は少しずつ異なる。悉くが、雷を纏う巨大
な鳥である、という点では一致しているが。
 しかし、ここのインディアンの伝承は、マッドが聞いた如何なる伝承とも、また異なっていた。

「気に入った人間を連れ去って、自らを守る盾にする、だって?」

 聖域に、気に入った人間を呼び寄せ、自分の為に戦う戦士とする。ギリシャ神話などでは、わりと
そういった神――気に入った人間に手を出す神というのは、わりと多かったのだが、インディアンの
伝承でそういう話を聞くのは、初めてかもしれない。
 ふと、マッドは宣教師を見る。

「おい、お前まさか、お前が捜している自警団の団長が、伝承の鳥に攫われただなんて思っていない
だろうな。」

 土着信仰を悪魔信仰に結び付けるキリスト教の事だ。事件を土着神に絡みつけて、その土地の宗教
を踏みじにってもおかしくはない。この宣教師がそうでなくとも、自警団の団長を悪魔呼ばわりして
いた尼僧は、それくらい考えているのではないだろうか。

「まさか。」

 マッドの問いかけに、宣教師は目を丸くした。

「そんな事は、絶対に有り得ない。」

 そして、やけに力強く返してきた。伝承を伝承と切り分けるのではなく、そんな事は有り得ない、
と。まるで、伝承は信じながらも、そうではないと、知っているかのような口調だ。
 宣教師の口調に、微かな疑惑が燻ぶる。マッドはもう少し、宣教師の言葉を聞き出そうと、尼僧の
事を絡めて問い続けた。

「あんたはどうか知らねぇけど、そう思ってない奴もいるんじゃないか?あの尼さんとか。もの凄い
勢いで、あんたの捜し人を悪魔呼ばわりしていたぜ。」

 まああの尼僧の場合、信仰云々よりも個人的な感情も多大に含まれているっぽいが。
 すると、宣教師は酷く困ったような表情になった。

「彼女と、話をしたのか?」
「ああ。あんたの捜し人は、あの尼さんに随分と嫌われてるな。普通は尼さんってのは、汝の敵を愛
せよとか言う程度には博愛主義だと思ってたんだが。」

 微かに皮肉を交えて話してやると、宣教師はますます困ったような顔をした。

「彼女が、その、彼に付き纏っているシスターなんだ。」
「は?」

 付き纏う、というのは好意的な意味合いではなくて。
 そして、確かに、あの教会にはあの尼僧以外にシスターはいなかったな、と思う。

「なんだ、あの尼。悪意で付き纏ってたってのか?ナイフでも懐に忍ばせて、隙あらば、ぐさっとや
ろうって思ってたってのか?そんなのでシスターとかやってられんのか?っていうか、さっさと破門
しちまえよ。」
「いや、その。彼は彼女なんかよりもよっぽど強いし、彼から被害報告は受けていないし。付き纏わ
れてるとは聞かされたけど。」
「被害報告がないって、付き纏われてるって言われたのは被害報告じゃねぇのかよ。」
「か、彼が特に何もしなくても良いって言ったから。」
「破門して、どっか別の街に放り出せよ。あんたも一緒に、あの尼さんと一緒に行けばいい。」

 あの尼僧が自警団の団長に付き纏っている理由は、十中八九、嫉妬によるものだ。マッドに向けて、
殺せ、と依頼してきたのも嫉妬に狂っているからだ。そんな理由の依頼など受ける気にもならないが。
 なので、尼僧関係の案件は、この宣教師が尼僧の手を取って駆け落ちなりなんなりしてしまえば良
いだけの話だ。
 むろん、二人とも聖職者であり、性交渉を伴う愛とやらはできないだろうが。
 それを以てして、宣教師は顔を真っ赤にして反論してくる――とマッドは思っていたのだが。

「嫌だ。」

 宣教師は、顔色一つ変えず、即座にマッドの提案を切り伏せた。
 青い眼が、信じられない程に強い光を湛えている。

「彼女がこの街を離れるべきだ、という君の意見には、頷くところもある。事実、彼も――エリアス
もそう言っていた。だから、おそらくその意見は正しいのだろう。けれども彼女がこの街を離れて行
くところがあるのか、と問われれば、私は頷く事は出来ない。彼女は二年前に、身内を失ってしまっ
たからね。彼女はその原因が、エリアスにあると思って、恨んでいるんだ。」

 見当違いも甚だしいのだがね。
 胸の十字を弄りながら、宣教師は呟く。
 だが、マッドにしてみれば宣教師の言葉は初耳だ。というか、二年前の出来事ってなんだ。
 その疑問に思い出されたのは、先程立ち去ったインディアンが告げた『尼僧の罪』だ。自警団の団
長が知っているというそれは、二年前の出来事に由来しているのではないか。

「おい、二年前に何があった。」

 マッドの直球の質問に、宣教師は微かに表情を歪めた。口にしたくないのだろう。

「言わなきゃ、俺はてめぇの依頼を受けねぇぞ。というか、ただの人捜しの依頼のくせに、お前もこ
の街も、胡散臭いんだ。」

 幾分か強い口調で言ってやると、宣教師は微かに目を伏せて、答えた。

「彼女の父親が死んだ。死因は心臓発作だったけれども、彼女はエリアスが父親を殺したのだと思っ
ている。」
「どうして、そう思うに至ったんだ?」
「彼女の父親の死の際に、エリアスが傍にいたからだ。けれども彼女の疑いは全く以て事実無根だ。
医者の見解も心臓発作で間違いなかったし、そもそも彼女の父親の死の際には、私も傍にいたんだか
ら。」
「なんでだ。」

 マッドは問う。
 え?と宣教師は首を傾げる。

「なんで、お前ら二人は、あの尼さんの父親が死ぬ間際に、その傍にいたんだ。」

 自警団の団長と、神父が、誰かの死の間際に立ち会うという、その状況は、一体。
 思い浮かぶのは、犯罪者の懺悔を聞くという瞬間なのだが。
 けれども、宣教師は口を閉ざした。

「彼らの名誉に関わることだ。私の口からは言えない。ただ、これだけははっきり言っておく。我ら
の中で、エリアスにだけは、決して恥じ入るべきところも後ろめたく思うところも、何もなかった、
と。」

 ならばお前は。
 マッドが問いかける前に、宣教師はマッドの前を通り過ぎ、教会の中へと消え去った。




 その後、マッドは街の中をふらりふらりと歩いていたが、どうも上手い具合に情報収集は出来なか
った。街の人々は示し合わせたかのように二年前の出来事には口を閉ざし、インディアン達も微かに
困惑した瞳でこちらを見るだけだった。
 一度だけ、あの呪い師を遠目に見かけた。女性とも男性ともつかぬふうの彼は、その職業の所為だ
ろうか。周りのインディアン達から随分と尊敬された眼差しで見つめられていた。
 どうにも情報が集まらないマッドは、日も暮れかけた頃、近くの安っぽい酒場に入り込んだ。別に
それ以上の情報を求めていたわけではない。これ以上は何も掴めないだろう事は、賞金稼ぎとしての
本能が囁いていた。酒場に入ったのは、単純に酒を求めての事だった。
 酒場の中は、そこそこ込んでいた。他の街にないのは、インディアンの男達も、ちらほらと入り込
んでいる事だろうか。
 不思議な空間が出来上がったその中で、マッドはそこだけは酷く日常的に浮き上がった場所を見つ
けた。
 サンダウンが、いつの間に教会から出てきたのか、酒場の片隅で酒を煽っていたのだ。
 そう言えばこのおっさんは、一体何で此処にいるのだろう。
 マッドは小首を傾げつつ、サンダウンのいる席に近づく。あの宣教師の依頼なのだろうが、何故そ
れを跳ね除けなかったのか――そんなに金に困っているのか。
 近づくマッドに気が付いたサンダウンの青い眼が、こちらを見る。しかしそれ以上動こうとしない
という事は、マッドが近づく事は特に構わないという事だ。まあ、マッドにしてみれば、サンダウン
が何を思おうが構わないのだが。
 マッドは、テーブルを挟んでサンダウンに相対する席に座り込むと、サンダウンを見据えた。サン
ダウンも、酒を煽る手を止めてマッドを見ている。西部の青空を模したかのような青い眼は、あの宣
教師と同じ色合いをしている。

「………何か、」

 収穫でもあったのか。
 マッドが情報収集しているであろうと思っていたのだろう。サンダウンは低く尋ねた。

「うるせぇな。てめぇこそ、どうなんだ。」
「………この街の連中は、随分と、自警団の団長と、あの宣教師に恩を感じているようだ。」

 まるで、マッドが二年前の出来事に辿り着けない理由が、それであるかのように語る。
 背の高い男は、緩慢な動きで懐から葉巻を取り出すと、それに火を点けた。

「結局、てめぇは何もやってねぇのか。」

 マッドが詰るように――というか不貞腐れたように言うと、ちらりと青い眼が光った。葉巻を咥え
て一度吸い込み、煙と共にサンダウンは呟く。

「この街では何もしていない。が、一つだけ知っている事がある。あの尼僧の、父親について、だ。」

 サンダウンが保安官であった頃に知り得た情報なのだが、それをサンダウンがわざわざ前置きで語
る事はない。その事実だけでも十分に、尼僧の父親が褒められた人間ではない事を指し示すのだが。

「マッド、お前は、」

 この町に神父がいない事を不思議に思わないのか。
 宣教師はあくまで宣教師であって、この町に在任している神父は、本来は他にいたのだ。

「それが?」
「あの尼僧の父親だ。かつては、別の土地の司祭だったのだがな。」

 司祭とは名ばかりの、人々の寄付を掻き集めては、私腹を肥やす事に忙しい男だった。
 その言葉に、マッドは尼僧が握りしめていた、やたら豪奢な十字架を思い出す。あれは、生臭坊主
だった父親のものだったのだろうか。
 良い噂は聞かなかった、とサンダウンは呟く。
 それでも司祭としてやっていけたのは、掴むだけの尻尾が見当たらなかったのだ。

「此処の自警団の団長が、その尻尾を引き摺り出したかもしれないってか?」

 だから捕まり、拘置所か何処かで宣教師付きの尋問の最中に心臓発作でも起こしたのだろうか。そ
れならば、自警団の団長が娘である尼僧に恨まれているという理由が付くのだが。

「マッド。」

 サンダウンの声が妙に掠れた。声を、出来る限り低くしているからだ。周りの連中に、聞かれたく
ない話だろうか。

「私が、尼僧の父親について聞いた、最も胸糞の悪い話は、これだ。」

 その司祭に限った話ではない。キリスト教によって、インディアンに無理やり自分達の生活様式を
押し付ける話は、あちらこちらにある。インディアンを教会に押し込めて、そこで西洋人の考え方を
埋め込むのだが。
 教会の中で、インディアン達が司祭やシスターから拷問や強姦を受けたりする話は、多々と聞く。

「あの司祭は、原住民に限らず、行き場のない少年達を集めては、夜な夜な性行為を行っていたとい
う話が、あった。」

 マッドは、サンダウンの無表情を見返す。

「あの尼僧は、その事を知ってたのか?」
「……さあな。」

 知っていたとしても、何もしないだろう。あの尼僧の、侮蔑に満ちた眼差し。インディアン達には
何をしても良いと思っている可能性がある。

「自警団の団長は、それについて何か掴んだ。でも、なんだってそれを隠す必要があるんだ?」

 宣教師は名誉に関わることだ、と言っていた。名誉とは先代の司教と、その娘である尼僧の名誉だ
ろう。だが、それだけだろうか。

「あの教会。漁ってみるか。」

 マッドはぽそりと呟き、立ち上がる。
 それを見たサンダウンも、ゆるりと陽炎ように立ち上がった。