黙り込んだサンダウン・キッドは、置物としての価値しかない。
 これ以上何か話しかけても無駄無意味である事を知っているマッドは、つまらなさそうにサンダウ
ンを一瞥すると、てくてくと来た道を引き返した。
 つまらない、と言えば、この依頼も非常につまらない。人探し――インディアンの聖地に足を踏み
入れるという、普段まず有り得ないだろう事態であるにせよ――なんて、マッドのように生きる死ぬ
のぎりぎりのラインで荒野を駆け巡る賞金稼ぎにとっては、非常につまらない依頼だ。
 そもそも、賞金稼ぎのやる仕事じゃない。
 何度か思って、何度か口にも出した台詞を、もう一度喉の奥で噛み殺す。こんなの、自警団のやる
仕事だ。しかし、その自警団の団長を捜せ、というのが今回の依頼である。
 いや、別に自警団の団長を捜すのに、本人は必要ない。他の自警団の団員を狩りだせば済む話だ。
どうしてそれをしないのか。それとも、しても意味がなかったのか。
 マッドは簡素な礼拝堂の中を見回す。
 粗末な木の板が張り付けられた床の隅には、外から入り込んだのだろう。砂が山を作っている。今
もなお、砂山の頂点を様々な形に変えているその上を見渡せば、煤けたような天井がいっぱいに広が
っていた。そして飾られている救世主の皺にも、砂がしっかりと食い込んでいる。
 本当に、突貫で出来た教会なのだ。
 インディアンの保留地という事で、とにかく間に合わせでも教会を作ろうという事になったのだろ
うか。とにかく、荘厳さは何処にもない、簡素中の簡素さで出来上がっている。強い風が吹いたら、
吹き飛んでしまうのではないだろうか。そしてそれを、インディアン達は望んではいまいか。
 唐突に現れた、白人達の傲慢ぶりに、彼らが怒り狂ってないはずがない。でなければ、第七騎兵隊
の悲劇は起こらなかったはずだ。そしてマッドの愛馬も、あんな人の眼をした馬ではなかっただろう。
 だから、と思う。
 だから、サンダウンはこの依頼を引き受けたのだろうか。
 依頼内容は、取るに足らないものだ。しかし、現場はあまりにも混沌として、ディオのような存在
が生まれないとも知れない場所だ。
 宣教師は、今はまだ、この地は穏やかだ、と言っている。インディアンと移民が緩やかに共存して
いる、と。しかしそれは、我々白人側の願望でしかないのではないか。インディアン側は、いつ誰が
憎しみに染まってもおかしくないのではないだろうか。
 宣教が、成されてはいなくても。
 インディアンの一人も見当たらない教会を見渡し、マッドは、此処に更に聖地に踏み入るという悪
事を働くのだ、と思う。
 許しは得た。
 しかし、それは本当に全てのインディアンの許しだろうか。
 面倒な、依頼だ。
 つまらない、しかし、面倒な。
 マッドがもう一度、喉の奥で呟いた時、かたりかたりと足音が聞こえた。サンダウンではない。足
音は教会の入口から聞こえている。宣教師が、帰ってきたのだろうか。
 ふらりとマッドが振り返ると、そこにいたのは宣教師ではなかった。黒に白の裏地が見える衣装に
身を包んだ女――おそらく、この教会のシスターだろう。
 そして、
 ――ああ、自警団の団長に迫られているっていう。
 マッドは心の中で頷いた。
 尼僧は、マッドの事は承知しているのか、無表情のまま、ゆるりと頭を下げた。美人だが、能面の
ようだ。ただ、瞳が妙にぎらりと瞬いたのが気になった。
 その瞬きの意味は、すぐに知れる。

「マッド・ドッグ様ですね。神父様より伺っております。」

 神父、というのは宣教師の事を指しているのだろう。頷いたマッドに、尼僧は再び瞳をぎらつかせ
た。

「神父様より、自警団団長の捜索を依頼された、という事で間違いございませんね?」

 幾分強い口調で吐き出された言葉に、マッドはもう一度頷く。マッドが頷くたびに、尼僧の眼がぎ
らつくのを見ながら。

「では、私からもお願いがございます。行方不明の自警団団長、彼の者を見つけ出してください。」

 そして、

「神父様に彼の者を引き渡す前に、殺してほしいのです。」




 サンダウンは、先程見下ろしたマッドの旋毛を思い出しながら、あの賞金稼ぎは何も感じていない
のだろうか、と考える。
 自分に依頼してきた宣教師が、イギリス出身だという話を聞いた時に、自分に関わりがある男であ
る、とは思わなかったのだろうか。
 あの、宣教師。
 サンダウンは、金の髪に強い青色をした宣教師の眼を思い出す。
 あの眼を、初めて見た時、どうにも自分に良く似た業を孕んでいる、と思ったものだ。真っ直ぐに 
己を見据えて、無言で目的を達成しようとしているところなど。目的達成の為ならば、手段を選ばな
いところなど。
 ただ、サンダウンに分からないのは、あの宣教師の目的が分からないところだ。
 宣教師は、ただ、自警団の団長を捜してほしい、と言った。インディアンの聖地に入り込んだきり、
戻ってこない友人を、と。
 だが、本当にそれだけだろうか。
 跳ね除けようとしたサンダウンの耳元で、マッドの事を囁いたのだ。

「私は、マッド・ドッグがイギリスにいた時の事を、知っているんだ。」

 その当時の名前も、知っている。なんなら、今、その名を告げても良い。
 何を思い、そこでマッドの名を告げたのかは分からない。単純にサンダウンを依頼の場に引き摺り
出す為だろうか。それとも、それ以外に――マッド自身にも用があったのだろうか。
 宣教師如きがマッドをどうこうできる、とは思わない。けれども宣教師の背後にあるであろう、イ
ギリスと教会絡みの何かが、不気味だった。
 その場で撃ち殺しても良かったが、しかしそれをするには、まだなんの証拠も揃っていない。
 今のところ、宣教師の周りがざわついて、マッドに何か危険が及んでいるようには見えない。だが、
実際のところ、どうなのかはサンダウンには分からなかった。
 イギリスが、教会が、そんなに恐れるべきものか。
 過去のサンダウンが疑問を投げかける。それに対して、サンダウンは自分自身に対しての何かしら
ならば、恐れる事は何もない、と答える。サンダウン自身に対しての危機ならば、なんとでもなる。
サンダウンは、もはや死んだ人間と同義だ。今更惜しむものは何もない。
 だが、マッドだけは。
 薄らと、聞いたことがある。それとも、感じ取っただけだっただろうか。
 マッドの血には、確かに、イギリスの流れを汲むものがある。
 マッドが、時折見せる気だるげなほどに優雅な仕草や、信じられないほどに端正なクイーンズイン
グリッシュが、それを信じさせるには十分だ。
 この地に来た以上、マッドの血は荒野に置き換えられているだろう。だが、血というのはそんなに
簡単に薄まるものだろうか。
 宣教師は、それを何処まで察している?
 あの宣教師が、とサンダウンは考える。実はマッドの耳元で囁くべき何かを、イギリスから持ち込
んではいないだろうか。何事も起こらないように、と自分の眼の届く範囲にマッドを置こうとしたが、
それは実は失敗ではなかったか。サンダウンの傍にいるという事は、宣教師のすぐ近くにもいる、と
いうことだ。
 宣教師が、力づくでマッドをどうこうしようというのならば、その時は何とでもできるだろう。マ
ッドはそう容易くはやられはしないだろうし、その時はサンダウンも傍にいる。
 けれども、ただ、耳元で流し込まれた毒であるならば。
 咥えていた葉巻を、噛み潰す。
 さっさと、捜し人とやらを引き摺り出して、宣教師に手渡してしまえ。そうすれば、話は終わる。