ひぃ。
 マッドは頭上に降りかかってきた茶色いとしか形容できない影に、思わず喉の奥で悲鳴を上げた。
 眼の前に、ぬっとそそり立っているのは、紛れもなくマッドが長年追いかけてきた賞金首サンダウ
ン・キッドである。マッドはこの男を、昼夜問わず雨も風も関係なく追いかけてきた。
 追いかけてきた、が。
 こうして突然目の前に――というかこれまでも割と行く先々にいたのだが――現れられると、その
無意味なほどの高身長のおっさんは、異様なほどの威圧感を醸し出す。悲鳴は流石に喉の奥で留めら
れたが、しかし一瞬たじろいでしまった。
 自分よりも幾分か上の目線で煌めく、青い双眸は、確かにマッドの姿を映している。ただし、その
瞳から何らかの感情を読み取れたことは、一度もない。
 咄嗟に後退りそうになった足を叱咤して引き止め、マッドもサンダウンを見上げる、というか睨み
付ける。

「なんで、てめぇが此処にいるんだ。」

 普段のマッドならば、諸手を挙げてサンダウンに決闘を申し込んだだろうが、生憎と今は別件の依
頼を引き受けてしまった。別にその依頼を此処で放棄してしまっても良かったのだが――しかし依頼
人である宣教師が、どうにも薄ら寒い得体の知れない雰囲気を放っているので、下手に依頼を断らな
いほうが良いと、マッドの本能が告げていた。
 なので、マッドは賞金首を目の前に、低く唸る事しか出来なかった。
 が、そんなマッドの肩越しに、得体の知れない宣教師が、にょき、と現れ、

「ああ、その人が君以外にもう一人、依頼を頼んだ人なんだ。」

 悪びれずに告げた。
 なんですと。
 マッドは、ぐりん、と音がしそうな勢いで宣教師を振り返る。マッドの勢いにも宣教師は動じる気
配はない。当然の事ながら、サンダウンもである。

「てめぇは、何を考えてやがる。」

 低い獣のような唸り声は、獲物である賞金首ではなく、その矛先を依頼主である宣教師へと向けざ
るを得なくなった。
 しかし、宣教師はマッドの声の低さが、己の所為であるとは終ぞ思っていない表情をしている。と
いうか、何も分かっていない。

「何をって?」
「何をって、じゃねぇ!でめぇは、これが何なのか分かってんのか!」

 マッドは腐れ縁に限りなく近い賞金首を指差した。なお、『これ』呼ばわりされた賞金首は、やは
りひくりとも動じる気配がない。もしかしたら、こちらも何も分かっていないだけかもしれないが。
 ただし、宣教師は『これ』が何であるのかは知っていたらしい。ゆっくりと頷いて、

「彼はサンダウン・キッド。君の知己だろう?」
「ちがーう!」
「数年来の知り合いだと聞いていたが、違う、と?」
「そうだけど、ちがーう!」

 撃ち落す相手を知己呼ばわりされても、マッドも困る。いやその前に、どうしてそんな微妙な勘違
いが、宣教師の頭の中に根付いてしまっているのか。
 冷静に考えれば、原因など一つしかない。
 マッドは、再び、ぐりん、と首を回して、今度はサンダウンを振り返る。
 この賞金首が、ある事ない事吹き込んだのだ。

「おいこら、ヒゲ!てめぇはこの男に、俺の事をなんて言いやがったんだ!」

 マッドの肩を怒らせた問いかけに、サンダウンは腹が立つくらいゆっくりと眼を瞬かせ、

「……女の扱いの上手い男なら、私に何年も纏わりついてくる賞金稼ぎがいる。そう言っただけだ。」
「てめぇ!人を女たらしみたいに言うな!」
「……………女の扱いには不安がある、と。」
「張り倒すぞ、てめぇ!」

 詰ろうとしたら、男の沽券に関わるような事を言われて、詰るに詰れなくなった。
 相変わらずの無表情を貫くサンダウンから眼を離し、再びマッドは宣教師に向き直る。宣教師は宣
教師で、自分がまずい事をしているとは欠片も思っていないようだ――インディアンの聖地に入る為
にインディアンの勇者を倒した時点で、この男の胆の太さは分かってはいたが。

「お前はこれが賞金首だって分かってんのか!」
「勿論だ。」
「だったら何で!」
「彼は、自警団の人間だからね。」

 宣教師は、真っ青な眼でマッドを見つめる。

「彼は正義の側の人間だ。ならば、もしかしたら、この場に賞金首という存在がいる事で、姿を見せ
るかもしれない。あと、ごねて帰らない、とか言い出さないと思う。」

 眼の前に、正義を脅かす存在がいると知れたなら、己の我儘が押し殺すだろう。
 青い眼は、それが揺るぎない事実であると言わんばかりに語る。きつい色合いは、マッドの背後に
佇む賞金首と同じ色合いだ。そしてそこにたわめられたものも、詳細は違えど、迷いのない主張は同
じだ。
 似たような眼の持ち主に挟み込まれて、マッドは微かに苛立つ。サンダウンがそうであるように、
この男もまた、マッドの意見など、耳を傾けたとしても聞き入れたりしないだろう。マッドがどれだ
けサンダウンの事を喚いたとしても、サンダウンが必要だと決めてしまった以上、サンダウンを外そ
うとはしないだろう。

「とりあえず、今日はゆっくり休んで、明日から聖地の調査を頼む。ああ、泊まるところは、一応教
会の中に部屋を準備しているから、そこを自由に使ってくれて構わない。」

 マッドの様々な不満を無視する形で、宣教師は必要なことだけを告げる。己の主義主張疑問が一向
に聞き届けられなかったマッドは、腹いせに告げた。

「ご自由にって事は、女を連れ込んでも良いって事だよな。」

 途端に、宣教師は顔を赤くして、

「そ、それは止めてくれ。仮にも教会なんだ。」
「俺に、尼さんの相手をさせようって言ってるくせに。」
「そういう意味で言ったわけじゃ………。」
「そういう意味って?俺は特に何も言ってねぇぜ。」
「……………わ、私は、今から用事があるから。」

 もにょもにょと言いながら、宣教師は速足でマッドの前から去っていく。
 その後ろ姿を眺めながら、マッドは『童貞め』と呟いた。
 さて、マッドが童貞、もとい宣教師を苛めている後ろで、賞金首サンダウン・キッドは、もぞもぞ
と酒瓶を懐にしまい込んでいる。そして、もぞもぞとマッドの横を通り過ぎていく。
 自分の真横を通りすぎる茶色い影を見咎め、マッドは声を上げた。

「おい、キッド。てめぇは酒瓶抱えて何処に行くんだ。」
「………教会だ。」

 酒を持ち込んではいないとは言われていないからな。
 低く、聞き取れるか聞き取れないかの声で呟いて、サンダウンはのそのそと足を進める。のっそり
と動く背の高い影に、マッドはしばらくむっつりと不機嫌な視線を向けていたが、やがてぱたぱたと
その後を追いかけ始めた。
 何せ、マッドは教会の位置を知らないのだ。
 無言の男を案内役に、マッドは異教の地に植わった教会に辿り着く。教会は、木を組み合わせて作
り上げた小さなものだった。けれども一応の礼拝堂と、幾つかの小部屋が添え付けられている。その
小部屋の一つを、サンダウンとマッドで使えという事なのだろう。
 サンダウンは無言のまま、さっさと小部屋の一つに入り込んでしまう。マッドも自分の部屋を選ん
でも良かったのだが、その前に、とサンダウンの部屋に滑り込んだ。勝手に入り込んだマッドを咎め
るでもなく、サンダウンは確保した酒瓶を部屋の隅に収納する。

「おい。」

 マッドは、むっつりとした声をサンダウンに投げかけた。サンダウンの青い眼が、マッドを一瞥す
る。宣教師と同じ色合いだ。

「てめぇはなんで、此処にいるんだ。」

 どうして宣教師の依頼など引き受けたのか。あの宣教師は、友人である自警団の団長の為に、この
男に金でも支払ったのだろうか。
 マッドの問いかけに、サンダウンはしばらく、もぞもぞとあたりを整えていたが、思い出したよう
に口を開いた。

「お前、は、」
「あん?」

 マッドの事について何か言おうとしたサンダウンに、マッドは怪訝な顔をする。だが、サンダウン
は、いや、と首を横に振る。そして代わりに、宣教師についての声を発した。

「あの宣教師は、」

 かさついた、砂のような声に、微かな湿気が帯びていた事に、マッドは眉を顰める。

「イギリスの、出身らしいな。」
「ああ。」

 マッドは小さく頷く。宣教師は、イギリスでそこそこの家系だったと言っていた。
 マッドの首肯を見ると、サンダウンはそれっきり口を噤んでしまった。